軌跡<04>
ミッドガルは、神羅ビルを中心に、八つの街で成り立っている。魔晄エネルギーを抽出し加工する魔晄炉が八台、円状に並び、その中央には神羅ビル本社が聳える。魔晄炉を中心に、零番街から八番街まで街が発展し、世界一の都市が、重厚なプレートの上に出来上がっていた。
眠らない街、八番街。神羅ビル中央エントランスにほど近いこの街は、神羅関係者も多く、不眠不休の彼らのために休むことなく娯楽を提供していた。
噴水広場を抜けると、古代からの叙事詩をモチーフにした通称LOVELESS通りが伸びる。 息を切らせて駆けつけたクラウドは、劇場のすぐ下に佇む彼の姿を容易に見つけることができた。
「っすみません、お待たせ、しました」
仔犬のように胸を弾ませる少年を捕らえると、セフィロスは凭れていた壁から背を離した。先程電話口で命じた通り、少年は黒のノースリーブハイネックに黒地のジーンズと、慎ましい格好で目の前に立っていた。
ラザードの部屋を後にしてすぐ。久方ぶりに自分の執務机についたセフィロスは、端末に彼の名を入力して、その情報を参照した。
ニブルヘイム生まれ、治安維持部門神羅軍所属。 ニブルヘイムと言えば、魔晄炉のある辺境の田舎町だと聞いたことがある。
続けて表示されたページには、彼についての詳細な情報が記載されていた。
体力は標準だが、射撃の評価は高い。魔力についての順応性も悪くはない。ただ、協調性が低いと但し書きがされていた。
その一文を読んで、セフィロスは苦笑を漏らした。自分と同じか、と。
そして、ごくごく標準的な成績を記すこのデータでは計り知れない、彼の戦士としての可能性に興味をもった。今朝方自分に見せたあの瞳の輝きの理由を、知りたいと思った。
無愛想に表示されている彼の入社時の写真を映し出すモニタを見つめながら、その指が携帯に伸び、数字の羅列をなぞってこの場に彼を呼び出したのだった。
普段通りの装いの英雄を前に、彼は漸く息を落ち着かせた。
「急に呼び出して、悪かったな」
「いえ、とんでもありません」
「さて、いこうか」
セフィロスが歩き出すのに、慌ててクラウドもそれに続いた。
夜中とはいえ、常昼の街にはまだ歩く人も多い。ミッドガルの中心街で、英雄の姿を見て気づかない者はいない。堂々と通りを渡っていく彼の背を追いかけ、クラウドは足早に歩いていった。
繁華街から少し離れた場所にある地下の店に、セフィロスは少年を連れ立って入っていった。下る階段を飾るインテリアは洒落ていて、クラウドは自分が場違いであることを痛感していた。
来客を知った支配人らしき黒服の男が扉を内側から開け迎え入れる。店は下品にならない程度に薄暗く、暖かい色の電灯がぼうっと照らしていた。
「これは、サー・セフィロス。良くお越しいただきました」
男はこれ以上ないほどの愛想笑いを浮かべ、セフィロスを歓迎する。
点在するテーブルにつく客がその声に気づき顔をあげ、密やかにこちらを覗いているのを知り、クラウドは更に居たたまれない気持ちになって身をちぢこめた。
「お一人様ですか?」
「いや、二人だ」
セフィロスの背後に佇む少年の存在に漸く気づき、男は驚いた表情を見せた。
「奥は空いているか?」
続けて尋ねるセフィロスに、慌てて道を示し、男が先導して歩き出した。
「これは失礼致しました。さ、こちらへ」
好奇の目でこちらをうかがう視線が、まるで突き刺さるようだと感じていた。クラウドは俯いたまま歩き出す二人に続く。
通されたのは、皮張りのソファの設置されたVIPルームだった。 六人はゆうに収容できるその部屋を見渡して、中に入るのを戸惑うクラウドを、黒服の男が笑顔で促す。
「どうぞ」
遠慮がちにテーブルにつくクラウドに、セフィロスは思わず笑みを漏らした。
「ご注文はいかが致しますか」
「後で呼ぶ」
「かしこまりました」
丁寧に礼をすると、セフィロスは抑えていた笑みを声に出した。 萎縮する自分を笑われているのだと悟り、クラウドは顔を赤くした。
「いや、すまない」
口許を押さえ、笑みを鎮めようとしても、目の前に腰を下ろすクラウドは更に萎縮してしまう。
「そんなに畏まるな。こっちまで緊張する」
「…俺は、何か失礼をしたでしょうか?」
少年の恐々とした呟きに、セフィロスは驚いて顔をあげた。
ここに来るまで、懸命に考えた上でクラウドが導きだしたのはその結論だった。
「どうして、そう思う?」
「でなければ、こうして呼び出される理由がわかりません…。無礼を働きお叱りを受けるなら話は別ですが…」
「わざわざ食事に誘った上で、叱る奴がいるか?」
クラウドの開いた口が、言葉を失って緩く噤まれた。
どう謝罪しようかと頭を悩ませていたのに、それと正反対なことを言う彼に、尚更動揺していた。革で誂えられたメニューボードをめくると、クラウドへと差し出す。
「そういうことだ。わかったら、さっさと選べ」
「しかし、サー・セフィロス」
「必要ない」
クラウドの言葉は、またもセフィロスによって阻まれた。
「セフィロス、でいい」
同じ空間で、同じテーブルにつき、相対する二人ではあるが、立場が違いすぎる。
じ、とこちらを見つめる視線を感じながら、クラウドは胸を蝕む動揺を押し殺すかのように、頷いた。
「わかりました、……セフィロス」
その口唇は、そう呼ぶのを躊躇った。未だ違和感を残すものの、少年の繊細が自分の名を諳んじたのを聞き届け、セフィロスは薄く笑みを刻む。
テーブルの上に立てたメニューボードに顔を埋めこむクラウドの目に、並ぶメニューの文字などまるで映っていなかった。ただ、動揺と興奮を抑えようと必死に自分に言い聞かせる。
その様を黙認しながら、セフィロスは自らもメニューボードを捲る。その口唇に、目の前に座す少年とは裏腹の笑みをたたえながら。
■ ■ ■
味などまるでわからなかったが、美味であることに間違いはなかった。
何種ものチーズの組み合わさったリゾットを頼んだのは、特別それが好みであったからではない。あの黒服の男の接客に気圧されるような形で、安価の適当なメニューを指差したら、たまたまそれであっただけの話だ。
英雄が食事を摂る姿を見るのは、なんだか不思議な気持ちがする。戦場にある彼をイメージしていたクラウドは、他の人間のように活動する彼の姿など考えていなかったからだ。ましてや、自分と食卓を共にすることなど。
「俺の顔に、なにかついているのか」
その言葉にはっとして、かえってまじまじとセフィロスを凝視してしまう。
銀色の食器を巧みに使ってパスタを絡ませながら、こちらを見る英雄と視線があうと、クラウドは再びいたたまれない気持ちになって、半分も食べきっていないリゾットをかき混ぜて顔を伏せた。
「こうして、人と食事するのは…久しぶりなので」
「軍には食堂があっただろう」
「ああいうところは、苦手です」
「ルームメイトはいないのか」
「俺の部屋は、今は一人なので」
「成程」
細いグラスに煌いたミネラルウォーターをくいと持ち上げ、それはセフィロスの容の良い唇に注がれていく。
尋問のようだ、と感じた。場違いな場所で、場違いな自分を嘲っているのかと、クラウドの心を動揺とは違う重い気持ちが広がっていく。
「質問、ばかりですね」
「問題が?」
「……いきなり上官に呼び出されて、質問攻めにあうのは、いい気分ではありません」
「それなら、お前が質問すればいい」
食器を引っかくようにかき混ぜていた指が止まる。再び視線を上げると、食事を終えた食器を揃えて、セフィロスがこちらを向いている。
「答えてやるぞ」
傾けたグラスの脚に触れる指先を遊ばせて、セフィロスはたじろぐクラウドを見守り楽しんでいた。まるで怯えた獣のようにうつろう視線を追いかけて、促すと、クラウドはカチャリと音を立てて食器を置き、セフィロスを真っ直ぐ見つめ返した。
「酒は、飲まないんですか」
「いつ召集があるとも限らんからな。滅多には飲まない」
「ここにはよく来るんですか」
「昔は、な。最近はまともに食事を摂ることのほうが少ない」
「……何故、俺を呼んだんですか」
「お前に興味があったからだ」
矢継ぎ早に質問を返すクラウドの口唇が動きを止めた。
理解できない、といった面持ちの相手へと、セフィロスがソファに沈めていた背を起こし、テーブルに肘をつくようにして顔を近づける。
「ソルジャーに、なりたいんだろう?」
紡がれる問いに息を呑む少年は、少しの間を置いて、控えめに頷いた。
「ラザードに、お前を、ソルジャー候補として推薦しておいた」
思ってもみなかった発言に、クラウドが瞠目する。
つまんでいたグラスを持ち上げて喉を潤すと、セフィロスは続けた。
「一般的なソルジャーは、まず神羅軍で戦績を上げる。そこで特出して秀でた者がソルジャーの施術を受けることができる。筆記試験もあるが、実力に因るところが大きい」
「……俺は、まだ入隊したばかりです」
「そこらの兵士どもよりは骨がある」
向けた視線が、こちらを真っ直ぐに見つめてくる碧色の瞳を捕らえる。
永いウータイとの戦争の中においても、戦いを厭い怖気づく者は少なくなかった。その先頭に立ち、神羅の軍勢を背負った英雄は、その愚鈍ぶりに心底辟易していた。
今朝方、あの薄暗い洞窟の中で、セフィロスは確かに喜びを感じていた。自分がかつて友と呼んでいた、あの二人に感じた空気を、この幼い少年からも感じたからだった。
「今はソルジャーの数も不足している。早急に人員を補充する必要がある。それに俺は、そう気が長い方じゃない」
続けたセフィロスの言葉の意図を汲めず、クラウドが眉を寄せた。ふ、と笑みを零して、セフィロスはグラスを彼へと傾けた。
「ソルジャーになって、共に闘うんだろう?」
クラウドを蝕んでいた動揺や屈辱、そして苛立ちは、今や誇らしい喜びに変わっていた。一方的な憧れを抱いていた男が、自分を認めてくれている。他の誰が自分のことをどう思っていようと、それだけで満たされるようだった。
テーブルの下で結ぶ拳にぎゅっと力を込めて、クラウドは今一度、今度は深く頷いた。
「一応査定もあるようだが、現在のデータを見る限り問題は見当たらない。近々正式な辞令がいくだろう。その後はソルジャーに同行して訓練・演習だな」
「俺は…ソルジャーに、なれるでしょうか?」
「お前次第だ」
クラウドの体を這うような鳥肌が広がっていく。
ソルジャーになれるかもしれない。その興奮と高揚に、クラウドはきゅっと口唇を噛み締めた。
「さっさと食え、もう冷めてるぞ」
喜び勇むその姿を見守りながら、セフィロスは食べることも忘れてしまっている彼に促した。
無言のまま、余すリゾットを一気に頬張るその姿を見つめ、セフィロスは自分らしからぬお節介ぶりに、思わず自嘲した。
既に敵となってしまった彼らに裏切られた、心の虚無。そして孤高となってしまった寂しさを、この少年への期待で埋めようとしている。
重い荷を背負わせてしまったことに申し訳なく思う気持ちもある。
焦ってか、夢中で食事する彼を、セフィロスは常の表情でなく、その口隅を笑みに和らげたまま、眺めていた。
■ ■ ■
すっかり夜も遅く、あたりは冷え込んできている。先ほどまで街路にいた人影も疎らで、ビルへと帰る二人の足音がキンとした空気によく響いていた。
歩いていくセフィロスの背中を見つめながら、ようやく落ち着きを取り戻したクラウドの胸に、かすかなざわめきがまとわりついていた。
ようやく平静を取り戻した自分だから、疑問に思ったのかもしれない。ミッションを終えて車に戻ったときの、あの電話。そして、ミッドガルに帰還しビルへと戻る際の、セフィロスの険しい表情。
つい先ほどまでテーブルを囲んでいた彼の柔らかな表情とは違う、明らかに緊迫したそれが、クラウドの脳裏をちらつく。
今、ソルジャー部門は人員不足だという話はよく耳にする。そしてそれが、先日殉職を報じられた二人のクラス1stと関係があるのだということは、末端の自分にもなんとなく理解はできていた。
しかしそれが、なんの意味があるのかはわからない。一定のテンポを崩さずに歩く、二人の間に広がる沈黙を破ったのは、セフィロスの方だった。
「どうかしたのか」
空気に触れる自分の肩を掴み、身を縮ませていた少年へと振り返る。こちらを伺う視線に、クラウドは尋ねるべきか戸惑って、視線を泳がせた。
「いえ、なんでも…」
「言ってみろ」
有無を言わせぬ突き刺すような問いに、クラウドは息を詰まらせた。
有名な叙事詩であり、二人が足を止める劇場で年中上演されていながら、クラウドはまだその劇を見たことがない。LOVELESS通りにたたずむ二人を、街灯が緩やかに照らしていた。
「あの……。…ソルジャークラス1stは、他に二人いたはずです。二人は、どうしたんですか?」
セフィロスの表情が険しくなる。その変化を遠慮がちに見上げた少年は把握して、聞いてしまった後悔と、彼をそうさせている自分のはかり知り得ない事情と感情とを思い、胸苦しさを感じていた。
「――二人は、殉職した」
「それが嘘であることくらい、俺でも知っています」
「聞いてどうする」
「…いえ……別に…」
肩を掴む手にきゅっと力を込めて、少年は口を閉ざした。すみません、と小さく呟き、深く頭を下げる。
振り返る場所にたたずむ少年を見下ろす視線を上げて、セフィロスは天を劈く神羅ビルを見上げた。
天を劈くその建造物は圧倒的で、けれど重苦しく、聳え立っている。一度、深く息を漏らすと、セフィロスが口を開いた。
「ジェネシスとアンジールは、神羅を裏切った。今や――敵だ」
ゆっくりと、顔を起こすと、神羅ビルを仰いで立つ彼の背中を、そよぐ風に、銀色の長い髪がはためいている。
彼は、どんな顔をしているのだろうか。それを窺い知ることはできなかった。
ただ、紡ぐ声の響きに、クラウドはなぜか痛切な気持ちになって、寄せた眉根に痛みを感じていた。
「そういえば、返してなかったな」
空気を割って、振り返った英雄の表情は、店の中で見せていた温和なものと同じだった。急な発言に戸惑いを隠せないクラウドに、セフィロスは自分の頬を指先でたたいてみせる。
「また明日、連絡する」
「あ、いや…別に、返していただかなくても…」
「連絡する」
セフィロスの発言に圧されるようなかたちで、クラウドは一度、頷いた。それを確認すると、セフィロスはふ、と呼吸するかのように笑みを漏らす。
「遅くに、悪かったな」
そうとだけ告げて、セフィロスは再び神羅ビルへと歩き出す。兵舎のある方向とは別の方向へ向かうセフィロスの背中を見送りながら、クラウドは結んだ拳にこめる力を強くした。
強くなって、ソルジャーになって、そしてセフィロスと一緒に闘う。幼く、未熟な、夢みたいな拙い思いが、胸に克明に刻まれて、疼いていた。
期待に応えよう。俺は決して、彼を裏切らない。胸の中で、そう独白する。
踵を返し、自分も帰路へとつく。静かに蕩けるミッドガルの夜に、足早に駆けるクラウドの足音がひどく響いた。