少女は乙女の夢を見る<前編>

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 ミッドガルの記念切手が貼られた封筒、ぎこちないけれど丁寧な字で書かれた便箋──。その手紙が私の元に届けられたのは、三日前のことだった。
 差出人は、都会に上京した懐かしい幼馴染み。とりとめのないその内容に、少し笑って、少し安心した。
 それから三日。返事を書こうとしたけれど、私の手は止まってしまった。
 なにを書いたらいいのか、わからなかった。早く返事を書かなきゃいけないのに、もらった手紙と白紙の便箋を並べたまま、私は、文字を綴ることができずにいた。


 彼がミッドガルへ発ったのは、少し前のことだった。ニブルヘイムで生まれた私たちは、毎日のように顔をあわせ、いつも一緒に遊んでいた。
 彼は、村の中央にあるよろず屋の一人息子だった。彼の両親は店を継いで欲しがっていたようだったけれど、『都会で修行をするのだ』と、彼はやや強引に村を出ていってしまった。
 ニブルヘイムは、なんの変哲もない辺鄙な村だ。 魔晄炉ができた当初は注目されたようだけれど、もともとこれといって目立つ特産物もなかったから、村に住む人々の生活に大きな変化はなかった。
 険しいニブル山を越えていく人、または越えてきた人が、少し足を休めて、そしてすぐに去っていく。この村の特徴といえば、『平和である』ということくらい。
 争いもハプニングもない、のどかな場所だったけれど、子供だった私たちにとっては、十分刺激的な毎日だった。旅人たちの聞かせてくれる夢のようなお話は、私たちをドキドキさせて、ワクワクさせてくれたから。
「今日は、魔晄炉に行ってくるからな」
 焼けたばかりのパンにバターを塗りながら、パパが言った。昨日の夜から、もう散々聞かされていたことだった。だけど、私はパパの話に口を挟まなかった。
「神羅の視察隊が魔晄炉の見学に来たから、その道案内を頼まれたんだ」
 ニブル山は、旅人たちにとって危険が多い。道はひどく入りくんでいるし、モンスターも出没する。
 私のパパは、旅人たちのボディーガード兼ガイドをしている。他にも、ニブルヘイムの自警団の団長として、村の付近に現れたモンスターを退治している。
 私は、村の為に働くパパを尊敬していたし、心配もしていた。
「気をつけてよ。パパも、もう年なんだから」
 揶揄うように、私は言った。 私が淹れたコーヒーを啜りながら、パパは、『なにかあったら大声を出すさ』と笑っていた。
 ニブルヘイムには魔晄炉があるから、神羅カンパニーの関係者が来ることも珍しくない。昨日のうちに到着していた神羅の社員──タークスだ、と、彼女は言っていた──は、よく眠れたのだろうか。
 タークスがどんな仕事をする人なのかは、教えてもらえなかった。企業秘密よ、と、彼女は口唇に指を立てて、可憐に笑った。
 私より少し年上の、女の人。年はそう離れてはいないようだったけれど、彼女は随分大人びて見えた。
 スレンダーなスーツがピシッと決まっている、素敵な女性だった。服が良く似合っていると話しかけたら、彼女はオレンジ色の髪を揺らして、ありがとう、と答えてくれた。
 ニブルヘイムの子供たちは男の子ばかりで、私には女の子の友達はいなかった。だから、年の近い女の子と話すのはほぼ初めてで、私はなんだか嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになった。
「夕方までには戻るよ」
 パパはそう言って、昨夜念入りに手入れをした武器を持って、ニブル山へと出かけていった。パパを見送った後、私はひと息つく間もなく、食器を洗って、片付けを始めた。
 パパが仕事に出かけている間、家事は私の仕事だった。広い家ではなかったけれど、しなければならないことはいっぱいあった。
 私のママは、病気で亡くなった。私が一番最初に触れた『死』が、ママだった。
 あの頃の私は、まだ『死』というものがよくわかっていなかった。いなくなってしまったママを探して、私はみんなが止めるのも聞かずに、危険だと言われていたニブル山を登った。
 そこで私は、老朽化していた吊り橋から落ちてしまったらしい。らしいというのは、あの時の記憶があいまいで、自分でもなにが起こったのかよく覚えていないからだ。
 目が覚めた時、パパは泣いていた。息ができないほど強い力で私を抱きしめて、よかった、よかった、と、呪文のように繰り返していた。
 パパは、強い人だった。ママを喪って、嘆いてばかりいる私を、励ましてくれていた。
 そんなパパの悲愴な声が、今も耳に残っている。
『お前が死んでしまったら、俺はまた、大切な人を失ってしまうところだった』
 あの日、強い力で私を抱きしめるパパの弱々しい台詞を聞いて、私は初めて、自分の幼さと愚かさを知った。


 昔は家事をするのも一日がかりだったけれど、色んなやりくりの方法を覚えた今は、自分の時間もとれるようになった。夕飯の材料を買うついでに、私は例のよろず屋に立ち寄った。
 子供と年が近いからという理由で、店長のおじさんもおかみさんも、昔からよくしてくれている。そこには、ミッドガルから取り寄せた本や雑貨、色んなものがそれこそなんでも揃っていた。
「あらティファちゃん、いらっしゃい。ご注文のアレ、届いてるよ」
 おかみさんは、いつもと変わらない笑顔で私を迎えてくれた。『アレ』というのは、私の頼んでいた洋服のことだ。
 成長期だから、子供の頃に着ていた服は大分着れなくなってしまった。かといって、ママのおさがりは私にはまだ大きすぎた。
 ウェストが少し広いから、締めつけておかないと落ちてきてしまうし、スカートの丈も、家事をするには長すぎる。もう少し大きくなったら、ちょうど良くなるのだろうけれど。
 前に買った雑誌で見た都会の女の子たちは、みんなおしゃれな服装をしていた。私は少ないお小遣いを貯めて、流行の服を一着注文した。それがようやく届いたのだと聞いて、私の心は明るくなった。
 おかみさんは、さっそくそれを見せてくれた。箱の中には、雑誌で見たそのまんまの、一揃いのカウガール衣装が丁寧にしまわれていた。
 おかみさんに促されて、私は早速、それを着てみることにした。皮製のベストは、独特のいい匂いがする。ターコイズの嵌められたベルトには細かい細工が施されていて、私の腰にピッタリだった。
「似合うじゃない。やっぱり、女の子はいいわねぇ」
 狭い試着室から出てきた私を見て、おかみさんは褒めてくれた。おかみさんがあんまり褒めるから、私は期待に胸を膨らませた。
 お揃いの帽子を被って、振り返って鏡を見て、私はがっかりした。
 雑誌で見た時は凄く可愛いと思ったのに、私が着ると、服の魅力が半減したように見える。洗練された都会の女の子が着るとオシャレに見えたけれど、田舎に住む私が着ても、なんだか時代に取り残されたような感じがした。
「……あんまり、似合わないかも」
「なに言うんだい。ぴったりじゃないか」
 私は落胆していたけれど、おかみさんは着替えの済んだ私を見て、表情を輝かせていた。私の肩に両手を乗せて、鏡を覗きこんでくる。
 ベストの刺繍や細工に触れて、おかみさんは、とても楽しそうだった。せっかく取り寄せてもらったのに──。そう思うと、私は申し訳ない気持ちになった。
「丈が、ちょっと短すぎるかな……」
「ティファちゃんは若いんだから、これくらい大丈夫よ」
 別に、金を使わせようなんていう下心は感じなかった。おかみさんは純粋に、本心から、私に似合うと言ってくれているのだ。
「……パパが、ビックリしちゃうから」
 だから余計に心苦しくて、私の苦笑はぎこちなかった。着替えを終えて服を返すと、おかみさんは残念そうに、渋々服をたたみ始めた。
「取っておくから、気が変わったらいつでも言うんだよ」
 おかみさんの気遣いに感謝して、私は店を出た。結局その日は、他にはなにも買わなかった。
 流行りの服で着飾っても、私は時代遅れの田舎者でしかない。でも、それでいいと思っていた。
 私はこの村で、ずっと暮らしていくんだから。これからもずっと、パパと二人で──。
 私はもう、パパを傷つけるのは、嫌だった。


「見てみたかったねぇ」
 私の話を聞いて、クラウドのママは残念がった。 沸騰したお湯をポットに注いで、私たちはお茶の準備をしていた。
「せっかくなんだから、買っちゃえばよかったのに」
 お小遣いが足りないのか、ヘソクリを貸してやろうか、と、クラウドママは聞いてきた。私は急いで否定して、その有難い申し出を辞退した。
 だけど、それならどうして買わなかったのか──。どう説明したらいいのか悩んで、私は困ってしまった。
 クラウドママ──『おばさん』と呼ぶのを躊躇って、私はこう呼んでいた──は、私の家の隣に、一人で住んでいる。二年前までは、私と一個違いの男の子、クラウドも一緒だった。
 クラウドは、二年前、ニブルヘイムを出ていった。それ以降、独り暮らしになったクラウドママと私は、一気に親しくなった。
「あんまり短いスカートだと、パパに怒られるもの」
「短いスカートが穿けるのなんて、今だけよ」
 私は、曖昧に返事を濁した。クラウドママは、それ以上言及しなかった。
 お茶の準備が整って、私たちは席に着いた。クラウドママの手作りクッキーが、テーブルに並べられていた。ママのいない私にとって、クラウドママはお姉さんのような存在だった。
 クラウドはいつも機嫌が悪そうで、私は彼と、あまり話をしたことがなかった。周りの皆は彼を『生意気な奴だ』と敬遠していたし、理由はわからないけれど、パパも、クラウドを嫌っていたようだった。
 だから昔は、クラウドママとも自然に疎遠になっていた。 今となっては、なんて勿体なかったのだろうと歯痒い気持ちになる。
 クラウドがいなくなって、村の子供たちの数もどんどん少なくなって、私は正直、寂しかった。クラウドママとお茶をするようになって、私の毎日に新しい楽しみが増えた。
 クラウドママは、私の知らない色んなことを教えてくれた。それだけじゃなくて、私がママとしたかったことを、ママの代わりにしてくれた。
 クラウドママと仲良くなって、お菓子作りのレパートリーが増えた。 パパには相談できないこと──たとえば、下着の選び方とか──も、相談できた。
 それから、私たちはクラウドの話をした。あまり話したことがないお隣さん。ミッドガルへ出ていった幼馴染、クラウドのことを──。
「──クラウドから、連絡は?」
 私が尋ねると、クラウドママは苦笑して眉を伏せ、首を振った。二年前に出ていってから、クラウドからの連絡はないらしい。
「便りがないのが元気な証拠とは言うけどねぇ」
 心配ばかりかけて、困った子だよ、と、クラウドママは笑っていた。私の小さなため息は、紅茶のカップに吸いこまれた。
 クラウドは、ソルジャーになると言っていた。神羅カンパニーの誇る精鋭部隊、ソルジャー。ソルジャーになるためには、特別な手術を受けないといけないらしい。
 クラウドは、ソルジャーになれたのだろうか。私は気になって、彼が村を発ったあの日から、毎日欠かさず新聞を読むようになった。
 新聞は、ウータイの戦況を連日報道していた。華々しい記事の中にも、戦死者のリストの中にも、クラウドの名前はなかった。
「無茶をしてなきゃいいんだけどねぇ」
 クラウドママの呟きに、私は同調した。クッキーを口に運ぶと、しっとりとした生地に歯が吸いこまれて、気持ちの良い甘さが口の中に広がった。
 クラウドママの手作りの優しさを味わいながら、私は、昨日のことを思い出していた。
 視察の為に村を訪れたタークスは、二人のソルジャーを連れていた。私がソルジャーを見るのは、それが初めてだった。
 村の人たちは、みんな不思議に思っていた。こんな田舎に、どうしてソルジャーが? 『念のためよ』と、タークスが教えてくれたけれど、釈然としなかった。
 確かに、魔晄炉への道にはモンスターもいるわけだし、危険と遭遇した時のことを考えると、戦闘員を用意しておくことは不自然ではない。けれど、平和に慣れた村人たちが、血なまぐさい噂に聞くソルジャーを前にして、不安を感じ疑問を抱くのも当然のことだった。
 私は、あてが外れて気落ちしていた。村の人が『ソルジャーが来たぞ』、と騒いでいるのを聞いて、クラウドか帰ってきたんじゃないか、と思っていたから。
 村にやってきたソルジャーは、クラウドではなかった。クラウドママもがっかりするだろう、と考えると、私の胸は余計に苦しくなった。
 私は、クラウドを知らないか、と、ソルジャーに聞いてみた。けれど彼らは、『ソルジャーになりたてで、まだよく仲間を知らないのだ』と言っていた。
 タークスの女性にも聞いてみた。彼女は、『ソルジャーの個人情報は重要機密で、教えられない』、と、首を横に振った。
 教えてくれたっていいじゃない。ケチ。そう言って毒づく私を、クラウドママが慰めた。
「大丈夫。ちゃんとソルジャーになって、その内ひょっこり帰ってくるよ」
 昨日のことを思い出して不貞腐れた私に、クラウドママは紅茶のおかわりを注いでくれた。
 そうだったらいい。そうであってほしい。
 本当にそうだろうか、と考えると、私の心にはまた、苦い気持ちが広がっていった。