さては烏の跡ぞ知られじ<03>

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 モンスターを倒した後、二人は険しい山道を踏破してガイドの言っていた太陽神の祠を無事に探し当てた。
 崖の上から辺りを見渡したカンセルは、渓谷を挟んだ反対側の岩壁に不自然な影を見つけた。正気の沙汰でないと重々承知していたが、カンセルはルクシーレを説得するとその影目指して崖を回りこみ、ほぼ垂直な絶壁を下っていくと中腹に不自然な岩穴があって、中に入ることができた。
 どうやら人工的なその穴を降りた先の空洞に、人か獣か区別のつかない夥しい屍が転がっていた。骨を踏みながら進んでいくと巨大な壁画と祭壇らしきモニュメントに遭遇した。
 そこは確かに伝説にあった古の神殿、太陽の祠に相違なかった。しかし残念ながら、そこには太陽神の宝物もルクシーレの探し人もカンセルの探し物も見当たらなかった。
「お前、『謎の大空洞』って知ってるか?」
 カンセルとルクシーレが地下の岩穴から出てきた頃、外では雨が降り始めていた。始めは緩やかだった雨足は次第に強くなってきて、二人は最初に宿をとった街まで急いで戻ってきた。
 ここ数日の野営での疲労を癒すため、宿の風呂で汗を流すと二人は主人に傘を借りて夜の街に繰り出した。ウータイの街はミッドガルに比べれば規模の小さな繁華街だが、空腹の青年たちを満足させる店はある。
「一度行ったことがありますよ。北の大空洞の近くで発見されて、モンスターの巣窟になっているアレですよね」
 ウータイの銘店、かめ道楽は今夜も盛況だった。ミッドガルでは食べられない郷土料理と地酒の数々が地元民にも観光客にも愛されている。
 カウンターは常連客で埋まっていて、カンセルとルクシーレは入り口近くのテーブル席に腰掛けていた。ディナーを楽しむ談笑の声が外の雨音も二人の会話もかき消してくれていた。
「昨日、そこで大規模なエネルギーの暴発が観測されたらしい」
 ビールのジョッキに指をかけたルクシーレの目つきが変わった。
「詳細は計測不能。しかしあれだけいたモンスターは消滅して状況は改善。これから科学部門が本格的な調査に入るってさ」
 掌の中の携帯電話をポチポチと操作しながら、カンセルは続けた。戦後、電波塔が設置されたお蔭で郊外でないウータイの街なら神羅の電波も受信できる。久しぶりの情報収集に興じながら、カンセルはジョッキを傾け麦酒の爽やかな喉越しを満喫していた。
「最深部は1st以外立入禁止になってたはずですけど……、誰がやったんです?」
「わからねぇ」
 ミッションの達成者がもし今現在神羅に所属しているソルジャーなら、その実名を公表しない理由は特にないはずだ。ソルジャー部門統括を兼任する治安維持部門統括ハイデッカーは自分の手柄を殊更に自慢したい性格の持ち主だし、セフィロス不在で下火になっているソルジャーの久しぶりの功績を自分の手柄のように誇示したところで何ら不自然ではない。
 神羅の言う『不明』の意味は二種類ある。事実不明であるか、公表できないかのどちらかだ。
「『伝説のソルジャー』じゃないかって、噂になってるみたいだな」
 達成者不明と公表された理由は様々考えられるし、カンセルたちが地下の岩穴を探検している間に既にソルジャーや社員の中では一応の決着はついていたようだ。長年神羅を悩ませた謎の大空洞にまつわる問題を解決できる『伝説のソルジャー』に、カンセルは心当たりがあった。
「まさか……英雄が……?」
 ルクシーレは言葉を選び、周りの喧騒に織り交ぜるような小声で呟いた。普通はそう考えるだろう、とカンセルは思った。
 カンセルはなにかにつけ、ザックスと世界を結びつけてしまうきらいがある。それはザックスがカンセルの世界の主要人物であるからだ。
 しかし一般的には必ずしもそうではないし、そのこともカンセルは理解っていた。だからルクシーレの発想はもっともで、他の多くの社員やソルジャーも同じように考えていたはずだ。
「あり得るな」
 カンセルは頷いて、ゴクゴクとビールを飲み干した。香ばしい香りが喉から鼻に繋がって、ほろ酔いの気持ち良さがカンセルを楽しくさせた。
 連絡も寄越さず、ソルジャーや軍の捜索をかいくぐってどこにいるのかと思ったら、そんなところをうろついていたのか。ザックスらしいし、悪くない判断だとも思った。他の誰も寄りつかないような危険な場所なら、追っ手を撒けるし時間を稼ぐことだってできるだろう。
 同行しているはずの少年の容態が心配だが、そこはなんとかうまくやっているのかもしれない。少なくとも自分のこれまでの判断が間違っていなかったと実感り、カンセルは安堵した。微笑う口唇をごまかすようにカンセルは口元の泡を拭った。
「いらっしゃいませ〜。何名様ですか?」
 そうこうしている間に、かめ道楽には新たな客がやって来た。生憎と満卓だったが、『相席よろしいですか』と訊かれたカンセルは快く了承した。
 カンセルがついでに追加の酒を頼んでいる間も、ルクシーレは依然難しそうに眉を顰めていて、箸を持ち上げ塩ダレキャベツをつついていた。その隙にカンセルはザックスへメールを送ることができた。きっと返信はこないだろうとわかってはいたけれど。
「あれ。あんたたち、この間の……」
 カンセルたちは机の角を挟む形で腰掛けていた。その対角線上にやってきた二人の男は、カンセルたちが乗船していた船の同乗客だった。
 彼らはどうやら行商人で、ウータイの特産品を大陸で売り歩いて生計を立てているらしい。ファーストドリンクを注文した後、同卓となった親しみもあって彼らは気安く話しかけてきた。
「兄ちゃんたち、しばらく見かけなかったがどこに行ってたんだい?」
 ルクシーレは返答に困ったようにカンセルに目配せをした。それを見たカンセルは思わず口元をニヤつかせた。
 ハッキリと言葉にしたのを聞いたことがあるわけではないが、カンセルが思うにルクシーレは選民意識の高い人間だ。大陸人相手ならまだ愛想絵が良かったが、ウータイ人──かつて蛮族と呼んで敵対していた相手に対してうまくコミュニケーションできないのだろう。
「観光さ。船で聞いた、太陽の祠を探してたんだ」
 ルクシーレの代わりにカンセルが応えた。ちょうどその頃、注文していた清酒が届いてルクシーレはなにも言わずにそれをカンセルに注ぎだした。
「そりゃあ見つかるわけねぇよ。ウータイで生まれ育った俺たちだって知らねぇんだ」
 ルクシーレが後輩らしく振る舞っている一方で、男たちは声を上げて笑いだした。彼らの元にも注文した生中ジョッキが届いていて、四人は届いたばかりの酒で成り行き上乾杯をした。
「あんたたち、まさかお宝をかっさらおうっていうんじゃないんだろうな?」
 店の中でもサングラスをしているルクシーレは、なかなかに不審者だった。怪しむ男の態度はもっともで、カンセルは彼らの追及から逃れようと息を吐くように嘘を吐いた。
「俺たち、考古学の研究をしてるんだ。星命学とは違う独自の教義に興味があってな」
 暗いところで研究ばかりしてたから目を悪くしちまったんだ。無愛想な奴だが許してくれ、と言うと、男たちは納得したようだった。ルクシーレも少し気が楽になったようで、口唇を酒で湿らせ、ほう、と深いため息を吐いた。
「米の酒に不知火に……。この国じゃあ、初めて見るものばかりですよ」
 ルクシーレの無防備な呟きは、きっと他意などなかったのだろう。ウータイ特有の事象を称えて男たちの機嫌を取ろうとしたのかもしれない。
 しかしそこに、カンセルは欲しい情報への糸口を見出した。不自然にならないように注意しながら、カンセルは自慢の情報収集の手腕を発揮しようとしていた。
「あの灯がこの世に存在しないってのは本当かい?」
 陶製の器になみなみと注がれた清酒は、カンセルの舌をぴりりと焼いた。辛味のあとに甘みが口腔にじんわりと広がって、興奮なのか酔いなのかわからない高揚で体が静かに熱くなる。
「ああ。だがよくある話さ。ここら辺は不思議な灯にまつわる話はわんさかある」
 人の居ないはずの集落で光が揺れてるのを見ただとか、夜の山で道に迷うと不思議な光が街まで送ってくれるとか、眉唾ものの噂話を男たちは笑って聞かせた。ルクシーレはやはり半信半疑だったが、カンセルは火のないところに煙は立たないと知っていた。
「最近はどうだ?」
「さあ……。人死にが多かった頃にはよくあったが、最近はめっきり聞かねぇな」
 男はもう一人に同意を求め、聞かれた男も頷いた。ルクシーレをちらりと見ると、彼は残念そうに眉を寄せて首を小さく横に降った。
 どこに身を隠していても、必ず光が漏れるはずだ。不審な光の目撃情報がないということは、ザックスのことを彼らは知らないということだ。
「あんたら、ダチャオ様にはもうご挨拶したのかい?」
 思いがけない方向に話題が転換し、カンセルは男の方へ向き直った。男たちは届いたばかりの油淋鶏に箸を進め、油のついた口唇で続けて言った。
「俺らのご先祖を祀った像だ。神様と人間が仲良くしてたくらい昔のな」
 街を抜けてしばらく歩いたところに、岩山の斜面を削って掘られた巨像が並んでいる。太陽の祠でもその一部を見かけたが、ウータイでは岩を削る技術と芸術が盛んなようだ。
「時々、夜になると見えるのよ。ダチャオ様のところでチラッチラッてなにかが光っているのがな」
 カンセルはぴくりと眉を動かした。腹の底がムズムズして、サンプル脱走の第一報を聞いたときと同じような興奮が盛り上がってくるのを感じた。
「夜に参拝する奴なんていないはずだし、もちろんあんなところに火種なんてない」
 ダチャオ様が歩いてるんじゃないかって話だと言って男たちは面白がった。まさか、と返しながらカンセルは肩を揺すった。
 その後二人は酔い始めて、自分たちの商売の自慢や愚痴に花を咲かせた。いつまでも付き合ってはいられずに、切りのいいところを見計らってカンセルたちは席を立った。
 会計を終えて外に出ると、まだ雨は止んでいなかった。この調子だと明日もきっと雨だろうと予想しながら、カンセルは傘を開いて歩き始めた。
「やっぱり、ここにはいないんじゃないですか」
 店を出た途端、ルクシーレが切り出してきた。そろそろ言われるだろうと思っていたから、カンセルは特別動じなかった。
「どうします、これから──?」
 彼の中では既に意見は固まっていて、ルクシーレはそれに対するカンセルの反応を確かめようとしていた。元々ゴンガガに行きたがっていたルクシーレをだまくらかして連れ回していた手前、これ以上の無理はできないとカンセルはすぐに判断した。
「大空洞の件、気になるな」
 傘を差したまま神妙な声音で言うと、ルクシーレの雰囲気が少し緩んだ。
「セフィロスさんか、ザックスさんか……今いる1st以外に、そんなことができるのはあの二人くらいしかいないですよ」
 科学部門が動く前に確認した方がいいんじゃ、と、カンセルは早口にまくし立てた。彼はそれだけ焦っていて、ウータイに辟易もしている。カンセルにもそれは重々理解っていた。
「ボーンビレッジまでなら、船が出てたよな?」
「明日の夕方に出る便があるはずです」
 カンセルが同調したことに、ルクシーレは安堵していた。明日になれば状況は改善する、そう予感している相手の気持ちに漬け込むのに、罪悪感はなかった。
「行ってみるか。ただその前に、もう一箇所だけ寄らせてくれ」
 斜めになったルクシーレの傘から雨粒が垂れて落ちた。明らかに失速したルクシーレが反応するより先に、カンセルは畳み掛けた。
「ダチャオ像といえば、一番の観光スポットだからな。そんなところに潜伏してるとは思えねぇが……」
 カンセルの武器といえば、神羅の支給品がいくつかと神羅の機密に繋がる端末、そして自分の肉体と頭脳くらいのものだった。もう一つ、圧倒的に足りないものを自覚していた。そしてそれはこの国に必ずあるはずだった。
「どこかに隠れられるところがあるのかもしれない」
 ザックスを引き合いに出せば、ルクシーレは了解する他ない。可能性は低いけれど無いとは言えないのであれば、カンセルの要請に必ず応じるはずだった。
「……そうですね」
 しとしとと降る雨音の合間に、ルクシーレの許諾が響いた。カンセルは自然と笑顔になって、そして心からの謝意を覚えた。
 親愛なる後輩、ルクシーレ。俺はお前を殺そうとしている。お前がザックスに危害を加えるつもりなら、俺はお前を殺すことを躊躇わない。
 警戒していることだろう、苛々もさせているだろう。それでも、騙されてくれてありがとう。付き合わせてすまない。
 二人の靴はぐちゃぐちゃと濡れた大地に汚されて、やがてこうこうと灯を点す宿屋へと辿り着いた。雨の夜は真っ暗でダチャオ像はよく見えない。二人は互いに相手に言えない強い意思を抱えていて、それをぐっと呑み込んだまま朝の訪れを待つのみだった。