泡沫夢幻

死体描写有。

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 彼らの死体を発見したのはユフィだった。
 親に似たのだろうか、ユフィは昔から寝汚い性分で、予定の無い時は昼近くまでグッスリと眠ってしまうことが多かった。イタズラや悪巧みが絡んでいなければ、早起きをしたところで一文の得にもならない。大きな布団に大の字に寝転んで、チェホフに外へ掃き出されるまでユフィが自分から起き出すことはなかった。
 子供の頃はまだ空の暗い内から修行に連れ出されて、父親や五聖になにかにつけお小言を言われた。そんな生活にうんざりしたユフィは、十二歳になった頃に無理やり一人暮らしを始めた。
 そこでなら寝坊をしていてもガミガミ言ってくる者はいない。けれど時折様子を見に来たシェイクがユフィのだらしのない生活をゴドーに言いつけようとした。
 そうはさせじとユフィはシェイクを追いかけて、シェイクは自慢の早足でウータイ中を逃げ回る。そうする内に父親だけではなく町中にユフィの所業が知れ渡り、『またやってるよ』『相変わらずね』と皆の笑いを買った。
 愉快な毎日だと思った。愉快ではあったし平和でもあったけれど、つまらないともユフィは思った。
 ウータイは自然に恵まれた豊かな国だ。敗戦国の汚名を着せられた後も、人々は切磋琢磨し日々己の技を磨いている。
 しかしそれだけの腕があるなら、何故それをウータイのためにふるおうとしないのか。今尚神羅に抵抗する同胞たちを憐れみながら、『余計なことを』と嘆き毒づく父と五聖は、ユフィから見て意気地のない臆病者に見えた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」
 ウータイを発つ前にユフィは必ずダチャオ像に挨拶をする。ウータイを何十年も何百年も見守り続けた石像に、旅の無事と皆と己の健勝を祈願するためだ。
 今朝もシェイクと大立ち回りを繰り広げ、スタニフと道場で組手をし、チェホフの用意した朝食をぺろりと平らげたユフィは、船の出る前にダチャオ像に向かっていった。生憎の雨天だったがこの様子なら船は定刻通り出港するだろう。番傘を差しながらユフィは一人でダチャオ像へ続く山道を登っていた。
「あつい〜〜、けど、あと少し」
 湿気のせいか早足で歩いているせいか、ユフィはじっとりと汗をかいていた。風に舞う雨粒が肌を濡らして気持ちが悪い。けれどダチャオ様に挨拶をしないで行くのは気分が悪い。
 昨日の内に挨拶を済ませておくべきだったのでは、というスタニフの言葉を思い出して、腹立たしいがその通りだともユフィは思った。日の出ている内に終わらせていればこうして雨に塗れずに済んだ。しかし、出立の日に出向くことに意義があるのだとユフィは自分を奮い立たせた。
 雨に濡れた山道を登っていくと、林が左右にひらけて雄大な石像が見えてくる。街からでは薄もやに覆われてはっきりとは見えなかったが、ダチャオ像は今日も変わらず優しい笑みを浮かべていた。
「なに、あれ」
 ここに来るまで意気揚々としていたユフィの表情と声と心が俄に険しくなった。遠くまで見えるユフィの自慢の両瞳が、ダチャオ像の中腹にあるはずのないものを見つけた気がしたからだ。
 ユフィは番傘を右肩に乗せ、坂道を走り出した。何度も何度も登ってきた慣れた道に、雨の匂いと草の匂いと違う何かの匂いがする。
「ちょっと、嘘でしょ……!?」
 じっとりと汗をかきながら、ユフィはようやくダチャオ像の前の広場に辿り着いた。神聖で壮大なウータイの象徴の前に一人の男が倒れていて、その近くで燃える炎にブスブスとシュウシュウと雨が刺さって融けていた。
 そうしてユフィは彼らの死体を発見した。倒れていたのは見慣れない男。彼が死んでいることは触ってみるとすぐにわかった。近くにあった炎は、なぜ燃えているのかわからなかった。こんなところで焚き火をしていたのかと憤ったが、どうやら燃えていたのが薪ではないことに気づいて、ユフィは思わず悲鳴をあげた。
「きゃぁああ!!」
 燃えていたのは人間だった。肉が燃え落ち、骨だけになった手が炎に巻かれて揺れて見えた。
 咄嗟に逃げ出そうとしたユフィが、近くの地面に見慣れないものが落ちていたのを見つけた。
‪ 水たまりの上に転がっているそれは、雨を弾く鋼鉄でできている。研ぎ澄まされた刃の付け根、柄の部分に見たことのあるロゴマークが彫刻されていた。
「これって、神羅の……!?」
 ユフィは昔から、隙を見てウータイを抜け出す癖があった。終戦後に拾った神羅の端末を使って、ソルジャーを利用して珍しいマテリアを探していた。
 この剣は、例のソルジャーが持っていたものと同じだ。神羅のマークのついた剣が落ちているということは、今そこで死んでいるのは死体は神羅の人間なのだろうか。
 ユフィはゴクリと息を呑み、汚れた剣を握り締めた。一人で二つの死体といても気味の悪さが増すだけだ。ユフィは剣だけを回収して、人を呼ぶため街の方へと来た道を戻っていった。


   ■   ■️   ■️


 キサラギ家には代々伝わるお宝がある。かつての王家の宝飾品など高価なものは戦争の際に神羅に持っていかれたが、一見ガラクタに見える曰く付きの品々は奪われずに残っていた。
 ユフィはまだ半人前だとかで、多くはゴドーが管理している。ユフィ自身も父親の言うお宝の伝承をお伽話程度にしか認識していなかった。
 全てを燃やし尽くす太陽神や全てを洗い流す水神が、実在するなんて誰が思うだろうか。しかし実際に、雨が降っても消えない炎や、そんな炎も消してしまう水神の姿を目の当たりにして、伝説を現実と受け止めざるを得なかった。
 不知火と呼ばれる現象はユフィもよく目にしていたが、ウータイで生まれ育ったユフィにとってそれは当たり前のことすぎて不思議なものだと認識していなかった。チェホフの話では、太陽神の火は海の上だけでなく時々陸地にも現れるらしい。
 人々はそれを恵みの火として敬い活用してきたが、それに焼かれて命を落とした者もこれまで複数いたという。事故なのか神の裁きなのかはわからないが、今回の被害者がウータイ人でなかったことに人々は安堵した。
 これ以上太陽神が怒りを燃やすことのないよう、火を見つけ次第消して鎮めるのはキサラギ家の末裔たる者の使命であった。ゴドーは家宝の水神のマテリアを用いてダチャオ像のほとりの火事をたちどころに消してしまった。後には黒焦げの消し炭のような人骨の残骸と、雨に冷やされ冷たくなった男の死体が残された。
 船は出港したが、ユフィは予定の変更を余儀なくされた。鎮火の儀式を終えた後、ゴドーが名も知らぬ死体たちの葬儀を行うと言い出したからだ。
 自分には関係ないと突っぱねても良かったし、普段ならそうしただろう。けれどユフィは周りの予想を裏切って最初から最後まで葬儀に列席した。スタニフを始めとする男たちが死骸を運び出し、供養をして、火事を免れた一人を荼毘に付している間も、黙って周りについていき珍しく考えこんでいた。
 噂によると、彼らは学者でウータイの古い神について研究をしていたらしい。それが神の怒りに触れたのではないかというのが皆の見解だった。
 神の正体を探ろうなどと、愚か者のすることだ。神は神、いつだって敬い最大の礼をもって接するべきだ。
 それを履き違えた部外者が死んでも、誰も憐れむことはない。むしろ神の力の凄まじさに一層誇りを強めるばかりだ。
「しかし、一体なんだったんだろうな」
 ゴドーやスタニフは中央で酒盛りをしていて、街の人達も儀式のため集まってきていた。ユフィが子供の頃にもやはりこんな日があった気がした。名も知らない誰かが死んで、その葬儀のために皆が集まり、ユフィはタダで飲み食いできることに喜んでかめ道楽のフルコースをお腹いっぱい味わった。今日のユフィの皿にはあの日の半分も乗せられていなかった。
「見たか? あの死体、銃痕があっただろ」
 気味の悪い会話をする男たちは、決して大きくはない、けれど傍で食事をしているユフィには聞こえるくらいの声で話を続けた。あの死体というのは、今燃やされている男の話だ。彼は神の火に焼かれてはいなかったものの、ずぶ濡れの体からは大量に出血していて、それが致命傷であったことは明らかだった。
「人の国で殺し合いなんてやめてほしいよな」
「なにか見つけたんじゃないか? お宝の取り分を巡って仲違いしたとか」
 ユフィは、特性タレの染みこんだ鶏ももの唐揚げを頬張った。じゅわっと中から肉汁が染み出してきて、口の中が幸せなのに胸はどんよりと重たいままだ。
「まあでも、二人とも死んでちゃ世話ねぇな」
「今俺たちが世話してんだろ」
 そう言って男たちは笑った。ガリ、と衣を噛み砕いて、ユフィは肉の塊をごくんと飲み下した。
 ウータイでは通常、死んだ者は火葬の上墓地に埋葬される。昔はそのまま土葬していたらしいが、衛生的なこともあってか埋葬の前に遺体の焼却を挟むことになった。
 いずれにせよ、最終的には母なる大地に還してやるしきたりだ。しかし、神の怒りに触れた者を送りこんで再び怒りを買うわけにはいかない。よって今回は、遺灰を海へ流すことになった。
 支度が終わるまでしばらく待って、料理をあらかた平らげた後海へ突き出した崖へ向かう。いつの間にか雨は止んでいて、行列が移動するのも苦ではなかった。
 遺灰を運んだのはゴドーだった。陶磁の壺に入れて運んで、崖に着くと皆が手を合わせる前でなにやら神に祈り拝んだ。
「彼らの命をお返しします。何卒怒りをお鎮めいただき、我らの繁栄をお守り下さいませ、ませ」
 とかなんとか。よく聞こえなかったからわからないが、とにかくそういうようなことを言っていた。
 ユフィはというと、皆から外れて旅支度のまま海を見下ろしていた。ゴドーが撒く灰が風に紛れて散らばって、海に溶けていく様をそのまま黙って見つめていた。
 誰も泣く者はいなかった。死んだのは知らない人間なのだから当たり前のことだった。
 誰も彼らの名前を知らず、誰も彼らを憐れまない。けれど至極丁重に葬るこの一部始終が、滑稽で奇怪で不気味だとユフィは思った。
 儀式が終わるとめいめいは知り合い同士で街への道を下っていき、ゴドーもチェホフやスタニフと少し会話をした後、外れにいたユフィへと歩いて近づいてきた。
「お前も。よく最後まで付き合った」
 先刻まで五聖の長でキサラギ家の当主然として振る舞っていたのに、ユフィに向かってきたゴドーは、空になった陶磁の壺を小脇に抱えたまま父親の顔をしていた。空は橙に染まっていて、もうすぐ夕日が海を赤く染めるだろう。
「知らない人なんでしょ。こんなにちゃんとお葬式しなくてもよかったのに」
 ユフィは口先を尖らせたが、いつものように会話を拒絶することはなかった。ゴドーと話したいこと、聞いてみたいこと、確認したいことがあったからだ。
「死んだ人間のためじゃない。生き残った人々のためにするのだ」
 今でも、ウータイは太陽に造られた国だなどという伝説を信じる者たちがいる。太陽神が怒っていると感じると、彼らの心は平穏ではいられない。
 いつまでそんな昔の話にこだわっているのかと呆れはするが、そう信じる者たちに囲まれて育ってきたから、ゴドーの言う言葉の意味が理解できないわけではなかった。
「もしあれが、神羅の人間だったらどうするのさ」
 チラチラと周りを見て、ユフィは訊ねた。ここだけの会話にしたいと願っていることにゴドーは気づき、太い眉を寄せて言った。
「なにか知ってるのか?」
「知らないけど」
 ユフィはぶんぶんと首を振った。あんな奴ら見たことない。と言っても、一方は顔も見えないほど焼け焦げてしまっていたけれど。
 よそ者だし、神様の怒りを買うくらいなんだからろくな奴らじゃないと思って。そう言うとゴドーは、確かに、と言うように顎に触れて頷いた。図星を突かれて内心胸を高鳴らせていたユフィをジッと見つめたまま、ゴドーは続けた。
「だとしても同じことだ。生前なにがあったとしても、命に変わりはないからな」
 ゴドーにそう言われても、ユフィの納得はいかなかった。ユフィは、ウータイの人々は神羅によってたくさん殺され、ひどい目に合わされてきた。戦争が終わったからといって、一度ついた憎悪の火は水神にもそう簡単に消せるものではないはずだ。
「我々はそれでも、生きていかねばならんのだ」
 夕日を見るゴドーの横顔はいつもと同じクソオヤジなのに、その言葉はやけにストンとユフィの心に響いてきた。
 誰を犠牲にしても、なにが起こったとしても、貪欲に強欲に生きていく。正義がどうとか倫理にもとるかどうかなんて関係ない。それが、生き残った者たちの務め。重すぎて軽すぎて、わかりやすい命題だとユフィは思った。
「帰るぞ、ユフィ」
 壺を抱えたままゴドーは歩き出した。斜めの陽光は赤みが強くなってきて、父親の影を坂道の上に長く描いていた。
「アタシはまだ、用事があるから」
 崖の上に立ち、ユフィは荷物を背負ったまま声を上げた。当然ついてくると思っていたようで、ゴドーは振り返り怪訝そうに眉を寄せた。
 しかし、こんな場所にこの後どんな用事があるのかと問い詰めてくる様子はなかった。幼くして星中を飛び回るユフィの破天荒さは、ユフィの性格だけでなく当然父親の人間性にも原因があったのだ。
「落ちるなよ」
「落ちないよー!」
 両手に拳を握って大声で応えると、ゴドーはこれまた大きな声で笑いながら体を揺らして歩き去った。
 父親の見えなくなったのを確かめると、ユフィは小さくため息をついた。
 夕陽はもう随分海に近づいていて、紫色の雲が夜との境目を描いている。今日は結局一日を彼らのために潰してしまった。けれどそのことをユフィは別に恨んでも憎んでもいなかった。
 ユフィが見つけた二つの死体││銃創のあった男の目は黒かったらしいから、剣の主はきっと燃えたもう一人の誰かだろう。それともソルジャーの目の色は死亡と同時に黒くなるものなのだろうか。知らないし興味も特になかったが、とにかく彼らが神羅カンパニーの関係者であったことに間違いは無いのだろう。
「あんたたちが誰だかは知らないけど」
 ユフィはそう言いながら荷物の下に隠していた拾った剣を取り出した。それにはしっかりと神羅のロゴが刻まれていて、改めて見てもソルジャーが使っていたものであることは確かだった。
「あんたたちの││トモダチには世話になってるから」
 ウータイは神羅との戦争に負けた。最近では反神羅組織の拠点が出来、ユフィはそこで様々なお宝や一部のソルジャーの個人情報を入手した。
 彼はユフィの綿密な計画通りに星のあちらこちらからお宝を回収してくれる。そんな人の好い男もいるのかと、少しは神羅を見直した。だからこれはその礼代わりだ。
「別に、神羅を許したわけじゃないんだからね」
 誰へともなくそう言って、躊躇う気持ちを懐柔した。今一度周囲を見渡して誰も見ていないことを確認すると、ユフィは両手にギュッと力をこめ、握り締めていた神羅の剣を手放した。
「さよなら、ソルジャーさん」
 冥福なんて祈ってあげない。死にたいと思っている人なんていないから。
 誰にも教えてなんてやらない、死人を蔑み疎んだところで誰も幸せにはならないから。
 だからユフィは義理を果たした。そうすることで貸しも借りもチャラにした。
 故郷の大地、しかも神聖なダチャオ像の目の前を血と汗と泥と灰とで汚された貸し。頬に傷のあるソルジャーをこれまで何度も巻きこんだ借り。
 ユフィの投げた剣は岩壁に当たることもなくそのまま海へ溶けていった。波に紛れて夕陽に送り届けられるか、海底でそのまま朽ちて星の一部になるだろう。
 ふう、とまたため息をつくと、ユフィは組織のアジトで拾った携帯電話を取り出した。お宝情報を送ったら、またあのソルジャーは付き合ってくれるだろうか。
 出立は明朝。連絡はまた明日改めてすればいい。
 そう納得すると、ユフィは旅支度を担いでウータイの街へと急いだ。明日もまた、ダチャオ像に会いにいかなくてはならない。明日もまた、彼らはいつもと同じ笑顔でそこにいるだろう。今日一日の出来事も今朝は確かに居た彼らの存在も、記憶して見守ってけれど決して気に留めぬまま。

【 END 】