ぼくらのなつやすみ<04>
コスタの浜辺をずっと歩いていくと、白く柔らかだった砂は、やがて石ころになり、石になり、ごつごつした岩へと変わっていく。街のはずれへ行けば行くほど人気は少なくなっていくが、それはセフィロスにとって好都合だった。
お誂え向きの木陰に腰を下ろし、海風にそよがれて、セフィロスの長い前髪が揺れている。足元の岩場も、波に削り出されて鋭利に尖っている。ビーチの楽しいイメージからは程遠い、海の厳しさすら感じる場所で、彼はもう何時間も、そこにそうして座っていた。
前にここを訪れたのは、いつのことだっただろう。セフィロスの思考は、懐かしい回想に囚われていた。
セフィロスは怠惰ではないが、勤勉でもない。ミッドガルの居住区は涼しく、静かで、彼にとっては快適な空間だった。
たまの休日ともなれば、普段は抑制している欲求を解放して惰眠を貪るか、数少ない趣味である読書に耽ったものだった。わざわざ騒々しい観光地に赴くなど、愚か者のすることだと考えていた。
そんな彼を連れ出したのはジェネシスで、アンジールもそれに同伴した。
会社の目の行き届かない場所でなければ、休んだ気がしない。それがジェネシスの言い分だった。
潮の薫る海風に、ジェネシスの声が響く。古くから伝わる叙事詩を諳じて、彼の恍惚とした声が波を震わせる。
聞き飽きた内容だったが、セフィロスは決して、それが不快ではなかった。
剣を振るうためにある男の腕が、釣竿を投げた。糸が風に揺れ、波に揺れ、それを待つだけの時間も、不思議と億劫ではなかった。
釣り上げた魚で自慢の腕をふるうつもりでいたが、アンジールの釣竿に、魚は一匹もかからなかった。それもそのはず。彼は、大事な餌を釣り針にくくりつけるのを忘れてしまっていたのだから。
そよ風に誘われて、地面に広げられていた本がパラパラとめくれていく。今はもう、美しい韻をなぞって紡いでくれる男は居ない。セフィロスの手の中にある釣竿は、今は至って穏やかに波の揺らめきを伝えている。
辛抱強く待ち続けたあの男と同様に、セフィロスはグリップを握り直し、息を吐いて胸を落ち着けた。
海の向こうは、ジュノンに続いている。ジュノンに潰えたはずのジェネシスコピーが現れたのは、つい先日のことだった。
錆びも付かぬ内に、歯車は再び回り始めた。こうしている今も、着実に事態は進行しているのだろう。
断ち切ったはずの彼らの名残を追いかけてこんなところまで来てはみたが、やはり、彼らの姿を見つけられるわけもなく。切ない回想ばかりがセフィロスの胸をざわめかせ、自嘲の笑みも漏れようというものだ。
石の崩れる音がして、セフィロスは現実に呼び戻された。ふと顔をあげると、その視線の先には、覚束ない足取りで近づいてくる少年の姿があった。
驚いて、セフィロスの長い睫毛が瞬いた。柔らかな砂浜を渡ってきた彼は、岩をよたよたと乗り越えてくる。
逆光を背負う少年を、セフィロスは無言で迎え入れる。目当ての人物に辿り着き、少年はほっと一息をついた。
「こんなところに、いたんですか」
空の階段を降りる木漏れ日を斜めに受けて、セフィロスはクラウドへと顔を傾げていた。その手には正宗ではなく、釣竿が握られている。普段の彼を知っていたから、それは不似合いな姿のようにも思えたが、コスタ・デル・ソルの景色にはよく調和していた。
腰掛けるセフィロスと、歩み寄るクラウドの視線が交わった。セフィロスは敵意無く視線を細め、クラウドははにかむように息を漏らす。
セフィロスが隣に広げていた古書をぱたりと閉じて、クラウドは誘われるまま、開いたスペースへと腰を下ろした。
「ザックスはどうした」
どうやら、クラウドは一人でここへきたらしい。黒髪のソルジャーの姿が見えず、セフィロスは尋ねた。
「…女の子と、ビーチバレーだそうです」
報告を聞いて、健康的なことだ、と感心する一方、そんな賑々しさから逃避してきただろう少年への親近感があり、セフィロスの口隅が緩む。
「あいつらしい」
そう言うセフィロスの笑みは、心無い嫌味や侮蔑の混じる嘲笑とは違った。クラウドは一瞬、ザックスを置き去りにしてきてしまったことを後悔した。
「…釣れますか?」
話題を変えようと、クラウドは尋ねた。
セフィロスの手にある道具が、なにをするためのものなのかを知っている。竿の先から続く細い糸が陽の光に煌めいて、色鮮やかな浮きが波間を揺らめくのを見つけた時、それはヒョコヒョコと震えて、奇妙な格好で踊りだした。
「待っていろ」
セフィロスの手がしなりをきかせ、釣竿を揺さぶった。根本に留めてあったハンドルを回し、糸を巻き取っていく。
魚は必死に逃げ惑い、浮きが引っ張られて波の上を跳ね回っている。小さなつまみをぐるぐると回すと糸がピンと張りつめて、引き揚げる力に抗えずに空中へと躍り出た。
「わぁ……」
水を弾き太陽に照らされた魚は色鮮やかに煌めいて、たっぷりと肥えて上等であることがわかる。いつの間にか息を詰めていた少年は、思わず感嘆のため息を溢した。
セフィロスは糸を手繰り寄せ、釣り上げた魚を足元に置いていたバケツへと迎え入れる。そこには既に複数の魚が放たれていて、赤や青の体が忙しなく互いを追いかけていた。
「やっぱり、セフィロスは凄い」
バケツを覗きこむ少年の意外な言葉に、セフィロスは怪訝に眉を顰めた。ささやかな興奮は依然醒めやらず、クラウドは口唇を緩め、笑う顔を起こしてセフィロスを見上げた。
「なんでもできるんですね」
称賛など珍しいことではなかったし、事実、セフィロスはなにについても優秀な功績を残してきた。だから、彼の言葉はごく当たり前の台詞だった。それなのに、セフィロスは不思議と喜ばしいと思えなかった。
「これくらい誰でもできる。お前もやってみるか?」
「本当ですか?」
軽い嫌味をこめたからかいのつもりだったのに、期待をこめて瞬く少年を前にすると、そんな意地悪も失せてしまう。意外な切り返しに答える言葉を失い、セフィロスの口唇は苦い笑みを象った。
自分が特別なのだという自信は、時に、異質であることへの不安をセフィロスに齎した。セフィロスを利用しようとする者達の思惑は煩わしいばかりだが、眩いほどの羨望と憧憬でもって接してくるクラウドと対峙すると、不思議な心地よさがセフィロスの痛みを和らげた。
ふ、と抜けていく息の音を聴き、クラウドは急に恥ずかしくなって、俯いてしまった。その様子を眺めていたセフィロスは、つい先刻まで自身の胸を濁らせていた余計な物思いの消えたことにようやく気づき、軽くなった腕を持ち上げ、釣り糸を手繰り寄せた。
セフィロスの指が、握る釣竿に新しい餌を結ぶ。クラウドがドキドキと胸を鳴らしながらそれを眇める傍らで、彼は、ここにきたそもそもの理由を思い出していた。
喧騒から逃れ、郷愁に駆られ、複雑に煩悶し苦悩するためではない。猛々しい戦場でこそ活躍し、その殺伐とした空気を好む男が、似合わないとも言える常夏の観光地をわざわざ訪れた理由は――。
「投げてみろ」
セフィロスは釣竿を差し出して、クラウドは目を丸くしてそれを凝視していた。海水浴も満足に経験したことの無かった彼は、当然魚釣りも初体験で、どうすべきかもわからない。竿を見下ろしまごつく少年を、セフィロスの微笑が容易いことだと励ました。
受け取った釣竿を握り締め、重みをぎゅ、と確かめた。手の中を見下ろす少年に、見守るセフィロスが声をかける。
「力は要らん。竿の先をしならせるつもりでやればいい」
短い言葉だが、彼のアドバイスは的確だ。クラウドは無言で頷くと、針が周りを引っ掻けないように気を配り、海へと大きく振りかぶった。
訓練で振るう剣の感触とはまるで違う。波を叩いた衝撃が掌まで伝わって、水面に漂う浮きを見つけ、クラウドはようやく安堵した。
「上出来だ」
労いの言葉をかけられて、顔を上げた先にはセフィロスの微笑が浮かんでいた。気恥ずかしい心地で、クラウドは両手に釣竿を握り締め、首を埋めるように肩をいからせた。
涼しい風が、クラウドの前髪を揺らす。潮の香りに包まれて、見据える浮きは煌く波に揺れていた。
魚は、釣れるだろうか。セフィロスが結び、クラウドの放った釣針に、都合よく食いついてくれるだろうか。
期待と興奮とに少年の心臓は高鳴って、釣竿を噛み締める指に力が篭もるのを、すぐ隣にいるセフィロスが気づかないはずもない。
「力を抜け」
敵意のないセフィロスの声にすら、びくついて身を竦ませる始末だ。危なっかしく、頼りない姿だった。セフィロスの口唇から息の抜ける音を聞き、クラウドは焦って振り返る。
「緊張すると、魚が逃げてしまうぞ」
笑われたのだ、と感じた。事実、セフィロスの口唇には微苦笑が刻まれていて、クラウドの羞恥と焦燥は増すばかりだった。
岩の上で、ガチガチに固まってしまっている少年を見下ろし、セフィロスは一考する。彼は後輩を労い励まし育てる技術など持ち合わせてはおらず、目の前の少年を持て余していた。
そもそも、他者との関わり合いをできるだけ避けて過ごしてきた彼にとって、この少年は至極厄介だった。隣を許すほどの実力も無く、背中を預けるには心許ない。それでも、彼を傍に置きたいと願うのは、セフィロスの自己満足に他ならない。
そしてこれもまた、彼の欺瞞なのだと自覚しながら、セフィロスはそっと、震える少年の手に掌を被せた。
「え…?」
驚いて、クラウドは瞳を瞠いた。釣竿を握り締める拳の上に、一回り大きなセフィロスの手が乗っている。
慌しくその手とセフィロスとを交互に見やる少年を諭すため、セフィロスは努めて声音を低く抑えた。
「目を閉じろ」
なんのために、と、反射的に反発しようとしたけれど、上官のコマンドは少年の選択肢を奪う。彼は眉を寄せ、少しの間躊躇った後、やがてゆっくりと、その大きな瞳を睫毛に包み、瞳を閉じた。
視界を閉ざすと、波の音の合間に、セフィロスの静かな息遣いが聞こえてくる。次はなにを命じられるのか、と、彼の言葉を探す内、クラウドの手指からは余計な力が削げていった。
「そのうちかかる。暫く、そうしていろ」
クラウドから緊張がほどけても、セフィロスはその手を退かそうとはしなかった。少年は気を緩めて釣竿を受け止めるだけになり、セフィロスは竿が零れぬように支えたまま、そよぐ前髪に縁取られたクラウドの横顔を見つめていた。
海辺の岩場に腰を下ろす二人にそよ風が涼しさを届け、暗闇と静寂はクラウドの意識を釣針からセフィロスへと結びつける。少年の胸には、海を泳ぐ魚を威嚇するように発していた緊張とはまったく違う、新たな興奮がチリリと燃え始めようとしていた。
セフィロスと隣り合って腰掛けて、海に向かって釣竿をぶら下げている。そんな日がくるだなんて、思ってもみなかった。
天然の涼しさに守られているお陰で夏の暑苦しさは無いが、胸の奥に疼く熱さを感じている。この意味は、その理由は、と、思考が傾ごうとしたけれど、ぴくり、と伝った指の震動に阻まれた。
「――っ、ぅわ…ッ」
最初は微細であった震動は、すぐに強引な牽引に変わった。慌てて竿を握りなおしたクラウドは、チカチカと光る視界を定めるために幾度も瞬きを繰り返した。
「かかったな」
水面をたゆたっていた小さなボールが、波の間を潜って暴れている。セフィロスは口隅に好戦的な一面を垣間見せ、クラウドは息を呑んで逃すまいと釣竿にしがみついた。
こんなに簡単に、こんなに早く、獲物がかかるとはおもわなかった。しかも、相手はかなり乱暴だ。この勝負に負ければ仕舞いと知っていて、釣針を呑んだ痛みもあってか、必死に抗っているようだ。
「…やれるか?」
邪魔にならぬようにと腕を引き、セフィロスは尋ねた。張り詰めた釣り糸に引っ張られ、クラウドは軽く腰を浮かせながらも、足場を確かめ頷きを返す。
先ほど、セフィロスのやったようにやればいい。魚に負けない強さで引っ張りあげて、手元のハンドルで糸を巻いていく。
タイミングを計ろうと歯を食いしばりながら、クラウドは糸の先を睨みつけていた。一瞬の怯みを逃さずに腕を引くと、よくしなった釣竿に繋がる先で、捕らわれた魚の尾がバシャバシャと水面を叩いた。
「大きい…」
少年は、無自覚に感嘆を口走った。見惚れて力が緩むのを自制して、彼は奥歯を噛み縛った。
ザックスといる時はそうでもなかったが、セフィロスの側にいると、クラウドはいつも緊張した。憧れの英雄に無礼になりたくないという過ぎる配慮は著しい遠慮になって、日頃から無口な少年の口数は激減した。
しかし、波の隙間から一瞬見えたまるまるとした獲物の姿を見つけてしまっては、無防備な呟きも仕方がない。
右へ左へと逃げ惑う魚に翻弄され、少年は大きく体を揺さぶっていた。思うように糸を巻き取れずにいる少年を見兼ね、精悍なソルジャーの両腕が釣竿を捕まえた。
「セフィロ……!?」
四本の腕に支えられ、釣竿は安定感を増した。意外そうに顔を上げる少年に、セフィロスは命じた。
「よそ見をするな、逃げられるぞ」
クラウドを被さるように抱えて、セフィロスの力が魚の決死の抵抗を縛り付けていた。クラウドは再び頷いて、セフィロスの調子に合わせるように、糸を巻き上げた。
糸が短くなればなるほど、ハンドルの重みは増していく。指先が白むほど力をこめて引き寄せると、波のヴェールのすぐ下に大物の影が映り始めた。
「ク…ッ、んん……!!」
踵に力を入れて踏ん張って、指に渾身の力をこめた。張りつめた糸を巻き上げて、引っ張る力に引き摺られ、肥え太った鮮魚が空中へと躍り出た。
「わ――ッ!?」
釣り上げられた魚はクラウドの胸に飛び込んできて、とびはねこぼれ落ちそうになるのをなんとか捕まえて逃さない。活きのいい魚相手に奮闘する少年に笑みを浮かべ、セフィロスは足元にあったバケツを彼へと差し出した。
「美味い夕食になりそうだ」
新たに釣り上げた一匹は、既にバケツの中を泳いでいた魚たちよりも数段大きかった。それは苦しそうにもがき、尾ひれで胸を叩いてくる。
クラウドは慎重に腰を屈め、釣った魚をバケツに放った。
ふう、と、深い息がクラウドの口唇から零れ落ちた。少年は顎を手で擦り、海水か汗かわからぬものを拭いとった。
初めての海釣りにしては、上出来な結果だ。せせこましくバケツの中を泳ぐ魚たちを見下ろして、セフィロスもまた、ため息を漏らした。
「どうだった?」
不意の問い掛けに、クラウドは顔を上げた。
剣を振る戦闘の日々を過ごすセフィロスからしてみれば、魚釣りなど子供の遊びのようにも思えていたが、そうして得られる感動は、決して悪いとはいえなかった。それを教えた男達の言葉をなぞるように、セフィロスはクラウドへと問いかける。
「悪くないだろう」
クラウドは、用を終えた釣竿を片付けるセフィロスを見上げていた。
普段の生活では経験できないイレギュラーな体験は、少年に新鮮な興奮と喜びを齎した。緊張感が抜け落ちて、楽しさの余韻だけがクラウドの心に燻っていた。
当初はコスタ行きを渋っていたクラウドだったが、海水浴に砂遊び、魚釣りと、気がつけば十分にバカンスを楽しんでいた。セフィロスとの魚釣りで満足以上の結果を得て、少年は胸を張り、『はい』と答えようと口唇を開いた。
しかし、言葉よりも一瞬早く、腹の虫がセフィロスの問いかけに答えた。
「……ふ…」
ぐう、と唸る音がなんなのか、一瞬の間を置いて理解して、セフィロスは笑みの音を溢した。
また、笑われてしまった。クラウドの顔は一気に熱くなり、口下手な少年は慌しく言い訳を探していた。
「っすみません、今のは…」
どう繕おうと、空腹は誤魔化せそうに無い。つい先刻まで魚を抱きかかえていた腹を押さえ、少年は続く音を堪えようとした。
だが、海水浴に砂遊び、極め付けに海釣りと、時間も忘れて遊んだ体は素直に欲求を訴えていて、クラウドの羞恥は増すばかりだ。
「宿に戻って、食事にしよう」
青かった海は紅に染まり、長い昼が終わろうとしている。夕陽に色を変えた光を斜めに受けながら、セフィロスは支度を整えて、足許にあったバケツをクラウドへと差し出していた。
「……はい」
クラウドは、糾弾も追及もしないセフィロスの言動に救われた。無礼で失礼な振る舞いだと思うのに、セフィロスが小さく笑うから、どこか安堵した自分がいた。
クラウドは両手でバケツを受け取って、俯き縮こまった。ありがとう、も、すみません、も正しくないような気がして、唇を噤み、眉を結んだ。
厳めしい顔をしている少年を見下ろして、セフィロスは眉を寄せた。そんな顔をさせたかったわけじゃない。けれど、何故彼がそんな顔をしているのかもわからないのに、どう接すべきかなどわかるはずもなかった。
人との関わりなど避けてばかりきていたから、クラウドと接していて、セフィロスは困惑することばかりだった。
ジェネシスやアンジールなら、それぞれ癖はあるだろうが、うまく立ち振る舞うことができたのだろう。ザックスだったなら、彼の表情の曇りを取り去るだけでなく、笑顔を引き出すことだってできるはずだ。
そんな技術も手腕も無いセフィロスは、片腕を、す、と持ち上げて、迷う指をクラウドに差し伸べるばかりだ。肩を叩こうとしているのか、頬に触れようとしているのか、どちらともわからぬ位置にある指先に気づき、クラウドは顔を上げた。
「……セフィロス?」
心許ない声音で、クラウドは問いかけた。宿に戻ろうとは言われたけれど、伸ばされた腕を無視して歩き出すことは憚られ、動き出すことができなかった。
相手の真意のわからぬまま、暫くの間、二人はそうして見詰め合っていた。触れそうで触れない距離にありながら、瞬きすらも惜しんでいた。
「おーい、クラウド、セフィロス!」
潮騒を裂いて、ザックスの大声が響いた。浜辺を歩いてきた彼は大きく腕を振っていて、クラウドのよろけた岩場を器用に飛び越えてくる。
「なにしてたんだよ、探したんだぞ」
夕陽はコレル山に染みこんで、隙間から零れた光が長い影を落とす。彼は無邪気な笑みを浮かべていて、自分の罪悪に気づきもしない。
見詰め合っていた二人の視線はザックスにすっかり奪われて、緊張感の抜けたセフィロスの腕がだらりと脇におちた。置いてきてしまったザックスが笑顔で現れた、その事実にクラウドはほっとして、抱き締めていたバケツをザックスへと差し出した。
「釣りしてたんだ、セフィロスさんと」
「釣りだって?」
ザックスは意外そうな声をあげ、クラウドの抱えるバケツを覗き込んだ。
「おっ、凄い凄い。大漁じゃないか!」
「これ、セフィロスさんと釣ったんだ」
ザックスが訪れて、クラウドは途端に饒舌になった。二人でいた時間はゆったりと流れていたが、それだけ濃厚な重みもあって、たった一人を迎え入れただけで、軽やかに動き出す。
楽しげに会話する二人を見守りながら、セフィロスは密かに嘆息した。
「――ザックス。ちょうどいいところに来た」
ぎこちない沈黙は破られたが、同時に二人きりでいるという特別を失った。ありがたいと感謝する思いと、邪魔をされたのだという苛立ちと、ザックスの持ちセフィロスの持たないものへの羨望とがない交ぜになり、セフィロスを横暴にさせた。
「受け取れ」
「なにを…うわっ!?」
岩陰から彼の取り出したものは、大きなクーラーボックスだった。セフィロスはそれを軽々と持ち上げて、ザックスに放り投げてきた。
乱暴さを指摘するよりも、それを両手で受け止めることのほうが大事で先決だった。なんとか転ばなかったものの、足場の不安定なこんな岩場で、もしもなにかあったらどうするつもりだったのだろう。
「重…っ、なに入ってんだよ、コレ!?」
クラウドは目を丸くして、ザックスは声を荒げた。広げていた本を脇に抱え、釣竿を肩に乗せ、セフィロスは歩き出す。ザックスの悲痛な問いかけに悪びれもせずに、彼は答える。
「宿の主人に借りたんだが、少し箱が小さかったようだ」
両手がふさがっていたから、ザックスは頬と顎とを駆使して、クーラーボックスの中身を覗き見た。その中にはたっぷりと氷が入っていて、釣り上げたらしい魚の山がキンキンに冷やされている。
「マジかよ…」
ザックスの両手に余るほどのクーラーボックスをいっぱいにしておいて、収まりきらなかった魚がクラウドに抱かれていただけなのだ。
そうと知って、驚いたのはザックスだけではない。クラウドもまた、唖然とした表情でセフィロスの背中を見つめていた。
「なにをしている。さっさと戻るぞ」
ジュノンの空から、夜が染み出している。岩の群を降りたセフィロスが振り返り、立ち尽くす二人へと声をかけた。
「今行きます!」
なんだか可笑しくて、それがなんだか楽しくて、クラウドは自然と顔を綻ばせていた。バケツの水が零れないように、足を踏み外さないように、少年は岩を飛び降りていく。
「…ソルジャーなんか辞めて、漁師になったほうがいいんじゃないの~?」
行きがかり上、女の子とのビーチバレーに付き合って、連れの二人を方々探し回ったあげく、重い荷物を託されたザックスは脱力し、深いため息を溢した。
たとえソルジャーといえど、一日中遊び倒せば疲労困憊だというのに、無慈悲な男だとセフィロスを睨みつける。
「おーい、置いてくな!!」
足許が見えるようにクーラーボックスを肩に担ぎ、ザックスは大声を上げた。また置いていかれてはたまらない。最後の力を振り絞って、二人を追いかけていくザックスの口許にも、自然な笑みが刻まれていた。
ホテルの主人は自慢の腕を振るい、獲れたての海の幸を振舞ってくれるだろう。そう思えば、帰路もまた楽しさの一環になる。
夏の日は長く、バカンスの夜もまた長い。潮の満ちていく浜辺に、三つの足跡が仲良く連なって、やがて波にさらわれ消えていった。