当惑
SxC、Rude×Reno前提注意!
鳴らない携帯を開いたまま、レノはただぼうっとそれを見つめている。液晶は既に消灯していて、神羅のエンブレムが薄暗い画面の中でゆっくりと踊っている。
「…落とすぞ」
唐突に口を開いた相棒の言葉に首を傾けると、長く垂れていた煙草の灰がレノの開いた胸元にポトリと落ちた。熱い、と感じたのは錯覚だ。慌ててそれを払ったレノを眺める強面の男は、それ見たことかと、呆れた様子でため息を漏らすのだった。
メテオが砕けて、全てが救われたのだと歓喜したも束の間。巷では原因不明な不治の病が蔓延り、ようやく帰ってきたルーファウスもその病に冒されていた。
あの下品な顔の科学者に顎で使われるのは気分が悪かったが、社長命令では仕方がない。
星痕症候群――。不治の病と恐れられているその病から逃れるためには、今のところ興奮剤を使った対症療法しか見つかっていない。
その材料を調達するために奔走しているイリーナとは違い、レノは記念碑の創造という誇らしい仕事を与えられていた。
未完成の街は、それでいて活気づいている。建設途中の記念碑を見下ろせる場所で、レノとルードは僅かな休息をとっていた。
すでにフィルターのみとなってしまった煙草を投げ捨てると、それは車どおりの多いエッジの道路に吸い込まれていく。ビルの屋上から足を投げ出して、心ここに在らずといった相棒に、ルードは再び声をかけた。
「何を、待ってるんだ」
数日前から、レノはずっとその調子だった。誰かからの連絡を期待しているようだが、どれも彼の待ち人ではないらしい。プライベートまで干渉するのは本望ではなかったが、彼の奇行はルードの興味を惹くのに十分だった。
「別に、そんなんじゃないぞ、と」
携帯をパタンと畳んで、レノはそれを草臥れたスーツのポケットに仕舞う。壁にもたれていた背を起こし、レノは笑った。
「さ、休憩終わり、と…」
はぐらかされたのだと感じた。けれど、それ以上追及するのも無粋だとは判っていた。
ルードは無言の内に彼に続き、立ち上がる。段々と続くビルを踏み台にしながら、エッジの人波へと降りていく。
スラックスのポケットに突っ込んだ手で携帯を握り締めるレノは、胸のざわめきを押さえられずにいた。
■ ■ ■
それは、一週間程前の話だ。
あの男との逢瀬は、そう頻繁にあるものではない。連絡先を聞いたところで、彼に直接繋がったことは今まで一度もなかった。
留守番電話に残すメッセージも無く、レノはいつも決まって、アナウンスを聞き終えたタイミングで終話ボタンを押すのだった。
ただ、気が向いたときに、偶然を装って、あのミッドガルの隠れ家を彼はふらりと訪れる。それを待っているのだと知られるのも癪ではあったが、レノは許す限りミッドガルを訪れていた。
事態は新たに動き出し、レノはミッドガルを離れることも多くなった。エッジ、カーム、ジュノン、クリフ・リゾート…様々な場所に駆り出され、始動した神羅の業務に追われる日々を過ごしている。
自然と、彼に会うことも少なくなった。しかしそれを寂しがっているなどという事実は、断固として否定したかった。
捕らえてやろうとしている自分が、逆に捕らわれているなど、お笑い種にもなりはしない。
あの日、夜のエッジで、彼を見つけた。別に探していたというわけでもない。昼の疲れを煙草で癒しながら、街をふらつくレノの眼に、夜目にも目立つ金髪が偶然眼に入っただけの話だ。
改造された二輪を道端に停め、収めていた剣を取り出す後姿は、紛れもなくクラウドだった。そこでレノは初めて、そのビルが彼の棲家なのだと知った。
商売を始めたのだとは知っていた。けれどその所在地までは知らなかった。コレルの酒を出しているということで、彼の幼馴染の経営する店も有名ではあったが、酒を楽しむ余裕も最近の彼の日常には無かったからだ。
「よぉ」
軽く声をかけると、彼は驚いたようにこちらへと振り返った。そのままゆっくりと近づいていくと、クラウドは眉を顰めてそれを見守る。会うのはどれくらい振りだったろうか。つくづく奇縁だと苦笑を漏らすと共に、レノは内心の歓びを必死に抑えていた。
「遅くまで、ご苦労さんなことで。仕事帰りかな、と」
取り出した剣を背負い、クラウドはだんまりを決め込んでいる。銜えた煙草の紫煙を吐き出すと、クラウドは眼を刺激するその煙に軽く瞳を伏せた。
「疲れてるとこ悪いんだが、もう一仕事頼めるか?」
「……仕事?」
「そ。ちょいとそこまで、運んで欲しいものがあるぞ、と」
レノはそういうと、自分の胸元を親指で指す。クラウドは険しい表情のまま、首を縦に振ろうとはしなかった。
「生憎、店仕舞いだ」
「つれないねぇ。お客さんは大事にしたほうがいいぞ、と」
「アンタは客じゃない」
「報酬なら、ちゃんと払うぞ、と」
笑うレノを、クラウドは訝しげに眺めていたが、やがてひとつ息を漏らした。先程静めたばかりのフェンリルに再び命を吹き込み、腰に剣を挿したままそれに跨る。
さっさと乗れとでも言うように顎で促すクラウドに、レノはにんまりと口隅を歪めた。吸っていた煙草を路に落として踏み潰すと、黒い車体に跨る。
「振り落とされても、文句言うなよ」
荒々しく発進するフェンリルの反動で、後ろへと体が倒れそうになる。おっと、と小さくよろけて、レノはクラウドの腰に腕を回した。
「安全運転で頼むぞ、と」
ふざけるレノの言葉に応えず、クラウドはマシンを走らせた。建設中の記念碑の静かに佇む広場を横切って、二人を乗せた単車はハイウェイへと乗り上げる。車どおりの無い路を孤独に走るフェンリルの鳴き声は唸る様に風に響く。
肌蹴たスーツが風圧に大きくはためいた。バタバタと音を立ててその身を圧す風に体を預けて、レノは眼を閉じた。エンジンの振動と、腕を回す相手の体温が心地よい。
「ミッドガルで、いいんだな」
クラウドが尋ねる。そういえば、行き先を伝えていなかった。ただ、この男とどこかに飛び出してみたかった。
レノは自分の考えなしな行動に自嘲の笑みを零し、体を起こす。運転するクラウドの肩に額を乗せると、クラウドは触るなとでも言うように肩を揺らした。
「さあ、どこにしようかな、と…」
「降ろすぞ」
「そう怒るなって。綺麗な顔が台無しだぞ、と」
折角なら、根城のクリフ・リゾートまで送ってほしかったが、流石にそこまで連れて行けば、仲間にこの組み合わせを見られてしまうかもしれない。いくらなんでもそれはバツが悪かった。
しかも、せっかくこうして会えたのだ。こうして独り占めにしているのも悪くはない。
「湿地帯まで…」
予想外の場所を言われて、クラウドは小さく振り返る。背後から見る横顔の耳には、狼を模したピアスが嵌められている。風に流されて、それから繋がる輪がひらひらと揺れていた。
「そう、遠くはないだろ?」
「……あんな場所に、なんの用だ」
「ただの、お散歩だぞ、と」
「付き合いきれない」
「お仕事、だろ?」
強請るレノに、クラウドは仕方ないとでも言うようにため息を漏らす。力強くグリップを握ると、フェンリルは高く嘶いて、二人を目的地へと運んでいった。
■ ■ ■
主を失った湿地帯は、草を揺らして静かに風を運んでいる。ミスリルマインへと続くその洞からは涼しい空気が吹き抜けてくる。
ドライブを終えて、爽快な胸を燻る白い煙が染み渡る。ふう、と、細く長く紫煙を吐くと、レノは仕事を終えた彼を労って声をかける。
「ご苦労さん。悪かったな、と」
「…こんなくだらない仕事は、これきりにしてもらおう」
「とんだ言い草だな。いつの間にこんなに嫌われたんだ?」
「元からだ」
背を向けようとするクラウドに腕を伸ばし、その腕を掴む。ぐいと引っ張ると、似合わない左腕のリボンがひらりと揺れた。
「報酬、もってけよ、と」
ひるむ隙を与えずに、驚きに薄く開かれた唇に噛み付いた。衝撃に小さく呻く声を掻き消すように、自分の口唇で荒々しく塞いでしまう。
「…っ、ふ…」
よろけた拍子に、低く轟くフェンリルに手をつく。触れた口唇から漏れるレノの熱い吐息を吸い込んで、クラウドは眉を寄せた。
濡れた口唇を舐めて、レノは小さく微笑んだ。瞳を細めて、けれど口付けを拒もうとしない相手に気をよくして、柔らかな後ろ髪に指を梳き入れた。
今一度、今度は互いの温度を確かめるように、緩やかに舌を挿しいれる。遠慮がちに開かれた口唇の隙間から覗く、クラウドの薄い舌に自分のそれを絡ませて、小さな水音を立てて口唇に吸い付いた。
クラウドは拒絶しない。それがレノを更に煽る原因となっていた。
欲しがれば、手に入るのではないか。そう錯覚させる。もっと、欲しがらせたい。もっと、暴いてしまいたい。本能を煽る欲望がレノの胸中に燻った瞬間、クラウドの口唇から零れた小さな呟きに、レノは硬直した。
「ぅ…ン………セフィ…」
消え入るような声は、けれどこうして口唇を交える距離にいる自分の耳には確かに届く。閉じていた眼を見開いて、クラウドを凝視するレノよりも、驚いているのは彼自身だった。
「お前…、今……」
問いただそうとする声が震える。掴む腕を振り払うようにクラウドはレノを押し遣って、レノは衝撃に二・三歩と後ろによろけた。湿地帯の土がその靴の下でにちゃりと嫌な音を立てる。
「おい、クラウド」
呼び止めるレノに耳を貸さず、彼はフェンリルに跨ると、静止を振り払ってその場を走り去っていく。後ろ姿に腕を伸ばすけれど、意味のないことだと知ってレノは舌打った。
月明かりのさす草原に、黒い後姿が消えていく。驚きと、苛立ちと、憎しみにも似た悔しさが、レノの胸をざわめかせていた。
「……あの野郎…、俺の名前、呼ばない癖に」
岩壁にたたきつけた拳が酷く痛んだ。仲間の待つ棲家へと戻る足取りは重く、その靴音だけがぽっかりとあいた洞窟に響き鳴る。陰気な路を渡りながら、レノは再び、煙草に火をつけた。
■ ■ ■
それからというもの、煙草がまずくて仕方が無い。しかし、反して本数だけは増えていた。
煙を楽しむこともなく、多くは灰になって空気に溶けるだけではあったが、レノの気晴らしにはちょうどよかった。
完成間近の記念碑を見上げ、レノはため息を漏らす。それを、隣に佇むルードだけが知っていた。
突如、掌の中で震え、鳴り響く携帯に、レノは敏感に反応した。急いでそれを耳にあてるけれど、聞こえてきたのは期待していた男の声ではなかった。
『レノ、ルード。一段落ついたら、クリフ・リゾートに戻れ』
気の抜けたため息を漏らすレノに、ツォンは訝しげに尋ねる。
『…聞いてるのか?』
「はいはい、聞いてますよ、と」
『仕事だ。急げよ』
「はいよ、と」
短い電話はそれで切れる。携帯を畳むレノに、隣に佇む相棒が声をかける。
「…仕事か」
スーツのポケットに無造作にそれを仕舞いこむと、レノは歩き出す。ちょうど、この名誉ある仕事にも飽きてきた頃だ。仕事ともなれば、プロフェッショナルであるレノのことだ、私情を挟むこともない。携帯の代わりに取り出した煙草に火をつけると、レノは言った。
「戻るぞ、と」
未だ数多くの問題を孕んではいるものの、エッジは人通りも多く、活気付いている。白い煙を撒き散らしながら、二人の黒スーツの男の後姿が、雑踏に溶けていった。