ぼくらのなつやすみ<01>
神羅カンパニー本社ビルの中でも、ソルジャーフロアを行きかう顔ぶれは、どれも若さに溢れていた。彼らは若いながらも強さを目指し、日々その歯牙を削っている。
神羅軍とは一味違う厳しさを強いられ、厳粛な戒律に縛られている彼らではあるが、青春を謳歌してはならないというルールは無い。そう論じるザックスを眇め、クラウドは素っ気無く言い放った。
「行かない」
「なんで」
すかさず、ザックスは問い正した。可愛げも無い仏頂面で歩き出すクラウドを追いかける彼には、どうしても少年に『うん』と言わせなければならない理由があった。
「いいだろ、有休余ってるんだし。使える時に使っとこうぜ」
「俺は、ザックスとは違って、忙しいの」
「なにが忙しいんだよ」
「それは…」
戦争も終結し、ジェネシスとアンジールを欠いて以降、ミッドガルは平和そのものだ。多少のトラブルは尽きないが、ソルジャーや神羅軍、タークスの活躍のお陰もあって、平常の忙しさが彼らの日々を着色している。
ソルジャー部門所属のソルジャー候補生、クラウド・ストライフ。口唇をまごつかせた彼は、ザックスの追及から逃れるように、ふいと視線を泳がせた。
「決まってるだろ。次のソルジャー試験までに、もっと強くならないと」
先だって行われたソルジャー試験は、無念な結果に終わった。次を期待する少年にとって、休息などもってのほかだ。
周りと比べれば力量の差はあるものの、少年が特別熱心に訓練に勤しんでいることは、上官であるザックスもよく知っている。ソルジャーたちに押し付けられ る事務仕事まで懇切丁寧に引き受けてしまうクラウドの両腕には、今日もまた重そうなファイルが抱えられていて、ザックスは横から、ひょい、とその半分を奪 い取った。
「毎日毎日訓練ばっかじゃ、逆に体に悪いって。ちゃんと休憩するのも、ソルジャーへの第一歩だぞ」
ソルジャークラス1st、ザックス・フェア。彼はもっともらしい口ぶりで、クラウドに語りかける。クラウドが、あ、と声を上げるよりも早く、奪い取られた書類の束は、彼の腕に抱えられた。
クラウドは、これらを執務室に届けなければならないのだ。ミッションコンプリートまで、ザックスを振り切ることはできないらしい。少年は大きくため息を漏らし、ファイルを抱えなおして歩き出した。
「コスタはいいぞー。青い海、白い砂浜。バカンスには最高だ!」
「ザックス、この前もコスタ行ってなかった?」
「それがさ、途中で邪魔が入って、バカンスどころじゃなくなっちゃって。今度こそキッチリ休ませて貰わないとな」
「一人で行けばいいだろ」
「誰かと行った方が楽しいだろ」
どんなに突っぱねても、ザックスは頑として聞き入れようとしない。クラウドは困り果てて、細眉の間に皺を刻んだ。
バカンスに行こう、だなんて、なんとも唐突で、突飛な話だ。高級リゾート地であるコスタ・デル・ソルの話は聞いたことはあったけれど、自分とは無縁の話だと思っていた。
コスタで過ごす休日への憧れのようなものは、クラウドの心の中にもあった。しかし、煩雑な性格の持ち主である少年は、行きたい、とも、行く、とも、易々とは言い出せなかった。
「俺は行かない」
「なんで? 俺と一緒じゃ嫌?」
前を睨むように見つめて歩いていくクラウドの隣で、ザックスはクラウドを見下ろしていた。前方不注意は否めないが、そんなことより隣の少年が気にかかる。
彼は、素直に頷いてくれそうにない。だとすれば、断る理由を一つ一つ奪っていくことが必要だ。
「そうじゃないけど…」
案の定、クラウドは困ったように眉を寄せ、口ごもった。
不快ではないらしい。そう思うと、照れにも似た喜びにくすぐったい気持ちになって、ザックスは首を竦めて破顔した。
「じゃあ、なに?」
白い歯を見せて笑うザックスをちらりと見上げ、クラウドは言葉を詰まらせた。大股に踏み出したはずの歩みは緩まって、減速していく。
俯いて黙りこくってしまったクラウドの代わりに、今度はザックスが前を見つめていた。
「海が嫌なのか?」
「別に…嫌じゃない」
「暑いの苦手だっけ?」
「そうじゃなくて…」
はた、と思い当たって、ザックスは足を止めた。ビクリと竦みあがって、クラウドはそれを見上げ、息を呑む。
物知り顔で、ザックスはクラウドを見下ろしてくる。途端に恥ずかしさが襲ってきて、クラウドは顔を熱くした。
「だーいじょうぶだって」
「うわっ」
後ろから肩を弾かれて、クラウドは思わず前へとつんのめった。なんとか転びはしなかったものの、抱えたファイルが腕の中ですべり、落とさぬように必死になる。
「なにするんだよ!?」
不服を訴えようにも、楽しげに笑うザックスは先立って歩き出してしまう。慌ててそれを追いかけるクラウドに、ザックスは言った。
「エスナのマテリア持ってくから、船酔いしたら俺に任せろ」
「違…」
「金のことなら気にするなよ、出世払いってことで、俺が立て替えといてやる」
「ダメだよ、そんな…」
「いいから」
角を曲がれば、ソルジャー達の執務室は目の前だ。カツリ、と踵を鳴らしてザックスは足を止め、驚いたようにクラウドもその場に立ち止まった。
断る理由は全て、ザックスの明るい笑み顔に消し飛ばされてしまった。それでも、素直に頷くことのできない少年の性情を、ザックスはよく知っていた。
「…な。お願い」
振り返り、少しなだらかなトーンで語りかけるザックスに、抱く反発など無かった。
彼の『お願い』にはいつも振り回されてしまうけれど、応えざるを得ない。普段から他人との関わりを極端に避けるクラウドは、不思議なことに、彼を不愉快に感じたことなどなかった。
一介の兵士であるクラウドと、クラス1stのソルジャーであるザックスとでは不釣合いだとも思う。けれどそれは、二人を繋ぐ、『トモダチ』の絆のせいなのかもしれなかった。
「じゃあ、決まり。明日からな」
「明日から!?」
驚いて、クラウドが奇異な声を出した。
「別に、予定もないんだろ?」
「そうだけど…」
ザックスの強引さに付き合わされるのはいつものことだったけれど、何故だか今日のザックスはいつもと違うような気がしていた。どことなく、『必死』だとすら感じてしまう。
疑わしげに眉を寄せるクラウドの無言の追及をかわすように、ザックスは朗らかな笑みを刻む。
「有休申請、俺が出しておくよ。楽しみだな」
了承の言葉を選ぼうとして、不審げだったクラウドの口唇が震えている。あと少し、もう少しだ。高鳴る心臓を胸に閉じ込め、ザックスは辛抱強く、クラウドの答を待っていた。
「なにが楽しみなんだ?」
廊下に響いた声に驚いて、ザックスは慌ただしく振り向いた。同じように顔を上げ、流れる銀糸を目に留めたクラウドは、はっとして口を開いた。
「セフィロス!?」
いつの間にか背後に現れた男は、執務室の前で通せんぼをしている二人組を見下ろしていた。
ソルジャークラス1st、英雄セフィロス。流れる銀髪、淡い色の魔晄の瞳――独特の存在感と威圧感を放つ彼を前に、クラウドは息を呑んだ。
憧れだった英雄と会話を交わすことは珍しくは無くなったけれど、緊張感は拭えない。大きな瞳を瞬かせて息を詰まらせるクラウドを、セフィロスは静謐な視線で見つめていて、ザックスは二人の絡まる視線を遮るように、その合間に割り入った。
「なんでもないって。なぁ、クラウド?」
わざとらしい大声だ。少年との間に萌えた束の間の陶酔を切り裂いた無粋な男を、セフィロスは辛辣に睨み付けた。
先程までは楽しげに計画を語っていたにも関わらず、ザックスは、ぎこちない場の空気を取り繕おうとしている。クラウドは同意を求められ、即座に反応できずにいる。
「休みを取るのは構わんが、どこにいくつもりだ?」
聞いてたのかよ――と、ザックスは悔しげに、セフィロスを睨み上げた。
首を竦めるザックスの頭越しに、セフィロスはクラウドに問いかける。訓練された兵士は、上官の求めに応じて口を開く。
「コスタ・デル・ソルに、バカンスに行こうって…」
出来れば、この男には知られたくなかった。内密にことを運ぶつもりだったのに、知られてしまっては仕方がない。
すう、と息を吸い込むと、ザックスは物怖じしない強気な発言に出た。
「そういうこと。俺とクラウド、明日から三日間、コスタに行かせてもらうぜ」
執務室の扉を塞ぎながら、ザックスとクラウドとは、仲良く揃いの書類束を抱えている。驚きに瞳を細め、セフィロスの鋭い視線がザックスを捕まえた。
「…明日から、だと?」
感情の読めない冷ややかな声が、ザックスの声を確かめる。ギクリと心臓が高鳴って、視線に応えるザックスの喉が上下に動く。
なんでもないことのように装おってはみるけれど、どれだけ相手をごまかせるかはわからない。けれど、普段のセフィロスを知っていたから、彼がザックスの真の目的に気づくとは考えにくい、と思いたい。
勤務時間中に仲良くバカンスの相談だなんて、不謹慎だと怒られるかもしれない。候補生の分際でバカンスなどと、嗜められるかも…。ビクつくクラウドの耳に、セフィロスの柔らかな笑み音が響く。
「……なるほどな」
セフィロスの笑みが何を意味するのか、クラウドにはわからなかった。ザックスの心も穏やかではなく、威嚇するザックスに、セフィロスは言った。
「いいだろう。ちょうどバカンスのシーズンだ、たまには休むことも悪くない」
難癖をつけられるだろうとは考えていたけれど、了承されるだなんて思ってもみなかった。セフィロスの言葉に驚いて、喜ぶはずの心は怯んでしまう。
数瞬の後、だらしなく笑みを溢し、ありがとうを叫ぼうとしたザックスに、続くセフィロスの言葉が突き刺さった。
「俺も行く」
驚愕に、二人の声が重なった。
「マジで?」
「本当ですか!?」
ザックスの隣で、クラウドの声は跳ね上がる。少年が目に見える喜びに頬を綻ばせる一方で、ザックスの心はどんどん苦くなっていく。
このままではいけない、当初の予定を狂わされてはたまらない。喜びを隠せないクラウドの隣で、焦ったザックスは口早にまくしたてた。
「でも、忙しいんじゃないか? 統括代行がいなくなっちゃマズイだろ」
「今は事態も安定している。数日くらい、かまやしないさ」
「コスタだぞ? セフィロス、そういうとこ好きじゃなさそうだけどなー」
「昔、ジェネシス達と行ったことがある」
どうにかして、断る術はないものか。あれやこれやと考えてみるけれど、セフィロスは歯痒そうに顔を顰めるザックスを見下して、その表情に余裕すら窺わせている。
隣で慌てふためくザックスに、クラウドは怪訝そうに問いかけた。
「…ザックス、どうしたの?」
ザックスの焦りを感じ取り、少年の胸には不安が増長し始める。目を細めたセフィロスは、クラウドの問いかけに意地悪く便乗した。
「俺と一緒では、不満なのか」
憧れの英雄とのバカンスに、少年は心をときめかせている。そんな彼を、困らせたくはない。
もともと、話を持ってきたのは自分の方だ。ザックスは意図して笑みを貼り付けて、上擦る声で否定した。
「そんなわけないだろ」
ザックスの返答を知っていたように、セフィロスはくつりと喉を鳴らす。わだかまりを抱えながらも、表情を渋めるわけにもいかない。笑みを固めて硬直するザックスを眇め、セフィロスは、ふ、と息を漏らすと、クラウドの腕から残る資料の束を奪い取った。
「決まりだ。これは預かっておく、下がっていい」
ぎこちなさの残る空気を感じていて、クラウドは荷物を奪わせるに任せてしまった。もともと届けるためのものだったのだから抗う必要もなく、荷物を失ったクラウドの両手は物足りなそうに空を掴んだ。
「楽しみだな」
セフィロスの微笑に、クラウドの不安が和らいでいく。ちら、とザックスを窺うと、視線に気づいた彼は張りつめていた息を抜き、ようやくいつもの笑顔を見せた。
「…明日、迎えに行くから。寝坊するなよ」
軽口に反発しようかとも思ったけれど、セフィロスの前だったから、幼い反応を自重した。いつも通りのザックスがそこにいるのを実感し、クラウドはようやく安堵して、そっと胸を撫で下ろした。
「失礼します」
右手を上げて敬礼し、駆け去っていくクラウドの背中を、セフィロスは見送っていた。彼の姿がコーナーの向こう側に消えた頃、同じ荷物を抱えていたザックスが不満げに詰め寄ってきた。
「おい、どういうつもりだよ」
声音を抑えてはいるものの、不服を抱いている事実を隠そうとはしない。後輩の刺々しい物言いを咎めずに、セフィロスは踵を返した。
「抜け駆けはよくないな」
「そんなつもりじゃないって」
互いに、複雑な心情を抱えている同士、わかりあえないわけでもない。むしろ、わかりあうが故の罪悪感があって、ザックスはそれ以上、強気に出ることはできなかった。
「…別に、いいけどさ…。邪魔はすんなよ」
執務室の扉が開き、広い間口が二人のソルジャーを受け入れる。さっさと自席へと向かうセフィロスを睨みながら、口唇を尖らせて、ザックスは釘をさす。
殺気、などとは言えない心地好い覇気だった。自然と笑みが綻ぶのを堪えられず、かといってそれを見せてやるほどのお人好しでもなくて、セフィロスははぐらかすように言った。
「さぁな」
揶揄うような口ぶりだが、安心などできるはずがない。
「セフィロス~」
目一杯のため息を吐き出して、ザックスは間の抜けた声を漏らした。
胸につかえていた息を捨ててしまうと、新しく取り込む酸素が、ザックスの胸を洗っていく。不安や懸念はあるものの、明日からの三日間のことを考えれば、どんな苦味よりも期待が勝る。
いつのまにかため息など消え去って、ザックスの顔に朗らかな笑みが戻った。それを視止めたセフィロスもまた、人にそれとわからぬ程度の薄い微笑を刻んでいる。
入り混じる思いは複雑、けれども心は単純だ。彼らの過ごす、最初で最後の夏休みは、かくして幕を開けたのだった。