軌跡<06>

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 一通りの報告を終えたセフィロスと、それを聞いていたラザードとの間には、重苦しい静寂が沈んでいる。
 ジェネシスは逃走し、ホランダーを追っていたザックスは行方不明。ソルジャー部門の無様な失態は、ラザードに憎らしいハイデッカーとスカーレットの高笑いを彷彿とさせていた。
 立ち去ろうとするセフィロスをラザードが呼び止める。
「……わざと逃がした、わけじゃないだろうな」
 向ける背に、彼の鋭い眼光が突き刺さる。一瞬表情を歪めたセフィロスは、解りきった答えを口にするほど愚かでもなかった。硬質な床にセフィロスの踵がカツリと音をたてた。
「所詮、軍に奴等は倒せない。またすぐに会うこともあるだろう」
 歩き出す英雄を、今度は呼び止めることはしなかった。ただ、その瞳の色は重く、彼が何かを隠している、何かに行き詰っていることは、付き合いの深いとはいえないラザードでも判っていた。
 進むセフィロスの背で、扉が静かに閉まる。その歩みが三歩進んだところで、セフィロスは抑えきれない憤りをこめた拳を壁に叩きつけた。
 壁が揺らいでパラパラと舞う埃が震えを殺しきれない英雄の身に静かに舞いかかる。軋む拳を開き、皺を刻む黒いレザーをじっと見つめるセフィロスは、チリチリと痺れた指先を微かに動かし、口隅を吊り上げた。
―― お前は、俺を嗤うだろうな」
 奥歯を噛み締めて、沸々と湧く怒りを静めるため、痛みを覚える胸に深く息を刻みこむ。長い睫を伏せて眼を閉じたセフィロスは、壁を押すようにして歩き始めた。
 神羅ビルへの強襲を先導したのは、かつて自分と肩を並べた男だった。紅蓮の剣を手に華麗に舞う彼は、依然としてそのギラついた瞳の輝きを失っては居なかった。しかし、眼にした、耳にした事実は、セフィロスを絶望させた。
 懇願とも思える「待て」の言葉に、ジェネシスは従わず、飛び去った。広げる片翼を羽ばたかせるジェネシスの羽根が降る魔晄炉で、セフィロスは駆けつける神羅兵の足音を聞きながら、彼の融けていく天を仰いだ。
 ジェネシスは、俺を憎んでいる。その意思に反して劣化する身を呪い、生きようともがく彼は彼をそうさせた神羅を恨み、その一端である自分を嘲っている。
 去り際の彼の口唇は、セフィロスも良く知る戯曲を奏でた。
――復讐にとりつかれたるわが魂
――苦悩の末にたどりつきたる願望は わが救済と
――君の安らかなる眠り
 彼の言う君が、自分のことだとしたら。自分の存在が、親友であった彼を苦しめているのか。
 プロジェクト・Gとは何だ。ジェネシスは、アンジールは、何者なのか。
 劣化はどうすれば止まるのか。……もう、あの頃には、戻れないのか。
 いくつも沸き起こる疑問の答えを、セフィロスは持ち合わせていなかった。エレベーターホールにたどり着くと、セフィロスは音沙汰の無い携帯を開いた。
 ホランダーを追うザックスからの連絡は無い。もしや、彼も、『そっち』側に行ってしまったのだろうか。
 一瞬の疑念を一蹴する。奴に限って、そんなことはあるはずもない。けれど、それは水に染み渡るインクのように、セフィロスの痛む胸に滲み、広がって、締め付けていた。
 青白く光る小さな画面を見つめたまま、セフィロスの指が『彼』の連絡先を導き出した。
 この騒動の中、彼はどうしているだろうか。気づけば、時刻はとうに日付を跨いでしまっている。丁寧に洗濯のされたハンカチは、セフィロスのレザーコートの中に畳まれて仕舞われている。昨夜の約束は有効だろうか。
 暫く考えてから、セフィロスは携帯を耳元に近づける。少しばかりの沈黙の後、掌に収まる端末は無機質なコール音をかなで出した。しかし、相手が出る気配は無い。
 単調な音楽に聞き飽きた頃、ブツッと電波の繋がる音が聞こえた。
『……セフィロス、か』
 聞こえた声に驚愕し、セフィロスは息を詰まらせた。
 その声は、聞きたくない男の声だった。しかし、その声の主を、セフィロスはよく知っていた。
 神羅カンパニー、科学部門統括、宝条。セフィロスの指先に、薄い携帯が軋むほどの力が入る。
 何故彼が、この携帯に出ているのかを瞬時には理解できなかったが、その答えは明白だった。
「貴様…どこにいる」
 彼が、不快な声で答えるやいなや、セフィロスは乱暴に通話を切ると、待ち構えていた無人のエレベーターに乗り込んだ。



   ■   ■   ■



 ツー、ツー…。右上のボタンを押すと、無意味な機械音は止まる。
 宝条はその口隅に不気味な笑みを湛えたまま、つまんでいた携帯を施術台に転がした。
 その上に横たわるこの少年と、彼がどのような関係であるのかは知らないが、単なるサンプルへの興味以上の感情を呼び起こすには十分だった。
「さて…、続けようか」
 実験を中断された不快感も、英雄のあんな声が聞けたのだから良しとしよう。実験のショックに錯乱した少年は神経ガスで沈静され、今や宝条の目の前にその無力な肢体を横たえている。
 覚醒した時に暴れられては敵わないと、その腕にはスカーレットの誇る拘束具が填められていた。こめかみ、指先、そして襟まで詰めた軍服を剥いた胸元にコードを繋いで、収集されるデータは宝条の端末に迅速に映し出され記録されていく。そのデータは決して宝条を満足させるものではなく、逆に彼の表情を歪ませるだけだった。
「どういうことだ。何故強化されない…?」
 示しだされる数値はどれも、既に登録されていた彼の個人情報とは差異のないものだ。つい最近手に入れたばかりのソルジャーのデータを上書きしたにも関わらず、なんの変化もないサンプルに、宝条は期待を裏切られた憤りを感じていた。
 施術の直後、自我を保てず狂乱した彼の意識レベルも徐々に回復しつつある。心拍数、呼吸共に平常値に近いところまで戻ってきている。しかし、先ほどの、モンスターを母体とした実験は、宝条の予想を凌駕する数値をたたき出したにも関わらず、なぜこの少年にはその結果が適用されないのか。
 モンスター、ソルジャー、そして一般兵である少年。それらへの実験と、その結果のデータを脳内で繋げていく宝条は、新たな仮説を導き出し、その自らの奇才ぶりに口許を吊り上げた。
「ほう…そういうことか」
「なにが、そういうことなんだ」
 サンプルと、卓越した自分の頭脳とに囲まれた気持ちのいい空気を引き裂く冷涼な声。そして、頬に感じる刃の気配に、宝条は眼底の窪む顔をゆっくりと横向ける。
 頬骨の下、首の急所に的確に据えられた直刃の先には、蒼碧の瞳が敵意を隠さないギラつきをこちらに向けている。ふん、と鼻を鳴らすと、軽く両手をあげて宝条は一歩後退した。
「これはこれは、セフィロス。私の研究室に何か用かね?」
 彼がこの場に足を踏み入れることは、まず無いと言っていい。しかし、その彼がこの場で自分に剥き出しの感情を向けているというのは実に興味深く、宝条は揶揄するように尋ねた。
「尋ねているのは俺だ。そいつに何をした」
「何を? ハッ、見てのとおり、実験だよ」
「実験…?」
 向ける刃を下ろすことはないが、セフィロスは更に宝条を追うこともない。もう一歩後退すると、宝条はその喉元を絞めるネクタイに軽く触れて、ニヤついた笑みを我慢することもなく続けた。
「強くなりたい、と言っていたな。少しばかり協力してやったのだ。この私の、崇高な実験のサンプルとなれたのだ、コイツも本望だろう」
「……」
「なに、心配することはない。害はない。今もただ気を失っているだけだ。暴れられたら困るのでね。それに…この実験は失敗だ。まだ改良の余地がある」
「それ以上触れるな」
 安らかに呼吸する少年へと指を伸ばそうとする宝条に、改めて切っ先を向ける。
 幾百幾千もの血を浴びながら、血煙を残すことなく輝く妖刀、正宗。その先に煌く瞳は宝条を躊躇うこともなく害意をもって睨みつける。
 ふぅ、とため息をついて、宝条は施術台に乗せていたノートボードを拾い、その場を離れた。忌々しいマッドサイエンティストが十分離れたのを悟ると、ようやく少年へと近づいていく。その体に繋がれたコードに触れると、無遠慮にそれを引きちぎった。
「おいおい。繊細な機械だ、あまり無理をさせないでくれたまえよ」
 しかし、その口調は稀有な反応を見せるセフィロスを楽しむように笑みを含んで、それが更にセフィロスを苛立たせていた。指先が少年の頬に触れると、布越しに伝わるその体温に、彼の無事をようやく実感する。そのままうなじに手を差し入れて抱き起こすと、付近に置かれていた軍服を肩にかけてやるだけの簡単な措置をして、未だ幼い体躯を右肩に担ぎ上げた。
「随分ご執心のようだが。その一般兵とはどんな関係だね?」
「……貴様に応えてやる義理はない」
 左手には先ほどまで殺気を纏わせ突きつけていた正宗を握り締め、セフィロスは歩き出す。一瞥もなくその場を後にしようとするセフィロスへと、忘れ物だ、と、一声をかけた。
 投げつけられた小さな物体を反射的に掴んで、セフィロスは掌に収めたそれを見下ろした。少年の腕を束縛する器具の鍵であることはすぐにわかった。
 クックッと、喉を鳴らして笑う宝条へと一瞥を向けると、彼はくたびれた白衣に通す腕を組んで、こちらへと下卑た笑みを向けていた。
「彼に伝えておいてくれ。私の力が必要であれば、いつでも協力する、とな」
「……貴様の力など、必要ない」
 少年の代わりに答えるセフィロスの声は低く、冷たいフロアによく響いた。重みを一手に引き受けて、カツカツと乾いた靴音を響かせる男の足がふと止まった。
 実験結果を書き込む宝条の手が止まり、分厚いレンズ越しに立ち去らんとする英雄を舐めるように見上げる。こちらに視線を向けようとはせずに、簡素なエレベーターの前に立つ男の呟きが、静かに響いた。
――宝条。プロジェクト・Gとは…一体なんなんだ?」
 太古の地層から発見されし、空からきた厄災。その忌まわしきモノを復活させんとするプロジェクトの一端がそれである。
 神羅カンパニー科学部門の統括であり、この星における古代種研究のトップを誇る宝条であれば、そのようなことは知っていた。ましてや、ジェノバ研究の成功を担うプロジェクト・Sの責任者であり、この英雄と謳われる男を生み出した、自分自身であれば尚更。
 けれど、ニヤついた宝条の口唇は、意地悪な言葉を紡ぐ。
「……なにか、言ったかね?」
 宝条の答えは確信を捕らえず、セフィロスの疑問を晴らすだけの力を持っていなかった。狸が、と、侮辱する言葉を飲み込んで、セフィロスは一瞬でもこの男を頼ろうとした自分を恥じた。
 血の繋がりを疎ましいと感じることは常である。だからこそ、堪えきれない憎しみと苛立ちを噛み締めて、肩に抱える少年が落ちぬようにとしっかり腕を回す。
 音を立てて動き出すエレベーターに乗せられて、去っていく彼らを見送ると、宝条はぺらりとノートボードをめくった。そこには、ついさっきの実験であの少年に投入したデータの主が、ぎこちなく無表情を作る写真が挟まれていた。
 添付されている個人情報は最新のもので、彼がソルジャークラス1stに昇格したことを記している。検体に向ける興味など無いが、宝条は指先に隠れていた彼の名前を読む。
【Zack Fair】
 そこにはそう、記されていた。