少女は乙女の夢を見る<後編>

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 自分の部屋で、もう何度も読んだ手紙と向き合いながら、私はため息を漏らした。私は今度こそ、返事を書くつもりだった。
 みんな、元気でいるようだ。やっぱり、クラウドだけは連絡がつかなかったみたい。
 あの日を境に、クラウドは消息を絶った。家族にも連絡を取らずに、どこでなにをしているのだろう。
 星が満天に煌めいたあの夜、クラウドに呼び出された私は、少しドキドキしていた。
 どんな話があるのだろう。もしかしたら、映画で見たような甘酸っぱいロマンスが生まれるのかもしれない。
 そんな期待を、クラウドは見事に裏切ってくれた。というよりも、恋の予感に胸をときめかせ、憧れを抱いてしまうほど、私はあの時、子供だったのだ。
 ミッドガルを出てソルジャーになるのだと、彼は言った。それを聞いた私の胸には、切ない気持ちが広がった。
 きっと私は、寂しかったのだ。幼馴染や知り合いがニブルヘイムを出て、都会へと上京していくのを、私はいつも見送る側だった。
 クラウドも行ってしまうのだ。私を置いて、ニブルヘイムを捨てて、もしかしたらもう二度と、戻ってきてくれないかもしれない。
 だからあの日、私とクラウドは約束をした。クラウドが有名になってその時、私が困ってたら、クラウド、私を助けにきてね──。
 いつか必ず、帰ってきて。そんな願いをこめて、私は彼と約束した。突拍子もない私の申し出に、彼は呆れたようだったけれど、『約束する』、と答えてくれた。
 あの約束があったから、私は寂しさを少しだけ紛らわすことができた。ニブルヘイムから旅立っていく人たちを見送る辛さも、少しだけ忘れてしまえた。
 手紙には、みんなの近況が手短に綴られていた。ミッドガルにいるみんなは、久しぶりに楽しい時間を過ごしたようだ。
 よかったね、と、書くことはできなかった。だって、嘘はつきたくなかったから。
 どうやら彼は、仕事が見つからなくてスラムで生活しているらしい。大変でいたようだけれど、みんなが集まった光景を想像すると思わず頬が緩まった。
 楽しそうだ、と感じた私は、ハッとして、口唇を噛んだ。
 羨ましくなんてない、寂しくなんてない。深呼吸をして、胸に沸いた感情に蓋をすると、今度はまた、別の感情が滲みだしてきた。
 帰ってくればいいじゃない。村を、両親を、私を心配してくれているなら、またみんなで、ニブルヘイムで、昔みたいに楽しく過ごせばいいのに。
 仲間の門出を見送った私が、そんなことを言うわけにはいかなかった。それに、『帰ってきて』だなんて、変な書き方をしたら、彼に誤解を与えてしまいかねない。
 彼の手紙を読んで、私は戸惑ってしまった。手紙から浮かび上がる彼は、私の『幼馴染』ではなくて、なんだかとても、『男の子』のようだったから。
 幼馴染として接すればいいのか、『女』としての自分が望まれているのか──、私には判断がつかなかった。だからいつも、やっぱり今度も、私の思考は固まってしまった。
 大分、日が傾いてきた。窓から光が斜めに射しこんで、キラキラと輝いている。
 背中が温かくなったのを感じながら、私は頬杖をついて、右の指先でペンを遊ばせていた。彼の手紙を見下ろしていると、私はまた、昔のことを思い出した。
 怪我をした私をパパが抱きしめてくれたあの日、私は、この先ずっとニブルヘイムで生きていくことを誓った。ママの代わりに、私がパパを支えてあげよう。パパを悲しませないようにしよう、と、心に決めた。
 だから私は、恋をするのが怖かった。誰かに心を奪われることが、恐ろしかった。
 だってそうしたら、パパは独りになってしまう。もう二度と、パパに、寂しい思いをさせたくなかった。
 毎日を、笑顔で過ごそう。ママの思い出の詰まったニブルヘイムで、平和に楽しく、パパと一緒に生きていこう。そうしようと誓ったのに、ここ数日、私は他の人に心を捕われて、ぐるぐる考えを巡らせて、思い悩んでしまっている。
 早く、返事を書けばいいのに。ニブルヘイムの近況を伝えてあげて、 頑張ってね、応援してる、と、当たり障りの無い気持ちを文字にすることが、こんなに大変なことだなんて。
 両手に顎を乗せ、私は、はぁ、とため息を漏らした。
 そろそろ、パパが帰ってくる頃だ。夕飯の用意をしなきゃいけない。
 パパと一緒に食卓を囲んで、夕ご飯を食べて。今日のパパの武勇伝を聞いて、お風呂に入ったら、ゆっくり返事を書こう。
 そう無理やり納得して、私が立ちあがろうとしたその時──。玄関を叩く大きな音がして、緊迫した大声が、私の耳に飛び込んできた。
「ティファ──!! おやっさんが……!!」
 聞き慣れたその声は、よろず屋のおじさんのものだった。叫びにも似たものものしい声だった。なにがあったのか、ただことじゃないことだけはすぐにわかった。
 体が一気に寒くなって、私は急いで立ち上がり、階段を駆け下りていった。


 タークスの女性は、何度も何度も、深々と頭を下げた。
「私たちがついていながら…、ごめんなさい」
 そういう彼女も、目に見えるダメージを負っている。パパを抱えて魔晄炉から逃げてきた彼女は、やつれた顔をしていた。
 パパが助かったのは、彼女やソルジャーたちが、必死に戦ってくれたお陰なのだ。それがわかったから、私は彼女を責めなかった。
 魔晄炉に出かけていった彼女たちは、モンスターの大群に遭遇した。 異常な事態に直面し、身の危険を感じて、無我夢中で逃げる途中、パパは転んでしまったらしい。
 よろず屋のおじさんが差し入れてくれたポーションで傷は癒えたようだけれど、パパは今もベッドに横たわったまま、うんうん唸って身動きが取れずにいる。ママのことがあったから、一瞬ヒヤッとしたけれど、ひとまず大事にならなくてよかった、と、私は安心した。
 私がパパを看病している間、タークスの女性は村人たちに取り囲まれた。魔晄炉は大丈夫なのか、モンスターが村を襲ってくるんじゃないか、と、村の人たちは彼女を質問攻めにした。
 魔晄炉の状況はどうなっているのかわからない、モンスターの多くはソルジャーが退治したから大丈夫だ、と、彼女は何度も同じ説明を繰り返した。
 その戦闘が原因で、今朝送り出した時は元気いっぱいだったソルジャーたちが命を落としたと聞いて、私たちは戦慄した。
 ソルジャーたちが戦っている間に、タークスは私のパパを連れて、命からがら逃げ出したのだ。無事であったのが奇跡だ、と、私は思った。
 モンスターたちは魔晄炉を根城にしていて、そこを訪れる人間を襲っただけだったから、わざわざ村にやって来ることはないだろうと、タークスは言っていた。けれど、魔晄炉は村のすぐ近くにあるのだ。怒ったモンスターたちが、いつ報復しに来るとも限らない。
 タークスはすぐに本社に連絡を取った。そして彼女はその足で、報告の為ミッドガルへ帰ることになった。
 村はどうなるのか、私たちを見殺しにするのか、と、村の人たちは息巻いた。そんなこと言ったって、仕方がないじゃない。でも、彼の不安と同じものは私の胸の中にもあった。
「私に任せなさい」
 それまでずっと黙っていたおじさんが、口を開いた。彼は、タークスがパパを連れて逃げる最中に、偶然遭遇したという不運な旅人だった。
「私はザンガン。世界中の子供たちに武術を教える旅をしている。モンスターが襲ってきても、私が追い払ってやろう」
 おじさんはそう言って、逞しい胸を、ドンッと叩いた。
 パパが倒れてしまって、ニブルヘイムは丸腰の状態だ。そんな中、戦闘経験者がいてくれることはとても心強い。
 宿屋のおじさんが、ザンガンさんに部屋を無償で提供することになった。心苦しそうにしながら、タークスは、ミッドガルへと戻っていった。


   ■   ■   ■


 それからしばらく、私たちは怯えながら毎日を過ごした。モンスターが襲ってくるかもしれない──、普段以上の恐怖が私たちを包みこんでいた。
 神羅の連中が来なければ、こんなことにはならなかったのに。村を歩いていると、そう毒づく誰かの声が聞こえた。
「あのソルジャー達がいてくれなかったら、私たち、死んじゃってたかもしれないのよ」
 私がそう言うと、 彼らは不満げに眉を曲げて、口唇を尖らせた。
 村全体がピリピリしていて、私も、ピリピリしていた。パパの看病をしなきゃいけなかったから、私はいつもよりもキリキリ動いていた。
 私が昼食の用意をしていると、二階からヨタヨタと降りてくるパパの足音が聞こえた。
「パパ、なにしてるの!?」
 私は驚いて、大きな声を出した。いつまでも寝ているわけにはいかない、と、パパは階段を降りながら、痛いのを我慢した険しい顔で呟いた。
「無理しないでよ。まだ腰、痛むんでしょ?」
 パパは、ザンガンさんに村の警備を任せていることが、自警団の団長として我慢ならなかったようだ。けれど、腰を庇うパパの脚はもたついていて、まだ動くべきでないということは、医者でない私の目から見ても明らかだった。
「いいから休んでて。わかった?」
 パパをテーブルまで連れて来ると、私は少し強めにパパに言い聞かせた。娘に叱られると、パパは声を詰まらせて、悔しそうな顔をした。
 二階に持っていくはずだった昼食を並べながら、私はパパと向き合って、食事を摂った。
 あんな風に言うんじゃなかったかな。少し反省して、私は明るい風を装ったけれど、パパはすっかりしょんぼりしてしまっていて、見ていられなかった。
 大丈夫よ。ピンチの時は助けに来るって、クラウドが言ってたもの。そう言おうかと思ったけれど、慰めるつもりで言っても、逆効果になってしまいそうで、言えなかった。
 それに、クラウドが本当に来てくれるのか、自信がなかった。約束したのに、どうして来てくれないの。そう思う自分が嫌で、私は自分にイライラした。
「それじゃあ私、ザンガンさんに差し入れしてくるね」
 片づけを済ませ、支度を整えて、私は言った。
「ゆっくり休んで、早く治して。わかった?」
「ああ。いっておいで」
 パパは、弱々しい笑顔で私を送り出した。小うるさいことを言って、八つ当たりをして、パパを悲しませてしまった。夕飯は、パパの好きなハンバーグにしよう。
 そんなことを考えながら、私はザンガンさんのもとへ向かった。ニブル山へ続く石段で、私はザンガンさんと出会った。
「ありがたい、ちょうどお腹が減っていたんだ」
 ザンガンさんは、ちょうど巡回を終えてきたところだった。今のところは、モンスターの姿は見えないようだ。そう聞いて安心して、私はザンガンさんのお昼ご飯にお邪魔させてもらうことにした。
 パパと顔を合わせるのがなんだか気まずくて、私は石段に座ったザンガンさんの隣に腰を下ろした。ザンガンさんは丁寧に『いただきます』をすると、私の作ったサンドイッチを頬張った。
 ザンガンさんは、色んな話をしてくれた。どこから来たのか、どこへ行くのか。これまで通ってきた色んな街の話や、これまで出会った様々なモンスターとの戦いの話を聞かせてくれた。
「だから、村のことは心配しないで、私に任せなさい」
 自慢の髭にサンドイッチのソースをつけながら、ザンガンさんは笑った。強張った顔をしていた私の緊張が解けて、少し楽になった。
「ザンガンさんは、どうして旅をしているの?」
 ソースを拭いてあげながら、私は尋ねた。三個目のサンドイッチを平らげて、彼は答えた。
「世界中の子供たちに武術を教える為だ。しかし、この村には子供が少ないな」
「みんな、ミッドガルに出ていっちゃったから」
 そういえば、魔晄炉に異変が起きて以降、返事を書くのをすっかり忘れてしまっていた。彼はもしかしたら、待ちくたびれてしまったかもしれない。帰ってまた手紙を書くことを考えると、私の気持ちは重くなった。
「そうだティファ、君はどうだ?」
「私?」
 突然の申し出に、私は目を瞬かせて、ザンガンさんを凝視した。一緒に差し入れたお茶で喉を潤して、笑み皺を刻みながら、彼は続けた。
「そうだ。ザンガン流拳法を習ってみないかね?」
 大きな掌で拳を握り、ザンガンさんは歯を見せて笑った。パパよりずっとお年を召して見えるのに、彼の笑顔は若々しく輝いていた。
 思ってもみなかった選択肢を示されて、私は戸惑った。ザンガンさんを見つめながら、私は一瞬で色んな事を考えた。
 ニブルヘイムは平和な村だ。だけど、その周りは危険で満ちている。一緒に戦えるようになったら、パパの仕事も楽になるかも。だけど、危険なことをしようとする私を、パパは喜ばないだろう。
 私がピンチになった時は、クラウドが助けにきてくれるはず。だって、そう約束したんだから。
 私が戦えるようになったら、クラウドは来てくれないかもしれない。私が知っている『ヒロイン』は、いつも可憐で弱々しくて、ピンチに颯爽と現れる『ヒーロー』に守ってもらっていた。
「女の子が野蛮なことするなって、パパに怒られちゃうから」
 せっかくの申し出だったけれど、私は遠慮することにした。愛想笑いを浮かべて、丁重な言葉を選んだつもりだったけれど、ザンガンさんは難しそうに眉を伏せた。
「野蛮か……。確かに、暴力を揮う女の子は、野蛮に見えるかもしれないな」
 親切な気持ちで言ってくれただろうに、不快にさせてしまっただろうか。私は弁解する言葉を探して、口をまごつかせてしまった。
「しかしティファ、武術とは、暴力ではない」
 私の持ってきたタンブラーを両手で包みこみながら、ザンガンさんは低い声を響かせた。年季の入った男の人特有の、どっしりした重低音だった。
「暴力ではなにも解決できない。それは時に人を傷つけ、壊してしまうこともある。しかし武術は、誰かを傷つけるための技術ではない。この力は、誰かを守るためのものだ」
 ザンガンさんの手は硬くて、ごつごつしていた。けれど、彼がゆっくりと開いた掌は柔らかそうで、優しそうに見えた。
「私は、それを多くの子供に教える為に、旅をしているのだよ」
 温和に微笑むザンガンさんが、『暴力』を揮う人だなんて思えなかった。彼の笑みからは、野蛮さとは程遠い慈しみが感じられた。
「誰かを守る力……」
 そう呟いて、私は、自分の両手を見下ろした。
 私は誰かに、守ってもらっていただけ。誰かが守ってくれるのを、ただ待っていただけ。
 私のピンチには助けに来るよ、と、彼は約束してくれた。けれど、私の周りで傷ついている人──、大切な人たち、大好きな人たちのピンチに、私はなにができるのだろう。
「待ってて、ザンガンさん」
 拳を握って、私は立ち上がった。
 いてもたってもいられなかった。重たかった胸はいつの間にか熱くなって、四個目のサンドイッチを頬張るザンガンさんに見送られ、私はよろず屋へと走り出した。
「おばさん! やっぱり、あの服ちょうだい!」
 息を弾ませてドアを開けた私を、おかみさんはびっくりした顔で見つめていた。硬直して、そしてやがて笑顔になって、店の奥に大事にしまっていた服の箱を取り出した。
 活動的でノスタルジックな服を身に纏うと、長かったスカート丈は短くなって、一気に動きやすくなった。その足で、私はパパの元へと向かった。
 パパはビックリして、抜かした腰を再び落っことしてしまった。口をパクパクさせるパパを見下ろして、私は言った。
「パパ、もう心配しないで。私が守ってあげるから」
 事情を飲みこむと、パパは当然反対した。でも、私の意思は変わらなかった。
 あの日私は、この先ずっとニブルヘイムで生きていくことを誓った。ママの代わりにパパを支えてあげよう、パパを悲しませないようにしよう、と、心に決めた。
 パパは、ニブルヘイムを守ろうと一生懸命働いている。そのパパが怪我をして、ニブルヘイムがピンチに陥った時は、私が守ってあげなくちゃ。
 大丈夫。私がピンチになった時は、クラウドが助けに来てくれるから。ソルジャーになって、私との約束を守るため、絶対に戻って来てくれる。
「よろしくお願いします、師匠!!」
 私は、師匠の百二十八番目の弟子になった。スカート丈が短くなって、心まで軽くなったような気がした。
 クラウドが戻って来るその日まで、私がみんなを守るんだ。そう決意した私に、師匠は様々な技を伝授した。
 次の日、魔晄炉の調査とモンスターの討伐のため、ソルジャーが手配されたと連絡が来た。パパの具合は大分よくなっていたけれど、ガイド役には私が行くと言い張った。
 今度こそ、クラウドかもしれない。ニブルヘイムのピンチに、クラウドが駆けつけて来てくれたんだわ。
 私は、期待に胸を膨らませていた。数日後、ニブルヘイムに二人のソルジャーがやってきた。
 ウータイの戦争で活躍した神羅の英雄、セフィロス。そしてもう一人は──、気さくで明るい性格の、黒髪のソルジャー、ザックスだった。

【 END 】