prorogue

表示設定
フォントサイズ
フォント種類
  • aA
  • aA
段組み
  • 縦書き
  • 横書き

 二人分の体重を支えて、ゆっくりとフロアを歩く。夜も深く、辺りは静まりかえっていた。
 他の兵士たちは、各地に駆り出されているか、日勤の疲れを眠り癒しているのだろう。神羅軍兵舎に響く足音は二つ。一つは自分のもの、少し遅れて続くもう一つは、自分が無茶に飲ませてしまった、今夜の被害者のものだった。
 かつて自分も在籍したこの場所の勝手は知り尽くしている。兵士たちはこの場所に自分たちの部屋を与えられ、日夜神羅の業務に勤しんでいるのだった。
 左右に並ぶ扉を一つ一つ確認しながら歩くザックスは、一枚の扉の前で、ようやく立ち止まる。
【 Cloud Strife 】
 ネームプレートの嵌められたその扉には、見慣れた傷がある。ザックスは驚き、思わず脇に抱える少年を凝視してしまった。
「……つくづく、縁があるねぇ」
 驚嘆と感動にこぼれる笑みをこらえきれず、ザックスはまだ新しいそのネームプレートをなぞり、呟いた。
 クラウドの名前の綴りを指先がたどる。もう一つは空欄だ。
 もう随分、相部屋の相手はいないのだと聞いていた。それもあって、今夜は遅くまでこうして付き合わせてしまったわけだった。
「ほら、着いたぞ」
 ザックスは肩に抱く少年のベルトを強くつかみ、しゃんと立たせると、相手の制服のポケットを服の上から軽く順番に叩いていった。右脇腹に目当てのものを見つけると、鍵にもなっている社印のついたIDカードをかざす。
 ピッ、と、小さな電子音が鳴り、粗末な鍵が開き、自動扉が口を開けた。年季の入ったその扉の中へと足を踏み入れると、玄関ホールから続く廊下は狭い。
 すっかり酔って足元のおぼつかない相手を抱き抱えて渡るので精一杯だった。
「よっこらせ、っと……」
 短い廊下を抜けると、左右にベッドが二つ並んでいる。右のそれは破れかかったマットが剥き出しの状態で、ただの家具になってしまっている。
 左の、シーツの整えられたベッドが彼の塒だろう。クラウドの肩に乗っかっていたガードパッドを簡単に外すと床に転がし 、担いでいた腕をほどくと、なるべく震動を与えないように配慮しながら、クラウドをゆっくりとそこに横たえた。
「う……ん………」
 小さな呻き声をあげ、クラウドが眉根を寄せる。しかし、起きる気配は見当たらない。
 ザックスは、ふぅ、とひとつため息をついて、両手を上に高くあげると体を伸ばした。
「っあー…、はぁ。ひっさしぶりに飲んだなぁ」
 ジュノンでの彼との約束を果たそうと、声をかけたのはザックスの方だった。神羅兵三人を引き連れてのどんちゃん騒ぎは、行きつけの八番街の店がクローズするまで続けられた。
 最初は戸惑いがちだったクラウドが、酒が入ると次第に顔を綻ばせるようになって、それが嬉しくてつい自分のペースで注いでいったら、いつの間にか隣のクラウドはすっかり酔ってしまっていたようで、急に事切れたように食器のひしめくテーブルに突っ伏していた。
 大分騒いだ迷惑料を含めて四人分の支払いをすると、財布はすっかり空になってしまった。また明日からは粗末な生活を余儀なくされるだろう。
 小金稼ぎにたまったミッションでも消化してやろうか。伸ばした腕を腰に宛がい、ベッドで丸まって眠りこけている少年を見下ろすと、ザックスは、ふ、と笑みを漏らした。
「しっかし、懐かしいな」
 シングルの、狭いベッドにクラウドを避けるようにして腰を下ろすと、使い古されたスプリングがギシッと軋んだ。
 ソルジャーとなる前は、彼もここにいた。隠れて持ち込んだ酒を同輩と煽ったり、好みの女の子について夜の帳が晴れるまで語り合ったりしたものだ。
 かつて自分がいた部屋を、今はクラウドが、使っているのだと知ったのはついさっきのことだった。まさか同じ部屋だとは思わずに驚愕したが、ベッドまで同じだとは思わなかった。
 出会ったのも偶然。同じ田舎育ちだと意気投合したのも偶然。
 再会したのも偶然。度重なる偶然に、これは必然だったのだろうかと、お気楽な考えが脳裏をよぎる。
 すっかり倒れたままのクラウドの頭を小さく小突くと、ザックスは明かりのない暗い室内を見渡した。
 自分がそこにいたときよりも、部屋はシンプルになっている。前の住人が、何度も貼ったり剥がしたあとのある壁には、なんの写真も手紙も飾られていない。
 造り付けの机の上には、研修に使われる教本が整頓されて置いてある。洗われたばかりの制服は、ラックに丁寧にかけてあった。
 他になにもない、ただ寝るだけの場所。楽しみ方を知らないのだと感じた。
 思えば、今日もそうだった。騒いでいるのは自分を含む他の三人で、クラウドは時々相槌をかえすものの、自分から喋ろうとはしない。それでも、時折こぼれる小さな笑みと、酒を飲み干す速さから、楽しんではくれているのだと感じて嬉しかった。
「………ン……」
 すぐ傍らに寝そべる少年が僅かに身じろぐ。見れば、どうやら苦しそうに眉を寄せ、首を傾けている。
「……苦しそうだな」
 身動きしない少年の後頭部に手を差し入れて軽く起こすと、首に巻いていた緑の布を外す。それでもまだ、眠るクラウドの眉間に刻まれた皺は消えない。
 どうしたものかと、顎に手をついて暫くの間考えていたザックスは、仕方ない、と、覚悟を決めた。
「楽にしてやるだけだから、勘違いするなよ」
 言葉の届いていない彼に、冗談めかして囁く。力無く横たわる彼を抱き起こすと、その腕を自分の肩に回して担ぐ。
 弛んだ裾を掴むと、それを徐々にまくりあげる。脇に垂れたクラウドの腕を曲げて袖を抜き、ピアスに引っかからないように注意しながら服を脱がせる。
 酔いに発熱した肌は軽く汗ばんでいて、ザックスの指に吸い付いた。上半身を剥いた体を自分の胸元に抱き寄せて、ザックスはきょろきょろとあたりを見回す。
 ようやく手が届くか届かないかの位置に、干されたままのタオルを見つけた。
「よ、い…しょっと」
 クラウドを起こさないように配慮しながら、体が震えるまで伸ばした指先がタオルに引っかかる。勢いよく引っ張ると、手繰り寄せたそれはザックスの腕にちょうどよく絡み合った。
「風邪引いちまうとアレだからなぁ」
 抱きとめたクラウドの背に腕を回し、タオルで軽く拭ってやる。ザックスの頬に、寝息を立てるクラウドの額が触れる。
 鼻先を髪が擽ってこそばゆい。無防備に身を任せる彼は、まだ幼い少年そのものだった。
「意外と、やらかいのな」
 ザックスの呼吸に、クラウドの前髪が揺れている。侵し難い見た目に反して、無邪気なその姿に、ザックスの心が柔らかくなるのを感じていた。
 閉じられた瞼の向こうにある碧色の瞳、その煌きを思い出して、まるで子猫のようだと、ふと思った。
「アンジールも、こんな気持ちだったのかな」
 背中を拭い終えると、今度は再びその体を寝台に倒し、胸元をとんとんとタオルで叩くようにぬぐっていく。いつの間にか、クラウドの眉間に刻まれていた歪な皺は消えていた。
「さ、これでいいだろ」
 脱ぎ捨てられた服を広げ、ベッドの足元に投げかける。眼が覚めれば、これだけの部屋に住む彼のことだ、自分で洗濯くらいはできるだろう。
 使ったタオルを適当に折り畳み、その上に重ねる。ふう、と満足げに息をつき、改めて見下ろす彼の肌は薄暗い部屋に白く映え、とても、美しかった。
 不意に、静寂が訪れる。夜目にも目立つ金髪に、宝石の様な円らな瞳。制服を脱いだその肢体はまだ細く、つきすぎていない筋肉が、引き締まった印象を与えている。
 ザックスの唇が、何かを言いたげに薄く開いた。傍らに垂れたザックスの指先がピクリと動く。
 触れたい、と、自然にそう思った。そう思う自分に動揺して、ザックスは自らの口許を押さえる。
 なにを考えてるんだ、自分より年下の、この少年に。酔っ払った友達を介抱したことは今まで何度もあったじゃないか。
 ――友達、なのに。
 動揺と緊張が、ザックスの胸の鼓動を早くする。視線が、安らかに寝息を立てるクラウドを掠めた。
 喉許がゆっくりと上下し、軽く傾いた貌は平穏な表情を見せる。もう夜も遅い。ザックスはようやく、ベッドから立ち上がった。
 目が覚めたら、ブリーフィングルームで、適当なミッションを探しておこう。エアリスとの約束も果たさなければならない。
 今夜みたいな楽しい宴を、今度はいつ過ごせるだろう。様々な思いを巡らせるザックスの耳に、か細い声が届いた。
「………ックス……」
 扉へと向かう足が止まる。
「……ありが、とう…」
 一歩、部屋の中へと戻る。見下ろす少年の唇が薄く開いている。聞き間違いじゃない、そう確信した。
「…起きて、るのか…?」
 小さな声で尋ねた。けれど返答はなく、クラウドは相変わらず、穏やかな寝息を立てるのみで、そこに居た。
 ザックスの口許が緩む。クラウドの横たわるベッドは低く、ザックスは片膝をその傍らにつけて、跪いた。
 右手が、柔らかな髪を梳くように撫でる。酔いの紅潮の覚めつつある顔を見下ろすと、ザックスの緩んだ口許が、小さな言葉を綴った。
「おやすみ、クラウド」
 触れた口唇は柔らかく、微かに開いたその隙間を閉じさせるように、挟むように啄ばんだ。ささやかな口付けで、彼を起こさぬように注意深く身を起こし、足音を立てぬように再び玄関扉へと向かっていく。
 ザックスの存在を察知して自動で開く扉が、その敷居をこえると、背後で音を立てて閉まった。視線を上げて、無機質なコンクリートの天井を仰ぐと、ザックスは深くため息をこぼした。
「…あーあ……」
 やってしまった。けれど、思ったほど後悔はしていなかった。
 ガサツな片手が後ろ髪をガシガシと掻き毟る。口唇に感じたあの感触を思い出すと、不思議と沸き起こる興奮に口許は笑みを刻んだ。
「さて、帰るか」
 兵舎を抜けるザックスは、足も軽やかに、歩き出す。胸に刻んだ新たな想いに喜びが溢れる。その瞳は、何かが始まることへの興奮に満ちて、帰路につくザックスの道をまっすぐに見つめていた。

【 END 】