軌跡<02>
――それは、憧れだった。
――胸の内に秘めた、自分自身への誓いだった。
――それは、プライドだった。
――何をおいても挫くことはできない。
――何を犠牲にしたとしても。
■ ■ ■
朝焼けの頃、トラックは目標ポイントに到着した。雨は上がり、薄い霧が洞窟の周囲に立ち込めている。道中、些末なトラブルはあったものの、無事に定刻通りに到着したことを携帯電話の画面で確認して、セフィロスは立ち上がった。
トラックの荷台から降りると、ひんやりとした空気が肌を突く。アイシクルエリアに近いこの地区は、山と山とに囲まれて、アクセスは舗装されていない陸道しかない。神羅の目を逃れたがる者にとっては、まさに格好の潜伏場所である。
「あそこだな」
木々に紛れて、その根に隠された洞が、ぽっかりとどす黒く空いていた。続けて降りてくる兵士たちが、地獄へと続いているかのように暗く重くその口を開く洞窟を前に、息を呑むのがわかった。
振り返ると、銃を両手に佇む二人の兵士に遅れて、昨夜の金髪の少年がトラックを飛び降りた。手に持ったマスクを慌てて被り直し、他の二人に続けて並ぶ。それを見届けると、並ぶ彼らに英雄が命じる。
「全員ここで待機。野生モンスターから車両を守って私の帰りを待て」
彼らの表情を、驚きと、戸惑いが彩った。呆気にとられたようなその反応も、仕方のないことだ。歴戦のウータイ兵との戦闘を覚悟していたのだろうから。
普段は相対している神羅軍とソルジャー部隊だが、彼らがソルジャーとパーティで同行し、その戦闘を見て学ぶことによって経験値をあげ、次期ソルジャーを目指す者も少なくない。しかし、セフィロスにはアンジールのように後輩を育てる力など、持ち合わせてはいない。セフィロスにとって、経験値のない白兵は足手纏いにしかならなかった。
「聞こえなかったのか、返事は?」
「し、しかし……」
なにか言いたげに、二人の神羅兵が互いに顔を見合わせる。ただ、金髪の彼だけが、セフィロスへと真っ直ぐな視線を向けていた。
「……わかった。なら、ここはお前たちに任せる。そこのお前、ついてこい」
戸惑いを残す二人に命じ、件の彼を指差すと、セフィロスは踵を返した。
「はっ」
短い返答とともに、銃を掲げて、セフィロスのもとに命じられた少年が歩き出す。その背中とセフィロスとを代わる代わる見比べる後ろの二人に、仕方なく、声をかけた。
「逃げようとする奴がいたら、逃がさず倒せ。このあたりは野生のモンスターも多い。車をやられたら、ミッドガルに帰れなくなるぞ」
その言葉を聞き、ここまでの彼らを運んできた運転手が、不安そうに運転席から顔をのぞかせた。ふ、と口唇に笑みをのせると、セフィロスは軽く彼らに手をあげて、洞窟へと歩き出した。
「期待している。任せたぞ」
【英雄】の発するその言葉は、顔を見合わせていた二人の兵士の士気をあげるのに十分だった。
「はっ」
ここで完璧に任務をこなすことを誓った二人が、踵を打ち鳴らして敬礼をし、セフィロスを見送った。
■ ■ ■
洞窟の中は薄暗く、どこからか聞こえる小川の流れる音が反響して、位置感覚を狂わせてくる。無言のまま闊歩するセフィロスに、彼は小走りについてくる。その足音を確かめ、稀に後ろをちらりと確認しながら、セフィロスは歩みを止めることはなかった。
岩壁を手で辿りながら進んでいく。しばらく歩くと、ちょうど手の触れる位置に、自然にはできない窪みがあるのを見つけた。そして、その足元には重ねられた木箱が無造作に置かれている。燭台を置くための場所なのだとすぐにわかった。
先へと続く一本道、その奥には、ランプの揺れる光が岩影を微かに照らしている。歩みを止め、傍らに続く兵士に呟く。
「お前は下がっていろ」
素直に頷く相手の反応に、セフィロスの頭に疑問符が浮かんだ。両手に弾丸の装填された銃を強く握りしめ、緊張と殺気に武者震う彼が、何故自ら闘おうとしないのか。
しかし、余計な雑念に囚われている暇はない。左手に握る正宗が、掌の中でカチャリと小さく鳴いた。
「いくぞ」
近づいていくと、複数の男の話し声が聞こえた。足音を出さぬようにとは思えども、砂と泥にまみれたこの場所ではそれは容易なことではない。
こちらに気づいたらしい彼らが、駆け寄ってくるのが聞こえた。少し広まった場所で、姿勢を低く保ちながら駆けるウータイ兵と遭遇した。暗い洞窟の中で尚煌く長い銀の髪に、彼らの表情が一気に蒼白なものとなる。
「セ、セフィロス!?」
よもやこの様な場所で遭遇するとは思ってもいなかったのだろう。驚愕に動きを止めたその一瞬を逃すことなく、長い刀が彼らの動きを削いだ。
「ぐぁああっ」
醜い叫び声をあげ、兵士の一人が剣閃に弾かれて後方へと飛ぶ。間合いを取ろうと槍状の銃を構えるもう一人を、セフィロスの一閃が無惨に切り刻んだ。
一度で幾重にも広がる刀の衝撃に壁に打ち付けられ、痛みに呻く間もなく、たった一歩を踏み出したセフィロスの刃が敵の首を落とした。
石に囲まれた洞窟の天井まで立ち昇る凄まじい血しぶきに身じろいで、弾き飛ばされ倒れた男がなんとか立ち上がろうとする。確かに感じる死の直感に、ウータイ兵の震える指が銃の引き金を引いた。
「っく…ウータイの恨み、今こそ晴らす!!」
空気を裂く銃弾は、セフィロスの胸を貫く軌道に乗る。しかし、それは彼の伸ばされた腕の先で、ピタリととまり、その足元にパラパラと花びらのように落ちていった。
「そんな、馬鹿な…!?」
詠唱もなく唱えられたウォールに守られて、セフィロスは戦慄く男へと慈悲のない一刃を振り下ろそうとした。
――――。
一瞬の速さで、その横を擦り抜ける弾丸が、既に死相を浮かべていた男の脳天を貫いた。汚い色の血を撒いて、男の体が爆風にいざなわれ、後ろへと倒れる。
息絶えたそれにもはや向ける興味は微塵もない。セフィロスはその弾丸を放った少年へと、振り返った。
両の手に銃を構える彼は、まだその姿勢を崩せずにいる。後退を命じたのに素直に従ったのは、そういうことかと合点がいき、セフィロスは一人、口隅を笑みに吊り上げた。
英雄と謳われる自分とパーティとして同行しながら、後衛をも担当しようという兵士は、未だ見たことがなかった。敵を薙ぎ倒し、振り払うのは自分の役目であり、華麗ともいえるその戦いぶりに、後に続く者たちはただ呆然と、見ているだけの役割しか果たすことができていなかったからだ。
セフィロスが構えていた正宗を納めると、彼もようやく臨戦態勢を解く。控えていた場所から歩み寄り、少年はセフィロスに頭を下げた。
「すみませんでした」
「…なにがだ?」
暫しの沈黙を含んで、問いかける。少年の口唇が、言葉を躊躇いながらも、小さく震えた。
「…余計なことを、したかと」
例え彼の攻撃がなくとも、セフィロスであれば死力を尽くすまでもなく、相手の命を絶するに至ったろう。それは、自分も、そして相手にもわかりきっていることだ。
奥にはまだ、神羅打破の為に集結したウータイ兵がいるはず。しかも、先ほどの断末魔は共鳴し、奥に控える彼らまで届いていることだろう。
こちらへと駆けてくる足音が、幾重にも折り重なって聞こえてきた。
「来るぞ。ついてこい」
横たわる屍に背を向け、セフィロスは奥へと歩き出す。邪魔だと否定されることなく、共に戦うことを許す言葉に、少年の心を覆っていた不安が消え、晴れ晴れしい気持ちになった。
「はっ」
誇らしく声を上げると、颯爽と歩くその背に続き、駆け出した。
■ ■ ■
血溜りを吐いて、既に勝負に負けたウータイ兵の手から握り締められた武器が零れ落ちる。深く突き刺した正宗を容赦なく引き抜くと、ズサッと音を立てて、既に屍となった敵が地に堕ちた。
通ってきた道に、息のある者は既にいない。一人色の違う軍服を身に纏う、指揮官らしい男の命も神羅の英雄の前に既に絶し、掃討の命を終えたセフィロスは、ふ、と小さく息をつき、携帯を取り出した。
慣れた手つきでミッションコンプリートの情報を送信するセフィロスに、重なる連戦に息を切らした少年が歩み寄ってきた。混戦を極めた狭い洞窟の中で、いったい何人の兵士と戦ったのかを、彼自身も認識していないだろう。
膝に手をつき、はぁはぁと息を零す彼の服は、返り血を吸って汚れてしまっていた。
「ご苦労だったな」
携帯を畳むと、余裕を残すセフィロスは声をかけた。まだ落ち着いていないその姿を見下ろして、ふと笑みを零す。
「自分の為に、取っておけばよかったな」
その言葉が何を指しているのかと、問いかけるように少年が顔を上げた。その頬は、弾けた敵の返り血を受けて赤くてらついている。
セフィロスは自分の頬を指先でトントンと叩いて示した。
「ついているぞ」
昨夜、ガタゴトと大きく揺れる車の中で、相手に言われた言葉をそのままなぞる。少年は恥ずかしそうに顔を二の腕で拭いとった。
ようやく息も落ち着いたのか、体を起こしてマスクをはずす少年の額は汗でじっとりと濡れ、前髪が張り付いていた。それを拭う姿を見止めながら、セフィロスは洞窟の入り口へと、歩き始めた。
「戻ろう」
マスクを脇に抱え、少年もそれに続く。激しい戦闘に熱くなった顔を、洞窟に吹き抜ける冷ややかな風が撫でるのが心地よい。折り重なった屍を踏まぬように道を選ぶ少年の眼に、迷いの色は見当たらなかった。
「怖くはないのか」
突然の問いかけに、少年ははっと顔を上げる。
背中越しに、どんな表情でそれを尋ねたのかはわからない。最強の戦士を前に、投げかけられた問いにどう返答を返せばいいのか少し迷って、言葉少なに呟いた。
「……俺も、ソルジャーになりたいんです」
セフィロスが歩みを止めた。振り返る魔晄の瞳にとらわれて、少年もびくりと立ち止まった。
ソルジャー、神羅生粋の戦士の総称。魔晄を浴び、マテリアを自在に操る、戦闘のスペシャリスト。
表向きに知られているその称号の裏で、毒々しい企みが蠢いているのをセフィロスは知っていた。
人の姿を失ったアンジールとジェネシスの姿が脳裏に過ぎる。眼を細めて見下ろす英雄に、彼は続けた。
「俺、強くなりたいんです。強くなって、ソルジャーになりたいんです。あなたみたいな…」
「――それなら何故、ついてこなかった?」
与えられた任務を終えた今、交わされる会話は、セフィロス個人の興味を満たすために紡がれた。
「ここにくる前、あそこで待機しろと命じた私に、お前は何も言わなかった。強くなりたいから、参加したんじゃないのか」
「それは……」
まだ知り合って間もない彼が、余り口が上手くないのは既に知っていた。言葉を捜して泳ぐ瞳を、セフィロスの冷涼な視線が追う。躊躇いがちに発せられる言葉は小さくとも、既に自分と相手とのたった二人しか存在しないこの狭い空間であれば、容易に聞き取ることができた。
「……足手まといに、なりたくなかったから」
ピクリと、セフィロスの眉が動いた。知っていたのか、と、小さな驚きが芽生える。
この少年をここまで同行させたのは、一番大人しそうだという理由だった。自分の命も守れないような、窮地に立って混乱するような者を連れて闘うのは煩わしい。昨夜、儚いとすら感じたこの少年であれば、自分の道を邪魔することもないだろうと予想した。
その考えを覆す返答に、セフィロスは無言で続きを促す。
「…あなたと、同行できたのは嬉しいです。でも…邪魔は、したくなかった。俺は…あなたを見てるだけじゃなくて、一緒に、闘いたかったから……」
必死に言葉を探して、搾り出すような、途切れ途切れの呟きを全て聞き終え、セフィロスはふと、表情を緩めた。
痛切に紡がれる彼の告白を軽んじているからでは決してない。クラスを同じくするかつての同輩のことを思い出したからだ。
抱える銃とマスクとを強く握り締め、視線を伏せていた少年は、くつくつと喉を鳴らして笑みを漏らすセフィロスをちらりと見上げ、驚きに瞳を見開いた。
「野心家だな」
未だ幼さを残す少年から、この様な言葉を聞くとは思わなかった。セフィロスは笑みを漏らしながら、再び入り口へと歩み始める。
「強くなって、ソルジャーになって、俺と一緒に闘いたい、か。その後はどうだ? 俺を超えて、英雄になりたい、か?」
「なっ、別に、そういう意味じゃ…」
急に、羞恥が彼を襲った。
一兵士の分際で、かの英雄に、くだらない、子供じみた、未だ遠い夢を知られてしまった。慌ててセフィロスを追いかける少年の眼に、急に眩しさが飛び込んできた。
朝日がすっかり上がり、暗く湿った洞窟の入り口から射し込んでいるのだ。仄暗さに慣れた瞳に反射するその光は痛いほどに響く。ふと、振り返るセフィロスの影が、彼の視界を救う。
「…ん……?」
吹き込む風にその長い髪を揺らし、こちらへと振り返る男が、ゆっくりと問いかける。光を背負うその姿は、強く気高く、誰もが畏敬する【英雄】そのものだった。
「名前を聞いていなかったな」
掲げていた腕を下ろし、少年はきゅっと、口唇を噛んだ。逆光に慣れてきた少年の、碧に透きとおる瞳に、まっすぐに彼を映して、その名を告げた。
「……クラウド。クラウド・ストライフ」
朝日を迎える少年の姿は、返り血に塗れて尚、真っ直ぐさを失わない、純然たる勇姿であった。二人が帰ってきたことに気づいたのか、表に控えていた兵士の、自分を呼ぶ声が洞の入り口から聞こえてくる。
セフィロスはその名を胸の中でゆっくりと唱え、記憶に刻みこんだ。
「クラウド――、覚えておこう」
手の届く距離では決してない、目標として掲げる英雄が、自分の名を口ずさむ。それだけで、胸が熱くなるほど誇らしい気持ちになった。
朝日に向かって歩き出すセフィロスの背を追いかけて、クラウドは再び走り出す。移動の疲れも、重なった戦闘にかかる体の負担も、軽くなったような気がした。
そこで待っていたのは、モンスターとの戦闘に苦戦したのか、少しばかり疲労した様子の仲間たちだった。当然のごとく凱旋するセフィロスと、それに続くクラウドを、二人の兵士と、トラックから降りてきた運転手が迎えてくれた。
「おかえりなさいっ」
自分たちだけで残されていたことが不安だったのか、英雄の帰還に彼らの表情が明るくなる。ご苦労だった、と短く労うと、トラックに乗り込もうとするセフィロスの携帯が高い電子音を奏でた。
画面を確認した彼の表情が鈍るのを、注目していたクラウドは見逃さなかった。鳴る携帯を持ったまま、セフィロスは少し離れた場所へと歩いていく。
「ラザードか」
聞いたことのある名前がクラウドの耳を掠めた。
神羅、ソルジャー部門統括。ソルジャーをまとめるセフィロスの上役、自分の目指すセクションのリーダーの名前だ。
大丈夫か、そっちはどうだった、こっちは大変だった、と騒々しくまくし立てる仲間の会話を、「ああ」とだけ相槌を打ちながら流し聞くクラウドは、セフィロスを視線で追いかけていた。
「わかった、すぐに戻る」
セフィロスが電話を切り、振り返る。その表情は険しく、ミッションコンプリートに喜ぶ兵士たちの間に再び、緊張が走った。
「ミッドガルに帰還する」
短く告げると、自分たちを乗せてきたトラックに再び乗り込む。兵士たちも沈黙のまま、それに続いた。
何があったのか、問いただせる者はいない。骸の城となった洞窟を後にし、セフィロスと、クラウド、彼らを乗せた車は一路、ミッドガルへと急いだ。