夢から醒める夜

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―――っはぁ、はあ……はあ…」
 夢から覚めたクラウドの背中は酷く汗ばんでいた。
 呼吸が乱れ、酷く喉が渇いている。ハイネックの喉元を押さえ、額に張り付いた前髪を梳き、額を押さえる。
 ゆっくりと手を下ろし、口元まで拭った掌を見下ろすと、汗にびっしょりと濡れていた。貴重な睡眠を妨げたのは、悪夢。いや、あれは現実だ。
 ――エアリスを殺したのは、俺だ――



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    夢から醒める夜

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 周りを見渡すと、他の仲間たちはまだ安らかな眠りについていた。星を救う戦いの為に日夜モンスターとの戦いにあけくれる毎日、そしてそれはすべて、あの男 との戦いへと繋がっている。
 体を休めることが必要なのは重々承知していた。けれど、あんな夢を見た後では、早々寝付くこともできそうになかった。
 窓際の寝台からは、静かな暗闇の広がる夜でさえその恐ろしい光を放つメテオをありありと臨むことができた。
 自らが引き起こした事態により、世界が滅亡へ と向かっている事実は、否定しようもない。隣のベッドで大いびきをかいているシドと、その隣で壁に向かってすやすやと寝息を立てているユフィを起こさぬよう、そっとベッドから抜け出した。
 ベッドとシーツの布ずれの音すら響く静かな夜。人々はメテオから隠れるように眠りに就き、あたりを見回しても誰もいない。
 シンと静まり返った街を出ると、人の気配すら無い平原が広がっていた。
 忘らるる都の祭壇で、彼女の最期を手出しすることもできずにただ見ていただけの自分。宿敵であったはずのセフィロスに黒マテリアを渡してしまった自分。
 ライフストリームの中で自我を拾い集めても、仲間に歓迎されても、ふとした瞬間にその罪悪感に捕らわれてしまえば、こんなにも脆くなってしまう事実がある。
 クラウドはあの夜、祭壇で一心に祈る彼女に剣を振り上げようとした右手を軽く持ち上げ、その掌をグローブが軋むほど握り締めた。
「…エアリス……」
 その名を口ずさめば、またすぐにでも彼女が戻ってくるような気がする。けれど、それはただの錯覚でしかない。
 段々と冷えていくあの体を湖に弔った重みを知る自分であれば、そんなことは重々承知していた。夢の中で、エアリスを殺そうとしたあの場面が瞼の裏に浮かんだ。
 天から舞い降りるセフィロスの刃をとどめることができなかった自分の非力ささえも、如実に再現されていた。眉間が痛むほど皺をつくり、ギリ・と奥歯を噛み締める。
 故郷を、大切な仲間を奪った男への怒りと憎しみが、胸を燃やしていた。
「間違えるな、クラウド」
 背後から聞こえた声の主は、容易に想像がついた。きつく握り締めたままの掌を解こうとはせずに、そのままうつむいた状態で唇を開くことすらしない。
 夜風に靡く草の葉を踏む足音が、こちらにゆっくりと近づいてくるのがわかった。
「怒り、憎しみ…そんなものはただの言い訳だ。お前は…懼れている」
 足音は、クラウドのすぐ背後で止まった。背負う雰囲気から、その風に流れる銀髪の擦れる音は、まさしく『彼』のものだった。
「懼れる…? 俺が、なにを懼れるというんだ」
「わかっているだろう、クラウド。お前は、お前自身を懼れている。今まで積み重ねてきたものを、これから、つみかさねていくものを」
 その腕が、す、と伸ばされるのを感じた。グローブを嵌めた彼の指先が露出した右肩に触れる前に、地面を蹴って二歩、三歩と前に進み、つま先を軸にして振り返った。
 そこに、あのいつもの不敵な笑みを浮かべて佇む男…セフィロスを、呪われた魔晄の瞳がきつく睨みつけた。溢れんばかりの憤怒と憎悪でもって対峙するクラウドに、セフィロスはふ、と声を出して笑った。
「なにをそんなに怒っているんだ。真実を言い当てられたのがショックだったのか?」
「違う、俺は懼れてなんかいない。勝手に俺を決めつけるな、セフィロス…!!」
「言葉で否定するだけなら容易い、しかしクラウド、なら何故、そんなに震えている…?」
「な……ッ」
 ザク、と、夜風に靡く髪を流しながら、セフィロスが一歩を踏み進めた。それに反応するようにクラウドの足が後退する。
 それを逃げととられるのを厭い、走り去りたい衝動を打ち消していた。冷酷な笑みを浮かべてこちらへと歩みを寄せる男を睨みつける瞳からはいつの間にか強さが薄くなっていく。
 握り締めた拳が震えているのを悟られると、背中に背負った剣の柄へと指を伸ばし、それを力強く構えてそれ以上の接近を阻もうとする。全身で警戒し、威嚇するその様は、セフィロスの瞳を喜ばせるだけだった。
「それ以上近づくな、セフィロス…!!」
「どうして。久し振りだろう、こうしてお前と会うのは…どのくらいぶりか、ああ、あの、ニブル魔晄炉以来だな」
「何の話だ」
「思い出したんだろう、お前がどういう存在だったのか…取り戻したんだろう、お前自身を。お前はもう知っているはずだ、クラウド…。自分に聞いてみろ、お前に、俺が殺せるのか?」
 大きな刃を保つ剣の目の前までたどり着くと、その刃先に指を伸ばし、煌く切っ先を指で突付く。その口元には自信に満ちた笑みが溢れ、セフィロスは今一歩、剣を押さえる指先でそれを横へと傾けながら、足を踏み出した。
「俺に憧れて神羅に入り、兵となって俺と共に戦い、いくつもの夜を共に過ごしたこと…嘘じゃない、真実だ。あの思い出も、お前の心に残る、その想いも…」
「うるさい、黙れセフィロス…ッ」
「真実の記憶と共に、思い出したはずだ。俺はお前を愛している、そしてクラウド、お前も俺を…」
「昔の話だ、あんたはもう、俺たちの敵でしかない」
「どうかな?」
 その指先は、あの頃と同じく温かな、人の体温を保っていた。顎を掴む指がぐいとそれを持ち上げ、クラウドは小さなうめきとともに顔を上げた。
 タートルから冷や汗の伝う喉が上下に動き、その焦燥を感じさせていた。怯えた獣のように細められる瞳の愛らしさを愛でようと、セフィロスはその長身を軽くかがめて顔を近づける。剣を握り締める両手にそっと重ねるように空いているほうの手を添えて、緩く掴んだ。
「あの娘を失ったことを悔い、見殺しにした自分を責めているんだろう。殺した俺を憎みながら、それでも俺を愛している事実をひた隠しにしている。仲間に知られるのが怖いか。今一度、愛する者を手にかけねばならないことが、怖いか…?」
「離せ、セフィロス…俺は…」
「忘れるなよ、クラウド。お前は俺を愛している、今までも、これからもだ」
「離してくれ、セフィロス…セフィロ……っ、ふ…!?」
 かつて、彼に憧れていた少年時代、その予想外だった人間臭い魅力に惹かれた。ザックスと、セフィロスと、自分と…三人で過ごしたあの平穏な日々。
 人に隠れて彼と交わした口付けは、優しく、柔らかく、甘く自分を包んでくれた。そう、それはまるで、たった今交わす口付けがそうであるように。
「ふ……ッン、ぅ…ッ」
 まるで動きを封じられたように、微動だにできないクラウドの顎を捉え上向かせたまま、唇を交わす。緊張に萎縮し震えるそれを解すように覗かせた舌先で唇の合わせ目を突付くと、吃驚したようにその間に隙が生まれた。
 クラウドの顎を掴む指が首筋を這い、それは肩へ滑り二の腕を撫で、やがてわき腹へ、そして背を撫でるようにしてその腰に回される。ぐ、と力を入れて抱き寄せると、クラウドの唇からくぐもった吐息が零れた。
 一瞬に生まれた隙を逃すまいと、割れた唇の間から舌を挿し入れ、逃れようとするクラウドの舌を捕える。頬裏を舐め取り、上顎を舌先でつつきながらその歯列を辿る。
 絡めとった舌を吸い上げると、その瞳を強く瞑り、寄せる痛みに疼く眉間をさらに険しくしながらも、溢れた唾液を飲み下そうとゴクリと喉が鳴った。ゆっく りと口付けから解放されるクラウドの頬は、夜目にもわかる朱に透けている。その唇を思う存分 味わった英雄は、満足げに濡れた舌で相手の濡れる唇を舐め取った。
「答えは、また聞こう。早く来い、俺はずっと、お前を待っている…、クラウド」
 ゆっくりとした動作で離れていく温もりに、クラウドははっとした。暗闇にそのコートをたなびかせ、消え解けていこうとする後姿へと慌てて声をかける。
「待て、セフィロス……セフィロス!!」
 しかし、その声は草を押し倒す夜の豪風によって掻き消された。一瞬の旋風に思わず顔を背け、再び彼の歩いていった方向へと視線を向けるけれど、そこにはもはや何の人影も、余韻も残されてはいなかった。
 剣を握る掌が汗ばんでいる。そして、その重なっていた手に、頬に、肩に、腕に、腰に、そして唇に残る、彼の感触。
 夢だったのだろうかとの都合の良い考え をいとも容易に否定してしまうその感触を保ちたいばかりに、クラウドは剣を掴み痺れた指先で自らの唇に触れた。
 未だ余韻の残るそれを手の甲で拭い去ってしまおうかともしたけれど、それはできなかった。いくつもの罪を重ね、また罪を重ねようとしている自分が、これ以上罪を増やすことに躊躇いを持ったからかもしれない。
「セフィロス――
 星々は天に煌き、メテオもその姿を消すことはない。剣を片手で掴み、その切っ先を地面へとゆっくりと下ろしていき、もう片手を軽く落として、天を仰いだ。
 胸を劈くこの切ないほどの思いに、涙を流すことなどできなかった。やがて朝が来れば、また星を守る戦いに汗を流すのだろうけれど、今だけは、奥底に封 じた思いに浸っていたかった。
 間違いなく、彼を愛している。たとえそれが、どれほどの罪であろうと、これからまた、どれほどの罪を重ねようとも。
 その事実が、朝の光に包まれ隠されてしまうまで、柔らかな闇は優しく、クラウドを包んでいた。

【 END 】