無冠の帝王<01>
ちょうど三日前、プレジデント・神羅は、ウータイに最後通牒を突きつけた。たかが一介の、されどこの大陸で莫大な影響力を広げつつある組織の長が、蛮族を叩き潰し、世界の頂点に立とうとしている。
プレジデントの目的は、この星から神羅に対抗する勢力を一掃すること、そして、広大な土地を手に入れ、新たな魔晄炉を建てることだ。一方、宝条の目的は、自分の研究の成果を試し、平常時では手に入らない貴重なデータを収集すること。
スカーレットが新開発した武器の性能を確かめるのと同様に、彼は目の前に立つセフィロスの能力を発揮させたがっていた。
「どう思う?」
画面から顔を上げて、宝条はセフィロスに尋ねた。様子を窺うというよりも、観察するといったほうが正しい視線のぬめり具合で。
「子供だましだ」
「その通り。だが、『火のないところに煙は立たぬ』だ」
暗い部屋には、宝条の洩らすくつくつという笑い声と、機械の奏でる唸り声が響いていた。セフィロスは、そこに小さなため息の音を添えた。
「科学者(我々)の研究の根源は、好奇心だ。それが本当にただのお伽話なのかどうか、真相を確かめずにいられない」
「俺には関係のない話だ」
セフィロスはそう言い放ち、宝条を睨みつけた。その目は魔晄の煌きを宿していて、その目に見つめられた宝条は、陶然と目を細めた。
「だが、確かめたくはあるんじゃないのか?」
セフィロスを見ると、宝条の心にはふつふつと高揚が湧き起こった。ガスト博士を出しぬき、神羅カンパニー科学部門の統括という立場になった充足感も手伝って、宝条の口許は自然と緩み、饒舌に彼は続けた。
「セフィロス、お前は『最強』だ。今後ありとあらゆる者が、お前をそう呼ぶようになる」
宝条はガスト博士に継いで、セフィロスのフィジカルチェックを担当している。だからセフィロスがこうして宝条と接することは、決して少ないとは言えない。
セフィロスはいつも、宝条の笑みを苦い気持ちで見下ろしていた。宝条のことを何故か忌まわしく、憎らしいもののように感じていた。
心当たりはいくつもあって、どれが本当の理由なのかは定かでない。それを知ろうとすることすら、煩わしいと考えていた。
「『最強の武器』があるとするなら、お前が持つに相応しい」
分厚い眼鏡のレンズの奥から、宝条がセフィロスを見上げて笑った。ぞわりと悪寒が背筋を駆け抜け、セフィロスは拳を握りしめた。
「あれば、の話だ」
セフィロスは踵を返し、宝条に背を向けた。セフィロスの頬の脇で、伸ばしたままの髪の毛がふわりと揺れた。
逃げたのだと思われない程度の速度で、セフィロスは歩き出した。肩を揺らして笑う宝条に見送られて、セフィロスは、神羅ビル67階科学部門フロアを後にした。
ミッドガルのある大陸とは違い、ウータイは独自の文化を築いている。ウータイとの戦いは既に長く、大陸はもう幾度もウータイからの侵攻という恐怖に晒されてきた。
ウータイの人々は好戦的な民族だ。大陸の人々は、海を隔てているという環境と人口の多さに助けられているに過ぎない。
かつて、戦争は互いに多くの被害を生み出し、その結果、大陸はウータイと不可侵条約を結んだ。侵略も干渉もしないという状況が、この何百年かの星の平和を育んできた。
そのウータイへ攻めこもうというプレジデントの政策は、セフィロスの予想と違い、多くの者の賛同を得た。魔晄エネルギーによる豊かな暮らしが人々を過信させ、慢心させているだろう。
しかしセフィロスは、これから始まろうとしている戦争が決してすぐには終わらないだろうということ、そして自分が多くの人を殺すことになるだろうことを理解していた。これまで、計測器相手に発揮してきた力を、生身の人間に揮うようになるのだということを。
「そろそろだ」
黒服のタークスが、セフィロスへと声をかけた。戦争を間近に控えたウータイ近海をスキッフで飛んでいるという状況は非常に危険だ。これは極秘のミッションで、その遂行と成功はセフィロス一人に託されていた。
スキッフに同乗している男は、セフィロスの存在を知る数少ない人物だった。神羅カンパニー総務部調査課、通称タークスを束ねる主任、ヴェルド──。科学部門統括直々の指令を請け、彼が自らスキッフを運転し、セフィロスをここまで連れてきたのだ。
「高度を下げろ」
セフィロスはそう言うと、ベルトを外し、ロックを外してスキッフのドアを開けた。鋭い風が一気に機内に響いてくる。ヴェルドは思わず声を詰まらせ、携えてきた剣を握るセフィロスを凝視した。
「待て、勝手なことを──」
「どこから行っても同じことだ」
セフィロスは、まだ少年だった。神羅内での役職もなく、ヴェルドに対等に意見できるような立場ではない。
しかし、慌ただしく吐き出されるヴェルドの言葉を、セフィロスは一方的に退けた。背中まであるセフィロスの髪が荒い風に散らされる。
癖の多いタークスを束ねるヴェルドは、眉を寄せたままスキッフを傾けた。バリバリとプロペラを鳴らしながら、スキッフは着地点を探して岩壁の脇を走り抜けた。
「わかっているな、セフィロス。無用な戦闘は避け、迅速に任務を遂行しろ」
ヴェルドはインカムを着けたまま、忙しなく視線を左右に動かしていた。傷の多いその顔に、深い皺が刻まれていた。
岩場の間に降りられそうな砂地を見つけ、ヴェルドがスキッフを近づけていく。セフィロスの目も、同じ場所を捉えていた。海に囲まれた岬の一角、降りるとすればそこしかない。
「終わったら連絡する」
セフィロスはそう言うと、剣とモバイルだけを手に、スキッフから飛び降りた。パラシュートなど身に着けていない。大きな荷物は極秘任務には不必要だ。
そんなものを利用して、ウータイの戦士に侵入を知られるわけにはいかない。それよりなにより、セフィロスの身体能力は、空気抵抗の増加を必要としていなかった。
セフィロスは生まれつき、魔力の高い少年だった。普通の人間と比べれば、異常と言ってもいいほどだ。
ガスト博士の協力で、セフィロスは暴走する魔力を制御する術を得た。今セフィロスは、抑えていた力を惜しみなく解放し、足裏に集めることで落下速度を緩ませて、ふわりと砂浜に降り立った。
さら、と、セフィロスの足元で白い砂が舞い上がった。何事もなかったかのように、彼はフラつくこともなく、ゆうるりと立ち上がった。
スキッフの羽ばたく音が、セフィロスから遠ざかっていく。セフィロス一人を敵国である島国に残して、ウータイ陣営に見つかる前に、大陸へと戻っていく。
セフィロスは、ふ、とため息を洩らした。そうしてゆっくりと深呼吸をして、海の味のする空気をじっくりと味わった。
ミッドガルにいては得られない、束の間の『自由』──。この感覚を自分のものにしたければ、神羅との関わりを断絶する必要がある。
しかしセフィロスは、遠い任地で神羅を裏切ることよりも、命令を遂行することを選んだ。宝条が知りたがっていることは、セフィロスもまた、知りたいと願っていることだったから。
「行くか」
人の気配のないことを確かめて呟くと、セフィロスは剣を手に歩き出した。岬には船もなく、砂浜を抜けた向こうには、削れた地面が剥き出しになった険しい崖が見えていた。
人里からは大分離れているのだろう。潮騒が荒涼とした景色を優しく彩っている。
セフィロスがポケットからモバイルを取り出すと、ちょうど電波の表示が途切れるところだった。大陸に張り巡らされた神羅のネットワークも、流石にこの先へは届かないようだった。
帰還する際の合図は既に決めてある。その時は、武器に嵌めこんであるマテリアが役に立つだろう。
後は、ミッション終了まで武器が保つことを願うばかりだ。ふ、と口許を緩めて、セフィロスは剥き出しの岩を踏んだ。
「東は…こっちか」
太陽の角度を確かめて、セフィロスは呟いた。視線の先では、隆々とした崖が連なっているのがわかった。
ゴツゴツとした岩肌を剥き出しにして、まるで、外敵の侵入を拒むようだ。荒々しい波を引き裂いて、水面に白い泡の粒が散らばっている。
無用な戦闘は避けろ、というヴェルドの言葉が聞こえてはいたが、周りに敵しかいないと知っていて、遠慮する理由もない。セフィロスは剣を抜き、それを左手に握ったまま、勢い良く地面を蹴りだした。
宝条から教えられたのは、ウータイに古くから伝わる詩だ。この星には、その手の詩や伝説はいくつもある。
太古の昔、太陽が六人の子をこの星へ産み落とした。彼らはそれぞれ協力し、豊かで広大な国を作った。
上の三人は自らの体を提供し、土地と同化することで国を守ると約束した。下の三人が人々に知恵と力を与えながら国を治めるはずだった。
しかし、上の三人がいなくなった途端、四人目は下の二人を国から追い出し、たった一人で国を牛耳ろうとした。
下の二人は、命からがら逃げ出した。上の三人に協力を要請したくとも、彼らは既に大地に根ざしてしまっている。
このままでは、この国の人々は兄の支配に苦しめられてしまうだろう。なんとかしなければ、と考えて、二人は知恵と力を合わせ、強力な武器を創りだした。
「さて…どこから探したものか」
大きな岩を踏みつけながら、セフィロスは呟いた。目指す先は、道などあってないようなものだ。下から行くか、上から行くか──。少しの間考えて、セフィロスはひとまず、崖を登りきることにした。
伝説によると、準備を整えた二人は、兄のもとを訪れた。今後は絶対に逆らわない、だから国に住まわせて欲しい、と、二人は兄に懇願した。
叛意のない証として、二人は兄に貢物を差し出した。それは、二人の力を合わせて作った件の武器だった。
その武器は、敵を全て斬り払う力を保つ刀だった。使い手の技術如何に関わらず、持っているだけで無敵の強さが手に入る。
無論、兄は弟達の貢物を喜んで、彼らを国へ招き入れた。そうして刀を手にした瞬間、刀は兄に言ったという。
『これより先、お前の敵を全て薙ぎ払ってやろう。その代わり、お前が一番恐れている敵をお前自身が倒すのだ』
刀の持つ不思議な力が、兄の前に三人の敵の姿を創りだした。それは、今や大地と同化した三人の兄の姿だった。
「悪くない景色だな」
小高い丘の縁に立ち、セフィロスは眼下の海を見下ろした。切りだった崖の岩肌に、海がザザンと波を打ちつけている。
神羅ビルの高層階に立っていても、セフィロスの心は奮えない。しかし、誰もいない、いつモンスターに襲われるとも分からないこんな敵国の一角で、セフィロスの口許はゆっくりと綻んだ。
俺は今、ここにいる。息をして、血を巡らせて、確かに存在しているのだ。
それを実感できる喜びが、セフィロスの心を騒がせ、肌の上をざわめきとなって駆け抜けていく。声に出して、笑い出したい心地だった。実感するだけでは足りない、証明したいと願い始めたセフィロスの頭上に、三羽の怪鳥が都合よく現れた。
セフィロスの昂った覇気に刺激されたのか、彼らはギャアギャアとうるさい声で鳴いていた。羽ばたきの合間にバチバチと電気の火花を散らしながら。
「お前たちでは、役不足だ」
そうは呟いたけれど、セフィロスは網にかかった獲物を逃がすつもりは毛頭なかった。滾る力を発散し猛りを解消するために、セフィロスは神羅製の剣を握り、地面を強く蹴りあげて集まってきた雷神鳥へと斬りかかった。