ぼくらのなつやすみ<05>

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 昨日照りつけていた太陽は、今日もまた同じだけの新しい光を降り注ぐ。砂浜は白く焼け、海は涼しい青を湛えていた。
 夏休み二日目は、引き続き爽快なバカンス日和だ。それなのに、楽しいはずのビーチの片隅に、なにやら不穏な空気が渦巻いている。
 余裕を纏う銀髪の男を、黒髪の青年が威嚇する。その傍らで当惑した様子の金髪の少年は、一触即発の二人を前に、どうすることもできずに縮こまってしまっていた。
「よう、セフィロス。逃げたかと思ったぞ」
 英雄への畏敬などない、挑発的な言動だった。しかし、セフィロスはそれを咎めない。むしろ、彼の放つ鋭利な覇気を心地よいとすら感じていた。
「くだらんな。俺がお前を恐れるとでも思ったのか?」
 ふん、と呼気を鳴らし、セフィロスは尊大な態度で応えた。その態様、言い様に苛立ちを煽られて、ザックスは歯を軋らせた。
 昨日、夕陽の馨る砂浜を仲良くならんで歩いた三人が、何故このような不穏な空気に包まれているのか。ことの発端は、ディナーの席でのザックスの一言だった。
 昨夜、山ほどの海の幸を持ち帰った三人は、宿の主人に歓迎された。彼は釣ったばかりの魚を材料に自慢の腕をふるい、食卓は遊び疲れた若者たちの舌と腹とを満足させた。それは確かに美味であったけれど、食事が進むにつれ、ザックスの笑顔は固くなった。
 海釣りは大漁だった。クラウドがその様子を語る口調から、彼がそのひと時を存分に楽しんだことも理解した。それなのに、どうして自分は、そこにいなかったのか――
「女の子と遊んでたからだろ」
「…あれは、クラウドがやりたそうだったから」
「そんなこと言ってない」
「顔真っ赤にしてたじゃないか」
「違っ、あれは…」
 クラウドは言葉に詰まり、ザックスは無作法にもフォークを咥えたまま、大袈裟に嘆息した。
「俺もやりたかったなー。こう見えて俺、釣りは得意なんだぜ」
 ザックスはそう言うと、自信ありげな歯笑いを浮かべた。
「…お前のようなうるさい奴に、かかる魚もいないだろう」
 酒のグラスを持ち上げながら言ったセフィロスの一言が、ピリリとザックスの表情を軋ませた。
「言ったな? これでも、ゴンガガの釣りキングだったんだぞ」
「ゴンガガで釣りなんてできるんだ」
「近くに川があってさ、こんなにデカいのを釣ったこともあるんだぜ」
 彼は両手を大きく広げ、自慢げに言った。セフィロスとクラウドは暫くの間唖然として、二人は同じタイミングで、吹き出すような笑みを漏らした。
 そんな大きな魚がいるわけがないだとか、田舎者のホラ吹きだとか、そう言われてザックスが黙っていられるわけもない。彼は二人にかつての武勇伝を語ろうとしたが、長そうな話だとセフィロスがそれを諌めたのが気に入らなかったようだ。
「俺が嘘ついてるって言うのかよ」
「証拠がない」
「まあ、それはそうだけど。…でも釣りだったら、俺の方がセフィロスより絶対にうまいって」
「ほう、何故だ?」
 セフィロスは瞳を細めて笑っているが、その挑発的な言動がザックスを躍起にさせていることは明白だった。クラウドの瞳は二人が話すたびに忙しなく動いて、彼ら双方を危うげに見守っていた。
 続くザックスの発言に、クラウドは言葉を失った。
 田舎育ちで、自然と共に暮らしてきたから、魚の心がわかるのだ。クラウドも同じくで、だから彼は初心者なのに、大きな魚が釣れたのだ、と。
 突拍子も無い発言に、セフィロスは顔を背け、笑う口を手で押さえた。クラウドは暴論だとザックスを嗜めようとしたが、残る笑いに喉を鳴らし、セフィロスがザックスに応戦した。
「埒も無い話だ。それを証明できるのか?」
「なんなら、勝負するか?」
「勝負?」
 クラウドが口を挟む間も無く、会話は思わぬ方向に進展した。咥えたままだったフォークでセフィロスを指し、ザックスは続けた。
「どっちが魚の心がわかってるか、勝負しようぜ」
 英雄を目指す青年が、英雄に挑戦状を叩きつけた。無敵、無敗を誇る英雄が、敵前逃亡などできるわけもない。受けて立とうと彼は答え、ザックスの果敢な笑みに不敵な微笑で応えた。
 そして今、彼らは同じ浜辺に立っている。二人のソルジャーに挟まれて、クラウドは覚束ない心地で二人の様子を窺っていた。
「ルールは簡単。この浜辺から泳いで、あそこの運搬船にタッチして、早く帰ってこれた方が勝ちだ」
 ザックスはそう言って、入り江に入港している船を指差した。それは、昨日ジュノンから彼らを運んできた船と同じものだ。
 コスタとジュノンを繋ぐ連絡船は一日に二度この海を横断する。第一便が来航し、荷物を乗せ換えている様子を遠目に確認することができた。
「釣り勝負、ではないのか」
「昨日あんだけ釣ったんだ。また釣ったら、魚たちが可哀想だろ」
 手を腰に置いて、ザックスは言う。クラウドもセフィロスと同様、てっきり今日も釣り三昧の一日なのだろうと思っていたから、驚いた様子でザックスを見上げていた。
「魚の心がわかってるなら、泳ぐのも魚みたいに早いはずだ。それとも、セフィロス、もしかして泳げないのか?」
 ザックスは挑発的な笑みを浮かべ、セフィロスの顔を覗きこんだ。
 確かに、昨日食卓に乗り切らないほどの量を乱獲したのだから、これ以上は自然に対する横暴というものだ。セフィロスは呆れたように眉を寄せてザックスを見下ろしたけれど、文句をいう風も無く、軽いため息を一つ漏らすと、着ていた薄地のパーカーを豪快に脱ぎ捨てた。
「わっ、ふ…」
 頭からパーカーを被せられ、クラウドは布地の合間から顔を覗かせた。鍛え抜かれた体が、燦々と射し込む日の光を浴びている。その姿は眩くて、クラウドはぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「持っていろ」
 水着姿のセフィロスが、ジャブジャブと小波に踏み入っていく。ザックスは嬉しそうで、小走りでそれに続いた。
「田舎モンの底力、見せてやるぜ」
 腰まで浸かる場所へと、二人は歩み進んでいく。セフィロスの着替えを抱き締めたまま、クラウドは慌てて声をあげた。
「…っ、俺は……!?」
「号令頼むわ、いつものな!」
 腕を持ち上げ、ザックスが声を張り上げる。
 ソルジャー同士の勝負に、一般兵の踏みこむスペースなんてない。それは不満でもあったけれど、必死に泳いでまるで対抗できないくらいなら、どちらが勝つかを見届けていたくもある。
 預けられたパーカーを脇に抱え、クラウドは咳払いをした。
「総員用意。三、ニ、一、マーク」
 真っ直ぐ腕を持ち上げて、振り下ろすと同時に叫ぶ。
「ミッション、スタート!」
 ざんぶと波に飛び込んで、二人は泳ぎ始めた。波をかき、水を蹴り、飛沫が浜辺に立っていたクラウドにまで降りかかる。
「う……っ、ン――ッ」
 咄嗟にセフィロスのパーカーを庇い、クラウドは水を被って濡れた顔を上げた。二人はみるみるうちに遠退いていき、跳ね上がる飛沫が猛スピードで沖合いへと移動していった。
 仲がいいのか、悪いのか。二人のそばにいると、ハラハラすることが多かった。
 ことあるごとにザックスはセフィロスと張り合っていて、しかし、セフィロスはそれを悪く思ってはいないようだった。側にいるときは言い合いばかりしているのに、離れた場所で互いを語る彼らの口調には、確かな信頼を感じさせた。
 二人は互いにソルジャーで、どちらもクラス1stだった。クラウドはもう何度も二人が並ぶ後ろ姿を見つめていて、その度に少しの悔しさと、寂寥を募らせていた。
 いつか、その隣に並べる日はくるだろうか。飛沫を弾き、波を追い越し、競いあえる日はくるのだろうか。
 ぐ、とパーカーを握りしめ、クラウドは口唇の内側の柔肉を噛んだ。すると、重く唸るサイレンの音が晴れた空に響き渡り、クラウドははっとして顔を上げた。
 見れば、積み荷を乗せ替えた運搬船は、今にも出航しようとしている。脇目もふらずに泳いでいる彼らは、轟音に気づいていない。
 クラウドは慌てて、砂浜の上でたじろいだ。船を止めようと走り出そうかとも思ったが、人の足で間に合うわけもないと気づき、浜辺に足跡が散らばっただけだ。
「どうしよう…」
 そうこうする間にも運搬船はゆるゆると動きだし、だんだんとそのスピードを上げていく。クラウドはいてもたってもいられずに、二人を追いかけて海の裾へと踏みこんだ。
「おーい、ザックスー! セフィロスさーん!」
 大声を張り上げたけれど、少年の声は届かない。水の跳ねる音が飛び散っているから、泳ぎをやめるまで声が届くはずもない。
 しかし、その船が出港してしまった今、二人の競争はどうなってしまうのだろう。
「嘘だろ…」
 クラウドは愕然とした。二人は泳ぐのをやめるどころか、更にスピードを上げて、運搬船を追いかけていく。
 抜きつ抜かれつしながら進んでいく二つの水飛沫が運搬船を追いかけて、運搬船は常人ならざるスピードで泳ぐ二人を先導してジュノンへと渡っていく。
「ザックスーー!! セフィロスさーーん!!」
 喉が焼けるほどの大声で叫んだのに、二人の姿はどんどん小さくなっていく。クラウドの呼び掛けに答えたのは、なにも知らずに空を泳ぐ一羽のカモメだけだった。

   ■   ■   ■

 夕陽を海が吸い込んで、空は夜色に染まった。日中は暑いけれど、夜は窓から吹き込むそよ風が心地よい。それはベッドに横たわるクラウドにも届いていて、彼の金糸の前髪を揺らしていた。
 少し強く言い過ぎてしまっただろうか。そんな後悔が、心を噛み締めるクラウドに苦味を感じさせていた。
 つれない態度をとって、空気を重くしたことに罪悪感を抱いている。しかし、一度ひび割れた空気をきれいに修復する技能など、彼は持ち合わせてはいなかった。
 最初は、停船中の運搬船にタッチをして戻ってくる、ただそれだけのはずだった。運搬船が動き出してしまったのは予想外だった。当然、走り出す船舶に追いつけるわけもなく、止まってくれるだろうと期待した。
 しかし、クラウドの期待は裏切られた。まさか、運搬船を追いかけたまま、ジュノンまで泳いでいってしまうとは…。
 コンコン、と、扉を叩くノックの音がした。勘違いでない音が確かに響いたのに気づいていたが、クラウドはベッドの上で瞼を閉じたままだんまりを決め込んでいた。
 素泳ぎで海を渡った彼らが帰還したのは、夕方のことだった。ついやりすぎた、と、申し訳無さそうに謝罪する二人を邪険にしてしまったから、今更快く出迎えるのも気が引ける。
「…入るぞ、クラウド」
 ザックスの声だった。彼はそっと扉を開き、クラウドの胸はどきりと高鳴った。けれど、クラウドは息を詰め、ベッドに横たわったままだった。
 ザックスが控え目な足取りで近づいてきて、クラウドの顔を覗き込もうとしたから、クラウドはその気配を感じ取り、枕の上に置いた首をごろりと逆向きに乗せ換えた。
「起きてたのか」
 安堵したように、ザックスは呟いた。彼が寝台に腰を下ろし、マットが傾くのを感じながら、クラウドは相変わらず黙りこくったままだった。
「なぁ、クラウド。そろそろ機嫌直せよ」
 声音を甘くして語りかけるが、返答はない。ザックスは参ってしまって、乱雑な髪をガシガシと掻くと、重たいため息を溢した。
「悪かったって。おいてけぼりで、寂しかったろ」
「……別に。…お姉さんと、遊んでたから」
 ようやく答えが帰ってきたと思えば、吐き出されたのはつれない返事だった。
 運搬船が走り出したことにはすぐに気づいたが、泳ぐのをやめられなかった。ジュノンに入港する運搬船が速度を緩めた頃、追いついた二人はようやく海から顔を上げた。
「なんで止まらなかったんだよ」
「お前こそ」
「そりゃあ、セフィロスが止まらないから…」
「運搬船にタッチするルールだったろう」
 普段は命令無視の常習犯のくせに、セフィロスはおかしなところで真面目さを発揮する。そうして助長されたザックスの闘争心は、本人にも歯止めは利かない。
 来たときよりも少し早く二人はコスタに泳ぎ着いた。浜辺では、セフィロスから預かったパーカーを羽織ったクラウドと、昨日の三人組とが仲良くビーチバレーを楽しんでいた。
「…晩飯、残してあるんだ。腹減っただろ?」
――お姉さんと、焼きソバとトウモロコシ食べたから」
 聞けば、浜辺で一人呆然と佇んでいたクラウドに、彼女たちは親しげに語りかけてきたらしい。クラウドの見目は悪くはないし、無愛想な振る舞いは慎ましくいじらしいと受け取られたのだろう。
 食事をご馳走され、遊び相手になって、慣れない状況に疲労を蓄積したクラウドは、宿での食事もボイコットして、先に休むと部屋に引きこもってしまった。
 一度へそを曲げたクラウドを動かすのは至難の業だ。彼は、流されやすく頼りない性格かと思いきや、一度決まったことは決して曲げない頑なさを持っている。
 ザックスは、そんな彼をなんとかビーチまで連れ出さなければならなかった。
「ホントは、眠くないんだろ?」
 図星を突かれ、ベッドに押し当てたクラウドの心臓は、どきりと高鳴った。
「腹、減ってるだろ? 我慢するなよ」
 ザックスの掌が、シーツを纏ったクラウドの脇腹に被さった。動揺と困惑とが体の内側を侵食して、高鳴る鼓動を堪えようと、クラウドは歯を食いしばった。
 シーツ越しではあるけれど、クラウドの緊張感はザックスの掌に確かに伝わってくる。煩雑な心を抱えているのに、それを一人で押し殺そうとしているから、なんだか寂しくて、そうさせているのは自分なのだという罪悪感も手伝って、ザックスは少し、眉を苦めた。
 はぁ、と、ザックスの漏らしたため息に、ひた隠すクラウドの心臓がどきりと高鳴った。
 呆れられてしまったろうか、がっかりさせてしまったろうか。しかし、今更どうすれば素直になれるのだろう。
 苛立っていたはずの心は、許しを請う罪人の気持ちに染まっていった。
「まあでも、良かった。疲れきって寝ちゃうほど楽しかったんだな」
 明るい口調で、ザックスは言った。乗せていた掌で、ポン、と軽くクラウドを叩き、彼は思ってもみない言葉を口にする。
「あの娘たち、最初はムカつくって思ってたけど、意外といい子たちだよな」
 最初は不慣れな状況に苦心したけれど、彼女達は確かに、悪い人間ではないようだった。少し刺を感じる言葉は素直さの表れだったし、何度かボールをやりとりするうちにクラウドの警戒心は弱まった。
「仲良くなれてよかったな。俺たちがいなくて、かえって都合よかったんじゃないか?」
 ため息を漏らし、問いかけるザックスの漏らす、苦笑の形が脳裏に浮かんだ。
 楽しくなかった、わけじゃない。だからといって、楽しかったわけでもない。
 並んで競い合えずに悔しくて、一緒にいられなかったことは寂しくて。彼らと一緒に居たほうが、楽しかったに決まってる。
「違――ッ」
 シーツを剥ぎ、勢い良く、クラウドは起き上がった。そこには、クラウドを受け止めるように体を構えながら、その表情を覗き込むザックスの姿があった。
「やっぱ、寂しかったんだ?」
 口隅を持ち上げたザックスは、得意げな笑みを刻む。したり顔で問う言葉に即座に反応できず、瞠目するクラウドの頬に、暗がりでもわかる朱が染みこんでいった。
「な……」
 担がれたのだと気づいて、クラウドの口唇がわなわなと震えている。打てども響かぬ少年を呼び起こすことに成功して、ザックスは喜び、そして安堵した。
 言葉を探して戸惑う口唇が反発できずにいるのを見つめ、ザックスは瞳を細めた。可愛げの無い言葉が飛び出してくるよりも先に、ザックスは大きな腕でクラウドを掴み、シーツの外へと強引に引き上げた。
「ごめんな、クラウド。お詫びに、いいもの見せてやる」
「ちょ、わ…っ、なにするんだよ!?」
 ベッドの上に引き起こされたかと思えば、彼は易々と、クラウドを担ぎ上げた。重心がグラついて、慌ててもがくクラウドをガッシリを捕まえたまま、ザックスは部屋の外へとクラウドを連れて行く。
「ザックス、やめ…おろせよ!」
「いいからいいから。大人しくしてないと、おっことしちゃうぞ」
 暴れようと、大声を上げようと、ザックスは鷹揚に振舞って、クラウドを決して離そうとはしない。うるさい荷物を抱えたまま、彼は大股に踏み進み、夜のビーチへとクラウドを連れ出した。