ぼくらのなつやすみ<06>

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 砂浜は、夜目にも白く輝いていた。星や月の光を浴びて、砂粒一つ一つが煌めいているかのようだ。
 砂浜に、歩き回った男の足跡があった。水を張ったバケツ、買い漁った遊具のつまったビニール袋が転がっていて、寄せては返す波の届かない浜辺に、セフィロスは立っていた。
「いたいた、セフィロス!」
 静かな夜を引き裂く声が聞こえてきて、ザックスが、腕を大きく振りながら歩いてきた。彼の右手はクラウドの左腕をしっかりと握りしめていて、少年は引き摺られるように、覚束ない足取りでついてくる。
「遅いぞ」
「そうか? タイミングバッチリだって」
 セフィロスが準備万端であることを指して、ザックスは笑う。相変わらず、不遜で不敵な口振りだ。口隅を緩め、小さな嘆息ひとつをこぼして、セフィロスはそれを不問にした。
 ザックスに半身を隠すように、クラウドはセフィロスの様子を窺っていた。子供のように拗ねて、夕食もボイコットしたから、セフィロスの顔を見るのが恥ずかしかった。
 見下ろすと、クラウドが口唇を結んで複雑そうな顔をしている。ザックスはニヤリと頬をつって、掴む腕を引っ張って、クラウドを三人の中心へと押しやった。
「ゎ……ッ」
 軽くつまづいて、クラウドの足跡が砂に沈んだ。肌に触れる夜風は涼しくて、見上げるクラウドの前髪を揺らす。
 その先で、少し大きくなったセフィロスの瞳が、やがて、すい、と細まった。
「よく、眠れたか」
 疲れたから寝る、だなんて、嘘に決まってる。少年の胸に燻っていた誤魔化しきれない不機嫌はいつのまにか消え去って、嘘をついた罪悪感と、嘘を許されたことへの恥じらいが、あいた場所でチリリと燃えた。
「固まってないで、はやくやろうぜ」
 見つめあうと、二人の時間は固まってしまう。決して嫌な緊張ではない、じんわりとした高揚から、ザックスが現実へと引き戻してくる。
 無粋な奴だ、とでも言いたげに、セフィロスは呆れたように嘆息した。クラウドは何故か安堵して、傍らに立つザックスへと目を向けた。
「落ち着きの無い奴だ」
「やるって…、なにを?」
 クラウドは尋ねた。
 いいものを見せてやる、と言われて、無理やりに連れられてきたけれど、ここは昨日から代わり映えの無いコスタの砂浜だ。
 夜に訪れるのは初めてだった。月明かりを浴びた波が煌く様は、なるほど美しかったけれど、なにが『いいもの』なのか分からずに、クラウドは忙しなくあたりを見渡していた。
「見てろよ、クラウド。セフィロス、頼む」
 得意げに破顔して、ザックスはクラウドの肩を叩いた。海に向かい、声を弾めて言うザックスに、セフィロスが嘆息で答える。
 しかし、それに呆れた意味合いなどなくて、次いで湛えた彼の微笑は、得意気ですらある。
「偉そうに」
 軽装のポケットから、セフィロスはなにかを取り出した。緑色に映えた球体が、セフィロスの手の中で赤色に染まる。
 何が起こっているのか、海辺に立つセフィロスを見つめるクラウドが、音も無く目を瞬いたと同時。セフィロスの指先から放たれたファイアが、夏の夜を劈いた。
「ぅわ…!?」
 大きな音がして、クラウドは驚き、身を竦めた。ぎゅ、と目を閉じたクラウドは、降り注ぐ光の気配を感じ、恐る恐る瞳を開いた。
 澄んだ空に咲いた、大輪の華。弾けて、煌いて、咲いた光は華麗に散って、夜の空を鮮やかに彩った。
「おー、綺麗綺麗」
 剣の腕だけでなく、セフィロスは魔法の使い手としても一流だ。遠くに設置した仕掛けに、寸分の狂いもなくファイアを的中させていく。
 宿の主人まで手伝わせて、彼らはクラウドのいない間にしっかりと準備を終えていた。それが今、夜空にいっぱいの花を咲かせている。
 クラウドと肩を並べて佇むザックスの口唇からも、感嘆の息が零れた。
「まだまだ」
 セフィロスの指先に、新たな火が点る。連続で発射された炎が、仕掛けから新たな花を弾き出した。
 目にも留まらぬ速さで繰り広げられる光の輪舞に、クラウドは開いた口を塞げずに、大きな瞳を瞠いていた。
「すごい…」
 打ち上げ花火なんて、見たことが無い。話に聞くよりも、テレビで見るよりも、こんなに鮮やかで、美しいものだったなんて。
「夏、とくれば、花火だろ?」
 腰を押さえ、ザックスはクラウドを見下ろした。彼の横顔が、赤、緑、白と、咲いては散っていく花火の色に染まっている。
 つい先刻までは仏頂面であったのに、嘆声をもらす少年の口隅には、薄い笑みすら浮かんでいる。くすぐったいような気持ちになって、ザックスは肩を揺らした。
 こんなものでクラウドの心を動かせるのか、セフィロスは当初、疑わしげだった。光を浴びるクラウドの顔を見る限り、どうやら試みは成功したらしい。
 ふ、と漏らす吐息に笑みを含め、放った炎はこれまでよりも一際大きく、尾を揺らして飛び散った花火は、煙のくゆる空に広く長い花びらを広げた。
「うわぁ……」
 眩く燃える光が、空を彩っている。寄せては返す静かな波が花火を映し、散った花びらは夜に溶ける。
 絶え間なく続く鮮やかな爆発に魅せられて、クラウドは天を仰いだままかたまってしまっていた。忙しなく瞬きをして、恍惚とした息を漏らすクラウドの鼻先に、火薬の匂いが届いてきた。
「さて…仕上げだ」
 連続で魔法を使用したのに、セフィロスに疲労の色は見えない。小休止、というように手を止めて、彼は、ぎゅ、と、マテリアを握り締めた。
 セフィロスの不敵な笑みを吸い込むように、マテリアは煌々と輝いた。
「行くぞ」
 放たれたのは、ファイア系の中でも最上級魔法だ。
三つの炎の塊が熱く燃え上がり、それは海面すれすれを音を立てて走っていく。
 三つが一つにまとまって、大きな炎がセフィロスの導きにより、空に跳ね上がる。踊り上がった炎は残る花火を巻き込んで、空に色鮮やかな特大の花を咲かせる。
 赤も、青も、緑も混ぜ込んで、空に散った大輪の光の渦に、クラウドは目を奪われていた。
「クラウド」
 少年の心はこれまでのぎこちなさもすっかり忘れ、花火と同じように、色鮮やかに染められていた。興奮し、跳ねる心が胸で踊り、ザックスの呼びかけに応じる顔はいつもより自然な笑みを刻んでいる。
「誕生日おめでとう」
 驚いて、クラウドは息を呑んだ。
 誕生日、一体誰の――。続く思考を、大事を終えて歩み寄ってくるセフィロスが遮った。
「忘れていたのか」
 ニブルにいた頃は、毎年母親が趣向を凝らしたお祝いをしてくれた。それからの毎日は忙しなくて、初めてのバカンスは唐突で、目まぐるしくて、無自覚でいたようだ。
「これが、俺達からのプレゼント」
 眩しい太陽、白い砂浜。キラキラと輝く海の世界。
 魚釣りの興奮、美味しい料理。夜空を彩り、散った花火。
「おめでとう、クラウド」
 楽しかったバカンスも、今日で終わる。明日になればまた時間に追われる生活になるが、今日はまだ、時間に縛られることもない。
 最後の夜を存分に楽しもうとザックスが提案し、彼は転がっていたビニール袋に手をつけた。その中には、コスタの店で買い漁ってきた花火が詰め込まれていて、砂浜に色鮮やかなパッケージが散らばった。
 色んな色が一気に飛び出すタイプもあれば、色がだんだんと変わっていくタイプのものもある。大きな音で驚かされたり、踊る花火に追い掛け回されたり。給水塔のふもとで花火に興じる子供たちをバカにしていた少年は、今宵、夏の風物詩を大いに楽しんでいた。
 セフィロスに花火を向けられ、逃げ惑うザックスを見て腹を抱えて笑った。設置型の花火の火花を飛び越えることで、勇気を競ったりした。
 砂浜の空気が煙色になって、持ってきたバケツに用を終えた花火が放り込まれていく。最後に点した線香花火は、今まで燃してきた派手な花火とは違って大人しく、騒々しかった砂浜には漣の音色が戻ってきた。
 細く、長い花火を指先で摘み、火をつけると、パチパチと小さな火花が跳ねた。花火の先端がぷっくりと膨らんで、中で炎が踊る姿が見える。
 じ、とそれを見つめていたクラウドは、興奮して気づかなかった肌寒さに今更気づき、ぞくりと背中を竦ませた。
「大丈夫か?」
 自分の分に火をつけ終えて、ザックスは尋ねた。足跡の散らばる砂浜に、三人の男が蹲っている。膝を抱え、クラウドは羽織っていた薄地のパーカーの袖を握り、頷いた。
「大丈夫」
「これが済んだら、ホテルに戻ろう」
 片膝をつくセフィロスの指先にも、線香花火が握られていた。クラウドは、昼間、セフィロスに借りっぱなしのパーカーに包まっている。申し訳無さそうに眉を寄せ、彼は言った。
「火薬の臭いついちゃったし、洗ってお返ししますね」
「気にするな」
 冷えた口ぶりだけれど、そう言うセフィロスの優しさを、クラウドは知っていた。だから少しホッとして、クラウドの瞳は燃える小さな太陽に釘付けになった。
 チリチリと花火の燃える音が、静かに響く。三人の顔は、仄かなオレンジ色に染まっていた。
 こんな誕生日を迎えられるとは、想像していなかった。知り合って間もない彼らと過ごした、騒々しくも楽しかい二泊三日の夏の旅。
 最後の夜なのだ、と思うと、切ないような寂しいような、そんな気持ちがクラウドの胸を染める。もっと長く続いて欲しくて、じっくりと燃えていく花火を見つめる少年は、願うような心地でそれを見守っていた。
「線香花火ってさ」
 三人で額を集めて、それぞれ、各々の持つ花火を見つめていた。静寂に、波の行きかう音と花火の音色が絡まっている。その美しさを壊さない程度の声量で、ザックスは続けて言った。
「なにか、願い事考えながらやってると、長く燃えるんだってさ」
 また、ザックスのいつもの、突拍子も信憑性も無い、とりとめのない話だ。笑い慣れたクラウドがくすりと笑みを漏らす傍らで、セフィロスが嘆息する。
「なんだ、それは」
 折った膝の上に肘を乗せ、指先は線香花火に繋がっている。顔を上げたセフィロスの長い前髪が、するりと流れる音が聞こえた。
「願い事を強く願えば願うほど、長~く燃えて、願いが叶うらしいぜ」
「誰に聞いた」
「噂だよ、噂」
「あてにならんな」
 そう言いながら、彼らの視線はまた、それぞれの花火に集中した。静かに燃える炎を見つめながら、なにを願っているのだろう。
 ザックスは、いつもの『英雄になりたい』を唱えているのだろう。セフィロスは、既に願わなくとも欲しいものを全て持っているから、何を願うのか見当もつかない。
 自分は、一体何を願おうか――。クラウドは膝を抱きしめて、小さく息をついた。
 ソルジャーになりたい、と、すぐに出てくるはずの願いごとが、出てこなかった。ミッドガルを離れ、バカンスを過ごすうちに、少し気が緩んでいたのだろうか。
 ふと脳裏に浮かんだのは、面白くて可笑しくて、驚くほどに楽しい時間がもっと長く続いて欲しい、と、そんな願いだった。
 思いがけない場所で、これまでとまったく別の気持ちで誕生日を過ごして。期待していなかった贈り物は、思い出というかけがえのないものだった。過ごした時間も、内容も、今までのクラウドの人生の中でも珠玉の煌きを誇っている。
 来て良かった、また来たい。そんな気持ちで胸が熱くて、ぞくりと背筋を震わせて、クラウドは呟いた。
――ザックス…」
 手元の花火に注目していたザックスが、顔を上げる。
「…セフィロスさん」
 コスタの夜は静かだったから、ポツリと溢す少年の呟きも、難なく聞き取ることができる。
「……ありがとう」
 大切な人の誕生日になにをあげようか、と、思い悩む根底にあったのは、ささやかな願いだった。その人に楽しんでもらいたい、その人に喜んでもらいたい。それが叶った今、他になにを願おうか。
「すごく…楽しかった」
 素直でない少年の叙情は、なによりのご褒美だ。円滑でない珍道中も、決して悪くはなかったと、同じ気持ちに染まっていく。
「ああ」
 静寂に撫でられた心が充足していくのを感じ、セフィロスは瞳を細めた。
「また…、来ような――
 ザックスは、漏らす呟きに、続ける言葉に願いをこめた。
――きっと」
それは、願いというには強く、約束というには弱い言葉だった。けれど、呟くザックスの声には確りとした意思があって、クラウドはそれに、音も無く頷いた。
 最後の夜は、静かに更けていく。緩やかに燃えた線香花火は、一際激しい輝きを放つ。
 三人の掌で育てた炎が、胸を熱くさせていた。ポトリと落ちて消えた光が、楽しかったバカンスの終わりを告げていた。