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- Be my Valentine.
Be my Valentine.
「どうぞ」
ツォンが差し出したのは、細いリボンと可愛らしい包装紙でラッピングされた、小さな直方体だった。
「なんだ?」
エッジで発行されている新聞紙から顔を上げて、ルーファウスは怪訝そうに尋ねた。
統率者たる者、情報には精通していなければならない。だからルーファウスは、毎日の日課として、必ず新聞に目を通していた。
しかし、そんな彼でも、大きな情報を見落としていることがある。紙面の右上に小さく印字された日付の意味に、彼は気づいていなかった。
「我々(タークス)からです。今日は、バレンタインデーなので」
ツォンの答えに、ルーファウスは目を丸くした。持っていた新聞紙の右上を確かめると、彼は、ああ、と、声を出した。
この男から、その単語を耳にするとは思っていなかった。くつくつと喉を鳴らしながら、ルーファウスは新聞紙を折り畳んだ。
「そういえば、そんなものもあったな」
「今年くらいは、良いのではないですか」
重厚なデスクの向かいに佇んだまま、ツォンが言った。
確かに、神羅カンパニーの社長に就任して以降、ルーファウスの身にのしかかった重責は、彼に季節感を味わう時間すら奪ってしまった。星痕が消え、神羅カンパニーの再興に奔走する今だから、ようやくこのような遊びを許すだけのゆとりができた。
「イリーナか?」
「我々全員からです」
「やめてくれ、ゾッとする」
なにかと気のつく金髪の女タークスからと思えば可愛らしいが、その他の連中が用意したものかと思うと、ルーファウスの口隅には、口調とは裏腹の笑みが浮かんだ。机上にあった箱を持ち上げて、それを軽く揺さぶってみる。中からは、カラコロと可愛らしい音がした。
「コーヒーでも入れましょうか」
「砂糖は入れてくれるなよ」
さっさと踵を返すツォンに、ルーファウスは命じた。返答はなかったけれど、ツォンはきっと、チョコレートの甘さを考慮してくれるはずだ。
朝の光りが斜めに射しこむ執務室に、いつもよりも、少し和やかな空気が広がっていた。
「懐かしいですね」
ドリップコーヒーのパッケージを開き、ツォンの指が、なれた仕草でコーヒーを作っていく。沸かしたばかりの湯をカップに注ぐと、香ばしい薫りが部屋の中に広がった。
「…なにがだ?」
「あの時は、苦労しましたよ」
ツォンは、ルーファウスがとぼけていることに気づいていた。だからあえて、詳しい説明を省いた。
昔、プレジデントが存命であった頃、ルーファウスは一時期、タークス本部に幽閉されていたことがある。当時、ルーファウスはその状況をひどくストレスに感じていて、様々な命令を乱発し、暴君のように振舞っていた。
ある日、タークスに、『ミッドガル中のチョコレートを買い占めろ』という命令が下った。タークスは非番の者まで借り出して、若き君主のため、チョコレートというチョコレートを買い漁った。
結果、その年は、あわやバレンタイン中止という大惨事になるところだった。直前になり、神羅カンパニーの系列店が秘蔵のチョコレートを解禁し、事なきを得たのだけれど。
「……そんなこともあったな」
ルーファウスは、バツが悪そうに呟いた。彼にとって、それはできるだけ思い出したくない過去だった。
若気の至り、と言っても過言ではない過去を知られていることは、あまり面白い話ではない。柳眉を寄せるルーファウスへと振り返り、ツォンは続けた。
「バレンタインも、クリスマスも、これまでマトモに過ごせた試しがありません」
口調こそ穏やかではあったけれど、コーヒーを差し出すツォンの発言には、あからさまな嫌味がこめられていた。それを嫌味だ、と感じたルーファウスが、ツォンに負けない嫌味をこめて、酷薄な微笑を刻む。
「お前(タークス)にはお似合いだ」
「ええ、お蔭様で」
少しは揺らいだ顔を見せるかと期待したのに、ツォンは悲嘆するどころか、穏やかに口元を綻ばせていた。それがどこか気に入らなくて、ふん、と、小さく息を鳴らしたルーファウスは、手元の包みを強引にこじ開けた。
あの頃、バレンタインもクリスマスも、『恋人たちのイベント』と思しきものは、部下たちから悉く取り上げた。主人を差し置いて、甘い夜を過ごそうなどと、許せるわけがない。
他の連中ならまだしも、ツォンが、この男が、他の誰かとロマンスを育むことなどできないように、ありとあらゆる手段を講じた。我ながら、薄汚い独占欲だ。
ツォンはそれに、気づいているのか、いないのか──。この様子だと、きっと気づいているのだろう。
いや、ようやく気がついたのだ。遅すぎだ、と叱責することは、恥ずかしい昔の自分を肯定することになる。
それはなんともきまりが悪い。様々思考を巡らせながら、ラッピングを剥いたルーファウスは、机の前に立つツォンから顔を背けるように、椅子を回して、チョコレートの一つ目を口に運んだ。
「いかがですか?」
用が済んだら、さっさといなくなればいいものを。ツォンは相変わらずそこに佇んだまま、ルーファウスに返事を促す。
「……甘すぎだ」
「仕方がありません。あの一件以降、皆あなたのことを、甘党だと勘違いしているのですから」
涼しい顔で、ツォンは言った。遠い日の自分を恨みながら、ルーファウスは嘆息した。
チョコレートなど、あの日にもう食べ飽きた。けれど、せっかくの部下の計らいに水を差すほど狭量にはなりたくない。
手元の箱に残った三粒を見下ろして、ルーファウスが吐く息は甘かった。二つ目を摘み上げた時、それを見計らっていたかのように、ツォンが口を開いた。
「ところで、ルーファウス様。お願いがあるのですが」
「なんだ?」
「本日は、定時で失礼させていただけませんか?」
驚いて、ルーファウスは顔を上げた。ツォンは相変わらず、涼しい顔でルーファウスを見下ろしていた。
バハムートの襲来後の混乱も落ち着いて、元社員たちも続々と結集し、神羅カンパニーは緩やかに順調に、再編への道を歩き出している。日々、身を粉にして働く男に、当然の権利を主張されては、ルーファウスにそれを引き止める術はない。
もちろん、彼を労う気持ちはなくはない。けれど、普段の勤勉さがあるが故に、ツォンの口から発せられた申し出は、それがすなわちルーファウスへの拒絶でもあった。
「ルーファウス様?」
暫くの間、ルーファウスは返答することができなかった。沈黙を誤魔化すように、彼は、摘んだトリュフに歯を立てた。
粉を纏った外殻をカリリと噛むと、ねっとりした甘味に眉を寄せる。生クリームの溶け込んだガナッシュがルーファウスの味覚を狂わせ、うんざりするほど甘いのに、それはなぜか苦かった。
「好きにすればいい。報告も必要ない。必要なら、今すぐにどこへでも行けばいいだろう」
上司の粋なはからい、とは言えない口調で、ルーファウスは言い放った。甘さで喉が粘ついて、いつものように透った声が出なかった。
「よろしいのですか?」
ツォンは、驚いたような、喜んだような、弾んだ声で問い返した。彼がそんな調子を出すことなど珍しく、その顔を拝んでやろうかとも思ったけれど、悔しさが邪魔をして、顔をあげることができない。
バレンタインの日に、こんなものでお茶を濁して、一体誰に会いに、どこへいくと言うのだろうか。ガリ、と齧ったトリュフを飲み込み、その味を掻き消してしまおうと、ルーファウスは乱雑にコーヒーカップを手にとった。
神羅のマークの刻まれたカップの中で、茶色い液体がひどく波打つ。苛立つルーファウスの細い目が、カップをのけたソーサーの底に、書かれていた横文字を見つけた。
「一生に一度くらいは、本来の過ごし方をしたいと思っておりまして」
眉を顰め、それを読んで、ハンドルを持つ指先から、ぞわりとした震えが走った。まさか、彼がこのような気障な手段に出るなどとは思っておらず、ましてや、自分がまんまとそれに引っかかるだなどとは、思っていなかったからだ。
「……二度が、なくてもいいのか?」
「許されるなら、何度でも」
ルーファウスよりも少し大きなツォンの掌が、一口減ったコーヒーカップを受け取った。ツォンはそのまま上背を傾ぎ、上向くルーファウスの口唇にキスで触れる。
コーヒーのほろ苦さは薫りだけで、中は、蕩ける程に甘かった。一度それを味わってしまえば、後はもう、融け合いたくて仕方がない。
まだ日の高く昇らぬ内に、二人の業務は終了した。人は、かくも強欲だ。なにかしらと理由をかこつけて、それらしい甘さで誤魔化しながら、心のままに振舞おうとする者を、妨げるものなどあるはずもなかった。