さては烏の跡ぞ知られじ<01>
神羅ビル49階ソルジャーフロアでカンセルはエレベーターを飛び降りた。
カンセルの定期検診が中断されて間も無く、カンセルを含む全てのソルジャーに神羅関係施設から脱走した実験サンプルの抹殺指令が下った。標的は二名、一人は黒髪のソルジャーで、警備にあたっていた神羅軍兵士を殺害して逃亡中らしい。
──ザックスだ。カンセルにはすぐにわかった。
数年前ニブルヘイムで忽然と姿を消した二名のソルジャー──。殉職と報じられていた二人は、やはり生きていたのだ。
現地へ向かうよりも先に、カンセルは本部となるブリーフィングルームに向かった。他のソルジャーたちの動向を知っておこうと思ったのだ。
ソルジャー部門にはこの数年の間に補充されたメンバーも多い。彼らは素直に命令に従い、ターゲットを抹殺しようとするだろう。
そうはさせない。カンセルは今明確に命令違反を企てていて、そのことにはたと気づいて思わず顔をニヤつかせた。
余計なことをすることも多かったが、カンセルはこれまで会社の指令には忠実でいた。そんな自分はこんなにも簡単に背任できる男だったのか。
カンセルの実直さを上層部はそれなりに評価していた。クラス1stでこそなかったけれど、古株のソルジャーとして重用される機会もあった。
そんなカンセルの静かな造反に、まだ誰も気がついていなかった。まさに今、ブリーフィングルームを飛び出してきた男だけは別として。
「カンセルさん!」
急な号令に慌てたソルジャーたちの行き交うフロアで、彼は目敏くカンセルを見つけ出した。そのまま駆け寄ってくる男を待ち受け、カンセルは息を呑み急いでいた足を止めた。
そうだ、この男がいた。カンセルたちの後輩で、ザックスにもよく懐いていたソルジャー、今はクラス2ndに昇格したルクシーレ。
戦闘力こそ凡庸だが、彼もカンセルと同様頭脳タイプのソルジャーだ。今では立派な中堅として、クラス1stへの昇格も遠くはないと言われている。
「ダメです。まだなにもわかってません」
ルクシーレもカンセルの目の色を知っていた。カンセルを欠陥品と軽蔑していたはずだ。
それでも彼はこの非常時に、カンセルの欲しい情報を小さな声で報せてきた。その意味に、理由に、目的にカンセルは一瞬で考えを巡らせた。そうか、と相槌を打つより先に、ルクシーレはカンセルにやはり小声で問いかけた。
「連絡は来てないんですか?」
ソルジャーたちは緊急招集に色めき立っていた。フロアを歩く仲間たちの邪魔にならないよう脇へと反れたカンセルにルクシーレはついて来た。
「いや。そっちは?」
やはり小声でカンセルが訊ねると、ルクシーレは首を振った。その反応はルクシーレの脳内にある男の姿をカンセルに見せた。
ルクシーレはザックスに懐いていた。腹の中にどんな思惑があったにせよ、ザックスに注目し気にかけていたのは事実だ。
そんな彼がカンセルと同じ直感を抱いたとしても不思議じゃない。だからカンセルはゴクリと喉を鳴らして、確かめてみることにした。
「お前はどうする?」
ジッと見つめるカンセルの視線からルクシーレは眼を逸らさなかった。魔晄の宿らない黒い双眸を軽蔑していたはずなのに、カンセルがそうしたようにまっすぐにカンセルを見つめて返す。
「一緒に行きます」
静かに響くその声には彼なりの覚悟が織り込まれていた。カンセルがなにをする気かこの男は理解っている。そう実感したカンセルの背を冷たいものが這い降りて、その直後、今度は熱いものがこみ上げてきてカンセルは強く拳を握った。
「………行くぞ」
カンセルはそう呟くと、ブリーフィングルームに寄らずにエレベーターへと逆戻りした。小走りについてくるルクシーレの足音がやがてカンセルに重なった。
カンセルには確信していた。もう二度とここには戻ってこれなくなること、そしてそれはすぐ後ろを歩く男も同じであること。
けれどそれを惜しむ気持ちはもはや無かった。自由を選ぶなら代償が必要だ。カンセルはそのことをよく理解していたし、捧げる相手はとうに決まっていたからだ。
■ ■ ■
何度メールを送っても、ザックスからの返信はなかった。ルクシーレも送ったようだが、やはり返信は来ていないらしかった。
しかしその事実は、逃げたというサンプルがザックスであるという可能性をより強める要素となっていた。何年も前に殉職したはずなのに、彼のメールアドレスは未だ生きている。そして──いくらザックスが単純で浅慮な男だとはいえ──逃走中の身で記録に残る連絡手段を使うとは考えられない。
ソルジャーの通信網は当然ながら神羅が管理している。だからカンセルたちの連絡も傍受される可能性があった。
この広い星の上で、カンセルたちはたった二人でたった二人の男たちを探し出さなくてはならなかった。
『抹殺なんてさせません。俺たちで必ずザックスさんを見つけましょう』
本社を出ると、ルクシーレは周りの目を気にせずに熱い想いを打ち明けてきた。カンセルも同じ気持ちで、けれど多分そう思う人間はソルジャーの中では他にいなかった。
ザックスを探してミッドガルを旅立つと、カンセルとルクシーレは海を渡った。同行者を極力減らすため、あえてスキッフは使わなかった。
道中、運搬船を利用したカンセルは『次にこの船に乗る時はこうも簡単にはいかないだろう』というようなことを考えた。そんな日が今後本当に来るのかどうかは別にして。
コスタ・デル・ソルを燦々と照らす太陽が軒先をキラキラと輝かせている。カンセルは影に入り、木組みの壁に凭れて立つと開いたモバイルを更新してソルジャー部門のネットワークにアクセスしていた。
サンプルが脱走して、既に三日が経つ。標的は未だ逃亡中で、神羅は彼らの動向を把握できていない。
居場所どころか名前、容姿についても詳しいことはわかっておらず、彼らがうまく逃げていることにカンセルが安堵したのも束の間、本部からメールが届いてカンセルはびくりと首を竦ませた。
「おっと」
掌の中でバイブしたモバイルを操作する。新着メールを読んだカンセルの表情が強張った。
「………これは………」
「カンセルさん」
コスタは西の大陸の玄関口で、有数のリゾート地だ。街には神羅経営のものから民宿まで大小様々な宿泊施設があり、路地に入ればいかがわしげな店が並び若者や荒くれ者のたまり場になっている。
大陸を渡る手段は限られていて、通常は港から出る神羅の運搬船を使用する。記録上標的が渡航した形跡はなく、しかし命を狙われている彼らが正規ルートを使うとも考えられなかった。
移動手段があり、人も潜伏先も多い。合流するならこの街だとカンセルは考えていた。そしてザックスならまだしも、彼と共に行動しているはずのもう一人のサンプル──かつて英雄と呼ばれたソルジャー、セフィロスなら同じように考えるだろうとカンセルは期待していた。
「ダメです、ここもハズレでした」
Tシャツにジーンズ姿のルクシーレがバルを出てカンセルへと駆け寄ってきた。瞳を隠すための大きめのサングラスもコスタの街に馴染んでいて、誰も彼がソルジャーであるなどとは思わないだろう。
カンセルの変装は簡単だった。マスクを脱ぎ、私服に着替えればそれで済む。久しぶりに軽い頭をゆるりと振ると、はぁ、とカンセルは深いため息を吐き出した。
「どうしたんです?」
カンセルの異変に気付いてルクシーレが声を掛ける。自分のモバイルを後ろのポケットにしまいながら、カンセルは顎をしゃくって促した。
「メール見てみろ」
カンセルは神羅を抜けるつもりだった。しかしその事実はまだ上層部に知られていない。二人の携帯には今現在も本部の機密情報が配信される。カンセルはその利便性をもうしばらく活用する予定だった。
「金髪……セフィロスさんじゃない……?」
最新の発表を確認して、どうやらルクシーレも同じことを考えたようだ。顔を上げて瞠目するルクシーレに、カンセルは頷いた。
逃走したサンプルのうち、一人は負傷、重体の模様。彼もソルジャーで、金髪のツンツン頭が目印らしい。
カンセルとルクシーレは、てっきりザックスがセフィロスと同行していると思っていた。数年前行方不明になったソルジャーは二名、今回脱走したサンプルも二名。同一人物と思うのが自然だ。
しかし、一人がセフィロスでないとわかってからも、もう一人がザックスであるという二人の確信は揺るがなかった。新たな報告に上がってきた金髪の男に明確な心当たりがあったからだ。
「けど、手負いじゃまともに動けないだろうな」
カンセルとルクシーレは、以前ザックスとその友達である少年と呑んだことがある。チョコボのような髪型をした田舎出身の神羅兵だ。
金髪の『ソルジャー』だという報告が気になるが、そういえばザックスがいなくなって以降、あの少年にも会っていない。カンセルの胸に、謎が深まっていくような同時に解けていくような不思議な気持ちが広がっていった。
「心配ですね」
カンセルは腕を組み、顎に触れながら考えを巡らせていた。携帯電話をパタンと閉じてルクシーレが呟いた。
「でも、チャンスですよ」
彼の言葉にカンセルは顔を上げた。見つめる瞳で続きを促すと、ルクシーレは笑って言った。
「対象が負傷したとなれば、しばらくはこれ以上の増員はされないはずです。今のうちに早く二人を見つけましょう」
カンセルはルクシーレを疑っていた。疑う、と言うよりも未だ信じていなかった。
ザックスを見つけた後、ルクシーレがどうするつもりか確信できていなかった。助けようとは言っていたが、それはブラフで彼らを見つけ出し任務を遂行するかもしれない。
口ではどうとでも言える。今のカンセルがそうしているように、ルクシーレも嘘をついているのではないだろうか。
ルクシーレはカンセルの知る中でも人一倍向上心があり、言い換えれば出世欲が強い人間だった。クラス1stへの昇格に執着している風もあった。そんな彼が、おいそれと神羅を裏切ることなど出来るだろうか。
「ああ、そうだな」
ここまで行動を共にして、ルクシーレの言動に違和感は感じなかった。固執していたソルジャーの瞳を隠し、カンセルの背任を知りながら本部に通報することもなく率先して協力している。
それでもカンセルは、目の前にいる仲間以上に自分の感覚を信頼していた。それはカンセルがこれまでの人生で培ってきた経験と実績に裏打ちされた根拠のない勘だった。
「目立つ二人だ、見かけたら必ず手がかりが残るはずだ」
ルクシーレがザックスを殺すのか、見逃すのか──。どちらにせよ彼と合流しなければ始まらない。
健康なソルジャーなら三日もあればコスタまで移動することもできただろうが、負傷者と一緒にいてはそう簡単にはいかないだろう。
ザックスはどこにいるか、ザックスならどこへ行くか──。思案するカンセルに、ルクシーレが切り出した。
「ゴンガガに行ってみませんか?」
二人の近くを水着姿の若い女性が二人で連れ立ち歩いていった。しかしカンセルもルクシーレも魅力溢れる彼女たちに全く見向きもしなかった。
「ニブル村からも近いですし、ここまで来るのは無理でも、そこまでなら移動できるかも」
クラス1stに昇格する方法は二通りある。セフィロスに匹敵するような目覚ましい功績を上げるか、既に1stであるソルジャーに推薦をもらうかだ。
ルクシーレはかつてザックスからの推薦を欲しがって彼に媚びへつらっていた。ゴマをすられているとも知らずにザックスは気を良くして、生まれ故郷の思い出をよく話して聞かせていた。
ザックスは優しい男だ。待ち伏せの危険性があったとしても、しばらく振りの故郷を気にして立ち寄る可能性はある、でも──。
「いや、それだと安直すぎる。怪我人抱えて無茶するほどあいつもバカじゃないだろ」
ソルジャーまで動員されている以上、一刻も早く彼らと合流すべきだ。その認識は間違っていないとカンセルは思う。
けれど、自分の存在が彼らを脅かすことなどあってはならない。彼らに危険が迫っているなら、それを除去できるのもまたカンセルだけなのだと思った。
「他に心当たりでも?」
カンセルの言い方が気に障ったのか、ルクシーレは拗ねたように眉を顰めた。つっけんどんな口調で訊ねるルクシーレを眇め、カンセルはニヤリと口隅を緩めてみせた。
今はまだ、ザックスにルクシーレを会わせるわけにはいかない。カンセルとは違って、ザックスはルクシーレを信頼している。そんなザックスをルクシーレに殺されるわけにも、ルクシーレをザックスに殺させるわけにもいかなかった。
「前に、あいつと話したことがあるんだ。色々落ち着いたらウータイに旅行にでも行こう、ってな」
相手が軍や新米ソルジャーなら、ザックスだけでもうまく立ち回れるだろう。けれど、こいつはそうはいかない。
こいつは、お人好しの田舎者を利用する術を知っている。そしてあのバカは、そんな人間がいることに気づいてもいないのだ。
「船を探そう。あいつが約束を覚えてれば、きっとそこにいるはずだ」
カンセルはそう言うと港に向かって歩き出した。ルクシーレは訝しげな様子だったが、カンセルが本気と知って次第に協力するようになった。
思慮深く、よく気がつき、目的のためには手段を選ばない──ルクシーレは自分に似ているとカンセルは思った。ルクシーレもきっとそう思っているのだろうと思った。自分と似ていると思うからこそカンセルを警戒し、信頼もしている。
彼がミスをしていたとするならば、その一点のみだった。