カルマ<22>

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 息の詰まるような圧迫感はなくなって、あたりは広々としていた。辺りを見渡すと、荘厳な石柱が規則正しく並んでいる。
 寒いほどの闇の気配にぶるりと身震いし、ふ、と、安堵のため息を洩らす。閉じ込められていた壁の向こう側に出てこられたから、あとはもう、振り返ろうとしなかった。
 ぐ、と剣を掴み直すと、クラウドは、再び足を踏み出した。
「はぁ、は……ン──ッ」
 慌ただしく息を吸い込み、乾いた喉を唾で濡らす。もう二度と、あそこには戻りたくない。充満する絶望感に、呑みこまれてしまうから。
 重たい剣を引きずっては、うまく歩くことができない。眉間に皺を刻みながら、クラウドは苦々しく呟いた。
「ふ……、くそ……ッ」
 ふつふつと、怒りが湧いてきた。自分を蔑んだ妖魔へではなく、イミテーションをけしけた卑怯な連中へでもなく。こんなところで立ち止まっていた、弱ったらしい自分自身に。
 ただ歩いているだけで、額に汗が滲んでくる。転びそうになるのをなんとか耐えて、クラウドは腕で顔を拭い、ゆっくりと深呼吸をした。
 痛む頭を揺さぶって、自分がなにをするべきなのか、出来るのかを考える。きっとまだ、クラウドが抜け出したことに誰も気づいていないだろう。
 奴らに、仕返しに向かおうか。クラウドと同じように目をつけられた、クジャのことも気がかりだ。
 それよりなにより、アルティミシアを止めなければ。心が先走って、体を縛る疲労感が腹立たしい。
 ふと顔を上げると、クラウドの目が、空を走るイミテーションの姿を捉えた。こんな状態で、イミテーションに構われては厄介だ。ぎくりと胸が高鳴ったけれど、そのイミテーションはクラウドには目もくれず、空から空へと駆けていった。
「あれは……」
 クラウドは驚き、瞬きをした。目を細めると、ぼやけた像が重なって、小さくなっていくその姿が『虚構の英雄』であることを確認する。
 それは、秩序の大地へではなく、真逆の方角へ向かっていた。クラウドは怪訝に思い、眉を寄せた。カオスの領地に、秩序の戦士たちはいないはずだ。
 そういえば、先刻まで闇の世界に集結していたセフィロスのイミテーションは、どこへ行ったのだろうか。全て倒れたはずもないのに、彼らは、いつのまにか消え失せた。
 いなくなった彼らが、どこへ行くのか。誰に呼ばれ、何を命じられているのか。それを確かめようと、クラウドは口唇を噛み、ズ、と、足を踏み出した。
 体を引きずり、歩きはじめた彼の前には、長い闇の階段が生えていた。ここを出るためには、それを昇らなければならない。そう考えると、気が遠くなりそうだ。
 けれど、クラウドは歩みを止めなかった。ここで止まると、もう二度と、動き出せなくなる気がする。
 細く長く続く階段を、剣を引きずり、クラウドは昇っていった。いつの間にかひずみが終わり、もとの場所に吐き出される。
 そうして広い世界に出ると、クラウドは、駆け抜けていくイミテーションたちを追いかけた。体は重く、歩みはのろかったけれど、歩けば歩くほど、混沌の気配は濃密になっていく。
 なにかの核心に近づいているという実感が、クラウドを急かしていた。逸る気持ちとともに、得体のしれない胸騒ぎが、クラウドの中で広がっていった。


   ■   ■   ■


 星の中心に立って、セフィロスは、恍惚と息をした。記憶のないかつてと、記憶を取り戻した今とでは、この場所の意味も違ってくる。
 幾重にも連なる光は、ライフストリームと呼ばれていた。まばゆく輝き、優しくうねるそれらは、どれも皆、かつては生きていたものたちだ。
 いや、今もまだ、生きているといえるのだろう。精神だけの姿となって、自己すら忘れてしまったけれど、その活力は決して衰えていない。
 迸るほどの彼らの感情が、立ち昇り、膨れあがり、弾けては舞い降りてくるのを見上げながら、セフィロスは瞳を細め、くつくつと笑みを鳴らしていた。口々に騒ぐライフストリームは、生と死を超越した、生と死に一番近いものだ。唸るように響く彼らの声は、泣いているようでも、笑っているようでも、怒っているようでもあった。
 この無限のエネルギーを支配できれば、セフィロスは、次元も世界をも超越した力を手に入れられるだろう。セフィロスの野望を知ってか知らずか、彼らは不穏にざわめいていて、むき出しになった岩の欠片が忙しなくあたりを飛び交っていた。
 ライフストリームの威嚇をものともせず、セフィロスは悠然と、その中央に佇んでいた。手を軽く持ち上げ、開いた掌を上に向ける。
 そうして静かに、星のざわめきに耳を傾けていたセフィロスの手に、一筋の光がふわふわと降りてきて、音もなく燃え尽きた。瞼を開いたセフィロスは、周りに集う無数の影が自分を見下ろしているのを感じ、楽しげに肩を揺らした。
「次元の狭間より現れし、異形の存在、イミテーション」
 セフィロスは、低い声を響かせた。そうしている間にも、一人、また一人と、喚ばれた戦士は色のない目でセフィロスを取り囲む。
「お前たちが、私と同じであるならば…その体には、母の細胞が備わっている」
 セフィロスの握りしめた左手から、鋭い光が煌めいた。セフィロスがそれを掴むと、光は彼の手に馴染み、妖刀正宗に姿を変えた。
「ジェノバはリユニオンする。そうして集った欠片を束ね、私は、完全な存在となる」
 同じ刀は、イミテーションたちの手の中にもあった。セフィロスは眉を顰め、そして、その口許は酷薄な笑みを刻んだ。
「かつての戦士の抜け殻か……それとも、未来の自分が形作られるための、文字通り『器』か」
 エクスデスの見つけてきたイミテーションは、奇妙で奇怪な存在だった。戦う意思以外に言葉さえ持たず、使役を待つ人形……。
 その体はクリスタル。砕ければ、元には戻らない。しかし、クリスタルはそう易々と壊れるものではない。
 故意に壊そうとしなければ、これからも、無数の自分が存在し続けることになる。それはセフィロスにとって、決して愉快な話ではなかった。
「コピーか、それとも……」
 セフィロスが刀を構えると、吸い寄せられるように、一人のイミテーションが星の中心に降り立った。壊されにきたとも知らず、間抜けなものだ、と、セフィロスは思った。
 意思もなく、命令に従うだけのつまらない存在。自分の形をしているから、余計にそれが不快だった。
「オリジナルは一人でいい」
 刀を握るグローブが、ギリリと軋む。炸裂したセフィロスの剣閃が、イミテーションの体を砕いた。
 悲鳴をあげるようにライフストリームが沸き立って、口々に叫び始める。それを足裏に従えると、セフィロスは星の渦を駆け上がり、悠長にしていたイミテーションどもを薙ぎ払った。
 これでは、まるで面白く無い。セフィロスが腕を振ると、いざなわれたイミテーションが同時に襲いかかってきた。
 命令通り、セフィロスに剣を向けたイミテーションを迎え撃ち、セフィロスはようやく、胸踊る躍動を感じた。クラウドとの戦闘で得られた興奮に比べれば味気ないものだが、少なくとも、下劣な紛い物を打ち壊していく気分は爽快だ。
「かわせるか? ここだ!」
 星の中心に立ったセフィロスが飛ばした剣圧に弾き出され、哀れなイミテーションが、ライフストリームのうねりに激突した。砕けてしまったクリスタルを払いのけ、我先にと、新たなイミテーションがセフィロスに挑みかかる。
 浄化の真実を、確かめなければならない。ここに集った者たちが、セフィロスを元にできたのか、セフィロスもまた、この中の一つであったのか。
 浄化によって洗われた記憶─、それは、どこへ行くのだろう。浄化を経て蘇るのは、自分なのか、それとも器どもなのか。
 どちらにしても、確率は高めた方が良いだろう。こいつらが彼を抉ったのと同じだけ、自分が彼に、忘れ得ぬ記憶を刻むために。
「役者が違ったな」
 セフィロスの放った閃光に吸い寄せられ、またひとつ、壊れたイミテーションを見送りながら、セフィロスは言った。このままでは、埒があかない。増え続けるイミテーションを挑発するように、セフィロスは、それらに新たな命を下した。
「決めるか、最高の戦士を…!」
 主の求めに従って、イミテーションたちは群をなしてセフィロスへと襲いかかった。無数の正宗に晒されて、ようやく、セフィロスの鮮血が舞う。
 痛みを感じたセフィロスの、笑みは更に濃くなった。代わりに突き出した刀がイミテーションを打ち砕き、偽物を蹂躙する高揚が、感じた痛みを鈍らせていた。
 ダメージを負えば負うほど、自分は究極の存在に近くなる。どれだけ虐げられようと、クラウドはまたもセフィロスの前に立ちはだかり、それを阻もうとするだろう。
 こんな者たちの手で、朽ちさせやしない。この世界でも、神々のルールの中でも、彼の性質は変えられやしない。
 今再び、セフィロスが営み始めたリユニオンは、絡まりあった二人の運命、その事実を、これ以上ないほどに証明しようとしていた。