軌跡<03>

表示設定
フォントサイズ
フォント種類
  • aA
  • aA
段組み
  • 縦書き
  • 横書き

 ソルジャー部門は、神羅の組織の中でも特別な意味を有していた。
 軍事兵器の孤高のブランドを確立した兵器開発部門。研究と開発を目的とした科学部門。ミッドガルの建設と維持を司る土地開発部門。警察権をもつ治安維持部門。大きなプロジェクトを掲げた宇宙開発部門。
 そして、神羅の粋を結集して設立された、ソルジャー部門。まだ若いこのセクションを統括するのが、ラザードだった。
 世界に誇る私兵団であり、戦闘のエキスパートであるソルジャー部門を統括するに相応しく、若くして業績を積んだ彼を厭う者も少なくはない。兵器開発部門のスカーレット、治安維持部門のハイデッカーがそれだった。
 何かにつけて嫌味のある棘を刺してくる彼らの囀りは騒々しいばかりだ。ソルジャーの力なくして、今の神羅の繁栄はありえない。ウータイとの長きに渡る戦を経て、それを彼らは痛感してきたはずだ。
 ラザードは、その口唇に薄く笑みを乗せた。
 復讐を決意して、どれほどの月日が流れただろうか。人を待つ間の暫くの静寂の中、執務室の中で、ラザードはスラックスに繋いだ金時計の鎖を引き、指先でパチリと蓋を開いた。
 その飾り窓に嵌められているのは、まだ幼き日に撮った色褪せた写真。そこに、優しく微笑む母の姿があった。
 母子を無惨に捨てたプレジデントに対しての、これは復讐だった。ジェネシスの暴走は自分にとっては計算違いではあったものの、計画は大幅に狂ってはいない。むしろ、この暴動が、神羅の孤高の地位を揺るがすいいキッカケだった。かといって、ソルジャー部門統括という現在の立場であれば、その肩にかかる負担も大きい。
 与えられた部屋のデスクの、青白く光るモニタを見つめながら、ラザードはため息をこぼした。
 自動扉が小さな音を立てて開き、顔を上げる。険しい顔の英雄が、今目の前に居た。
 急な呼び立てに応じ、遠方の任務に派遣されていた彼は迅速に帰還した。
「ミッションコンプリートおめでとう、セフィロス」
「世辞はいい。二人は見つかったのか」
 依然として、その冷涼な瞳に険しい表情を刻む英雄を前に、ラザードはまたひとつ、ため息を漏らした。
「バノーラに同行したタークスから連絡があった。住人は全滅、ジェネシスの両親も、殺されていた」
「……ジェネシスか」
「そのようだ」
 両脇に下ろす掌が強く拳刻み、苦虫を噛み潰したように、セフィロスが顔を顰める。
 ソルジャークラス1st。神羅の誇る精鋭たちのトップを飾った者の凶行に、悲痛な想いを刻むのはラザードも同じだった。
 事務的に記載される報告文書を映すモニタから目を背け、ラザードは続けた。
「捜索に向かったソルジャーも、同じく葬られていた。さすがは1st、というところだな」
「……アンジールは?」
「ふむ…」
 革張りの椅子に腰を下ろすラザードの横顔を見下ろすと、眉間に皺が寄せられるのを、セフィロスの立つ場所からも見止めることができた。
「ザックスが、彼に会ったそうだ」
「それで?」
「…自分の母親を殺し、逃亡した」
 その報告は、自分の予想を裏切ってはくれなかった。
 『そっち側』に往ってしまったのかと、痛感する胸には、張り裂けるような想いが刻まれていた。自分がその場に行かなかったことを後悔する気持ちと、行かなくて良かったと安堵する気持ちの二つに裂かれた心が軋む。
「それで、上はなんと言っている」
 きつく握り締められた掌をゆっくりと開き、セフィロスが口を開く。
「会社はバノーラを空爆し、痕跡を抹消した。バノーラにはジェネシスコピーを製作する工場施設もあったらしい」
「二人の処分についてだ」
「検討中だ」
 確信をつかない会話に、セフィロスが普段の冷静さを逸脱した苛立ちを隠せずにいるのを、ラザードは感じていた。再び彼に向き直ると、厳しい視線がこちらを見下ろしている。
 ふ、と表情を和らげ、デスクの上に置いた両手を軽く組むと、睨むように見下ろしてくるセフィロスへと笑みを投げかけた。
「報告は以上だ。明朝、重役会議で二人の処分を決定する」
「………」
「そんなに焦ることはない。なにがあっても、なるようになるだけだ。そうだろう、ソルジャークラス1st、セフィロス」
「……ああ」
 低い声で頷き、セフィロスは再びその掌を結んだ。
 二人が居なくなった時から、こうなることは覚悟していた。しかし、はたしてそうなったときに、自分は動けるのだろうか。
 その一抹の不安を、ラザードの言葉が払拭する。自分は、ソルジャーなのだと。
「時に、セフィロス」
再び名を呼ばれ、セフィロスが顔を上げる。
「ソルジャーの数も減ったとはいえ、クラス1stが君一人なのは荷が重いだろう。もう一人、迎えたいと思う」
「ザックス、か」
「そうだ。彼はアンジールの愛弟子だ。いいソルジャーだぞ」
「…ふ、そうだな」
 緊張していたセフィロスの表情が、ようやく解けた。
 ザックスと、正式に顔を合わせたのは、アンジールが出奔した、あの日が初めてだった。ウータイとの戦争に従じていた自分は彼と会うことは無かったが、その話だけはよく聞いていた。
 情に厚く、勇気のある、信頼できる男だと、かつて自分が信頼していたアンジールは、聞いてもいないにも関わらず、よく語ったものだった。
「そこで、相談なんだが…」
 繋がる回想へ傾きかけるのを、ラザードの声が阻む。
 差し出されたのは一枚の書面。デスクに一歩近づくと、セフィロスはそれを手に取った。
「知っての通り、クラス1stになるには、同じくクラス1stのソルジャーの推薦と、私の承認が必要だ。ウータイでの成果、またバノーラでの活躍で、私は既に承認する気持ちがある。しかし、彼の推薦者はアンジールだ」
「…ソルジャーを脱した者が、推薦者になることはできない、ということか」
「会社は認めないだろう」
「私に、奴を推薦しろと?」
「そこにサインをするだけでいい」
 万年筆を差し出し、ラザードは促すようにセフィロスを見上げた。暫く考えるように沈黙した後、セフィロスはペンを手に取った。
「うるさくなるな」
「楽しみじゃないか」
 もともと人と深く関わろうとはしない英雄の性格を、ラザードはよく知っていた。他人を推薦しよう等という柄では決して無い。けれどこうしてサインをしているということは、少なからず彼もあの男には期待しているということなのだろう。そして、信頼しているという、証なのだろう。
 流暢な筆記体でその名を綴ると、セフィロスはラザードに書類を押し返す。確かに、と確認すると、ラザードも自分の名を書き込んだ。引き出しから取り出した赤いインクを紙の端にたらすと、その上に調印する。
「まるで流れ作業だな」
「簡潔で、いいことだ」
 済んだ印鑑に残るインクを軽く拭き、書類が乾くまでとデスクケースの最上面にそれを寝かせた。
「それから、ソルジャーの増員をしなければならない。ジェネシスに拉致され、多くの欠員を残したままでは普段の業務もままならないだろう。神羅軍内部及び公募で、ソルジャー志願者を募ろうと思う」
「生ぬるい環境で育った兵士どもが、役に立つのか?」
「それで、君に聞こう。君の知る限り、誰か、引き抜きたい人材はいたかね?」
 指を組みながらこちらを見上げてくるラザードに、セフィロスは眉根を寄せた。
「私は君たちのことはよく知っているが、外のことまでは手が届かない。戦争の中で、またはミッションで同行した中で、ソルジャーとしての適性のある人材がいたら教えて欲しい」
 ラザードの言葉は、つい今朝方、同じミッションに参加したばかりの、彼の存在を容易に導き出した。
 百戦錬磨の英雄を前にして尚、爛々とその瞳を輝かせ、自らの殻に磨かれた牙を隠す少年。
―― 一人だけ、いる」
 ラザードは一瞬、驚いたような表情を浮かべた。
 自分で聞いておいて、とも思うが、彼が他人に対してそう意識を向けているとは思えなかったからだ。
「名前は…?」
 セフィロスの口唇が、今一度その名をつむいだ。
「クラウド・ストライフ」



   ■   ■   ■



 兵舎の一室で、クラウドは疲労に溺れる身をベッドに投げ出した。
 長時間車に揺られて、もともと乗り物酔いに陥りやすい体質の少年は、すでに限界を超えていた。
加えて、今朝がたの戦闘の疲労も確実に残っている。それは消せない事実だった。
 ミッションに同行した次の日は非番を与えられている。それはクラウドにとってはありがたい迷惑だった。
 戦争が終わり、喜びにあふれる街で、軍で、クラウドはチャンスを逸したことを悲運と感じる者の一人だった。名前も知られていないような田舎町、ニブルヘイムを出て、頼る者もなく神羅に飛び込んだ。それは、かつての無力だった自分と決別するためだった。
 強くなりたい、たった一つの想いが、クラウドを突き動かしていた。しかし、ようやく訓練だらけの毎日を終え、前線に出られるようになった瞬間、戦争が終わってしまった。強くなってソルジャーになる、その夢への一歩が遠のいた事実は拭いようもなく、クラウドを大きく落胆させた。
 瞳を閉じると、朝日も昇り切らぬあの洞窟での、ヒリつくような空気が再びクラウドを包み込んだ。敵の血を浴びて尚、その常人には到底扱いこなせないだろう刀を華麗に振るうその姿は、英雄と呼ぶに相応しい。
 ソルジャークラス1st、セフィロス――。伝聞の中で、そして自分の想像の中にあったどの姿よりも、実在する彼は圧倒的で、強靭だった。
 うつ伏せたまま、浅い眠りに溶け込もうとしていたクラウドは、けたたましく鳴り響く携帯の音に目を覚ました。
 いつ何時呼び出されるかわからない兵士は、その携帯の電源を切ることを許されていない。それは、クラウドもそうだった。
 未だ気だるさを残す身を跳ね起こし、クラウドはデスクに置いていた携帯を手に取る。見たことのない番号だった。訝しく思いながらも、通話のボタンを押す。
 耳に押し当てると、そこからは思ってもみなかった相手の声が聞こえた。
『クラウド・ストライフか』
――セフィロス…?」
 クラウドが驚愕し、思わずその名を呼ぶ際に敬称を忘れたのも無理はない。英雄と謳われる彼から、まさかただの一般兵である自分に来電があるなど、思ってもいなかったからだ。
『今日は御苦労だったな』
「い、いえ、こちらこそ…。ありがとうございました」
 動揺を隠せないまま、クラウドは会話を続ける。
 時刻はもう日付をとうにまたいでいる。ミッションを終えてミッドガルに帰還した彼は、先ほど足早に本社ビルへと戻って行ったはず。その背を視線で追い、自ら確認したのだから間違いはない。それからミッションの報告書を書くのを同輩に押し付けられ、遅くまでの残業を終えた自分はようやくこうして塒に帰ってきたのだった。
『クラウド、夕飯はとったのか』
「いえ…まだ、ですが」
『ちょうどいい。今はどこにいる?』
「兵舎に、戻ってきたところです」
『八番街の…そうだな、LOVELESS通りまで出られるか?』
「あ…はい」
『ならばそこで。言っておくが、制服は着てくるなよ』
 短い会話を終え、通話は途切れた。クラウドは跳ねる胸の鼓動を抑えられずに、しばらく携帯を見つめたまま茫然としてしまった。
 任務ではない。ならば何故、自分が呼ばれるのかはわからなかった。
 薄く室内を照らす携帯の画面が自動的に消灯するまで、クラウドは浮かんでは消える疑問を払拭できぬままそうしていたが、やがてはっと気づいて、慌ててクローゼットを開いた。
 他の兵士たちとは違い、都会で暮らすことに些かの興味もなかった少年は、ニブルヘイムから上京する際に連れてきた、流行おくれの服しかもっていなかった。それでも、早くその場所に向かわなければならない。
 クラウドは身だしなみを十分整える暇もなく、狭い兵舎を飛び出した。