Violet Moon

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 旅路の途中、見つけた空き家に忘れられたように、酒瓶が木箱に詰められていた。森の中にあったそれは、大方賊の隠れ家か、樵たちの休憩所であったのだろう。
 それを見つけたときのティーダの喜びようといえば、普段のそれとは比べ物にならなかった。敵襲のいつくるかわからない状況で宴にいそしむなどと、光の戦士は険しい顔をしたが、見張り番を買って出たセシルの勧めあって、彼は渋々納得した様子だった。
 周りに十分な量の酒がいきわたったが、セシルは勧められるそれを断った。酒に関してはざるであるセシルがそれに手をつけると、周りの愉しむ分がなくなるというのがその理由だ。
 優しい笑顔をして、恐ろしいことをさらりといいのける彼に周りが気圧されたのも無理はない。彼らのどれにとっても久方ぶりであった宴は、そうして始まった。
 フリオニールは酔いがすぐに顔に出る性質らしく、ティーダにそれを指摘されて更に顔を紅くした。オニオンナイトとティナは乾杯を付き合っただけで、この喧騒の中でも直ぐに眠りについてしまった。
 彼らを見守りながら酒を傾けるウォーリア・オブ・ライトも、まんざらではないように見える。ティーダの悪乗りに付き合うジタンをスコールが諌めるが、それをからかってバッツが更に酒を煽るのだ。
 獣達も眠りについた、静かな森の中で、焚き火を囲んだ宴を見守るセシルの隣に腰を落ち着かせていたクラウドは緩やかに腰をあげた。
「どうしたんだい?」
 肩にもたれるティナと、その膝に横たわるオニオンナイトを支えながら、大樹の陰に腰を下ろすセシルが問う。
「少し、酔ったみたいだ。風に当たってくる」
「そう。…気をつけてね」
「ああ」
 短い会話を経て、クラウドは盛況する宴に背を向け、歩き出した。
 深い森にぽっかり空いた周りを一望できる広い場所に至るまで、クラウドは微かに小川のせせらぐのを耳にしていた。濃い味の酒に乾いた喉を潤そうと、その流れを探して落ち葉を踏みしめた。
 聳え立つ木を何本か抜けた先に、清々しく流れる浅い川があった。木陰から零れる月明かりに水面を照らすそれに跪いて指を伸ばすと、キンと冷えた水の流れが指先からすり抜けた。
 蹲ると、両手に水を掬い取って喉へと流す。溢れ零れた水が口唇の端から顎へ、喉へと伝い、それを腕でぐいと拭った。
 緊張の続く日々でありながら、彼らとの旅路は全く飽かない。久しく忘れていた、愉楽すら感じさせる。
 戦場に在る者としては、それはあまり好ましい感情とは思えない。しかし、そう諭す理性もの呼び声も薄れるほど、この日常はクラウドの肌にもよく馴染んでいた。
「クラウド」
 地面を覆う草葉を踏む足音、そして己を呼ぶ声に顔を上げたクラウドは、そこに佇むバッツを見つけた。
「なにしてるんだ?」
 自分の傍らに歩み寄る彼を見上げたクラウドは、喉を伝った水を今一度拭うと立ち上がる。
「酔いを醒まそうと思ったんだ」
「クラウドって、意外と酒弱い?」
「…どうだろうな。あれだけ呑んでれば、普通じゃないか?」
 近づくバッツが、息のかかる程近くに顔を押し付けてくる。互いの口からは同じ酒の匂いが吐息に乗ってむわりと広がる。月影の中で、互いに僅かに赤らんだ顔を突きつけあって、クラウドは息を詰まらせて一歩、後退した。
「……どうした」
「顔、赤くなってる」
「お互い様だろう。それと、アンタは呑ませすぎだ。俺達ならまだしも、未成年に無闇に酒を勧めるな」
「いいだろ、いっぱいあるんだし。それに、こういう機会もなかなかないんだしさ」
 彼の口唇は、器用に笑みを作る。朗らかなそれを見せ付けられると、仕方がない、と納得してしまう。
 ふ、と嘆息を零すクラウドを追うように、バッツが一歩を進めてきた。酔いを見せる口許には、いつもと変わらぬ笑みが刻まれていた。
「…なんだ?」
「こういう顔も、珍しいと思って」
「アンタ…酔ってるのか?」
「全然。俺、どっちかっていうと強い方だし。でも、少し暑いかな」
 ゆっくりと腕を持ち上げた彼に突き飛ばされるのを、かわすことができなかった。バシャンと大きな水音を立てて、細い小川に尻餅をついたクラウドの体に鈍い痛みが走る。
――っつ……なにするんだ!?」
「あっはは。どうだ? 冷たい?」
「最低だ」
「怒るなって」
 後ろ手についた両手で水の流れに腰を沈める体を起こそうとするけれど、その上から被さる様に倒れこんできたバッツを慌てて受け止めたクラウドは、新しい水飛沫に顔を顰めた。両膝を川のせせらぎに沈めて、彼はクラウドの両脇に腕をつく。
 伸ばす腕から、バッツの肩を押さえる手指までも水に濡れてしまい、かかった飛沫を受けた頬にも雫が流れる。楽しそうにころころと笑うバッツを支えながら、クラウドは苦い表情を刻んだ。
「涼しー。気持ちいいな、やっぱり」
「俺まで巻き込むな」
「一人でずぶ濡れじゃ、寂しいだろ?」
「勝手にしてくれ」
 肩を押して起き上がろうとするクラウドの掌に、濡れた指が絡みついた。冷ややかな流れを受けて、火照った熱と冷たい感触がクラウドを捉える。起き上がるのを許さないバッツの小憎らしい笑みに、瞳を瞬かせた。
「…ヤらしいな」
「は?」
 濡れた口唇を嘗めとるバッツは、喉にくつくつと笑みを漏らす。
「濡れたクラウド。…やっぱり、ヤらしい」
 普段、害のない笑みを撒き散らすこの男は、時折こうして猫のような鋭い煌きを瞳に宿す。怪訝そうに柳眉を寄せ、眉間を痛めるクラウドの頬に、薄く覗かせたバッツの舌が這った。背中をぞくりと駆けた悪寒に僅かに身震いして、クラウドは奪われた手を引いて彼の優しい束縛を解こうとしていた。
「…そういうのは、スコールにしてやれ」
「妬いてる?」
「俺は、面倒に巻き込まれるのは御免だ」
 逃げようとする指先を強く握り締め、バッツはそれを離そうとはしない。眉を顰めるクラウドに臆することなく、鼻先を擦り合わせるようにして、彼は呟く。
「スコールは…そうだなぁ。あいつ、一生懸命だからさ。可愛くって。捕まってやりたくなるんだ」
「なら、そのまま大人しくしていてくれないか」
「クラウドは、その逆」
 潤んだ口唇が、なだらかな傾斜を描く鼻のラインを啄ばむように食んだ。ぴくりと肩を寄せたクラウドを組み敷いたバッツは、頬に垂れた水を嘗め取って囁いた。
「綺麗だから。ぐちゃぐちゃにして、捕まえてやりたくなる」
 濡れた前髪から水滴が伝う。ぽたりと落ちたそれがクラウドの露出した肩にかかって、腕を伝った。
 捕らわれた指が引き寄せられて、笑みを刻む容の良い口唇にそれがいざなわれ、吸い込まれていく。アルコールの薫を匂わせた吐息に、舌を絡めて指に吸い付く水音が乗る。
 人差し指と中指の狭間を嘗め辿った舌先が、指の股を擽ってじゅるりと吸い上げた。爪先を軽く噛んで、顔を上げるバッツは酷薄な笑みを刻む。
 さらさらと流れる小川に沈めた肢の隙間を、川の底をさらう指の間を、すり抜ける水の流れに、ぞくりと背筋に甘い悪寒が駆け抜けた。
「やっぱり、敏感なんだな」
 掌をねっとりと舐り、笑うバッツはそれに頬を擦りつけた。酒の入った彼の肌は、水を浴びてはいても温かな温もりを保っていて、クラウドは本能で危険を嗅ぎ取った。
 細められた視線から目を逸らすことができない。薄い紫の瞳が、猫のように煌く。月明かりを吸い込んで透けたバッツの栗色の髪が、銀色の煌きを見せた。
「……っ、バッツ――
 それ以上、手を進めようとする彼を諌めるように、低く名を呼ぶ。普段、軽快で明朗な彼は、時折好色な貌をのぞかせる。
 それにどう対応していいのか、手に余る動物に組み敷かれて、クラウドは判断が付かない。震える指を生やす、丸まった掌に口唇を押し当てたバッツの瞳が、三日月を描いた。
「感じちゃった?」
 肩を揺らして笑うバッツからようやく開放されて、熱を宿す手を洗うように水の中に閉じ込めた。く、と眉を顰めて、クラウドは紅潮した頬を夜風に晒しながら、憎らしげに相手を睨み付けた。
「アンタ、やっぱり酔ってるだろう」
「さあ、どうだか?」
 首を竦めて体を起こすバッツの服が、吸い上げた水をたっぷり滴らせている。彼の差し出す手を恐る恐る取って立ち上がったクラウドの下半身はびっしょりと濡れていて、肌を伝う水が不快だと感じていた。
「戻ろうぜ。服、乾かさなきゃいけないだろ」
 握り締めた指を絡めて強く引くバッツにつられて、ようやく川から上がったクラウドは、月を背負って笑う彼の姿に重なる幻を見た。透き通るようなヴァイオレットの瞳の輝きを支える睫が、銀に縁取られている。額で揺れる細い銀髪が風に揺れ、爽やかに彼を彩っていた蒼いマントは、月の光を集めたかのような黄金色をしていた。
「…クラウド?」
 瞳を瞬かせたクラウドは、はっとして貌を上げる。そこには、怪訝そうに首を傾げるいつもの彼しかいない。あの舐めるような視線もなければ、艶を刻む笑みもなく、朗らかな表情を刻む彼が夜風を受けながらそこに佇んでいるだけだ。
「いや……、なんでもない」
 クラウドは緩く首を振って、歩き出した。解いた指先を強く握り締めると、掌に刻まれた甘い疼きが滴る水に冷やされ、消えていく。
 酔いに煽られた夢だとするならば、どこからどこまでが幻想だったのだろう。笑みをこぼす旅人は、クラウドよりも少しばかり早めた歩調で焚き火を囲む仲間たちの輪に戻っていく。木々の合間を縫って戻った二人を迎えてくれたセシルが顔を上げる。
「おかえり。……どうしたの?」
「すぐそこに川があってさー、気持ちよさそうだったから、水浴びしてきた」
「ったく、なにやってんだよ…って、クラウドまで?」
 ジタンは驚いた様子で、目を丸めて見上げてきた。しかし、すぐにそれは同情を含んだ憐れみの視線になった。
「風邪を引く。火に近づいておくといい」
「ああ」
 眉を顰めた光の戦士の促すまま、クラウドは焚き火の近くへと腰を下ろした。
「なあスコール、見てみろよ。ほら、下までびっしょびしょ」
「近づくな、俺まで濡れるだろう」
 親しげに染みを見せ付ける青年を引き剥がそうとしながら、静かに酔いを刻んでいた少年は冷ややかに言い放った。膝を抱えるクラウドの見上げた瞳が、薄く笑みを携えてこちらを見下ろすバッツを捉えた。盗むように目を眇めるクラウドが、けれど確かに自分に注目していることを知りながら、バッツは徒に笑うだけで、それ以上話しかけてこようとはしなかった。
「クラウド、大丈夫か?」
「ああ」
「フリオのがよっぽど大丈夫じゃないだろ。まだ真っ赤だぞ」
「お前…しつこいぞ」
 心配そうに近づいてきたフリオニールと、それに依然絡もうとするティーダを皮切りに、再び宴が幕をあける。朝焼けを間際に控えた頃、全ての酒瓶を空にするまで続けられた宴の中で、クラウドの瞳は自分の意思に反して、時折煌く、紫紺の三日月を追いかけていた。
 眇めた視線にそれを捉えると、肌の内側に細かく刻まれた甘い疼きが広がっていく。しかしその一方で、口隅に緩い弧を描くバッツは、クラウドに関わろうとはしなかった。
 密かに撒いた種が他の誰も知らないところで確かに芽吹くのを知りながらも、彼はいつもの笑みを刻むばかりだった。

【 END 】