軌跡<05>
「なぁ、頼むよクラウド」
この通り、と手を合わせ、合掌する同僚の兵士に半ば圧されるようなかたちで、クラウドは押し付けられた箱を両腕に抱え込んだ。
「渡すだけでいいんだな?」
「そうそう。それで、この伝票にサイン貰ってくればOK」
「わかった」
「助かるよ。早く行かないとどやされる。あ、伝票は終わったら本部まで届けてくれな」
口早に捲し立てると、慌てた様子で彼は走り抜けていく。 エレベーターホールの時計を見上げると、もう日付も変わろうかという頃合だった。
この世界の頂点を極める神羅ビル、その本部であるミッドガルの中央に聳えたこの本社に強襲する者などいないだろう。しかし、つい先程、多くの者の予想を裏切って、彼らは侵攻してきた。
神羅ビル内部まで侵入してきた賊の掃討の為、非番であったクラウドも強制的な招集を受けた。彼らは、全員同じ顔をしていた。かつて、セフィロスとその肩を並べていたソルジャークラス1st、ジェネシス。ソルジャーに憧れるクラウドは彼の顔と名前を良く知っていた。
突然の強襲に、借り出された兵士たちは激務に追われていた。自分の課せられた任務を負え、ようやく一息をつくクラウドは、同輩に押し付けられたお使いをこなすため、少し重みのある木箱を抱えて歩き出す。
中では液体が揺れているような重力感だ。 DANGERとラベルの貼られたそれは、なにか実験にでも使われるのだろうか。
余計な詮索はしない方がいい。 そう無理やり納得して、クラウドはエレベーターに乗り込み、科学部門フロアのボタンを押した。
昨夜、セフィロスから聞いたあの言葉が脳裏にこだまする。
ジェネシスとアンジールは、神羅を裏切った。それがなにを意味しているのかその時のクラウドは十分理解していたとは言えなかったが、こうなった今は、実感を伴って痛感している。
まるでモンスターのように無尽蔵に沸いてきたジェネシスのコピーは、躊躇うことなくビルを攻撃した。そしてその魔の手は八番街まで伸び、先程エントランスを流れていた速報でも、市民の中に負傷者も大勢出たと報じられていた。
圧倒的な強さの象徴、正義の証であったソルジャーが、かのような行動に出たという事実が、クラウドにはショックだった。
「セフィロス…」
低い音を唸らせながら上階へとクラウドを運ぶ狭い箱の中で、彼はその名を諳んじた。
かつての同輩の凶行に、彼はどれだけ苦しんでいることだろうか。それは、神羅ビルを見上げた彼の後姿しか見ることができなかった自分には知りようもない。
連絡する、と彼は言った。けれど、これだけの騒ぎとなった今、その約束も果たされるかは甚だ疑問が残る。事実、連絡を待つクラウドの携帯は、鳴り響く気配もなく、大人しくそのポケットに収まったままだった。
チン、と、機械音が鳴ったかと思うと、エレベーターは彼を目的地へ送り届け、その扉を開く。クラウドは馴染みのないフロアへと一歩を踏み出した。
科学部門と元々縁がない少年兵は、きょろきょろと首を振って、静かなフロアを見渡す。同年代の多く、なにかと騒々しい神羅軍とはまた別の、陰気な居心地の悪さが犇いていた。
ふと、白衣姿の研究員が、なにやら書類を読みながら通りすがっていく。クラウドは意を決し、彼に声をかけた。
「あの…、荷物を届けにきたのですが…」
急に話しかけられたその男は、兵士姿のクラウドに少し驚いた顔を見せる。 武骨なハイデッカーと頭脳派な宝条博士が犬猿の仲でもだと言うことを知っていたからだ。 兵士の抱える木箱を見下ろし、伝票を確認すると、ああ、と頷いた。
「宝条博士宛だ。この廊下の突き当たりの部屋の中の、エレベーターの上にいるよ」
研究員の指差す廊下を確認すると、クラウドは、両手が塞がっているために略式に敬礼した。
「はっ、ありがとうございます」
示した道を行く兵士の後ろ姿を眺める彼の脳裏をふとした不安がよぎる。 ジェネシス軍の侵攻に些かの興味も向けずに没頭していたほどの、楽しい楽しい実験を、あの堅苦しい兵士が邪魔して、博士の機嫌を損ねないだろうか。
それも自らとは関係ないことだと思い返し、彼は再び書類へと視線を落とし、歩き出した。
■ ■ ■
精密な機械の犇めくその場所は独特な雰囲気を醸し出している。エレベーターの柵が広がると、薄暗い室内には、白衣を着た一人の男が、じんわりと淡い光を放ったポッドと嬉々として対峙している。中にはモンスターらしい影がうごめき、聞くに堪えない唸り声をあげていた。
「成功だ。やはり私は天才だ」
その異様な光景を前に、不快な高笑いを響かせる彼が、科学部門統括の宝条だ。 陰気な気配を纏うその男を、クラウドは式典で見かけたことがあった。
早く済ませてしまおう、その思いを強くして、重たい荷物を抱える少年兵は、フロアの中央に佇む科学者の許へと歩んでいった。
「宝条博士、ご要望の品をお持ちいたしました」
「この技術を応用すれば、ソルジャーと肩を並べる強い兵士を養成できる。しかも、今までとは違い施術に時間をかける必要もない」
「どちらに配置すればよろしいですか?」
「画期的だ。私の頭脳は神の与えた唯一無二の至宝だ」
「宝条博士」
「――なんだね、君は」
両手を挙げて天を仰ぐ男が忌々しそうに顔を向けると、重そうな荷物を抱え佇む兵士が、仄赤く光るマスクを深く被ったまま、こちらを見つめていた。
「ご要望の品をお持ちいたしました」
「誰からだね」
「ハイデッカー殿です」
「ハッ、あの単細胞が、私の研究の邪魔をしようというのか」
「どちらに配置すればよろしいですか?」
「その辺に置いておきたまえ」
いちいち刺のある物言いが癪に触る。 しかし、それを表に出すほどクラウドも愚かでは無かった。
「はっ」
と、踵を打ち鳴らして敬礼すると、木箱を部屋の片隅に運んでいく。ぶつくさと毒づく宝条の呟きに耳を閉ざして、ようやく荷物を下ろすと、クラウドは、深くため息を漏らした。
大きな音を立てて、下の階と研究ポッドとをつなぐエレベーターが動き出す。振り返った少年の視線の先にあるポッドには、もはやなにものの影も残されていなかった。
早くこの、煩わしい任務を終わらせよう。 あとはサインされた伝票を軍本部に届けるだけだ。
箱に貼られたその紙を剥ぎ取り、クラウドは再び宝条へと近づいていった。
目の前の端末に表示された数字をノートボードに書き込んでいく。 側に佇む気配を感じ、視線を向けることなく宝条は口を開いた。
「なにかね。まだ私の邪魔をしようというのかね?」
「……こちらの書類に、博士のサインを頂戴致します」
「そのセンスの悪いマスクで、ただでさえ足りない頭脳を締め付け苦しめている君には到底わからないだろうが、私は今崇高かつ繊細な実験の真っ最中だ。手を煩わせないでもらおうか」
奇人とも言える彼のことは、たとえ常人であろうと理解できようはずも無い。ただ、軍所属の自分を馬鹿にしたような物言いには腹が立った。
つい先程まで、このビルを襲撃していた異形の敵から護り戦っていたのだという、誇らしい自信もあって、余計にその想いが少年を強く駆り立てる。
クラウドは口唇を結んで、被るマスクを脱いで脇に抱えた。その物音に気づき、宝条はふとボールペンを走らせる手を止め、顔を上げた。
「こちらに、サインをお願い致します」
差し出す伝票に眼を向けることなく、丸く分厚い眼鏡のレンズ越しにクラウドを見やる。宝条は漏れ出す笑みを隠そうともせず、下品な笑い声を上げた。
「クァックァッ。そんなことをしても、君に理解できるとも思えんが」
差し出された書類を奪うように引き寄せて、宝条は笑みに肩を震わせたままノートボードに紙を挟みこんだ。
「今回だけは、その度胸に免じて私の時間を割くことを許してやろう」
伝票に記載された文字列を一行一行指でなぞり、確認しながら、宝条はずれた眼鏡を直す。確認と調印の作業が終わるまでの暫くの間、クラウドは小さなため息を漏らし、未だ薄く発光するポッドの方へと視線を向けた。
透明な扉の中は薄もやがたちこめていて、中を探ることはできない。ガラスには「SAMPLE」と大きな文字がプリントされている。
「気になるかね?」
ペンを握る手を動かしながら、宝条がたずねる。長い前髪を昆虫の触覚のように垂らしたまま、彼は表情を険しくするクラウドを見上げていた。
「面白いサンプルが手に入ったのでね。実験をしていたのだよ」
先程までの威圧的な口調ではなく、研究者としての流暢かつ冷静な口調で、男は続ける。ノートボードを抱きかかえ、覗き込んでいた端末の画面を覗き込もうと腰を曲げる。自然と、クラウドの眼も同じ画面へと向けられた。
「ソルジャーやモンスター、様々なパターンのバトルデータを収集し、それを組み替えて電気信号に置き換え、人体の細胞や遺伝子まで働きかける情報パターンを作成した。これを直接インプットすることで、本来の能力を引き出し、またそれ以上の成長を急速な速さで促すことができる。従来のソルジャー育成には魔晄照射の施術が不可欠で、膨大なコストと時間を必要としていた。しかしこの技術を活用すれば、肉体や戦闘能力の純粋な強化を、短期間で行うことができる」
「――それは、強くなれる、ということですか?」
宝条が、にんまりと、下卑た笑みを浮かべてクラウドへと振り返る。細く歪な指先が端末を叩き、新しい画面が開く。
「君は察しがいいな。これが先程の実験の結果データだ」
低く唸る音を立てて表示されている数値は、元のデータと比べると倍異常の身体能力を告げている。体力、筋力、動体視力、瞬発力、様々なデータが、その実験の成功を物語っていた。
画面を食い入るように見つめ、息を呑む少年を、その隣であらぬ企みを秘める男が甘く囁いた。
「試してみるかね?」
瞠目する少年の瞳が宝条を捕らえ、そしてすぐにそれは宙を泳いだ。
強くなりたいと、切に願う。この誘惑は、伝票を貰い受けて早々にこの場所を後にするという本来の任務を忘れさせるほど、魅力的ではあった。
しかし、胡散臭いとも思える彼の言動は、少年を躊躇させるだけの根拠でもあった。得たいの知れない男を疑うようにちらりと盗み見て、少年は是を唱えることができずに、ポッドとデータ画面とを見比べる。
「安心したまえ、君の能力に合わせて情報量も調節する。私を誰だと思っているんだね?」
尊大に言い放つ男は、ニヤニヤと口隅を吊り上げた。
軍服の中に納めた携帯は、未だ鳴る気配を見せない。昨夜その胸に深く刻んだ誓いが、そして、つい先程まさに対峙した【敵】の存在が、少年を駆り立てていた。
――強くなりたい。
――セフィロスの期待に恥じないように、強く。
クラウドは、脇に抱えるマスクを強く握り締め、一度だけ、頷いた。
「お願いします」
ポッドへと歩き出す少年の見えないところで、宝条は殺しきれない笑いをくつくつと漏らす。ほんの少しの甘い誘惑で、人の心は宝条の知識に敬服し、自らその身を投げ打つ。 白衣を纏う腕がポッドへと促すと、少年はゆっくりと口を開いたポッドの懐へと飲み込まれていった。
無知、無邪気とは、愚かなことだ。それを知って尚利用しようとする狡猾な自分の、なんと優れたことだろう。
「さあ、実験だ」
透明なポッドの中、汗ばむ掌を握り締め、クラウドはその拳を強く握り締める。喜びと興奮に震える宝条の指先が、躊躇いも無くENTERを叩いた。