オリオンは色褪せない<01>

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 初めは、こんな戦いはすぐに終わると、誰もが考えていた。
 通わない意見の合理性を武力に求めた結果、多くの人の命が散っていく。重ねられる憎悪、怨恨の連鎖に、やがて皆、理由と意味とを見失っていく。
 戦争なんて、いつの時代もどこの世も、大概そんなものだ。
 兵力差は歴然。しかし、戦いは長引いた。
 ウータイの人々は、女から子供に至るまで、全てが戦士の心を持っている。いくら数を寄せ集めても、覚悟の伴わない兵士達に高性能な武器を与えたところで、宝の持ち腐れだ。
 神羅軍、と立派な名はついているものの、彼らは軍隊としてはまだまだ未熟だった。一人ひとりの戦闘力はあるのだろうし、多様な武器が不足を補っている。
 しかし、血族の誇りを掲げるウータイ兵と比べると、お世辞にも統制のとれた組織だとはいえない。彼らを先導するのには、内外に認められる説得力をもつ、絶対的な強さを備えた存在が必要だった。それが、ソルジャークラス1stだった。
 短期間で済む制圧戦のはずだったが、神羅軍が圧され始めるのに、さして時間はかからなかった。ソルジャーが投入され、ようやく相互の戦力は互角となり、戦いは一層激しさを増した。
 ウータイ兵は、大陸には無い忍術なるものを心得ている。土地の理を生かしたゲリラ作戦を展開し、モンスターを操って、神羅軍を翻弄する。
 戦線を優位に運ぶため、会社は、非情な作戦を認可した。軍が周囲を包囲し、逃げ惑う人々をソルジャーが駆逐して、村を一つ、焼き払った。
「深淵のなぞ、それは女神の贈り物。われらは求め、飛びたった」
 大都会ミッドガルとは違う、清々しい夜だった。涼しい冬の澄んだ空気に、灰の香りが混じっていても、それも気にならないほどに。
「彷徨いつづける心の水面に、かすかなさざなみを立てて――
 この、寂寥にも似た想いを、なんと表現すればいいのだろう。町は跡形もなく消え果てて、豊かな緑に包まれた空間が、ぽっかりと開いている。
 無慈悲な作戦は昼の内に決行され、神羅軍の見守る中、任務は遂行された。消火は済んで、集落だった黒焦げの残骸が、足の裏に積み重なっている。
「惜しみない祝福とともに、君は女神に愛された。世界を癒す、英雄として」
 星に住む人々の生活を保障し、安全と平和、確かな未来を約束する。この戦いは、平和を脅かす者達への粛清だ。それが、上に立つ者達の言い分だ。
 しかし、聞こえの良いキャッチフレーズは、聞くものの耳は騙せても、兵士の心までは欺けない。なにが癒しで、なにが英雄なのか。これが侵略でなくて、なんだというのだ。
「明日をのぞみて、散る魂。誇りも潰え、飛びたとうにも、翼は折れた」
 剣先の高さを保ったまま、残骸の上を、彼らは歩く。生き残りを見つけたら、抹殺すべし――その命令を、遂行するために。
 炎に包まれ、煙となった人々は、どのような心地だったのか。無惨にも蹂躙され、散らされた魂を嘲笑うように、ジェネシスの声が響く。
 眉を渋めるアンジールが彼に続き、セフィロスは沈黙を保ち、三人の先頭を進んでいく。
「君よ、希え――命はぐくむ、女神の贈り物を」
 それはまるで、鎮魂のようだった。この世で最も美しい文字を束ねた、風雅な詩を、ジェネシスは紡ぐ。
「いざ語り継がん。君の犠牲、世界の終わり」
「もう、いいだろう」
 アンジールの冷ややかな声が、メロディーを断つ。ここは戦場だというのに、彼は、お得意の誇りを背中に背負ったままで、他に武器すら携えていない。
「生存者、ゼロ。…会社に報告する」
「当たり前だ。俺たちを誰だと思ってる?」
 アンジールはモバイルを取り出して、ジェネシスは殺さない笑みを漏らした。軟弱な軍ならいざ知らず、1stが三人も揃って、失敗するはずが無い。
 市民に変装したゲリラ兵が潜伏している、女子供に拘らず、皆殺しにせよ――。ソルジャーである彼らは、命令を速やかに、着実に、完遂した。
――誰も、生き残れはしない」
 ジェネシスのこぼした呼気が、白く溶ける。乾いた冬の風が、微かな哀憫を含んだ彼の呟きを吸い込んでいった。
 ソルジャーは、戦争を勝利に導く存在として、持て囃されている。報じられる戦果に沸く群集も、ソルジャーの後ろに陣を敷く軍部の連中も、彼らの強さを認め、畏敬し、信頼している。
 しかし、彼らは気づいていない。ソルジャーの所業の恐ろしさ、醜さに。
 いや、薄々気づいている、その上で、利用しているのだ。賛美し、激励する一方で、汚れた仕事を全てソルジャーに押し付けて、高みの見物を決め込んでいる。
「……………」
 ジェネシスの問いかけに、アンジールは答えなかった。彼の掌に握られたモバイルが無機質な音を奏で、やがて、パタリと閉じられた。
 今回の作戦での彼らの役割は、抵抗勢力の殲滅と、鎮火後の状況の確認。皆殺し、の命令の延長線上にある『確認』、とは、すなわち、『生き残りがいれば抹殺せよ』という意味だ。
 三人のソルジャーが血飛沫を浴びる一方、その何十倍もの人数でいる軍は、廃墟に火をつけ、見物していただけ。大規模な作戦の後始末すら、三人の精鋭に押し付けている。
「……静かだな」
 重い沈黙を破り、アンジールは呟いた。
 家も、家具も、人も燃えてしまって、あたりを包む焦げ臭さの中には、血の香りすら残らない。死体だったものは燃え滓になり、瓦礫の山に埋まっていて、三人はその上に立っている。
 時折、音を立てて崩れるものだから、はっとして目を向けるけれど、それが木材なのか、焦げた人の手なのか、一目では判別がつかない。
 こんなところに、生存者がいるわけがない。それは、誰の眼にも明らかだった。
――セフィロス。なにを見ている?」
 先頭に立つ男に、ジェネシスは尋ねた。
 長い銀髪が夜風に流れ、彼の握る刀の切っ先は、星の光を集めて煌いている。セフィロスはただ灰の上を歩いていただけで、『確認』などしていなかった。顔を上げたアンジールは、初めてそれに気がついた。
「星の数を、数えていた」
 予想外の返答に、思わず言葉を失った。英雄の口から、そんな稚拙な回答が聞けるとは思わず、アンジールは、命令無視を注意することも忘れてしまった。
「それはまた、不毛な話だ」
 前髪を揺らし、ジェネシスが微笑う。死傷者の数にも、生存者の数にも、興味は無い。足を止めたセフィロスの傍らまで歩みを進め、彼もまた、天を仰いだ。
 ミッドガルの空は分厚い雲に覆われていて、こんな満天の星空は珍しい。集落が消え、視界の空いた場所から仰ぐ空には、無数の宝石が散らばっていた。
 セフィロスが動くということは、それだけ作戦が大規模であるということだ。彼はいつも群集を引き連れていて、その先頭、矢面に立たされてきた。
 愚鈍な兵士どもに付き添わなければならないのは煩わしくて、なにかと注意を削がれてきたが、肩を並べる二人と過ごす今宵、彼の瞳はなんの違和感もなく、美しさを賛美した。
「真面目に仕事をしていたのは、俺だけか」
「真面目の前に、くそがつくぞ」
 セフィロスの右にはジェネシスが立っていて、左の空白をアンジールが埋めた。
 不平を口にしながらも、アンジールの表情に、先ほどまで彼の表情を曇らせていた苦悩は無い。ジェネシスの揶揄を受け流し、三人は同じ角度から、同じ空を見上げていた。
 見つめていると、それまで見えてこなかった微かな光も見つけられるようになる。一つひとつ追いかけていく内に、どこからどこまでを数えたのか、いつのまにか分からなくなってしまう。
 星はただそこにいるだけではなく、確かに瞬いているから、夜にもかかわらず、見る者の目を眩ませる。時折、斜めに差し込む光が流れ星を発想させるけれど、それが流れ星なのかどうかを確かめようとすると、もう既に見えなくなっている。
 大きく広がる夜空の真ん中に、異彩を放つ、三つの輝きがあった。冬の澄んだ空に、それは、均一な距離を保って並んでいる。
「不思議なものだ」
 アンジールが呟いた。
 硝子をばら撒いたような空に、整列する三ツ星に、視線を惹きつけられる。腕を組み、短い髭を擦って、感心したように彼は続けた。
「空にはこんなに星があるのに、よくも都合よく並んだものだ」
 セフィロスもまた、同じ星を眺めていた。
 不思議な偶然は、必然を感じさせる。そして、雄大な自然の驚異に感嘆せざるを得ない。
「ミンタカ、アルニラム、アルニタク」
 ジェネシスの言葉は不可解で、セフィロスは、す、と顎を横向ける。なんの呪文か、と思ったが、どうやらそうではないらしい。
 天を仰ぐジェネシスの視線は輝く三つを捕えたままで、二人は初めて、その星の名を知った。
「何故知ってる?」
 苦笑して、アンジールが尋ねる。
「LOVELESSに通じるものなら、一通りなんでも」
 誇らしげな顔振りで、ジェネシスが答える。
 そんなことだろうと思っていた。予想通りの返答に、セフィロスの口唇が僅かに綻んだ。
「太古の昔から、三ツ星にまつわる伝説はいくつも語り継がれている。どれかは当たりかと検証してみたが、どれも外れさ」
 詰まらなそうにため息をこぼし、ジェネシスは首を竦めた。彼の嗜むLOVELESSは、歴史、科学、芸術、天文などあらゆる要素のなぞの答えが含まれている。謎解きをライフワークとしている彼ならば、意味深な三ツ星の名を知っていても当然だろう。
「そんなに昔から、あそこにあるのか」
 セフィロスは、再び天を仰いだ。彼の輪郭が、夜目にも映える銀糸に包まれる。
 アンジールも、飽きもせずに空を見上げていて、ジェネシスの視線は、彼らに少し遅れて、三ツ星に回帰した。
 古代種と呼ばれた人々は、暗い空に瞬く彼らに、どんな想いを馳せたのだろう。広い、広い闇に、名も無い星が輝き、そして消えていく。
 空は広すぎて、目的も無く見上げていると、押しつぶされてしまいそうだ。そんな中、物怖じせずに輝く三ツ星は、視点を見失った者の拠り所になる。それだけでなく、今日も、明日も変わらずそこに在り続け、悠久への憧れすら感じさせる。
 均整の取れた美しい並びは、天意のようなもの、運命めいた因縁を感じさせる。似通ったものが二つならいざ知らず、三つだ。偶然にしては、出来すぎている。
――ちょうど、今の俺たちのようだ」
 アンジールが、無防備に呟いた。彼らもまた、均一な距離を保ちながら、一列に横に並んでいた。
 ふわりと香るセフィロスの笑みに気づき、アンジールは自分の発言の無邪気さを恥じた。
「お前にしては、興味深い発想だ」
「俺も、同じことを考えていた」
 セフィロスの揶揄の上に重ねるように、ジェネシスが呟いた。星に奪われていた視線が、ジェネシスの横顔を捕まえた。
 溢れる星屑に彩られた空は明るくて、影に染まるウータイの森に、ジェネシスの姿が浮かんで見える。彼の指が愛でるように天へと伸ばされて、人差し指、中指、薬指の三本が、天に連なる三つを追いかけた。
「周りの光を食らって、異彩を放つ。その輝きの前では、他の星も霞んで見える」
 数多ある星の中でも、特別に目を惹く三つの連なり。隣り合うどれとも見劣りしない。隣り合う彼に、負けるわけがない。
「弱い星が滅んだ後も生き残り、永遠に、語り継がれていく」
 重なり合う屍の上に、名を刻む。光を奪い、闇を踏みつけ、汚い鮮血を浴びて尚、極彩色の光を放つ。
 そうしていつか、英雄の称号を手に入れる。握り締めたジェネシスの拳が、そう宣誓しているようだった。
「…傲慢だな」
 やれやれ、と肩を落とし、セフィロスは言った。
「そうなるさ」
 得意げな面持ちで、ジェネシスは言った。
「食われないように、気をつけるんだな」
「ジェネシス」
 ジェネシスは、セフィロスへの対抗心を隠さない。空に浮かぶ星のように仲良く並んでいるというのに、英雄を相手取って不敵に振舞う幼馴染に、アンジールは肝を冷やした。
「そう簡単に、いけばいいが」
 そう応えるセフィロスは、冷笑というには優しい笑みを浮かべていた。
 絶対的な強さは、絶望的な孤独と背中合わせだ。誰もがセフィロスを敬い、畏れ、距離を隔ててきた。
 ジェネシスはそれを瓦解して、同じ場所に立ちたがっている。それを嗜めるアンジールもまた、セフィロスを同等に扱っている。
 この場所は、居心地がいい。この並びは、ささくれ立った心を和ませていく。
 あの星も、こんな気分でいるのだろうか。昔も、今も、こんな心地でそこに並んでいたのだろうか。
「ここは冷える。陣に戻ろう」
 アンジールの言葉が、二人を現実に連れ戻した。
 遠く天の川へと想いを馳せ、戦場にあるまじき恍惚を感じていたのに。恨めしそうに、ジェネシスは肩を落とした。
「君よ、飛びたつのか? われらを憎む世界へと…」
 踵を返すアンジールへと、ジェネシスが詠う。
「待ちうけるはただ過酷な明日、逆巻く風のみだとしても」
「明日には、陣を東に移すんだろう?」
 朝になれば、また彼らは戦陣を指揮し、新たな戦いに身を投じなければならない。戦時中に休む間などあるはずもないが、思いがけなく訪れた貴重なひと時に名残を惜しむのを、誰が咎められるだろう。
 ほんの暫くの間、セフィロスは空を見上げていた。
 三ツ星は、いつの間にか天高く昇りつめている。相も変わらず均等に並びあったまま、また明日もきっと、そこに居座っているのだろう。
「今日一日怠けた連中を使ってやればいい。体力は余っているだろう」
 剥き出しの正宗をようやく鞘に納め、折り返して歩き出すセフィロスの足許で、長いコートがひらりと翻る。一人残されたジェネシスのため息が、白く溶けていく。
 肌は冷え、冷たい風が髪を撫でていく。歩き始めた二人の背中の、ちょうど真ん中を選んで、ジェネシスもまた歩き始めた。
「君よ、希え――命はぐくむ、女神の贈り物を」
 腕を伸ばし、レイピアを水平に掲げて歩く男の足許に、一体どれだけの星の輝きが眠っているのだろう。この日、その光を奪い去って、地上の三ツ星はより一層の輝きを増した。
「いざ語り継がん、君の犠牲、世界の終わり」
 世界を癒す英雄の功績と共に、彼らの存在もまた、未来永劫語り継がれていくだろう。せめてそれが迷うことなく星に還れるように、慰霊の詩が静寂に響く。
「人知れず水面をわたる風のごとく、ゆるやかに、確かに――
 天高くへと掲げられた刃の煌きが、す、と鞘に吸い込まれていく。しかし、帰路に着く男たちの輝きは、色褪せない。
 彼らが、星の露となった者達の上を辿っていくように、空では、伝説に名を残す黄金三星が、夜をまたごうとしていた。