かくて烏の夢と知りせば<01>
あれはもうどれほど前のことだっただろうか。カンセルはミッドガル近郊でウータイの偵察兵を捕らえ、逆に彼らの拠点である基地の情報を得たことがある。
それは、均衡状態が長く続いていたウータイとの戦争に僅かな優勢の見られ始めた頃だった。神羅はその機会を逃すまいと、負傷していたソルジャークラス1stまで動員して事態の進展を図った。
しかし、そのソルジャー──ジェネシス・ラプソードスは、仲間である他のソルジャーたちを連れ立って姿を消した。ウータイ兵との戦闘に敗北を喫したのではないかとの見方もあったが、諸々の状況を鑑みるに、彼らは神羅に造反し失踪したのだと結論づけられた。
それ以上の混乱を避けるため、神羅は英雄セフィロスを最前線に配置した。そしてカンセルの持ち帰った情報を元に、作戦が展開された。
少数精鋭のソルジャーが陽動を行い、混乱した基地に神羅兵の大群を率いた英雄が一気に攻めこむ。そうしてタンブリン砦は制圧され、ウータイの敗戦は決定的となった。
作戦には、ソルジャー部門統轄のラザードも参加した。それは新たなソルジャークラス1stを選定するためだった。
昇格したのはザックスだった。作戦以降姿を晦ました元クラス1stアンジールの推薦もあったし、砦での陽動活動が高く評価された。
同期として、カンセルはそれを心から喜んだ。羨望などなかったし、恨めしさも微塵も無かった。
けれど、本当にそうだろうか。心のどこかで、彼の活躍も自分の諜報活動のお蔭だと驕る気持ちが無かっただろうか。
そんな可能性を、カンセルは即座に否定できた。だからカンセルはいつも通り振る舞うことができていた。
しかし、いつも通りを振る舞っているという時点で、カンセル自身どこかに違和感を覚えていたのかもしれない。ラザードがそのことに気づいていたか今となってはわからない。けれど彼は、カンセルがウータイの残党狩りの報告を終えた時、他の幹部とは違う篤実な姿を見せた。
「1stの件、すまなかったね」
もしもマスクを外していたら、カンセルは間抜けな表情を上司に見せていたかもしれない。理解の遅れていたカンセルに、ラザードは続けて言った。
「皆の士気を上げるためにも1st拡充は急務なんだが、ジェネシスとアンジールの件があってから、1st昇格は慎重になるべきだとの意見が出てね」
ようやくラザードの真意に気づいて、カンセルは、ああ、とため息を洩らした。
内々の話ではあるが、ウータイの機密を複数齎したカンセルにも、クラス1stへの昇格の話があった。1stへ昇格するには既に1stである者の推薦を得るのが通例だが、相次ぐ1stの失踪や終戦のゴタゴタの中で、昇格の話自体が曖昧になってしまった。
立て続けに1stが造反したことはプレジデントの怒りを買ったが、セフィロスがウータイを平定したことで部門としての面目はなんとか保たれたらしい。しかし幹部の中では『ソルジャーはセフィロスだけで十分だ』という意見が出ているとも聞く。ギリギリ滑りこんだザックス以降、クラス1stが増員されなかったとしても不思議ではない状況だった。
「大丈夫ですよ。あいつは優秀な男です」
統轄の懸念を察知して、カンセルは努めて鷹揚な態度で応えた。
自分も1stになれるかもしれなかった、それを思えば残念に思う気持ちが無かったとは断定できない。けれどザックスのことを言う時、カンセルは誇らしい気持ちになった。同期のソルジャーとして、ザックスのことは身近に感じていたからだ。
「あいつが心置きなく剣を揮えるように、地ならしをしておくのが俺たちの役目ですから」
2ndは、戦線に立つことこそ少ないものの人探しから暗殺まで様々なミッションを与えられる。それらは主に前線にいる1stを補佐し支援するためのものだ。
実直に任務をこなしていけば、それが今後もラザードの、ザックスの役に立つだろう。カンセルはそう確信していたし、そうしていけるだけの自信があった。
それをラザードに宣言することで、異論のないことを伝えようとした。誠実で従順な理想的なソルジャーであろうとした。
統轄の席に腰掛け前に立つカンセルをジッと見つめて、ラザードは、ふう、と意味深げなため息を吐いた。その反応はカンセルの予想に反するものだった。
「君は、少し自分を卑下しすぎる」
思いがけない発言に、カンセルは再び言葉を失った。魔晄を浴びた者とは違う、非戦闘員であるラザードの瞳は眼鏡のレンズの向こう側からしっかりとカンセルを射竦めていた。
「君の能力が必要になる時が、きっと来る。その時を、方法を決して間違わないで欲しい」
若くして統轄に抜擢されたラザードは、優秀な男だった。けれどそれは会社という組織の中でならばの話で、戦闘においては魔晄の恩恵を受けている自分の方が優位であると判断していた。
けれどこの日、ラザードは剣よりも的確に、銃よりも繊細にカンセルの胸を劈いた。その手口は余りにも華麗で流麗だったから、カンセルの心は防備するのを忘れてしまった。
「覚えておきなさい。君は誰よりも……例えば、セフィロスよりも勇敢な男だよ、カンセル・ヘイジー」
カンセルは、ごくりと呼吸を呑んだ。
名前を呼ばれるのは久し振りだった。だからだろうか、ラザードの言葉はカンセルの心に、脳に刻みつけられ、呪いにも似た言霊へと変化を遂げた。
買いかぶりだ、と、カンセルは思った。上司に、統轄にそう言ってもらえるだけの理由がない。
事実カンセルは、ソルジャーとしては未完成だった。確かに魔晄を浴びたのに目の色は黒いままで、実戦経験も不足している中途半端な存在だ。
けれどラザードが、慰めでもなく励ましでもなく確信しているようだったから、否定も疑問視もできなかった。彼の言う『その時』がいつか来るということを覚悟し、納得し、許容する他なかった。
「……ありがとうございます、統轄」
絞り出すようにそう応え、カンセルはぎゅっと握り締めた指を緩めた。そうすると大分呼吸が楽になり、彼の呪縛は静かに確かにカンセルの体に馴染んだ。
カンセルは自分を冷静な男だと思っていた。冷静で堅実で現実的な人間だと考えていた。
けれどこの日、確かに火は点けられた。その火はラザードが、ザックスがいなくなってからも消えることなく、ソルジャー部門が治安維持部門に吸収され、カンセルの立場が変わって以降も密かに燻り続けていた。
■ ■ ■
ラザードの言ったことが正しかったかどうか、カンセルにはわからなかった。しかし、勇敢という言葉から想像するスタイルとは少し違っていたけれど、確かにカンセルはなににも物怖じすることなく日々を過ごしていた。
例えば戦争終結以降活性化したレジスタンスを殲滅する時も、人々を苦しめる凶悪なモンスターを退治する時も、そして、常人では決して耐えられないような魔晄に浸かる時でさえ、その心には闘志にも似たような熱い想いを宿していた。
友人を──きっとカンセルにとってこの世界でたった一人の特別な男を連れ戻し、スラムの片隅で信じて待つあの娘に逢わせるために、カンセルはどんなことでもできていたし、その事実を既に数年誰にも知られず隠匿し続けていた。
カンセルの真意に気づいていたのは、きっとただ一人だけ。けれど彼──彼女もそのことについて深く追及はしてこなかった。
詳細を知られては相手に危害が及ぶ可能性があった。だからカンセルははぐらかし、彼女は誤魔化されたフリをしていた。
そういう関係を築くことができたことにカンセルは感謝して、情報屋としての彼女の能力を他よりも高く評価していた。
「今日は、この後は?」
ミッドガルの下水にあるというレジスタンスの拠点箇所にマークをして、カンセルは地図を畳んだ。自身の経営するジムのリングの縁に腰掛けそれを見守っていた情報屋が、組んだ足を揺らして訊ねた。
「本社に戻るさ。仕事がまだ残ってるんでね」
時間を確認すると、既に夕暮れだった。少々長居をしてしまった、とカンセルが地図を仕舞って立ち上がると、傍からため息の音が聞こえてカンセルは顔を上げた。
「あなた、いつからそんなつまらない男になったの? レディが誘っているのがわからないのかしら」
そう言うと、彼女は口紅の塗られた艶めかしい口唇をツンと尖らせた。大人の女性らしからぬ可愛らしい反応ではあったが、組まれた足の付け根の方に器用に隠されているモノの存在を知っていたから、カンセルはなんだかおかしくなって思わず笑みを洩らしてしまった。
「誘うなら、もっと脱ぎやすい服の時にしてくれよ」
「いっつもそのカッコのくせに」
カンセルの冗談に彼女も軽口で応えた。オフでなかったカンセルはこの日も剣を背中に背負っていて、がっしりとしたソルジャーマスクを目深に被っていた。
二人は長い付き合いではあるが未だ一線を越えていないし、きっとそれを越える日は今後も来ないと確信していた。利用し利用される以上、ギブアンドテイクでいた方が良い。それに、ウォールマーケットのムッキーたちを取りまとめる経営者と、名も知られぬ一介のソルジャークラス2ndが関係を深めたところで、新聞の三面記事にも売り込めやしないだろう。
笑う口許を直すようにカンセルがマスクの角度を整えると、情報屋は客を送り出すためにリングから飛び降りた。
「まぁ、あまり根詰めないで。たまには遊んだ方がいいわよ」
セミロングの髪を耳に掛けて、彼女は言った。
二人の馴染みの密会所である居酒屋には、ボトルをキープしたままでいる。前にそこに行ったのは随分前のことではあるが、彼女はその間も呑み進めずに待っていてくれているのだろう。
「心配してくれるのか?」
「そりゃあね。死なれたら困るわ」
確かにここ最近、カンセルは彼女への連絡を怠っていた。ジェネシスコピーと思われる集団が目撃され、その対応でミッドガルを離れていたからだ。
「俺の心配より、自分の心配しておけよ」
「あんたの心配なんかじゃないわ。お得意様が消えて、収入が減ったら嫌だもの」
現金な相手の答えに、カンセルは思わず苦笑を洩らした。さすがと言おうかなんと言おうか、スポーツジムという表稼業の傍ら、星の各地にムッキーを派遣している情報屋は十分肝が座っている。スラムの荒くれ者たちをいなす力も持っているし、女のようにしなやかで男のようにしたたかだ。
「努力はするけどな。万が一があった時は、ムッキーにでも慰めて貰えよ」
「やめてよ。想像するだけでゾッとするわ」
彼女はそう言って、粟立った腕を撫でる素振りを見せた。何人ものムッキーを束ねていながら、彼女の彼らに対する扱いはいつもぞんざいだ。
「あんな奴らより、ちゃんとしたダーリンに抱き締めてほしいわ」
「へぇ、どんな?」
彼女の理想の男性の話を聞くのは、これで何度目になるだろう。今度の会話も、カンセルを愉快にさせて和ませてくれることだろう。
「押しが強くて紳士的で、私の全てをガッチリ受け止めてくれるオ・ト・コ。あなたも、もうちょっとワイルドだったら考えてあげるんだけど」
「遠慮しておく」
「意気地なし」
カンセルは苦笑したが、確かに自分は真面目で詰まらない人間だろうとも考えた。頻繁に繁華街を訪れておきながら『女女女』の看板で有名な蜜蜂の館を覗いてみた試しもなく、むしろ女装趣味の男の店に入り浸り、かといって彼らとハメを外すこともなく行方不明の男に固執しもう何年も操を立てているのだから。
「じゃあ、またね。なにかあったら連絡するわ」
情報屋は顔の傍で手を振ってカンセルに科を作った。化粧をした男の媚を不快だとは思わなかった。彼女も既にカンセルにとって一人の大事な友人であったからだ。
また近い内に、と言い置いてカンセルはジムを後にした。ウォールマーケットの派手なネオンサインは、カンセルの愚直さを嗤うようにテカテカと煌めいていた。
セフィロスとザックスの殉職が発表されて、もう四年が経とうとしている。カンセルは日々彼らの痕跡を探し続けていたけれど、核心に迫れるものはなにひとつ手に入れていなかった。
先日、ミッションで近辺を訪れた際にニブルヘイムへも立ち寄ってみた。しかし村人たちはごくごく平和に生活していて、数年前になにかがあった様子もなかった。
ハイデッカーが上司となって以降も、カンセルはこれまでと変わりなく堅実に任務を遂行していた。その姿勢はハイデッカーを苛立たせはしなかったが、評価されもしなかった。
ハイデッカーは驕傲な男で、部下はぞんざいに扱うくせに、更に上役であるプレジデントには頭の上がらない男だった。プレジデントの機嫌を取るためになんでもしたし、ハイデッカーの機嫌を損ねた部下に対して虐待を働くことも多かった。
カンセルの後輩であるルクシーレは、ハイデッカーにうまく取り入っていたようだった。自分の野心の為、他人に諂うことを躊躇わないその態度には素直に感心する。
けれど、セフィロスの殉職以降──もっと遡ればザックスの昇格以降、クラス1stが選出されることはなかった。
「今日は、宝条博士は?」
ウォールマーケットの情報屋を後にして、カンセルは真っ直ぐ神羅ビルへと帰還した。今日は、科学部門の魔晄耐久試験の日だった。カンセルはもう何年も前から、彼らの研究に力を貸していた。
「博士は今日は、別のプロジェクトに関わっていて……」
サンプルポッドを管制するコントロールルームには、一人の研究員しかいなかった。最近はいつもそうだ。目立つ変化のないサンプルに宝条の興味が薄れていることは明らかだった。
けれどそれはカンセルにとっては好都合だった。研究員はカンセルの協力を得るため恐縮しているし、そんな相手を手玉に取ることはカンセルにとっては容易なことだった。
「いつでもいいぞ」
ふ、と柔い笑みを浮かべると、カンセルはマスクを外した。サンプルポッドの中に立ち、いつものように瞼を閉じたカンセルの耳に、マイク越しの研究員の安堵のため息が聞こえた。
「それでは、実験を開始します」
マイクの音が途切れると、ポッドにロックがかかり、カンセルの肌がじんわり温かくなる。魔晄照射が始まって、閉じた瞼の向こう側が薄緑色に染まっていく。
瞳は黒いままのはずなのに、視える景色が魔晄色なのはおかしなものだとカンセルは思った。その経験にも随分慣れたが、今回もまた眩い魔晄はカンセルを一気に非現実の世界へと引きずりこんだ。