飢えた獣<03>

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 チリチリ、パチパチと焚き火の音が響いていた。追加の薪をくべてからどのくらい経っただろう。時間の感覚は曖昧で、もしかしたら私は眠ってしまっていたのかもしれない。
 テントに戻る気にもなれず、私は焚き火の前にうずくまって膝に額を乗せていた。防寒マントを背負ったままじっとして目を閉じていると、先刻のことが夢だったんじゃないかとも思えてくる。
 夢にしては趣味が悪く気味も悪いものだったけど、夢だったから悪趣味で不気味だったともいえる。きっとそうよ、違いないわ。──そう言えるだけの自信が、私には足りなかった。
 クラウドはまだ戻ってきていない。私が気づいていないだけで、もしかしたらもう戻ってきているのかもしれない。
 ……残念だけど、決してそんなことはなかった。私はきっと眠っていないし、もしもクラウドが戻ってきたら気づかないわけはなかった。
 だって私は、クラウドに戻ってきて欲しかったから。一刻も早く、何食わぬ顔で帰ってきて欲しかった。
 私を見つけて、どうしたんだ、と声をかけて欲しかった。クラウドこそどうしたの、と訊ねる私に、納得できる言い訳を聞かせて欲しかった。
 焚き火の向こう、洞窟の入り口からなにかの近づいてくる気配がした。雪を吸った足音がゆっくりこちらに向かってくる。
 クラウドだわ。そう思うのと同時、もしもクラウドじゃなかったらと考えて腹の底が一気に冷えた。
 安堵と不安の両方が私の体を寒くする。動かないよう、起きているのだと気づかれないよう私は懸命に呼吸を殺した。
「どうしたんだ?」
 クラウドの声が聞こえて、しわがれた私の胸が一気にほぐれた。緊張が緩み、喜びが溢れ出し、泣き出しそうな気分になった。
 だけどまだ油断はできない。先刻の出来事が頭の隅にチラついている。
 だから私はそう簡単に舞い上がることはできなかった。少なくとも、そこにいるのが本当にクラウドなのか確かめなければならなかった。
「……ちょっと早めに起きちゃって。でも、また寝ちゃってたみたい」
 額を押さえながら、私はゆっくりと顔を起こした。クラウドに苦笑を見せて、自分が寝起きであることをアピールするのも忘れずに。
「クラウドこそどうしたの? なにか、あった?」
 そう訊ねる私の胸は、ドキドキと高鳴っていた。
 バレットと交代した後、クラウドは私たちに内緒で長時間外出していた。私はそれを知っているし、どこにいたかも知っている。
 なにがあったかも、私は見ている。けれどそれがなんだったのか私には理解できない。
 だから、教えて。あなたが見たもの、あなたがしたこと。あなたがなにを考えてたのか、私にも教えて、クラウド──。
「……モンスターの気配がしたから、見回りに行っていたんだ。でも、もう大丈夫だ」
 洞窟の入り口を見て、クラウドは答えた。その声は淡々としていて、躊躇などなく嘘であるという自覚すらない様子だった。
 そのことに私は唖然として、悲しみと困惑に襲われた。
 クラウドは本当のことを話していない。でも、本当にそうなのかしら。
 やっぱり私の見たものが間違いだったのかもしれない。でも、私は覚えている。強烈な印象、衝撃的な情景──この耳で確かに聞いた、夜空へと抜けていく男の悲鳴と、クラウドの笑い声。
「クラウド、その傷……」
 ハッとして、私は口を滑らせた。クラウドの頬には、新しく出来たばかりのような三本の傷が刻まれていた。
 それは肉に食いこんで、赤みのある線を描く。まるで誰かに引っ掻かれたような傷に見えた。でも、だとしたら一体誰に──。
「モンスターにやられたかな」
 クラウドは、自分の傷に初めて気づいたようだった。頬に触れてそう強がったクラウドは、なんだかとてもいつものクラウドのように感じて、ホッと心が綻んだ。
「ケアルをかけるわ。こっちに来て」
 もう、疑うのはやめよう、気にするのも──難しいかもしれないけれど、できるだけ忘れよう。
 今夜、一体なにがあったとしても、クラウドは来てくれた。私の、私たちのところへちゃんと帰って来てくれた。だから、きっと大丈夫。今後なにが起こったとしても、きっとクラウドは帰ってくる。
 私はそう、祈ることしかできなかった。祈ること、願うこと、頼むことしかできなかった。
「あんまり無理しないでね」
 焚き火を前に、私の隣に腰を下ろしたクラウドに、私は両手をかざしながら回復の魔法を唱えた。クラウドは軽傷だった。マテリアから喚んだ緑色の温もりが伝わると、クラウドの傷はみるみる内に綺麗になった。
「このくらい、どうってことない」
 私の隣で、クラウドは眉を寄せながら呟いた。強がりというよりも、私を心配させまいとしているような口振りだった。
 だから私は、心配しないことにした。今いる目の前のクラウドを信じることしか、私には出来なかったから。
「そうよね。クラウド、ソルジャーになったんだもんね」
 魔法が消えて、焚き火の燃える小さな音までよく聞こえるようになった。気がつくと、微笑う私の顔をクラウドがじっと見つめていた。
 私はなにか、変なことを言っただろうか。【元ソルジャー】を自称しているクラウドは、私が『元』をつけなかったことが気に障ったのだろうか。
「もうすぐ夜明けだ。バレットを起こしてくるから、ティファは朝食の準備を頼む」
 何事も無かったように、クラウドは立ち上がった。違和感はあったけれど、昨夜の出来事に比べれば大したものでなかったから、私は余り気にしなかった。
「早く行こう。セフィロスは、きっとすぐそこだ」
 クラウドはそう言って、きっとバレットのいびきの響くテントの中へと向かっていった。私はマントを胸に握って、焚き火の前から腰を浮かせた。
 私たちは、確かに敵に近づいている。クラウドの宿敵、私たちの仇──この星を脅かすあの男に。
 彼を倒せば、きっと全てうまくいく。今夜の不安も今朝の違和感も、全て消し飛んでしまえる。
 私はそう信じていた、信じて祈って願うことしか出来なかった。
 やがて朝日が雪を照らし、その光が洞窟の中にまで射しこんでくる。真っ白な世界は、けれど決して私の心を塗り潰してはくれなかった。