ぼくらのなつやすみ<03>

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 クラウドはこれまで、海で遊んだことがなかった。ニブルヘイムから近い海岸まではモンスターが徘徊していて、安全とは言えない。彼の母親は心配性な性格で、息子を危険から可能な限り遠ざけようとしていた。
 クラウドの遊び場は、村のすぐ裏にあるニブル山だった。しかし、ニブル山もまた、草木も生えない過酷な環境で、子供の遊び場としては適していない。
 少年は母親の目を盗んで、ニブル山へ出掛けていくこともあったけれど、ソルジャーを目指してミッドガルへと旅立つまで、彼は外の世界を知らなかった。
 クラウドは、ブラウン管越しの知識でのみ、外の世界と繋がっていた。この世界のどこかに、青い海と白い砂浜がある。それは知識として彼の脳に蓄積されたが、自分とは縁遠い話だと、引き出しの奥にしまいこまれたままだった。
 自分が今まさにそのビーチに立っているのだと思うと、妙なくすぐったさがクラウドの胸をざわつかせた。しかし、海水に浸かって、泳ぎ方が大分様になってきた頃には、もはやそんな違和感など感じなくなっていた。
 浜辺から見る海は美しかったが、海から見る浜辺も同じように美しかった。これまで見たこともないような魚が優雅に泳いでいて、浅瀬を泳ぐクラウドの影が海底に映り、まるで飛んでいるかのような錯覚に陥る。
 クラウドに海水浴の楽しみを教えて、ザックスは満足げに笑みを漏らした。クラウドがすっかり海に馴染んだ頃、体は適度に疲労して、二人はビーチに帰ってきた。
 ザックスは、クラウドにいろんな遊び方を教授するつもりだった。海水浴だけでなく、波乗り、ビーチバレー、スイカ割り、と、遊びは無限に溢れている。
 しかし、休み無く遊び倒して、明日を無駄遣いするわけにもいかない。興奮醒めやらない心を気だるい体に閉じ込めて、浜辺に戻った彼らは、大人しく休んでなどいられず、砂山を作り始めた。
「もうちょっと盛るか」
 寄せ集め、塗り固めた砂は、既に山盛りであるというのに、ザックスはまだ満足できないらしい。
「だいぶ大きくなったね」
 抱き締めて手が届かないほどまで、二人は砂を積もらせた。貝殻と砂をより分けて、クラウドの脇には大小様々な貝殻が並べられている。
 どこからともなく現れたカニが、いそいそと砂山を横切っていく。ペタペタと掌で強度を確認しながら、ザックスは言った。
「崩れないように、ちゃんと固めとけよ」
 クラウドは無言で頷いて、ザックスを真似るように、砂山を撫でた。
 彼が砂山を作り出した当初は、なにをするつもりなのかと眉を顰めたが、彼に誘われて稚拙な砂遊びに興じるうち、だんだんそれが面白くなってきた。頭上か ら降り注ぐ日光にジリジリと焼かれる暑さを感じながら、潮騒と共に届く涼しさに癒されて、クラウドは太らせた砂山を叩いては、零れ落ちた砂を山の頂へと盛 り付けた。
「これくらいでいいだろ」
 腰に腕を宛て、ザックスは満足げな息を漏らす。見下ろした砂山の出来映えを確かめると、彼はその場にどっしりと腰を下ろし、あぐらをかいた。
「俺はこっちから掘るから、クラウドはそっちを頼むぜ」
 しゃがみこんだ少年の膝には、砂がついてしまっている。腰を下ろし、膝頭を軽くはたくと、少年は立たせた肢の合間へと、慎重に砂を掻き出し始めた。
 ビーチに広がっている砂を積もらせ、塗り固めただけの、なんの変哲も無い砂山だ。その向こう側にクラウドが腰掛けていて、慎重に、一生懸命に、作業に勤しんでいる。
 その様子を眺めていると、ザックスの口隅が自然と緩む。ふ、と、声にならない笑みを溢すと、彼はいつもの調子で呟いた。
「壊すなよ」
「…ザックスこそ」
 馬鹿力、とでも言いたいのだろう。クラウドの不遜で尊大な口振りを、ザックスはかえって好意的に解釈していた。
 普段、人との関わりに混じらない不器用な彼が、ぎこちないなりに懸命に追いつこうとしてくる姿は、いじらしいとすら感じられる。それを口外すれば、きっといつもの、てれを隠した蔑みの言葉が返ってくるのだろう。
 そう考えると、ザックスは口許をだらしなく緩め、山盛りの砂へと挑みかかった。
 誰もが憧れる夢のビーチで男二人、見方によれば色気の無い光景だとも言える。しかし、ザックスは不満など何一つ持ち合わせてはいなかった。
 クラウドのために拵えたこのひと時は、ザックスにもまた、喜びと楽しみを与えてくれる。まさしく、この時間は特別なのだと実感して、ザックスは充足に満たされていた。
「初めてなんだよな、トンネル作るの」
 唐突、かつ意外な言葉に、クラウドは顔を上げた。積もり積もった砂山の向こう側には、楽しそうな笑みを浮かべるザックスがいる。
 バランスを崩して、山が壊れてしまわぬように、と、少年は手を動かしながらも、ザックスの様子を窺っていた。
「そうなの?」
 思いがけない告白に驚いて、クラウドは尋ねた。色んな遊びを知っていて、コスタを何度も訪れたことのあるザックスだから、こんな稚拙な遊びくらい、当然のように経験していると思っていた。
 膝を立たせたクラウドの肢の間には、掻き出した砂が小さな山になっている。パラパラと零れ落ちる砂をすくい、内側から塗りこめながら、奥を擽って穴を掘り深めていく。
「ゴンガガの周りは森ばっかだったからな」
 彼の思い出話に聞く田舎は、緑豊かで静かな村だ。森を舞台にした幼いザックス少年の武勇伝を、クラウドは度々聞かされていた。
「コスタには、何度か来てたじゃないか」
「そうなんだけどさ」
 ザックスは苦笑して、肩を揺らした。クラウドは訝しげに眉を寄せ、顔を渋くした。
「どうだ、そっち」
 突然の問いかけに、咄嗟に理解が追いつかなかった。間が抜けたような顔を上げるクラウドに、ザックスは続けて尋ねる。
「穴だよ。どのくらい深くなった?」
 他愛のない会話よりも、手元の作業に集中するべきだったのだ。砂を重ねただけの山は不安定で、気を抜けば崩れてしまいそうだ。
 その懐には、クラウドの腕よりも少し大きな穴がぽっかりとあいている。慎重に掻き出した砂を脇へと押し出すと、内側の壁の硬さを確かめて、クラウドの指が穴の奥を擽るように引っかいた。
「もうすぐ、半分くらいかな」
 砂山に腕を突っ込んで、脇に手を添えながら、慎重に壁を掻く。震動で崩さないよう留意して、体重をかけすぎぬように気をつけて。指先に返る感触は当初よりも大分軽く、向こう側へ続く厚みの薄いことを感じさせた。
「もうちょっと、だな」
 ザックスは、砂のこびりつく頬を楽しそうに緩める。砂山を抱くように支えるザックスに倣い、クラウドも身を屈めた。
「確かに、コスタにはよく来てたよ」
 指先も、手も腕も、零れた砂で汚れてしまった。掘り進める腕を届けようと頬を擦り付け、滲む汗を砂が吸いとっていく。
「でも、二人でないと、トンネルって作れないだろ」
 雪山でのミッションで出会った少年は、生きるのがヘタクソだった。人一倍勇敢なのに、それと同じだけ臆病で、挑む敵は強敵で、無謀だとすら思えるほどだ。
 これは決して、同情ではない。憐れみでもないし、欺瞞とも違う。
 彼と居て、ザックスは充足していた。不足していた部分が補われ、満ち足りていくのを感じていた。
「あ」
 薄い隔たりが崩れ落ち、指先が壁ではなく、空気に触れた。向こう側は、相手の築いた空洞に繋がっている。
 慎重さを心がけてはいても、逸る心は止められない。二人は壁の残骸を取り払い、そうする指と指とが砂の懐で触れ合った。
「よし、開通!」
 どちらの指も砂にまみれていて、心地よいとは言えなかった。しかし、穴の中で繋がる二人の指は、確りと結ばれていた。
 砂山に手を乗せたまま顔を起こすと、同じ側の頬を汚して、汗を垂らした顔がある。自然と頬を綻ばせたザックスにつられるように、クラウドはぎこちない笑みを頬に刻んだ。
 遊びに溢れた常夏の楽園に一人で放たれたところで、いつも通りのスクワットくらいしかすることがない。誰かと一緒に居て、共に過ごす相手が居て、ようやく世界は特別になる。
「やったな、クラウド」
 労いの言葉をかけながら、ザックスはぎゅ、と、クラウドの手を握る。思わぬ力強さに驚いて、クラウドは幾度か瞳を瞬かせた。
 満潮になれば、きっとこの砂は海に飲まれ、跡形も無くなってしまうのだろう。時間と労力を費やして二人で築いた砂の城は、この砂浜の歴史からすればたった刹那の幻でしかない。
 背を焼き汗を呼ぶ陽の光の暑さよりも、指先から伝わってくるチリリとした熱に心が燃えて、クラウドは俯いて、砂山の影に顔を隠した。
 こんな気持ちは、初めてだ。子供っぽい、つまらない出来事のはずなのに、形容しがたい喜びがクラウドの胸を騒がせた。
 バカンスなんて初めてで、トンネルを作るのも初めてで、誰かと遊ぶことも初めてだったから、妙な気分になるのだろう。楽しくて、嬉しくて、この時間が壊れることに、恐れすら抱いてしまうだなんて。
 握り締めてくるザックスの掌に、震えるクラウドの指が、ぐ、と食い込んだ。少年は口唇を噛み締めて、声と息とを堪えていた。応えない少年を訝しんで、ザックスが砂山の脇から彼を覗き込む。
「…クラウド?」
 号令には、即座に応えるべきだ。兵士に叩き込まれたはずの習慣は、バカンスを過ごす今、発揮できずに燻っていた。
 楽しいと、嬉しいと、喜ぶ自分が恥ずかしくて、クラウドは顔を上げられずにいる。握り締めたままの指の先から、ザックスが身を起こそうと力を抜くのを感じ取った、その瞬間。
――っ……」
「うわっ!?」
 背中に衝撃を感じ、クラウドは小さく呻いた。急に視界に飛び込んできた物体に驚いて、ザックスも声を上げる。
「ごめんなさ~~い!!」
 結んだ手を解き、二人が顔を上げたその先で、ビキニ姿の女性が大きく手を振っている。あたりを見渡すと、そう遠くない場所に、クラウドの背中にぶつかったビーチボールが揺れていた。
「取ってもらえませんかぁ~?」
 そのまま波に漂わせては、攫われてしまうかもしれない。モンスターの強襲でなかったことにひとまず安心し、ザックスは軽く笑いながら腰を上げた。
「クラウド、だいじょぶか?」
 誰かと思ってよくよく見れば、あれは先ほどセフィロスを取り巻いていた女性達だ。ビーチバレーの最中に、コントロールを失ってしまったのだろう。
 うん、と答え、立ち上がったクラウドは、腰を押さえながら砂浜の方を見つめていた。波間を漂うビーチボールを拾い上げて帰ってきたザックスは、空気で膨らんだボールを両手で抱き締めたまま、ひょい、とクラウドの顔を覗き込んだ。
「どうしたんだ、クラウド」
「え?」
 トンネルを完成させた達成感は唐突な衝撃に邪魔されたけれど、燃え上がるほどの恥ずかしさは薄らいだ。ザックスの指が鼻先につきつけられて、クラウドは大きな瞳を瞬かせる。
「顔、赤いぞ」
 驚いて、少年は顔に手をあてた。
 砂に汚れた頬に触れると、こもる熱さが浮かんでいるのがわかる。さっきの妙な高揚が、顔に残っていたのだろう。
 慌てて顔を拭う少年が見つめていた先に、ボールの帰還を待ちくたびれている女性達の魅惑的な姿を見つけ、ザックスはわけしり顔で笑みを溢した。
「はーん、そういうことか」
「なにが…?」
 クラウドは、自分の心情や考えを言い表すのが不得手だった。ザックスはいつも、クラウドの内心を察し、理解してくれていたが、時には誤解を与えることもある。
「よし、待ってろクラウド。俺が話をつけてくる」
「…ザックス?」
 悪い予感がして、クラウドはザックスを呼び止めようと腕を伸ばす。
「水着姿の女の子なんて、ほっとけるわけないもんな」
「待っ…、ザックス!?」
 やっぱり、だ。止めなければ、と焦ったけれど、咄嗟に足元の砂山を庇ったクラウドの腕はザックスを捕えられず、空を掻いただけだった。
「だーいじょうぶ、俺に任せとけって!」
 ビーチボールを抱えたまま、ザックスは駆け出していく。水着姿に見蕩れた少年のために、出逢いの機会を作ってくれるつもりなのだろう。
 それがまったくの余計なお世話で、少年が一体なんのために顔を火照らせていたかなど、彼は知る由も無い。呆れと脱力感の両方が襲ってきて、クラウドは、はぁ、と深いため息をついた。
 軟派といおうか、果敢といおうか、ザックスのフットワークの軽さと物怖じしない人懐こさには恐れ入る。しかし、自分が彼と同じように彼女達と接することができるかと考えると、クラウドの気は重くなった。
 なんとかしてこの状況から離脱する術は無いものか、と考えて、クラウドはふと、セフィロスのことを思い出した。
 彼はどうしているだろう。一人ビーチから離れて、どこでなにをしているのだろう。
 バレーコートの傍らで、ザックスが物腰も大胆に女性と会話をしているのを眇めながら、クラウドは踵を返した。小波に足を洗われて、音も少なに浜辺を去る少年の足跡を、寄せては返す海の煌きが消していく。
「みんながいいなら、私はいいよ」
「私も」
「うーん、それじゃあ、私も」
「サンキュ。じゃあ、呼んでくるから」
 交渉を成立させて、ザックスは小さなガッツポーズを結ぶ。海水浴に、砂遊びに、ビーチバレーも経験させられるとあって、彼は嬉しそうに肩を揺らした。
 上機嫌で踵を返し、勢いよく持ち上げた腕は、やり場をなくした。
「…あれ、クラウド…?」
 きょろきょろとあたりを見渡しても、呼び寄せようとした少年の姿は見当たらない。砂浜には、穴のあいた砂山の傍らにそれを飾り付ける貝殻が忘れられて、横歩きのカニが一匹残されているのみだった。