無冠の帝王<04>
自分の不甲斐なさを嗤ったわけでは決してない。頼る相手などいないのだという事実にすぐに気付いたからだ。
セフィロスを知る者は少ない。ヴェルド、宝条、宝条の部下の研究員たち、そしてガスト・ファレミス博士。
その内の誰が、助けになってくれるだろう。ヴェルドは慎重な男だ、会社の利益とたった一人の男の命を秤にかけはしないだろう。
宝条など論外だ。奴の手を借りるくらいなら死んだほうがまだマシだ。
そもそも、宝条にとってセフィロスはただの研究対象だ。宝条の部下たちだって、データ以上にセフィロスを認識する者はいないはずだ。
彼らは、セフィロスの持つ特別な力を解明し、発揮させたがっている。セフィロスに力がなかったなら、はたして彼らはセフィロスに執着を見せただろうか──。
この考えは危険だ、と、セフィロスは直感した。そしてその正確性は続く思考に証明される。
セフィロスを見出したのは、ガスト博士だ。セフィロスが自我を形成できたのは彼の手助けがあったからだ。
しかし彼は、セフィロスの前から忽然と姿を消した。死亡という報告など、彼がいなくなったのだという事実に比べれば、些細な事柄に過ぎない。
ガスト博士が研究資料を持ち出して行方不明──。その報を聞いたセフィロスは、初めての失意を味わった。
どうして置いて行ったのか。何故連れて行ってくれなかったのか。
俺に興味がなくなったのか、俺は必要とされていないのか。
かつて味わい、押し殺してきた失望が、セフィロスを納得させる。
そうとも、俺は元々孤独だったのだ。ならば何故、今更孤独を恐れるだろう。
ふ、と、洩れ出した笑みは静寂を揺らし、闇に響いて消えていく。セフィロスがその手から剣を離すと、からりと冷たい音が鳴った。
腰を落として、地べたに寝そべり、セフィロスは額を押さえて笑った。眩しいわけではなかったし、あまりのバカバカしさ、滑稽さに、涙が滲んできたせいだ。
誰にも見られていない場所で、セフィロスはこれまでの人生できっと初めて、心の底から腹の底から笑った。腹が捩れ、頬の痛みを味わうのも初めてのことだった。
親指と人差し指で目頭を押さえると、ぎゅ、滲んだ涙は珠になる前に瞼の裏に吸いこまれていく。静かに、細い息を洩らすと、セフィロスはゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした視界には、底知れない闇が重く横たわっている。それをぼうっと見つめていると、意識が吸いこまれていきそうだ。
奇跡を思い描くなら、それはきっと、たった一言なのだろう。誰かが自分を呼んでくれれば、自分を認めて自分を求めて自分を選んでくれたなら、この暗闇を消し飛ばすほどの『絆』を示してくれたなら、セフィロスは解き放たれて元の世界に戻れるだろう。
絆、という言葉から連想して、セフィロスはふと、顔も知らない女のことを思い出した。名前以外わからない、どこに居るとも生きているかも定かでない女のことを。
彼女の名は、ジェノバ。セフィロスの母親と言われる人物だ。
彼女なら、セフィロスをこの暗闇から救い出してくれるだろうか。深淵の奥底まで絆の光を細く垂らして、セフィロスの翳す手を拾い上げてくれるだろうか。
期待薄だ、と、セフィロスは思った。きっと彼女は、セフィロスのことなど気にも留めていない。でなければ、これまで何故自分は独りでいたのだろう。
金属に囲まれた冷たい部屋で、狭苦しいポッドの中で、彼女はたった一度たりともセフィロスの傍にはいてくれなかった。本来ならば、『親』というモノは如何なる手を尽くしても科学者たちの搾取から子供を守るべきだろうに。
「……………」
自分は、なんてことを考えているのだろう。これまで一度も、こんな恨みがましいことを思ったことなどなかったのに。
いや、本当はどこかで感じていたのだろうか。それを常に否定して、目を逸らしていただけなのだろうか。
もしやこの思考の偏向は、敵の策略なのだろうか。それともこんな暗がりで独りでいることの影響なのか。
狂わされるとはこういうことか、と、セフィロスは醜く頬を引きつらせた。きっと自分は奴の言う通り、このままここで無様に朽ち果てる他ないのだ。そう思うと、額に手を乗せたままセフィロスは目を閉じて、すう、と細く息を吸い上げ胸をゆっくり膨らませた。
冷たい地面に寝そべっていると、そのまま闇に溶け入って呑まれてしまいそうになる。いっそ、その方が楽かもしれない。ほんの微かな希望すらない失望と絶望に落胆するくらいなら。
急に悔しさが襲ってきて、セフィロスは奥歯を噛み締めた。
自分は今、我ながら不似合いだと思うほど気弱な思考に終始している。目を覚ませ、と、自分に言い聞かせるようにしてセフィロスは瞼を開けた。
セフィロスは、相変わらず暗い世界に囲われていた。苛々するほどの退屈さを噛み締めながら体を起こすと、セフィロスは地面に乗せた手を見下ろし、ある事実に気がついて段々と目を瞠いた。
ここには、一切の光はない。暗澹とした闇が存在しているばかりだ。
なのに何故、セフィロスには自分の姿が見えるのだろう。目が闇に慣れたから、いや、違う。きっと、この世界でセフィロスだけが光を纏っていたからだ。
孤独であるということは、自分だけが存在しているということだ。セフィロスは今、この世界で唯一の確かな存在、であるならば、神力の宿る宝剣の隠れ処としてはうってつけだ。
セフィロスは腕を伸ばして、転がっていた剣を再びその手に掴んだ。自分の胸元に右手を添えて確かめるけれど、鼓動は単独に進行していて、別段おかしな様子はなかった。
「……くだらない」
そう口にすることで、セフィロスはそこにある可能性を即座に斬り捨てようとした。しかし、目を逸らそうとしたところで一度意識した発想はそう簡単には消え失せない。
自分の中に、奴は本当にいるのだろうか。自分を傷つけようだなんて通常ならば思いつかない、けれど、それが奴の差金ならば有り得ない話ではない。
こんな所に俺を閉じこめたのは、そういう理由か。自害などできないだろうと高を括っているか、俺が自害すると察して別の場所に身を隠しているか。
ともかくも、今この手にある一本の剣が、セフィロスの最後の切り札であることに間違いはない。傷つける相手のいない世界で、虚しい時間に終止符を打てるのはこれだけだ。
セフィロスはそっと手を引き寄せて、その刃の煌めきをじっくりと観察した。このミッションの為におろした新品には刃毀れもなく、その刃には見つめるセフィロスの映し身が浮かんでいる。
この世界を終わらせるには、どうすれば良いだろう。これで心臓を貫くか、頸動脈を断ち切るか──。そうして終わるのは世界の方か、自分の命か。
セフィロスは、自身の首筋がぴくんと動き、それと同時に自分が笑みを浮かべていることに気がついた。
こんな場所に、腹を空かせて意識が薄れてしまうまで居座るなんてまっぴらだ。これで勝機が掴めるなら、易いものだ。
そう思ったセフィロスの手は、自然と自分の首筋へと横向きの刃を引き寄せていた。
失くすものなどなにもない。もとから俺は、なにも持ってはいないのだから。
得られるものもなにもない。手に入ったところできっと、それは俺の欲しいものではないのだろうから。
だとすれば、このままこの手を引くことに躊躇いが要るだろうか。ひんやりとした感触が首に伝わり、セフィロスは陶然と瞳を細めた。
切っ先から根本まで瑕ひとつないその剣は、セフィロスを救済する唯一の存在だった。艶やかな煌きと滑らかなその姿。それが、違和感だらけのこの世界でセフィロスが見出した、たったひとつの間違いだった。
■ ■ ■
「──それで、それはどこにある?」
顎の前で指を組み、痺れを切らしたように宝条は尋ねた。分厚いレンズの向こう側で彼の瞳がぎょろりと動くのを見下ろして、セフィロスは嘆息した。
セフィロスが左手を持ち上げると、なにもなかったその場所に一振りの刀が現れた。宝条はまず、その刀身の長さ、美しさに目を瞠った。
樋のない刀身は反りが深く、曇りのない刃は屋内の薄い光を集めて眩いほどに煌めている。彼の背丈よりも長く見えるその刀をセフィロスは危うげなく掴んでいて、宝条は喉をごくりと鳴らした後、指組みを解き自然と手を差し出していた。
「無駄だ」
驚愕と興奮を示す男を見下ろしながら、セフィロスは静かな声で呟いた。セフィロスの言う通り、濃黒の糸が張られた柄を渡そうとした瞬間、その刀は霞のように消えて失くなってしまった。
掴めなかった刀の為に伸ばした手を硬直させて、瞠目している宝条を見下ろしながら、セフィロスは言った。
「これはもう、俺のものだ」
セフィロスは、宝条への報告に不要な事実を差し挟まなかった。自分の不甲斐なさを知られたくないからではなく、教えるべきでないだろうと考えたためだ。
自分はこれから、幾千幾万の闘いを繰り広げることになるだろう。いつ敵になるとも知れない相手に、自分の手の内を晒しておくのは得策ではない。
素っ気のない簡潔な報告を、宝条は掘り下げなかった。そうしたところでセフィロスは決して答えないだろう、と、わかっていたからかもしれない。
「……興味深いサンプルだったんだがね、残念だ」
そう言うと、宝条はくつくつと肩を揺らして笑った。その言葉とは裏腹に、宝条は今回の結末に満足しているようだった。
手に入れた刀がセフィロスの掌に溶けこんで、セフィロスはそれを見下ろした後、ふ、と、宝条の前では珍しい無防備な吐息を洩らした。
ウータイの地中奥深く、セフィロスを闇の中に閉じこめたのは、魔術でもあり妖術でもあり、敢えて言うなら『呪い』ともいえる現象だった。その根源は、かつては神と畏れ敬われた力だったのだろうけれど、今やそれはセフィロスの手の中にある。
「後学のために聞いておこう」
報告を終え、踵を返そうとしたセフィロスに宝条が声をかける。首を横に傾けたセフィロスへと、眼鏡を直した彼は尋ねた。
「何故、剣が偽物だと気づいたのかね?」
宝条は、セフィロスの背中をじっと見つめていた。背中まである銀糸を揺らすこともなく、セフィロスはしばらくの間沈黙していた。
光も射さない深淵の中、たった独りでいたセフィロスは、自分が決して独りではなかったことに気がついた。誰よりもセフィロスを知り、誰よりも従順にその力を現実に示し出す者がいた。
その剣は、妖刀との戦闘で僅かなダメージを負っていたはずだった。孤独を象徴する空間に在ってはならないはずの相棒の存在、そして鏡のように美しく煌めく刃が、セフィロスを幻惑から解き放った。
「──俺は、誰も信じない」
宝条の問いに答える代わりに、セフィロスはぽつりと呟いた。
恐怖の感情に揺さぶられて、選択を誤りかけたことは事実だ。けれどセフィロスは、これまで自分を取り巻いていた誰も信用ならないのだと知った時、自分自身も例外ではないと考えた。
極限状態において、セフィロスは自分を殺そうと血迷った。それは刀に操られたわけでもなく、自分が確かにそう思ったのだ。
自分の命に執着などない。けれど、誰かの思い通りになるのは俺らしくない。──たとえそれが、セフィロス自身であったとしても。
「後学のために教えてやろう」
セフィロスは、一切を斬り伏せる。それだけの力と決意を、セフィロスは手に入れた。
握り締めた左手の中に、セフィロスは長い刀を喚び出した。濃黒の柄、長い刀身。ギラリと輝く妖しい煌きは、妖刀と呼ぶに相応しい。
「こいつの名は、『正宗』だ」
刀を軽く持ち上げると、セフィロスは、す、と口許に斜線を刻んだ。それを見た宝条は、何故か薄ら寒い心地になって、白衣を着た背筋がぞくりと震えるのを感じていた。
セフィロスが歩き出して、それを察知したセンサーが彼のために扉を開く。部屋の中からセフィロスがいなくなって、自動的に閉まった扉を見つめていた宝条は、にわかに肩を揺らし始めて、やがて部屋の中に大きな笑い声を響かせた。
腹が痛くなるほど笑って、宝条はズレた眼鏡を直す。くつくつと、笑みは未だ彼の喉に居座っていて、宝条は右手を伸ばすとコンソールを呼び出して、科学部門におけるS級機密情報へとアクセスを開始した。
「なるほど、実に興味深い」
宝条はそう呟きながら、セフィロスのデータを取り出した。そうして今仕入れたばかりの新たなデータを入力すると、愉快そうに口を歪ませ、エンターを指で叩いた。
妖しく煌めく刀を揮う最強の存在は、宝条の予言したとおり、その後誰とはなしに『英雄』と呼ばれるようになる。彼の登場によって完成した『ソルジャー』たちがウータイの脅威となり、神羅カンパニーの象徴となるのは、その後まもなくのことだった。