軌跡<01>
――手に入れたいと思った。
――欲望であり、渇望だった。
――望み、願ったのは初めてだった。
――はじめは、ただそれだけだった。
■ ■ ■
ジェネシスによるソルジャー大量脱走事件から暫く。ウータイの戦争が終わったとはいえど、ソルジャーの仕事は減ることはなかった。多くの犠牲と共に無理やりな形に終わった戦争の傷跡は深く、暫くの間は残党狩りやこの機に乗じる反神羅組織の掃討の日々だった。
殺意を向けてくる者に対し刃を向けるのは容易い。英雄の名が多くの敵を呼び寄せた。
ある者は本物の英雄を前に敵意を失し、ある者は奮い立って果敢にも立ち向かってきた。しかし、それらは決まって、やがて屍となって彼の周りを転がるのみとなった。
ソルジャークラス1st、セフィロス。人は彼を英雄と呼ぶ。
いつからかは、もはや誰も知らない。それほど遠い昔から、彼はそう呼ばれていた。
セフィロス、の名を聞けば、誰もがその二つ名を思い出し、英雄と聞けば、誰もが彼を浮かべるほど、染み付いた烙印だった。
しかしながら、神羅制のトラックの荷台に一般兵と同じに乗せられ、こうして揺られている姿は、市民の誰も想像してはいないだろう。英雄とは祀られようと、所詮は神羅の駒に過ぎない。
ジェネシスの暴走によって多くのソルジャーを失った神羅にとって敵は未だ多く、それらを狩るミッションがひっきりなしに彼の携帯に届いていた。偏狭の洞窟に身を寄せるウータイ残党を掃討し、戦力を挫く。それが今の彼に与えられた使命だった。
セフィロスが配置されているからなのか、同行する一般兵の数も多くはなかった。運転席の近くに腰を下ろし、セフィロスは肘をついて携帯の画面に視線を落とす。
ミッションに従じているこの時は、新たなメールが来ることもない。沈黙を守る彼を気にしてか、それとも英雄と同行する緊張からか、同じ荷台に腰を下ろす三人の一般兵も、口を開くことはなかった。
ガタゴトと、舗装されていない道を走るトラックの中に彼がいる事実を、疑問に思う者も少なくはない。本来ならば3rdでも容易に対応できるミッションにまで、彼が出動しているのには理由がある。しかしその理由を問いただせる勇気のある者はその中にはいなかった。雨のしとしとと降る道を走るトラックに揺られ、セフィロスは青白く光る携帯の画面をただ、見つめていた。
バノーラの村には、ザックスが向かっている。そこにはアンジールもいるだろう。そして、ジェネシスも。
今となっては、彼らを友と呼ぶべきかも惑う。ただ、確かなのは、セフィロスがまた、独りになったという事実だった。
いや、昔からそうだったのかもしれない。いまや思い出となってしまった、三人で過ごした時の記憶が、図らずも脳裏を過ぎる。
この世に生を受けてから、常に特別であった自分と、同等に肩を並べる者がいた。浮世離れした自分と現を繋ぐものがなくなり、セフィロスは胸の空虚の理由を説明できずにいた。
――なにを愚かなことを。
そう自嘲し、めぐる思考に、セフィロスは自虐的な笑みをふと浮かべた。
唐突に、急なブレーキと共に、新しくもないトラックは大きく車体を揺らし、停車した。震動に体がグラつく。セフィロスは反射的に、近くに携えていた正宗の柄を握った。車内にまで響く呻き声のような叫びは、聞き慣れたモンスターのいななきだった。
「モンスターが…!!」
運転席から恐怖と動揺を隠せない声が聞こえる。瞬間、銃を握る神羅兵たちに緊張が走る。セフィロスは口許に薄く笑みを携え、立ち上がった。
「おでましか…」
心を曇らせる思考に囚われかけたセフィロスに、理性のない怪物の登場は好都合だった。正宗を振るう瞬間に、思考は必要ないからだ。
慌てた様子を隠せない一般兵は、セフィロスにとっては煩わしい存在でしかなかった。手を伏せて、自分等も立ち上がらんとする彼らを制す。
「下がっていろ」
低い呟きと共にほろを開き、車体を降りるセフィロスの背中を、彼らは呆然と見送り、彼に生を託すしかなかった。
雨と泥の臭いが鼻をつく。深い緑の竜が、雨の夜闇をまとい、黒々とした影を連れている。赤い瞳がギラギラと睨み付け、その輝きがおぞましく煌めいている。正宗を高く構え、セフィロスは口許の笑みを深くした。
――遠慮はいらない。
雨に濡れる髪が肌に貼り付く。夜風が雨を凪ぎ、じりりと足を広げて間合いをはかるセフィロスの足元まとうコートがはためいていた。
「どうした、こないのか?」
強さをはかるように、とがった舌先を裂けた口隅から覗かせていた竜が、威圧感にいたたまれなくなったように、森の木々までをも震わせる力強い叫び声をあげたかと思うと、その長い首をしならせて、英雄を抉りほふらんと襲いかかってきた。打ち付ける雨をもろともせず、セフィロスはモンスターの太くたくましい首を一刃のもと両断した。
ゴトリと重い音をたて、動く体を失った竜の頭が泥に堕ちる。醜い断末魔を響かせ、ギラついていた真っ赤な瞳が輝きを失うのに、そう時間はかからなかった。
先程まで闘いの興奮をセフィロスに感じさせていたそれも、倒れてしまえば既に一抹の感情も持てぬ肉塊にすぎない。余韻も残さずに意識が醒めていくのを感じながら、セフィロスはふ、と小さく息を漏らした。
濡れた地面を蹴って振りかえると、車のほろを押し上げてこちらの様子を見守っていた神羅兵どもが、はっと我にかえったように、凱旋する彼を敬礼で迎えた。
「あ、ありがとうございますっ」
形ばかりのそれに興味などない。車体に乗り込みながら、セフィロスは言った。
「余計な時間を食った。車を出せ」
その命令に従い、エンジンを鳴らして車は再び動き出す。セフィロスは何事もなかったかのように平静で、先程まで落ち着いていた場所に再び腰を下ろした。
圧倒的な光景を前にした兵士たちの間には、先ほどまでの緊張とは違う高揚があった。しかし、セフィロスにとってそれはどうでもいいことだった。闘いを終えた暫くの精神の静寂を味わおうと目を閉じるセフィロスの顔前に、静かに腕が伸ばされるのを感じ、セフィロスは細く目を開いた。
魔晄を浴びた蒼い瞳に、深く神羅制のマスクを被った男が、自分へと薄布を差し出しているのが映った。
「なんだ、これは」
後ろで見ていた他の二人の兵士が慌てている空気が伝わった。
「…血が………」
タイヤが土を滑る音と車体の揺れる雑音に紛れて、彼の声がうまく聞き取れない。訝しげに眉を顰めると、彼は続けた。
「血が、ついているので……これで拭いてください」
その時はじめて、セフィロスは自分の頬を伝う薄汚い異形の返り血に気づいた。
闘いの臭いにまみれることに慣れてしまった彼が、気づかないのも無理はない。少し驚いたような表情を見せながら、ああ、と呟き、セフィロスの黒いグローブを嵌めた指先が、差し出されたハンカチを拾い上げた。
「……使わせてもらおう」
気が緩んだのか、殺気のないセフィロスの言葉に、場の空気が溶けた。兵士は一度頷き、再び腰を下ろした。
雨雫の貼り付く額、風に吹かれた砂塵と返り血に汚れた頬を拭う。なめらかな生地に拭われて、肌がようやく空気に触れた。
白かった薄布が黒ずむ。表と裏とを使ってようやく汚れを落とし、セフィロスはそれを握り締めた。
視線をあげると、自分にそれを渡した男は、両膝を立てて、低くうな垂れている。銃を肩に担ぐまま、気だるげに車の揺れに流されるままいる姿を不審に思い、セフィロスが静寂を破った。
「どうした?」
急に言葉を発するセフィロスに驚いたように、他の二名の兵士が顔をあげ、視線を見合わせた。自分が声をかけられたのだと気づかない様子の彼に、再び言葉をかける。
「気分でも、悪いのか?」
注がれる視線に気づき、その兵士はようやく顔を上げる。マスクに隠れて表情は見えないものの、男が戸惑っている様子が窺えた。
「あ、いえ…」
気づかなかったが、声の抑揚からして、まだ年端もいかない少年らしい。慌てたように首を振る彼は、銃を抱える指に力を入れ、搾り出すように声を漏らした。
「その…乗り物に、弱いんです…」
セフィロスは怪訝そうに眉を寄せる。乗り物酔いなど、経験したこともなく、知らない彼には仕方のないことだった。
「こいつ、いっつもこうなんですよ。乗り物酔いしやすいらしくて」
空気が幾ばくか和んでいたからか、今まで喋らなかった他の兵士が口火を切る。
「乗り物酔い…?」
「ええ、トラックとか乗ると、気持ち悪くなるらしいです」
「…そうなのか」
少年兵は恥ずかしいのか、再び頭を低くしてしまう。唇を噛み締めているのが、セフィロスの座す位置から視認できた。
自分には理解できない感覚だが、弱っていることは見て取れる。セフィロスは渡されたハンカチを握り締め、それをコートのポケットに入れた。代わりに出した携帯を見ると、まだ目的地到着まで時間があった。
「マスク、取ったらどうだ」
思いがけない申し出に、少年兵が再び顔を上げる。
「重いだろう。目標ポイントまではまだ長い」
携帯をパタンとたたみ、セフィロスは自身のこめかみをトントンと指先で叩いた。神羅軍の制服である、頭部を守るマスクのことを言っているのだと理解し、少年兵は戸惑いながらも、両手をマスクに添えた。
重いマスクに隠されていた金髪が揺れる。暖色系のトラックのライトに照らされる肌の色は薄く、それは気分が悪いせいだけではなく、そもそもの肌が白いのだということは明白だった。
まだ幼さの残る少年は、碧色の瞳でセフィロスを見つめていた。
「……すみません」
繊細な声だった。少し弱々しいその声を、今度は雑音に紛れず聞き取ることができた。
マスクを足元に転がし、長い前髪に顔を隠して、再び少年が顔を伏せる。さらさらと揺れる金糸の髪は滑らかで、細い顎、細い喉、その体はまだ幼い少年そのものだった。
ほんの暫くの間、セフィロスの視線はその横顔に囚われていた。その姿は、儚いと表現するのが、一番適切なように思えた。
セフィロスは自分の目が奪われていることに気づき、その事実を否定するかのように意識的に視線を逸らす。こちらを呆然と見ていた、残る二人の兵士へと視線を向け、厳しい抑揚で命じた。
「お前たちも、適当に休んでおけよ」
そう言うと、セフィロスは傍らに置かれた木箱に肘をつき、瞳を閉じた。
車体の揺れは、平静を取り戻そうとする彼にとっての、子守唄にはなりようもない。
ジェネシス、アンジール。バノーラの動向。思考を乱していたものは、いまやそれではなく、別のものに変わっていた。