星逢い<02>
【 HOPE:UNKNOWN 】
夏の季節が、またやってきた。今日一日の仕事を終え、クラウドの荷物は軽くなった。
始めたばかりの運搬業は、快調な滑り出しだった。クラウドはこの日、補給物資を届けるため、大陸を渡ってボーンビレッジを訪れていた。
雲に隠された夕焼けが海に吸いこまれると、少しだけ世界は涼しくなる。波の運んできた海風も手伝って、日の照りつける昼よりはいくらか過ごしやすい。
けれど、一日中働いたクラウドの体には、それなりの疲労が蓄積されている。彼は服の中からモバイルを取り出して、若い都市にある馴染みの店へと電話をかけた。
店主であるティファは、クラウドの幼馴染であり、一年前の旅を共にした仲間でもある。彼女の切り盛りする店、セブンスヘブンが、クラウドの新しい居場所になっていた。
「俺だ。ごめん、遅くなった」
受話器の向こうには、賑やかな談笑の声が響いている。クラウドはフェンリルに寄りかかり、心配げに語りかけるティファの声に耳を傾けた。
「大丈夫。最後の仕事に、ちょっと手間取っただけだよ」
ストライフ・デリバリー・サービスは、バイクで行ける距離で展開している運搬業だ。クラウドの始めた新たな事業は、メテオ災害を乗り越えた人々のニーズにマッチしていた。
モンスターとの戦闘経験もあるクラウドのもとには、様々な仕事が舞いこんでくる。今夜の最後の仕事は、本来なら断って構わないものだった。
しかし、クラウドは元々、頼まれると断りきれない性格だったし、また、新しいパートナーを迎えたばかりの彼は、割のいい仕事で稼ぎをあげなければならない理由があった。
「…うん、わかってる」
手に入れたばかりの愛車に手を添えて、クラウドはこくりと頷いた。
そもそも、今夜は早く帰るように言われていたのだ。疲労と、適度な空腹感も感じている。マリンもデンゼルも、待ちくたびれているらしい。
しかし、帰宅を急かすティファに、クラウドはあまり乗り気でなかった。ああ、とおざなりな返事をして、彼はそっと、夜空を見上げた。
「今日は…、帰れないかもしれない」
今日は、夜から雨になると報じられていた。予報は、クラウドの期待を裏切ってはくれないようだ。
夕陽を隠した雲は分厚く、空を覆ってしまっている。湿気の多い空気が、雨の予感を匂わせていた。
「マリンとデンゼルに、よろしく言っておいてくれ」
薄いモバイルの向こうから、ティファの叱責が聞こえた。苛立ちと、ほんの少しの悲痛さが彼女の声を曇らせるから、クラウドはそれを聞きすぎてしまわないように、短い動作で通話を切った。
この仕事を始めるようになってから、様々な場所を訪れ、様々な人々に出会うようになった。クラウドは季節の行事に疎い人間で、この日も、別段意識していたわけではない。が、ある家庭の窓際に揺れる笹の葉を見つけ、クラウドにそう遠くない夏の日の記憶が甦った。
クラウドはモバイルを畳み、それを仕舞い込んだ。フェンリルの背に跨がって、細い息をつく。
手首を捻ろうとするけれど、意思はあっても体は動かなかった。彼は、行く宛を定めかねていた。
「……行こう」
口にした言葉に、効果はない。ボーンビレッジの先、森を抜けた奥にある、古代種の都。行くべきか、行かざるべきか―、クラウドは今宵も、決意できないでいた。
「……………」
クラウドは嘆息した。いつもこうだ。ここまで、もうすぐ、目の前まで来ているのに、そこに辿り着くことができない。
機会はいくらでもあるはずだった。ある時は仕事のついでに、ある時は意図してそこを訪れようとしたのに、クラウドの足はいつも躊躇い、彼をあの場所に送り届けてはくれなかった。
封じられた、神秘的な、古代種たちの楽園。美しく、荘厳で、華麗な都。
エアリスを亡くし、そして、葬った場所──。
「……行こう」
今一度、クラウドは呪文を唱えた。しかし、やはりそれも徒労に終わる。クラウドは再び、深く嘆息した。
七月七日。この日が特別な日なのだと知ったのは、一年前だ。離ればなれの恋人同士が、天と天で結ばれる、奇跡の夜。願い事を笹に託せば、彼らが叶えてくれるのだという。
星と星が巡り逢う日、逢いたいと願う愛しい人に、出逢えるかもしれない。喪ってしまった愛を、取り戻せるかもしれない。
クラウドの、指が震えた。そこから這い上がった視線が、腕にくくられたピンク色のリボンを捉えた。
あそこに行っても、彼女はいないだろう。指先が燃え、喉が乾き、目の奥を燃やす熱さが甦り、どうしようもない悲痛と悲嘆に苦しめられるだけなのだ。
けれど、彼女の痕跡を探さずにいられない。追い掛けずにいられない。今もまだ、記憶に、心に、彼女はまざまざと刻み付けられているのだから。
「──ハ……ッ」
いつの間にか、息を詰めてしまっていたようだ。クラウドは慌ただしく息を吐き出して、湿気の漂う酸素を細かく取り込んだ。
息苦しい胸を押さえ、喉にへばりつく唾液を嚥下すると、クラウドは苦しげに眉を顰めた。すぐ先にある目的地に向けて走り出すこともできないで、無様でいるクラウドは、歯痒さを噛み締めていた。
──なにをしているんだ、俺は……。
家に帰れば、待っていてくれる人がいる。それなのに、クラウドは独り、前にも後ろにも進めない。
今宵、願いが叶うとするのなら、彼女を取り戻したい。今度こそは間違えず、手に入れた愛を貫きたいと願っていた。
願いが叶わなかったとしても、雨のせいにしてしまえる。伝説や、言い伝えの脆弱さのせいにしてしまえるんだ。
【 間違えるな、クラウド 】
ハッとして、クラウドは顔をあげた。
響く声の主を探して、クラウドはあたりを見回した。
【 お前の言う『愛』……それは、まやかしだ 】
岩肌が剥き出しになっていて、夜の遺跡に人の気配はない。それなのに、声はどこからか響いてきて、クラウドを惑わせる。
【 あの娘を愛することができれば、自分の罪が赦されると思っているんだろう? 】
クラウドの瞳が驚愕に強張り、開いた口唇からは息が漏れていく。
違う、と、叫ぶ声は、残念ながら追いついてこなかった。
【 殺そうとした、見殺しにした…あの娘を踏み台にして、のうのうと生きながらえているお前の罪を、贖えると思っているんだろう? 】
「……うるさい…、黙れ──ッ」
今度は、悲鳴にも似た苦鳴が染みだした。
この想いは、本物だ。喪った悲しみも、愛しいと想う気持ちも本物なのに、どうしてそれを否定するんだ。
はたして、本当にそうだろうか。もしかしたら、この声の言う通りではないだろうか──。
植えつけられた疑念が胸を濁し、悔しさと苛立ちは、自分自身へと向けられる。ギリリとグローブを軋ませて、頭を振って否定するクラウドに、声は更に畳み掛けてきた。
【 思い出せ、クラウド 】
声の主が誰なのか、考えなくともわかっていた。声がどこから聞こえてくるのかを考えれば、答えは明白だ。
クラウドの頭に反響する得体のしれない声は、クラウドの深淵を抉りだす。無理もない。それは、クラウド自身が奏でている、彼の声だったから。
決着をつけたはずなのに、しっかりと止めを刺したはずなのに。感じている。心が、彼を、覚えている。
なんて愚かなんだろう。ばかばかしい。けれど、今更否定もできない。
クラウドの心から、慟哭が溢れだす。もういないはずの男を、彼を想う心が、記憶に残る彼の声を使って、都合の良い言葉を紡ぎだす。
【 お前が本当に、逢いたいと願っているのは── 】
ポツリ、と、フェンリルのグリップを握ったまま震える手に、雨粒が落ちてきた。縮こまり、緊張していたクラウドに、柔らかく、冷たい雫が降り注ぐ。
はじめはポツポツと、クラウドの背や髪に染み込んできた水滴は、次第に大きく、強くなっていく。視線を起こすと、額に斜めに降った雨が、皺の刻まれた眉間へと伝っていった。
「俺が、本当に…逢いたかったのは……」
口唇からこぼれた言葉を、ギリリと噛む。そんなはずがない、そんなわけがない、そう言い聞かせるクラウドを、嗤う声が体の内側から聞こえてきた。
クラウドは雨避けに、ゴーグルを目許まで持ち上げた。鼻上で位置を確かめて、地面に貼り付いていた足を蹴り上げる。
息吹を鳴らしたフェンリルは、主を乗せて動き出す。天から降り注ぐ雨からも、溢れ出す声からも逃れ、クラウドは左右に広がる森の中へと走り出した。
前へも後ろへも進めないなら、横道に逸れる他ない。恋人たちを引き裂いた雨は、混迷する青年を救済し、奇跡をうやむやにした。
今もまだ、こんなにも、逢いたいと望んでいる。罪を重ねることを恐れ、贖う術を探して、それでもまだ、彼に、逢いたいと願っている。
殺してしまったこと、殺さなければならなかったこと。それは決して間違いではなかったと、今でも思う。
だけど、怒りがようやく冷えてきて、後悔が、クラウドを苦しめ始めている。どうしてああなってしまったのだろう。間違ったのは、いつからか、どこからか―。
クラウドは安堵した。エアリスを探して、エアリスを追いかけて、エアリスに逢えなかった時の悲しみを、感じずに済んだのだ。
エアリスを探して、エアリスを追いかけて、たとえ彼女に出逢ったとしても、それでもまだ満たされない心の痛みからも逃れることができた。
星と星の繋がる夜、逢瀬に立てない星たちは、雲に隠され光を消した。叶わぬ願いを閉じ込めて、天の流す涙に濡れて、クラウドもまた、夜闇に紛れ光を消した。