At last the promise has been made.new

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 振り落とした剣がプレートに弾かれて、ビリビリと痺れるような感覚がクラウドの両の掌に残っていた。背筋が凍りついていてゾッとする。だというのに鼓動は早く、呼吸も早くて息が苦しい。
 茹だりそうなほどの熱さを感じさせていた炎は消えていて、夜の静寂を向こうに聞こえるサイレンと避難を促すアナウンスが引き裂いている。壱番魔晄炉の爆破は想定外の被害を出していて、平穏な夜を失った人々は戸惑い嘆き狼狽えるばかりだ。
「幻覚か……」
 夜の街の路地裏で呟いて、クラウドはつい先刻の出来事を片付けようとした。
「魔晄にあたりすぎたか」
 今夜の仕事は、反神羅組織アバランチの護衛と援護。ミッドガルに八基ある魔晄炉の内、壱番魔晄炉を爆破するミッションだった。
 魔晄を浴びると肉体は変質し類稀な強さを手に入れることができる。けれど、今日吸ったものはソルジャー用に科学部門の加工したものではなく、魔晄炉の深部に淀んでいたものだ。
 気化した魔晄が誘爆を引き起こしたとジェシーは言っていた。警備用ロボットとの戦闘で無防備に呼吸しすぎたか。顔を拭って呼吸を落ち着けようとすると、ふら、と体が揺らいでクラウドは近くの壁に凭れかかった。
「は……──ッ、どうして……⁉」
 自分の体の違和感に同様してクラウドは間の抜けた声を洩らした。クラウドは、無自覚でいる内に起こった変化に気がついていなかった。
 なんで勃起してるんだ、こんな場所で、タイミングで……。
 クラウドはキュッと口唇を結ぶとそっと手を伸ばしていった。ズボンの前をこんもりと膨らませていたそれは、布越しに触れただけでぴりりと痺れるような快感を伝えてきた。
 ぞく、と背筋が震えたのは、先刻の幻覚がやけにリアルだったせいだ。パチパチと燃える炎の音すら鮮やかだったというのに、離れていても伝わってくる囁くような彼の声──。
 違う、あいつは……あいつは仇だ。俺の母さんを、村のみんなを切り捨て突き刺し、業火に焼いた異常者だ。
 なのにどうして、俺は諦められないんだろう。その手で触れてほしくて、その胸に抱き締めてほしい。指を、口唇を、体を結合げて余すところなく貪ってほしくなる。
「はぁ……ッ、──ロス……」
 震える口唇で名前を呼んでも、幻覚は都合よく見られるようなものではなかった。切なくて胸が痛くて体がふつふつ沸き立ってくる。
「……八番街ステーション、最終列車……」
 調子を取り戻したくて、クラウドは待ち合わせ場所をわざと声に出してみた。また魔晄炉に行けば会えるのだろうか。バカ、なにを考えている。あれはただの幻覚だ、魔晄の見せた幻だ。
 あんなものに溺れたら、本当に魔晄中毒になってしまう。さっさと忘れよう、アジトに戻るまでがミッションだ。
 路地を抜けると、なにも知らない人々が嘆き戸惑い狼狽えていた。クラウドは口唇を噛み締めて、駅へと続く道を探した。



 右手が股間に伸びていったのは、まずは無意識だった。だって、眠れそうにない。さっきあんなことがあったせいだ。
 思考が散漫になって、どれも結末を迎えられずに散らかったまま消えていかない。煩わしさも厭わしさも苛立ちもそれから恐怖も──。そんな感情を抱いた事実を払拭したくて、指がベルトを外していく。
 俺は、元ソルジャーだ。泣く子の腕すらひねるソルジャーと言えば神羅の番犬、そんなことはバレットに言われなくても理解っている。だというのに、そんな俺があんな異常者に間合いを詰められ地べたに寝転されて、ろくな抵抗も出来なかった。全部、あのありもしない幻覚が見えたせいだ。
 疲れているのだろうか。ただ、それだけか。いや違う、違うということはわかっている、けれどならばなんだというのか、結論はやはり出てこない。出したくない、さっさと忘れてしまいたい。下着の中でそっとペニスを包みこむと、ほ、とあえかな吐息が洩れた。
「ん……、……ッ」
 隣にティファが寝ているんだ、声を出さないようにしないと。声だって? 自分で自分を処理するだけなのに、声なんて出すはずがない。
 けれど、気をつけておかなければ隣人の呻き声すら聞こえてしまうような造りの部屋だ。ティファの紹介だから文句は言えないけれど、物音ひとつたてるわけにはいかない。両足を軽く投げ出して、目を閉じたまままだ柔らかいモノを何度か擦っていくと、それはゆるゆると首を擡げて握ってしまえる太さになった。
 服の中で処理するのは窮屈だ。出してしまってもいいだろうか。こんな時間だ。あとは寝むだけなのだからそのくらい構わないだろう。
 ズボンの中からペニスを取り出すと大分作業が楽になった。左手を根本に添えて右手で輪を作って扱き上げる。先端が括れるとそこの皮を伸ばすようにして裏筋に人差し指を添える。亀頭のところは感じ過ぎて自分でスると痛くなる。だから夢中で扱いていると、なんだかふわふわした心地になって吐息が震えて甘く溶けた。
「は……ッ、ん………!」
 さっき声を出さないようにと思ったのも忘れて、俺の口唇から僅かな音が溢れた。ズボンの中で内腿がピクついて、全部脱いでおかなかったことを後悔する。
 右手で竿を扱きながら、それだけでは物足りなくなって支えていた左手が外れてすっかり腫れた亀頭をふわりと撫ぜた。びくんと背筋が震えて開いた口唇から生温い呼気が洩れる。
 先走りを漏らし始めた鈴口に指先をくっつけて、くりくりとこそぐった。電流みたいな快感が全身に迸って爪先が揺れる。
 過敏すぎて痛いくらいだと思ったのに、セフィロスの舌はいつもそこで悪戯するから、それを覚えている体が反応してしまう。ゾッとするほど綺麗な顔を歪ませて、舌を尖らせて俺のチンポをつっついて、時折ヂュッと吸い上げる。そうされると堪らなくて腰が浮いて揺れてしまう。
 セフィロスを汚したくないのにその口腔に射精したくて、俺の体も快感もセフィロスに味わって欲しくて玉裏が予感にひくんと疼くのをセフィロスが見下ろし、微笑う。
「敏感だな。そんなにコレが好きなのか?」
 冷ややかなセフィロスの声が俺の痴態を嗤い、羞恥心と興奮とに俺が足を広げたまま湿った瞼を持ち上げる。暗い部屋でも見える銀色の髪を長く垂らして、セフィロスの魔晄の瞳が俺を見下ろし細まった。
「は……なん、で……ッ」
 どうして、あんな奴の顔が浮かんでしまうんだろう。焼かれた故郷の熱さを、酷さを俺は確かに覚えているのに。
 あの惨劇を彼は敵で、親の仇で、到底許すことなんて出来ない。
 八番街で彼の残像を視たからだ。スラムで逢った男の言うように、魔晄にアテられて中毒にでもなってしまったのだろうか。
 もうやめよう、これ以上は危険な気がする。そう思っても、一度始めてしまった行為を雄はそう簡単には止められない。
「ッはぁ、はぁ、ン──!」
 ビクンと体が跳ね上がって膝が、肩が震えてしまった。内腿がピクピク動いてもっと苛烈な、強い刺激を欲しがっている。
「は……ッ、ん、は……ぁ……ふ……!」
 気持ちのいい角度を探してベッドの上を転がると、横向きでいた形からうつ伏せに体位を変えた。ズボンの脱げた裸の尻を夜の空気に晒して、時折体をびくつかせながら夢中でペニスを擦っていく。片手でシーツをギュッと握って右手でペニスを扱いていくと、天井に向けている尻に意識が引っ張られた。
 セフィロスの大きな掌がそこに触れて、尻肉を左右に割ると独特の緊張があった。自分の一番恥ずかしい場所を誰かに視られているという羞恥、屈辱に心と体が騒いでしまい、より興奮が、快感が増していく。
「先走りでもうココがトロついているぞ。いやらしい奴め」
 セフィロスの揶揄にすら体が奮え、セフィロスに視られているのだと感じると尻穴がヒクつくのを堪えられない。普段はグローブを嵌めている彼が、そこに触れる時だけ素手になることもまた快楽の要因になった。彼に触ってもらえる自分は特別なのだと、自分の反応が彼を悦ばせているのだと感じることができたから。
「はぁ、ああ……気持ち……んんっ」
 気持ちがいい、と、口にしてしまったことに気がついてクラウドは慌てて口唇を丸めこんだ。喉を溢れる唾液で濡らしてみても、一旦自覚した快感は止めどなく溢れるばかりだ。
 ペニスが擦れて気持ちがいい、セフィロスに視られて気持ちがいい。セフィロスの指がナカに押し入ってきて、恥ずかしくて汚くていやらしい場所を性感帯に変えられていくことに堪らなく興奮した。
「すごいな、クラウド──お前の粘膜が俺の指にしゃぶりついて、きゅうきゅう絡みついてくる」
 なにかぬめるものを塗りつけながらセフィロスがアナルに指を押しこみ、ぐにぐにと肉襞にぬめりけを馴染ませる。尻穴にぐううっと力が集まって、息めば息む程指が深くまで挿入りこんでくるから息苦しさが増す一方だ。
「っはぁ、ぁん……! 挿入って……ぁああッ」
 後ろに回した自分の指じゃ物足りないのは、もっと奥深くまでハメてくれるモノのあることを知っているからだ。内臓が捲れ返りそうなほどの不安感と、それを奥まで埋め尽くされた時の充足感は例えようもない。もっと欲しくて、もっと乱暴に凶暴に、羞恥心も理性も掻き消してしまえるくらい満たして欲しくて腰を揺らすと、くつりと喉を鳴らしたセフィロスがクラウドを嗤って言った。
「自分が殺した男に、今更尻を振って媚びるのか」
 その言葉にか、それとも強く尻を打たれたからなのか、クラウドの体はびくんとしなり上がってそのまま声も出せないほどの快感に戦慄いた。びくん、びくんとペニスが震え、沸騰していく情欲がそのまま溶け出してしまいそうだ。
「なんて奴だ。浅ましく、淫らで、どうしようもない変態だ」
 セフィロスの罵声は甘美な美辞麗句の旋律でもってクラウドの心を酔わす。弱されたクラウドの心はあえなくへし折れて、右手に被さってきたセフィロスの手指がペニスを一擦りしただけで茹だらせていた情欲をびゅるるっと溢れさせた。
「は……ぁあ、はぁ……!」
 掌の中で脈打つ陰茎はシーツに白濁を撒き散らして、快感が突き抜けていく代わりのようにさぁっと血の気が引いていく。ベッドに突っ伏して尻だけを高く掲げた恰好で、響いてくる空想では自分のことを冒せても決して犯してはくれない。
「ん……ッ、は……セフィ、ロス……」
 震える口唇でその名を呼んでも彼は応えてはくれなかった。ぞくぞくとこみ上げてくる興奮は衰えることなく、満たしてくれるモノを期待して疼いてしまっているというのに、彼はここには現れてくれず切なさばかりが増してしまう。
「ッはぁ……ん、くぅ……!」
 いっそ、隣の部屋に行ってしまおうか。203号室の住人なら大柄だし、ペニスも立派であるかもしれない。
 セフィロスに見間違えてしまったように、あの幻想が倒錯的な快感を呼び覚ましてくれるかも──。そんな愚かな発想をかなぐり捨てようとクラウドは首を大きく振った。
 これは、どんな罰だろう。あの日彼をこの手にかけた自分への制裁だろうか。彼は、思いがけないタイミングでクラウドの心を騒がせるのに、こんなにも熱烈に求めている時に限って決して姿を見せてはくれない。
 こんな自分を嗤っているのか、バカな奴だと蔑んでいるのだろうか。狂おしいほどに彼を求め、疎ましがって抗って、けれど拒みきれずに今も犯されたがっている不埒な俺を。
「セフィ、ロス……ぉれは……ン……ッ」
 ぶるりと肩を震わせてシーツの上で丸まった。ギュッと目を閉じ眠ってしまえば気づかなかったことにできる。
 セフィロスに焦がれていることを、セフィロスを覚えていることを、憎らしさとは正反対の感情を噛み潰して魔晄の瞳を瞼に包む。
 眠ってしまえ、そうすればきっと忘れられる。久しぶりのオナニーで馬鹿げた妄想だと自分を誤魔化してしまえるから。
 男に、セフィロスに抱かれたがって、ありもしないはずの記憶に悶えていたなんて、いくらなんでもバカバカしすぎる。
 これは願望だろうか、それともただの幻想か──。曖昧な境目を魔晄のせいにして、クラウドは眠った。否定できない、拒絶できない痕跡が四肢にまとわりついていることに気がつかない振りをして。



 伍番街スラムの夜は涼しくて、花の香りがした。人々はもう既に帰路についているようで、それぞれの家には明かりが灯り、出歩いている人の数は七番街スラムよりも少なかった。
 六番街スラムを通っていけば七番街スラムへ出られる。イルミナの言葉を思い出し、クラウドは静かに深呼吸をしてスラムの中心地へ出た。
 エアリスの道案内が無くても、それならなんとかなるだろう。ソルジャーは異端の存在だ。魔晄を浴びて人間の限界をゆうに超えた力を手に入れた存在は、畏れられ怖れられ化け物と呼ばれても仕方がない。
『クラウド、こわいよ』
 ティファにそう言われた時の感覚を、その声を思い出してクラウドは渇いた喉を唾液で濡らした。
 ギリ、と握り締めたグローブが軋む。早くこの街から離れよう。そう思って足を踏み出したクラウドは、視線の先に黒く揺らめく影を見つけた。
「あれは……」
 彼の被っているマントは黒色で、ふらふらと体を揺らしながらどこへともなく歩いている。昼間、子どもたちの秘密基地で見かけた男だ。この暗がりの中、それでも黒マントで揺らめく人影はその特異さ故によく目立った。
 クラウドはごくりと呼吸を飲んでそれを追いかけ始めた。ミッドガルを訪れて以降、度々クラウドを襲うあの幻覚の正体を確かめておきたかったからだ。
 店はもう既に閉まっていて、神羅のニュース映像を映し出していた路面モニタも消灯している。にも関わらず体を揺らしながら歩いていく男を追いかけていくと、彼はある角で急に向きを変えていった。
「──ッ、待て……!」
 クラウドは思わず声に出して人影を追いかけていった。そこは子どもたちの秘密基地だったけれど、こんな時間にここにいる子どもたちなんていやしないだろう。
 そういえば、彼は昼にもここを訪れていた。言葉も通じず不可解な言動を繰り返す彼らはやはり魔晄中毒なのだろうか。
 彼らとの接触がクラウドの妙な幻惑の引き金になることは明白だった。彼らの症状に誘発されてクラウドの症状が引き出されているということだろうか。だとしたら近づかない方が良いのかもしれなかったが、もう少し近づけば、あの現象の理由なり意味するところを掴める可能性があった。
「……──ッ、……」
 モグヤもムギも居ない広場の中心で男は空を見上げていた。ああ、とか、うう、とか妙な声を出しながら彼はなにを見上げているのか。
 伍番街はまだ空が見える方だけれど、スラムの空はミッドガルの分厚いプレートに覆われている。彼はなにを見ているのだろう、空を見上げていたのか、それとも──と、その背を見ながら考えようとしたところで、唐突に男が倒れこんだ。
「ああ……うう……」
 またか、と、クラウドは歯噛みした。昼間も彼は急にこんな風に昏倒していた。羽織っているマントも体もボロボロの状態で、一体何故に彼はこうして徘徊しているのだろう。
「……、おい……」
 男の傍にうずくまり、クラウドはそっと声をかけた。けれど男は胸を緩やかに上下させながら呻き声を洩らすばかりでなにも応えない。
 彼に触れたら、またあの妙な幻覚が始まるのだろうか。クラウドはギュッと奥歯を噛み締め、意を決してそっと腕を伸ばしていった。
「な──ッ⁉」
 腕を掴まれて、クラウドはギョッとした。男の指は黒色のグローブに覆われていて、そこから伸びるしなやかな腕は彼が英雄と呼ばれていた頃と同じ逞しさを感じさせた。
「ゃ……うわぁっ」
 覚悟していたのに、予感していたのに、いざ幻惑に襲われるとクラウドは間抜けな声を出して相手を跳ね除けようとした。昼間はすぐに振り払えた男の腕は、まだクラウドの腕に食らいついたままだ。逃げようとしたところをグイッと引っ張られてクラウドはその場に尻もちをついた。
「──リユニオン──」
 まただ。その言葉がクラウドの脳を揺るがし、締めつけられるような痛みに襲われてクラウドは右腕を突っ張らせ、左手で自分の頭を押さえた。
「うっ、……くぅ──!」
 脳みそを掻き混ぜられるような痛みは耳鳴りまで引き起こしてくる。ギンギンと響く音に掻き消えて、男がなにを言っているのかクラウドはうまく聞き取れない。
「………オン……」
 またそれか。なにを言っている、わけのわからないことを言うのはやめてくれ。
 男に掴まれたままの右手の指を引きつらせて、クラウドは頭を押さえたまま銀糸を揺らして微笑う男の口許を見た。
「ぉ、前……一体、なんなんだ……⁉」
 どうしてこいつがセフィロスに視えるんだ。視えるだけじゃない、クラウドの腕を掴み、引き、押し倒して馬乗りになろうとしている男はまさにセフィロスで、彼の長い髪が垂れてきてクラウドの視界を狭くさせる。
 ゾッとしてギョッとしてクラウドは身を硬直させた。胸がドキドキして体が強張ってうまく抵抗できないでいる。
「ふ……ッ、ク……──ロス、なのか……?」
 彼の名前を口にすることが憚られた。母の仇に、村の人達を殺した彼に、逢いたい、逢いたくない、逢うのがきっと恐ろしい。
「……主人は……」
 また、奴がなにかを言った。なにを言っている、どういう意味だ? クラウドにはわからない。
 いや、クラウドは知っていた。強烈な頭痛と吐き気を伴う嫌悪感がそれを邪魔しているだけだ。
 自分に覆い被さってくる男の、夜の闇にも映える美しいほどの肌の白さ、豊かな睫毛に縁取られた魔晄の瞳の怜悧さにクラウドの吐息が、口唇が震えた。自分よりも大柄な男に体重をかけられて身動きできない段々と近づいてくるその口唇がなにをしようとしているのかを理解したくなくて、食われそうだ、奪われそうだと思った時、クラウドは呟いた。
「──けて、セフィロス……!」
 どうして彼を呼んでしまったんだろう。今まさに自分に襲いかかろうとしているのは彼なのに、元ソルジャーともあろう男が誰かを頼るなんて、女子供にでもなったようだ。
 その瞬間、黒く揺らめく影がミッドガルの夜にふわりと浮かび上がった。それは風を切って夜空から急降下をして、クラウドの真上に乗る男を弾き飛ばした。「な……わ──⁉」
 体が軽くなったかと思うと、続けて飛んできた影に噛みつかれてクラウドはびくっと身を硬直させた。慌ててつかまった体は固く、中身がスカスカなのに何故掴めるのか不思議なくらいだ。
 八番街で遭遇し、セブンスヘブンで襲いかかってきた正体不明の見えない敵──三体ほどの黒マントに連れ出されたクラウドはそのまま宙を吹き飛んで武器屋の前に放り出された。
 固く冷たい地面の上を転がって、クラウドが慌てて顔を上げた時、もう奴らはどこへともなく飛んでいってしまっていた。その体の冷たさがまだ手に、体に残っていてクラウドは自分の右手を見下ろして眉を顰めた。
 今のは一体なんだったのか。土埃を落としながら立ち上がると、クラウドは夜道の奥の方を見つめてごくりと喉を鳴らした。
 子どもたちの秘密基地には、まだあの男が呻いているのだろうか。奴がセフィロスに視えたのは事実で、それを似て非なる黒マントに邪魔された。
 もう一度あそこに行くべきか、クラウドは悩んだ。行ったところで、またあの不思議な幻惑に襲われて、頭痛が引き起こされるばかりだ。痛みの残響の残る額を押さえて軽く首を振ると、クラウドは呟いた。
「……六番街を越えて、七番街へ」
 そうだ、道草を食っている場合じゃない。早くティファの元へ戻らなければならないのに。もっともらしい理由を取り戻すと、クラウドは踵を返して歩き出した。
 不可解な現象、不愉快な状況──。そのどちらも黒マントの存在に引き起こされている。生身の人間が入っているかいないかの違いはあるけれど、どんんあに考えたところで答えがわかるとは思えない。
 夜のスラムは静かで、クラウドが吹き飛ばされたのを見ている人間はいなかった。弾き出された間抜けさを忘れてしまいたくて、クラウドは自然と駆け出していた。
 この世界には、クラウドの知らないことがある。クラウドの知りたくないことがクラウドの周りで起きている。その気配は知覚していても、存在を認めたくはなかった。どこまでが現実でどこまでが幻覚か、クラウド自身にも判断はつかなかったから。
 確実なのは、そのどちらもにセフィロスが関わっていること、そしてクラウドが底知れぬ不安感をそれに抱いていることだ。
 きゅ、と口唇を噛み締めてクラウドは伍番街スラムを後にする。しわくちゃに強張ったクラウドの心は、花の香りを連れた女性との遭遇に僅かに綻んだ。
 ミッドガルの夜は長い。六番街スラム──ウォールマーケットの盛況さはクラウドに先刻覚えた不快感を忘れさせた。
 なにかが少しずつズレていて、クラウドはそのことを今はまだ予感も理解もできていない。あの男へ覚える憎悪と畏怖と執着が、クラウドの目を濁らせ、曇らせてもいた。

【 END 】