月だけが知っていた。

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 月の世界からは、星空がよく見える。赤いもの、青白いもの、暖かな色を放つものまで、静かに空を彩っている。
 柔らかな風が肌を撫でるのを感じながら、クラウドは、ふ、と、口許を緩めた。それに気づいたセフィロスが、クラウドを抱えたまま、静かな声でそっと尋ねた。
「どうかしたか?」
 無理をさせたという自覚があったのか、セフィロスは、クラウドがセフィロスの胸に凭れるのを特に拒絶しなかった。開けた胸に、広げた足の内側にクラウドを囲いこみながら、セフィロスは、背中を硬い岩壁に預けている。
 クラウドは、セフィロスの問いかけにすぐには応えなかった。先刻、二人を灼いた強烈な快感の余韻は、クラウドに依然として影響を齎している。
 緩慢としたクラウドの態度を、やはりセフィロスは咎めなかった。セフィロスにしては優しい対応だ、と、クラウドは思った。普段なら、ついさっきまでだって、クラウドを横暴な傲慢に振り回していたくせに。
「……思い出したんだ」
 セフィロスにの胸に凭れたまま、クラウドは呟いた。自分を犯した男の腕の中で、こんな安らぎを感じているのは不思議なことだ、と、クラウドは思った。
「なにを?」
「俺の、誕生日」
 この世界に連れて来られた当初、クラウドは記憶を失っていた。失った、と言うよりも、奪われていた、と言う方が正しいのかもしれない。
 この世界では、戦士は神々の闘いの駒でしかなく、元の世界の記憶は時に不要なものだ。しかし、やはりクラウドも、元の世界の記憶を求めずにはいられなくて、かといって、セフィロスのように好戦的に振る舞うこともできない。クラウドが記憶を手に入れるのは、果敢にも挑んできたコスモスの者を撃退する時と、クラウドと戦いたがるセフィロスに犯された時だけだった。
「大切なことは思い出せないのに、つまらないことは思い出せるんだな、って、思ってさ」
 星の海を眺めながら、クラウドは呟いた。服は乱れたままだったし、風は冷たいほどの涼しさで肌をかすめていくというのに、クラウドは、ほう、と、暖かなため息を吐き出した。
 クラウドが、セフィロスの腕の中で安らぎを感じているのは事実だった。望まぬ戦いに巻きこまれ、それを煩わしいと感じていたクラウドにとって、セフィロスとの時間は、確かに屈辱的だし面倒ではあったけれど、戦わなくてすむという点では、便利と感じる時でもあった。
 しかも時々、こんな些細な記憶であれば思い出すキッカケにもなる。それはクラウドに、懐かしさと、ほんの少しの寂しさを味わわせていた。
「いつだったんだ?」
「なにが?」
 そう尋ね返した後、クラウドは、自分の発言がどれだけ無防備だったか気付いた。この会話の流れで、相手の尋ねたいことが先刻自分が思い出したばかりの事実でないはずもない。
「八月、十一日」
 クラウドがそう答えても、セフィロスは無反応だった。クラウドの髪に顎をうずめたまま、なにかを言う気配もない。
「……なんだよ」
 沈黙に耐えかねて、クラウドは尋ねた。クラウドは、髪の間にセフィロスの吐息がふわりと溶けていくのをかんじた。
「なにも思い出さないな、と、思ってな」
 セックスをしたばかりだったからだろうか、普段よりも間の抜けた返事だ、と、クラウドは思った。けれど、別段不思議なこととは思わなかった。クラウドだって、思い出したのはただの日付だけであって、相手の誕生日や、なにをして過ごしたかの思い出など、思い出せたわけではないのだから。
「そのうち、思い出せるだろ」
 クラウドは、ほんの少しだけ、セフィロスに傾ける体重を重くした。普段は何かと憎らしい相手だけれど、今ならば、少しは相手を甘やかしてもいいような気になっていた。
 首を倒すと、セフィロスの頬がこめかみにいるのがわかった。クラウドが目を細めると、ふ、と、耳許で相手が微笑うのを感じて、クラウドは目を瞬かせた。
「お前と戦えば、思い出せるかもしれん」
 いたずらっぽく、セフィロスは呟いた。その感触がくすぐったくて、クラウドはこくんと喉を動かした。
「あんたは、そればっかりだな」
 肩を動かし、クラウドはセフィロスを遠ざけようとした。すると、セフィロスがカリリとクラウドの耳を食んで、ぞく、と走る感覚に、クラウドは身じろいだ。
「他に、興味もないからな」
 クラウドの口癖を真似るようにして、セフィロスは言った。壮健な彼の腕がクラウドを抱きしめ始めていて、その手の指が胸元をするりと撫でるのを感じながら、クラウドは慌てて相手の腕を押し返す。
「そろそろ戻らないと…、奴らに怪しまれるだろ」
 コスモスの戦士の目覚めを待つ今、探索と称してカオスの戦士は様々な場所に赴いているが、長居をしてはなにをしていたのかと詮索されることは目に見えている。開いた服の隙間から忍び込んだ指に、きゅう、と、胸を摘ままれて、クラウドは思わず息を詰め、拒もうとする体の動きを凍らせた。
「今、試しておくべきだ」
 クラウドの胸をまさぐって、その耳にねっとりと舌を絡ませながら、セフィロスは囁いた。どく、どく、と、先刻と同じように胸が高鳴り始めるのを感じながら、またあの快感に襲われると知っているのに、クラウドはそれを拒めない。
「お前が他に、なにか思い出していないのか」
 セフィロスの口唇が妖しい形に歪むのを、クラウドは感じた。自分の体が淫らに作り変えられて行くのを感じながら、クラウドは、声を出すことを躊躇って反論もできずにいた。
 思い出したのはそれだけだ、とか、今しなくてもいいだろう、と言って、相手を押しのけられればいいのに、クラウドの手はセフィロスの腕を引っ掻くだけで、役には立たない。このまま身を委ねていれば、またなにか思い出せることがあるかもしれない、と、言い訳にもならない理由で自分を誤魔化しておく他ない。
「ふ……、セフィ、ロス……」
 本気なのか、と、尋ねるように、クラウドは彼の名を呼んだ。残酷なほどに優美な笑みが帰ってきて、クラウドは、ため息でも洩らすように細く長い息をついた。
 月の世界から見える星には、二人の故郷もあるのだろうか。それは一体どれだろう。赤いもの、それとも、あそこで青白く光っていたものだろうか。
 きっと、俺たちがここにいるなんて、故郷の誰も想像していないだろう。こんなことをしているのだということも、きっとわからないはずだ。
 肌の上を指先で撫でられて、クラウドの口唇から甘やかな息が溶け出した。こうなればもう、もう一度落ち着くまでは仲間のところへは戻れない。
 静かで涼しい世界の隅で、熱く昂ぶる欲が目覚める。次にまた、何か思い出すことがあったとしても、それはきっと、またつまらないことであるに違いない。

【 END 】