ぼくらのなつやすみ<02>
光は燦々と降り注ぎ、揺れる波間に反射して目映いほどに煌めいている。空気には夏の暑さが染み込んでいるが、ヒートアイランドであるミッドガルよりは不快でない。むしろ、海を撫でた涼しい風が爽快な清涼感となって、期待に膨らむ少年の胸を満たしていく。
太陽を包む空は真っ青で、そこから続く海も真っ青で、雲ひとつない快晴。まさに、絶好のバカンス日和だった。
「よっしゃあ! 行くぞ、クラウド!」
ソルジャースーツなんて重苦しい鎧は脱ぎさって、いつも携帯している夢と誇りはホテルの一室に置いてきた。身軽な水着姿に着替えたザックスは、興奮を抑えきれずにビーチへと飛び出した。
「待ってよ、ザックス」
運搬船での船旅で体調を崩してしまった少年は、魔法のお陰で復活したばかりだ。ザックスが飛び降りた階段を駆け降りて、追いかけるクラウドもまた、買ったばかりの水着に着替え、興奮に満ち溢れていた。
「ひゃー、気持ちィ~」
海にジャブジャブと踏み入ると、裸足のくるぶしを波が包み込む。ビーチを覆う砂粒はサラサラだ。波が行き交うたびに、まるで足裏をくすぐられているかのような違和感があって、ザックスはその場で幾度も足踏みをした。
「ほら、クラウド」
「うわっ」
ザックスの爪先から弾かれた波飛沫が、クラウドに降りかかってくる。両手で顔をかばったけれど、頬やら体やらに水滴が飛び散った。
「冷て……っ、なにす…うわぁッ」
顔を膨らませて怒る少年めがけ、両手で掬った海水を浴びせかける。膝を屈めて勢いづけて、絶え間なく水掛遊びに勤しむザックスのせいで、すっかり口の中がしょっぱくなってしまった。
「アッハハハ、どうだクラウド、コスタの海は?」
すっかりずぶ濡れになってしまったクラウドへと、青年は問いかける。不服ではあるが、不快ではない。クラウドは負けじと身を屈め、掌に溢すほどに掬い上げた海を、ザックスへと投げつけた。
「うぉっ!? やったな~」
ニヤリと笑って、しゃがんだザックスは連続で海を掻き出していく。他愛のない水かけ遊びがはじまって、一分も経たない内に二人はすっかり海色に染まってしまった。
「なにをしてるんだ」
呆れた様子で、セフィロスは尋ねた。
ビーチに飛び出していった二人は、もう既にずぶ濡れだ。夏の太陽に照らされた姿は目映くて、長旅の疲労感もまるでない。
ビーチへの階段を降りる彼は、下は海水着、上は薄地のパーカーと、普段から比べればなんともラフな格好だ。
額に貼り付く前髪をかきあげると、そのままの動作で、ザックスは大きく腕を振った。
「セフィロスー! お前も来いよ、気持ちいいぞー!」
水の滴る顎を拭い、クラウドも顔をあげた。
砂浜にいるセフィロス、だなんて、なんだか似合わないような気がする。そう考えるとおかしくて、そう思うのは失礼にあたる気がして、クラウドは今一度、腕で強く顔を拭った。
「子供じゃないんだ、みっともなくはしゃぐな」
「いーだろ、せっかくのバカンスなんだから」
ザックスが張り上げる大声に、セフィロスはしかめ面だ。嘆息し、ビーチに点在するパラソルへと近づいていくセフィロスを、遠巻きに見つめる複数のビキニ姿があった。
「なんだろう」
クラウドの声に気づき、ザックスも視線を脇へとそらす。
彼女たちは固まって、なにやら相談している様子だ。それを気にもかけずに、パラソルの下の長椅子に寝そべって、セフィロスは持ってきた本を広げている。
身を寄せあって移動する若い女性の三人組が、いつの間にかセフィロスを取り囲み、甲高い声を上げた。
「行ってみようぜ」
面白がって、ザックスがざぶざぶと海を踏んでいく。
「あ、待ってよ」
小波に足をとられながら、クラウドも慌ただしくそれに続いた。
「こんなところで会えるなんて、感激ですぅー」
「あたしたち、ずっとセフィロスさんの大ファンでぇ…」
「あのぉ、写真撮ってもらえませんかぁ?」
聞く者の都合などお構い無しに、彼女たちは口々にまくしたてている。どれも媚びたような猫なで声で、取り囲まれたセフィロスの顔は渋くなる一方だった。
「お一人なんですかぁ?」
「ホテルどこ泊まってるんですかぁ?」
「よかったら、あたしたちとご一緒しませんかぁ?」
囀ずる声は、うるさくなるばかりだ。セフィロスの表情は目に見えて険しくなっていく。
身を寄せあい、体をくねらせ、群がる女性にわけいって、ザックスは尋ねた。
「どうしたんだ、セフィロス?」
セフィロス――その名を聞いて、女性たちが一段と色めき立った。
彼女たちはきゃあきゃあと騒ぎ、セフィロスのぎろりと尖った瞳がザックスを睨み付けた。戦場の気概など脱ぎ捨ててしまっていたから、不意の攻撃にザックスは思わず身を竦める。
はぁ、と重いため息を吐き捨てて、開いたばかりの本を閉じ、セフィロスは言った。
「……人違いだ」
ソルジャーの人気は絶大で、彼らはクラウドのような少年に対してだけではなく、妙齢の女性たちをときめかせている。クラス1stともなればファンクラブまで設立されているほどで、中でもセフィロスの人気と知名度は抜群だ。
不審げな声を出し、そんなはずがない、とまくしたてる彼女たちを、セフィロスは持て余している様子だ。年頃の女性の扱いも、不機嫌そうなセフィロスへの対処法もわからずに狼狽するクラウドの隣で、ザックスは顎に触りながら、訳知り顔で笑みを結んだ。
「あだ名なんだよ」
突飛な発言に、豊かに睫毛を蓄えた瞳をパチパチと瞬かせ、彼女たちの視線がザックスを捉えた。
「セフィロスに似てるだろ、こいつ。だから、セフィロスってあだ名なんだ」
無理のある言い分だ。そんな嘘が通用するのか、クラウドの胸はドキドキと高鳴っていた。
「えー、でもぉ…」
「そんなわけで、人違いなんだ。お騒がせな奴だよなー」
「本当に、セフィロスさんじゃないの?」
「別人なんだ。ゴメンな」
「もういいよ、行こ」
依然いぶかしんでいる仲間の腕を引っ張って、赤い水着の女性が吐き捨てる。
「セフィロス様が、こんなダサい奴らと一緒にいるわけない」
豆鉄砲を食らい、二羽の鳩は言葉を失った。
彼女たちは不躾に、連れらしい二人組をじろじろと値踏みする。
唖然と立ち尽くす少年はまだ年若で、垢抜けない風貌はソルジャーだとも思えない。もう一人の調子の良さそうな青年は粗野な印象で、優雅さとはほど遠い。
ね、と同意を求める友人に、違いない、と納得しあい、彼女たちは未練もなく踵を返す。去っていく後ろ姿を呆然と見送って、ふつふつと沸いてきた苛立ちに、ザックスは声を荒げた。
「なんだアレ。俺だってソルジャーなんだぞ!?」
「…セフィロスさんは有名だから、仕方ないよ」
口許を隠し、クラウドは控えめな口調で呟いた。田舎育ちのみすぼらしさを笑わるのは不快ではあったけれど、ザックスが憤慨しているから、残るクラウドは笑う他ない。
「英雄セフィロスね…。見てろよクラウド。俺もすぐに英雄になってやるさ」
「俺だって…」
ソルジャーになるんだ、と、言葉は声にならなかった。
なりたいなりたいと思っていたところで、なれないことはわかっている。なれるかどうかの保証もなくて、不安ばかりが膨らんでいく。
ミッドガルでの生活は忙しなくて、不安に喘ぐ暇すら少年から奪ってくれていた。コスタのビーチで、忙殺する業務に奔走する日々から切り離されて、ポツリと点った不安の灯は、少年から笑顔を奪っていった。
おもむろに、セフィロスが立ち上がった。大きな影がパラソルの下からはみ出てきて、クラウドははっとして、顔をあげた。
「セフィロス、どうした?」
訝しんで、ザックスが声をかけた。しかし、砂を踏む彼は人気の無い方へとどんどんと歩き出してしまう。
「ちょ、どこいくんだよ!?」
「ここはうるさい」
「ぁあ?」
銀髪の後ろ姿は、ひらりと掌を持ち上げる。潮の香る海風に乗せられて、素っ気ない返事が返ってきた。
「夕飯までには帰るさ」
つくづく、セフィロスという男は『自由』の意味を履き違えている。呆れたため息を溢し、ザックスは頭を掻いた。
「助けてやったのに、礼もナシかよ」
不満げに口唇を尖らせるザックスの隣で、クラウドが心配そうに眉を寄せる。
「大丈夫かな、セフィロスさん」
横向いた先で、クラウドは小さくなっていく銀髪の後ろ姿を見つめていた。つい先刻、彼の表情を曇らせた不安は、セフィロスの身を案じる新たな感情にすりかわった。
それを見つけたザックスは、なるほど、と得心した。
優しい言葉で取り繕うことのできないあの男は、この場を自分に託してくれたのだ。彼は、慰めや労いを不得手とする性情だ。加えて、人を楽しませる手腕も無く、弱いが故の悩みなど共有できるわけもない。
今回に限っては、英雄の不甲斐なさへの不満もなかった。クラウドを楽しませたい、と、同じ想いを抱いていたから、ザックスはセフィロスの信頼に応えるため、口を開いて破顔した。
「ほっとこうぜ。そのうちふらっと戻ってくるだろ」
だけど、と、続く言葉をクラウドは呑みこんだ。
人違いなどではなく、彼は、あの『セフィロス』だ。トラブルに巻き込まれたとしても難なく切り抜けるに違いなく、眉間を苦めていたクラウドの口唇からはそっと息が抜けていった。
「よしっ、クラウド」
名を呼ばれ、クラウドは顔を上げた。隣に佇む青年は、夏の太陽に負けない眩さすら纏わせて、爽快な笑みを浮かべている。
「なにして遊ぼうか」
不安も、心配も、足許を浚う柔らかな波と、ザックスの笑顔とにきれいさっぱりすすがれていく。照りつける太陽ときらきらと輝く海に囲まれ、彼らにとっての、忘れられない夏休みが始まった。