もうすぐ帰るよnew

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 地平線まで続く乾いた大地は、左右を見渡しても枯れかけた木やゴツゴツした岩が所々に見えるだけで、直線のアスファルトが晴れ渡った空まで長く続いている。そんな場所をフェンリルで走っていると、妙な感覚に襲われることがある。
 このまま加速していけば、空まで飛んでいけるんじゃないか。馬鹿げた話だ。重力に逆らうことなどできるはずなく、うまく飛べたとしても着地をしくじったらただではすまない。
 骨は何本折れるだろう。骨どころか、悪ければ命を落とす可能性もある。死ぬかもしれないと考えると自然と背筋に悪寒が走る。そうして心細くなった時、ヒュウヒュウと耳の脇を吹き抜けていく風の音以外に、対向車もいないこんな道で聞こえるはずのない声が、ハッとするほどの臨場感で俺に語りかけてくる。
「くらーい顔してる」
 栗色の髪を揺らし、ピンクのワンピースの裾を踊らせクスクスと彼女は笑う。両手に握るグリップから、跨るフェンリルの座面から、タイヤを踏む振動が体全体に伝わってくる。それなのにふわふわと思考だけが離れていって、思いがけない人々の声で俺を惑わせるのだ。
「またなにか、難しいこと考えてる?」
 軽く首を傾げてエアリスは訊ねた。前までのような刺々しさを感じないのは、つい先日──大いなる福音の降った日に握った彼女の手の温もりをまだ覚えているからだろうか。
「別に、そういうわけじゃない」
 この現象はなんだろうと考えたことがある。俺だけでなく、誰もが皆当たり前に経験していることなのだろうか。それとも俺の中のジェノバ細胞が特別に働いているのだろうか。
「お前のことだ。また、『この世に自分は一人きり〜』とか思ってるんじゃねぇの?」
 懐かしい声がした。薄れていく彼女の残像の傍にいるのがあんたでよかった。
「そうじゃないけど、ただ……」
 俺はそう言って首を振ったが、荒涼とした大地を長時間走っていると、馬鹿馬鹿しい妄想をしてしまうほどの孤独感を覚えるのは確かだ。この星に自分以外誰もいないんじゃないかという錯覚が生じて、幻と現実が曖昧になって、ザックスの姿や声がわかるようになる。
「このスピードで転んだら無傷じゃ済まないだろうとか、ここで死んだら誰にも見つからないかもしれない、とは……思ったかな」
 嘘をついたり、恰好をつけたところで仕方がない。俺の考えていることなんて、あんたたちにはすべてお見通しなんだろう。
 だから正直に俺は答えた。こんなことを言ったら叱られるかもしれない。そう思うと、聞き慣れた男の声が頭の上から降ってきた。
「縁起でもねぇこと言うんじゃねえやい」
 ほら、やっぱりだ。気がつくと、ゴーグルを額に乗せて呆れたように煙草をふかせたシドがいた。
「ちゃんと気をつけてれば大丈夫だよ」
 彼の足元にはレッドⅩⅢの姿もあった。いかつい顔に目も覚めるような赤いたてがみ、優しい瞳と火の灯った尻尾は記憶の中の彼そのもので、だからやっぱりこれは俺の妄想で、忌まわしいジェノバの能力で描いたものだろうと思った。
「ボーっとしてると、ホントに事故っちゃったりして」
 ジェノバには、相手によって容姿を変える擬態能力がある。容姿だけでなく記憶も改竄し、相手にとって都合の良いカタチを作り、親しげに近づいて相手を取り込もうとする。
 俺の中のジェノバの姿であったとしても、今目の前にいるユフィはまさしく本物のように見えた。運転中とはいえ、応える俺の口許が思わず緩んでしまうほどに。
「有り得るな」
 幻が見えるようになったのは、あの事件の後からだ。セフィロスに故郷を焼かれ、大事な人たちを亡くした。
 それからずいぶん時間が経って、俺は笑えるようになった。それもこれも、一緒に旅を過ごしてくれた仲間たちのお陰だろう。
「堪忍してくださいよ〜、大事な荷物預けてますのに」
 あの頃のデブモーグリの姿はなかったが、ケット・シーが駆けてきてレッドⅩⅢの背に飛び乗った。
「そうだな、ちゃんと届けるよ」
 俺はようやく、リーブに頼まれた荷物をフェンリルに載せていることを思い出した。長く走っているうちに目的地まで忘れてしまっていたようだ。
「こんなとこで、簡単に死なれてたまるかよ」
 義手の腕を前で組んで、バレットが俺を睨みつけていた。あんたにそうやって監視されていたら、おちおち寝ぼけてもいられない。
 ふ、と、微笑うような音が聞こえた。ヴィンセントがバイクに跨る俺のすぐ傍に来ていて、驚いた俺を見て僅かに目を細めて言った。
「我々は、まだ楽にはなれないらしい」
 あの日以来、ヴィンセントは顔をよく見せるようになった。旅が終わると同時に何処かに消えた元タークスは、この騒がしい星の上では安らかに眠れない。
「みたいだな」
 そう呟くと、少しだけちくりと胸が痛んだ気がした。身の程知らずな自分の罪を忘れたわけではないからだ。
 ジェノバは正直だ。俺の中のジェノバ細胞は俺にとって都合の良い姿を見せ、聞きざわりの良い声を奏でる。
 こんなに楽しく平穏に暮らしていて良いのだろうか。許してくれる人たちの声はちゃんと聞こえているはずなのに、ふっと我に返った時に不安になる時がある。
「お前が望むなら、消してやろうか」
 そんな時に、必ずこの男が現れた。決して消えない、離れられない、はっとするほど端正な顔で凍てつくほど冷徹に微笑う男。
 彼の手には、いつも長い妖刀が握られていた。俺の大切な人たちを、俺自身を、切り裂き貫き命を吸って禍々しく煌めく刃。
「仲間も、星も、お前自身も」
 彼の手にかかったら、本当に全てを失うかもしれない。あんたのくれる痛みは俺にとって必要なものだ。でも。
「いや」
 俺はそう呟くと、目を閉じて首を振った。運転中の不注意も、ただただまっすぐな道を進むだけなら大きな支障は出なかった。
「そういうわけにはいかないんだ」
 どんなにつらくても、怖くても、俺は生きていかなきゃならない。目を背けたくなるような眩いほどの現実に、全て背負って引きずりながらあがいてもがいて挑むしかない。
 そうする時に一緒にいてくれる人が、励まして慰めて叱ってくれる人がいた。前よりも短くなった髪を揺らして、彼女は子供の頃から変わらない笑顔を見せた。
 いや、少し、だいぶ変わったのかもしれない。大人になったし無邪気ではなくなった。悲しみも苦しみも悔しさも知っている。
 それでも、傍にいてくれる。俺を待ってくれている。強くて頼り甲斐があってたくましくて、寂しがりで心配性な彼女のために、俺は幻想に囚われているわけにはいかなかった。
「気をつけてね」
 俺を急かさないように気をつけながらティファは言った。甘やかされている自覚はあって待たせている意識もあって、俺はグリップを握る指に入れる力を少し強めた。
「ああ、もうすぐ帰るよ」
 これが夢なのか幻なのか、彼らの本物の意識なのか。この星では会いたい人に会えるし、いつでも誰にでも繋がっている。
 断ち切ることなどできないし、捨て去ることもできやしない。けれどそれは苦ではなく、むしろきっと逆のものだ。
 そのことを、いつかティファに伝えてみようと思った。笑われるかもしれないけれど、それならそれで悪くはない。
 フェンリルの切る風は心地よく、空まで飛んでいけそうな気がする。地平線の向こうにあるエッジの街へ、俺はフェンリルを逸らせた。

【 END 】