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『まったく、どんな用件かと思ったら…」
「うるさい。聞かれた内容にだけ簡潔に答えろ」
 アンジールは努めて笑み声を抑えたけれど、携帯電話の向こうで刻む彼の表情を想像することは、セフィロスにとって難しいことではなかった。電話越しの声は遠く、同輩であるソルジャークラス1stは、久々のオフをミッドガルの私邸で過ごすセフィロスとは違い、星の裏側で任務に就いている。その最中、珍しい親友からの来電を受けたアンジールは、険しく眉を寄せているだろう彼を想い、一層深い笑みに、口隅を持ち上げた。
『教えてやらなくもないが、ミッションを中断してまでわざわざ答えてやろうという、寛大な友人に対する礼儀がなってないんじゃないのか?』
 アンジールは、普段とは違う挑戦的な発言に出た。反論しようかとも思ったけれど、事実そうなのだから仕方がない。薄い携帯の向こう側、ミッションに携わる相手のつかの間の休息を束縛している申し訳なさもあって、いつになく意地の悪い物言いをわざとらしいとは思えども、セフィロスはそれを咎めようとしなかった。
 電話での会話が寝室でやすむ少年に聞こえないようにと、英雄はその広い私邸の中、ユーティリティの片隅に腰を預け、電話の向こうの相手の言葉を待つ。薄い口唇を歪に曲げる彼に、反して楽しそうな声音で、アンジールは尋ねた。
『それで、容態は?』
「熱が高い」
『体温計くらい持ってないのか』
「必要ないだろう」
 風邪や病などとは縁遠いセフィロスの家に、そのための備えなど皆無だった。救護室を訪れたことも、数えるほどしかない。如何ともしがたい現状に苛立ちすら覚えて、洗面台に預けた腰を浮かし、セフィロスは狭い室内を無意味に歩いた。
『どこか特別痛んでいる様子は?』
「見当たらない」
『咳もないのか』
「熱だけだ」
 僻地でミッションに従じることも多いソルジャーと、一般兵とが交わす時間は僅かしかない。今日はその中でも珍しく、丸一日を互いのために調整してあった。異変に気づいたのは、今朝方のことだった。愛しい人と迎えた半睡の時間、普段よりも大人しい相手の様子を不審に思うと、彼は気怠そうに、身を小さく丸めて震えていた。
『単純に、疲れてるんだろう。もしくは冷えか。身に覚えはないのか?』
 セフィロスは、眉間の皺を深くした。
 付き合い始めて間もない恋人たちは、僅かな時間も惜しまない。貴重なその瞬間を味わうためなら、多少の無理も躊躇わない。元々、あれは健気というには少々度が過ぎることを平気でやってのける性分だ。それを愛しく思っていたから、昨夜も慈しむ、と言っては少々乱暴なほどに愛でてやったものだけれど、互いの体温では補いきれないものも、もしかするとあったのかもしれない。
『その様子だと…』
「どうしたらいい」
 それ以上の追求を拒むように、セフィロスは問い正した。洗面台に広がる大きな鏡に映るのは、寄せる眉間の皺に狼狽を隠す、自分の姿。大方の説明を終えたセフィロスは、まったく醜い姿だと呆れすら覚えて、嘆息を零した。
 このような会話も珍しいと、アンジールは思う。元来、他人に弱みを見せることを厭うこの男が見せた稀有な言動は、任地での相次ぐ戦闘に緊迫した空気を思いもよらない手段でほぐしてくれた。それを感謝する想いもあって、アンジールはそれ以上、親友を苛めるのをやめた。
『安心しろ。体を温めて、安静にしていれば明日には治るだろう』
 病という病を経験したこともないセフィロスにとって、彼の異変は動揺を呼んだ。この男なら現状を改善する何らかの救済を与えてくれるだろうと思っていたのに、なにをどうすれば治るという決定的な回答ではなく、セフィロスは期待外れだと、落胆すら覚えていた。
 それすらも見通していたのだろうか、続けてアンジールは尋ねた。
『安静にするということがどういうことか、わかっているか?』
 かえってくる沈黙に、やはりか、と、アンジールは思わず苦笑を零す。子供に言い聞かせる親の気分を、この男は度々独身者である自分に味合わせてくれる。それを咎めようとせずに、彼は続けた。
『まずは、休息が一番だ。運動させるな、風呂には入れるな。湯上りが一番冷えやすい。ただし、体は拭いてやったほうがいい。汗をかいたままでは体に障る』
 セフィロスは、人であれば、およそ通過してきただろうことを経験しておらず、また当然知っているだろうことを知らない。彼の身近にいるようになって、アンジールはそれを痛感していた。
『体は温めて、額は冷やせ。水で濡らしたタオルを固く絞って、かけてやるといい。時々頃合を見て、交換してやるんだ』
 こんなことさえ、誰も教えてやらなかったのだろうか。アンジールの脳裏を苛立ちが過ぎったけれど、彼はすぐにそれを払拭する。
『それから、たっぷりの栄養だ。ただし、普通の食事はいただけない。高熱が出ているんだ。刺激物は避けた方がいい』
 こと戦闘に関しては、卓越した経験と知識に、流石なことだと舌を巻くほどであるのに、常識に関しては驚くほどに欠如している風がある。それは、彼の語ろうとしない生い立ちを思えば当然のことだと思う。普段であれば、自分の説教を、飽き飽きだと途中で阻むセフィロスが、大人しく話に耳を傾けている。その変化を愛しいものだと、アンジールは感じていた。
『お望みなら、田舎仕込の看護食を、教えてやろうか?』
 貸しを作ることは不本意ではあったけれど、戦地において右に出るものの居ない英雄は、今この時はまったくの無力だ。
「……報酬は?」
 何度か彼の私邸を訪れたことのあるアンジールは、厨房のつくり、貯蔵されているフリッジの在庫、そしてセフィロスの料理の腕も知り尽くしていた。現状、彼に勝る指南者はいない。
 ため息混じりに尋ねるセフィロスに、笑みを含む回答が返ってきた。
『口止め料込みで、高くつくぞ』

   ■   ■   ■

 背中が汗ばんで、心地が悪かった。ベッドから起き上がる気力さえもない。両手両足を大きく開いてもまだ余裕の残る大きな寝台に寝転がって、クラウドは熱のこもるため息を漏らした。
 かけられたシーツは、少年の体温を吸って温まっている。なんでもないと否定したけれど、熱があることを知ったセフィロスの険しい表情が、クラウドの表情を曇らせていた。
 きっと、がっかりさせてしまったことだろう。せっかく会えたとしても、これじゃあまるで意味がない。自分自身、この日を心待ちにしていたこともあって、クラウドは一層、タイミングの悪さを嘆いた。まったく、とんだ失態だ。せっかくセフィロスが休みを合わせてくれたのに、既に半日を無駄にしてしまった。申し訳ない気持ちがなによりも勝って、クラウドは高熱の齎す倦怠感に体を蝕ませたまま、布団を鼻先までずり上げた。
 昔、クラウドはよく熱を出した。特別病弱だったというわけでもないが、幼い頃の面白くも無い思い出というものは、忘れたいにも関わらずまざまざと記憶に刻まれている。二人暮らしの田舎の小さな家の寝台は狭く、窓の向こうに楽しそうに談笑する幼馴染たちの声を聞きながら、クラウドは歯がゆい思いを噛み締めていた。
 どうせ元気でいたところで、その輪の中に入ることもしないのだから、悔しがることもない。負け惜しみをため息に混ぜて吐き捨て、鼻先までをベッドに埋め、熱の引くまでひたすら、無味な時間を過ごしたものだ。
 今一度こぼした深いため息が、クラウドの頬を包み込む。ぼうっと煙る半濁した意識の中、クラウドは扉の開く音を聞いた。
 ああ、そうだ。あの時も、母さんがこうして時々様子を見に来てくれた。子供みたいに拗ねて、なんでもないと突っぱねたけれど、どうしても辛くて、心細くて、寂しくて。
 懐かしい香りがした。扉の向こうから流れてきた甘い風味に、シーツに隠れたクラウドの鼻がひくりと動いた。
 抱えてきた水を湛えた容器を傍らに置くと、瞳を閉じた額に掌で触れて、熱の高さを確かめる。そのまま指が頬へと滑り降りてきて、クラウドは心地よさそうに睫を揺らした。火照る肌に、柔い温もりがひんやりと伝わった。自然に、ふ、と漏らす呼吸を感じとって、部屋の中に笑みの吐息が生まれたのがわかった。
「クラウド」
 優しい声が、記憶のそれに共鳴する。低い音程で響く呼びかけに、クラウドは薄目を開いた。似ても似つかない幻影が、やがてはっきりとした輪郭をつくりあげる。重い瞼を幾度か持ち上げて、幾度か瞬いたクラウドは、頬に触れている指の先、寝台に腰を下ろし相手の姿を捉えて、驚きの表情を浮かべた。
「…セフィ…ロス…?」
 夢と現の境目にたゆたっていたクラウドは、今漸くはっきりと自分の立場を思い出して、慌てたように躯を起こす。唐突な変化に驚いたのか、眼が眩んでパチパチと睫を鳴らす少年の頬を軽く叩いて、セフィロスは笑った。
「どうした。夢でも見ていたのか?」
 その様子だと、アンジールの言うとおり、さほど重い症状ではないらしい。朝よりも熱の引いていることを確かめたセフィロスは、安堵に瞳を細め、口隅を緩めた。
 昨夜の情痕の残る肢体が、彼の羽織る大き目のシャツの隙間から覗いている。普段であれば、項から細い首まで頬を寄せて、浮き上がる首筋に歯を立てるくらいの狼藉には、躊躇うこともなかっただろう。しかし、この鳥籠の鍵を握る、誰でもない自分であったとしても、その中に捕らえた雛鳥の頼りなく弱々しい様子を見て尚、鳴かせてみようとするほどの野蛮人でもなかった。
 伸ばしたままの腕で首裏を支え、片腕に体重を乗せる少年を抱き起こすと、彼の額に口唇を寄せて、抱きしめる。背中に掌を滑らせると、彼の発した汗にじんわりとそこが湿っているのがわかる。成程、言った通りだ、と、セフィロスは納得して、思わず小さな笑みを深めた。
「あの…っ、セフィロス……?」
 緊張に身を震わせる。いつものように抱き締められているのに、いつもと違う温もりだった。
「安心しろ。無理をさせようというんじゃない」
 休日ともなれば、互いの足りない時間を補いあうために、時間に束縛されることもなくその行為に没頭していた。それをふしだらだとは思えども、流されるだけでなく欲している自分自身があって、慣れ始めた情交の記憶を思いだし、クラウドの体が萎縮するのも当然のことだった。
 ボタンをひとつひとつほどいて、露になる背中を撫でたのは彼の細く美しい指先でなく、柔らかな繊維の感触だ。寝汗に濡れた背中を、乾いたタオルで躯を拭ってやる。洗濯されたばかりのそれが、弄ぶるでなく、クラウドをいたわっていて、驚きに瞠目するクラウドの口唇が、小さく震えた。
「…っ、自分で、できますから…っ」
「大人しくしていろ」
 先程まで少年にまとわりついていた不快さが拭いとられていく。壮健な両肩に手を載せて、向かい合うセフィロスの顔を至近距離に凝視したクラウドは、予想していない事態に困惑し、俯き戦慄く口唇を噛み締めた。
 汗は拭いてやった。しかし、上体を剥いた少年をそのままにしておくわけにはいかない。
「着替えか…」
 呟き、立ち上がるセフィロスを視線で追いかけるクラウドは、自身の心臓の音が高く響いているのを感じていた。心配など、迷惑など、かけたく、なかったのに――
「あの……」
 セフィロスの服は、すべていつも綺麗に洗われていて、整った状態が保たれていた。彼自身、私服に袖を通すことも稀だったし、彼の部屋にクラウドの持ち物は皆無だった。
「腕をよこせ」
 クラウドの呼び掛けに答えず、新たに取り出した白いシャツを広げるセフィロスは、寝台の真ん中で縮こまる少年の傍らに膝をつく。それを汚してしまうのではないかと躊躇ったけれど、クラウドはセフィロスの無言の圧力に負けて、細い腕を差し出した。
 セフィロスの綺麗な指が、小さなボタンを下から順にとめていく。彼の輪郭を包む前髪が揺れ、薄碧色の魔晄の瞳が細められるのを、クラウドは熱に蕩けた瞳でぼうっと見つめていた。
 そもそも今日は、久しぶりのオフで、久しぶりの逢瀬で。別に何をしようと約束していたわけでもないけれど、二人でいる時間を無駄にはしたくない。それなのに、やはりこうして迷惑をかけてばかりいる自分が、どうにも居た堪れなかった。赤らんだ顔を伏せて、息を呑むクラウドの喉の少し下で、彼の指は止まった。
 高熱に動作の緩慢な少年に、息苦しさを与えないためだった。細い喉元を広げて、襟を正して。納得したように、セフィロスは頷いた。
「ぁ――
 徐に立ち上がり、背を向けるセフィロスの長い銀髪が揺れるのを、クラウドの視線が追いかけて、シーツを掴む指先が跳ねた。何を言おうとしたのだろう。新しい服に包まれて、先ほどよりも重さの剥がれた幼い胸が、内側からざわつくのを感じ、少年は胸を押さえる。
 何故だか、泣きたい気持ちに駆られた。鼻先がツンと痛くなって、目の奥が熱くなった。皺の無いシャツに指が食い込んで、布の軋みが耳に届く。と、先ほどクラウドに郷愁を齎した薫が足音と共に近づいてくるのを感じて、少年は顔を上げた。
「なにをしている」
 彼の手に、底の浅い皿が盆ごと握られていた。今日、既に多くの驚愕を刻んできたクラウドの胸は新たな驚きに高鳴りを見せた。
 片手で扉を閉めて、先ほどと同じ場所に腰を下ろすセフィロスと、湯気立つボウルとをまじまじと見比べて、クラウドは自分が不恰好にも口をあけていることにすら気づかないでいた。
「朝から何も、食べてなかっただろう」
 風邪の時は、食べるのもつらいだろう。そう言って、彼女は柔らかく煮込んだライスに牛乳の彩りを添えて、運んできた。せめてもの見栄えにパセリを撒いて、溶けたバターが芳醇な薫の主役だった。今、同じものがセフィロスの膝に乗っていて、自分に差し出されている。熱でのぼせて、幻でも見ているのだろうか。クラウドはきょとんとそれを見上げるばかりで、訝しげに眉を寄せるセフィロスへと、ようやく、乾いた口唇を僅かに動かした。
「セフィロスが…作ったんですか…?」
 彼がキッチンに立ち、料理をする姿など、見たことが無い。滅多に帰らないこの家のフリッジには、薬品が何本かと新しく買っただろう果物が転がるばかりで、買い揃えられた食器がまともに使われることなどなかったからだ。
「不満か」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
 クラウドは慌てて首を振った。
 つい先ほどまでは痛いほどだった胸が熱くなって、顔が火照る。膝の上に乗せられた盆の上に、懐かしいミルク粥が乗っている。手をつけられずにいるクラウドを見詰めていたけれど、いつまでも手を出すそぶりのない少年にやきもきして、セフィロスはふ、と息をついた。
 手を動かせずにいる少年の目の前で、食器に添えた底の広いスプーンを手にとって、柔らかに満ちる料理をかき混ぜると、それを覗き込む新しい湯気がクラウドの顔を撫でた。それを冷まそうと何度か息を吹くと、口に放り込んだ病人食は味気なく、それでも特別難があるわけではない。
「悪くない」
 喉に残る味が少々気になるけれど、病人にとってはこれくらいでちょうどいいのかもしれない。セフィロスはスプーンを相手の方へと転がして、促した。
「食べてみろ」
 クラウドの大きく開いた双眸が、セフィロスを見詰めていた。
 そもそも今日は、久しぶりのオフで、久しぶりの逢瀬で。別に何をしようと約束していたわけでもないけれど、二人でいる時間を無駄にはしたくない。それなのに、やはりこうして自分は、迷惑をかけてばかりいる。にも関わらず、セフィロスは今まで知るどの彼よりも、優しくて、ただ、優しくて。
 また、クラウドの胸を、あの気持ちがツン、と、痛みを伴い広がっていく。申し訳ない、後ろめたい、そんな想いを滲ませながら、スプーンを握って食事を口に運んだクラウドに、ミルクの甘みとバターの香ばしさと共に染みていったのは、熱に冒された身を溶かす、柔らかな喜びだった。
 まったくもって、この命は、セフィロスの思う侭にならない。何度躯を重ねても、無理やりに時間を繋げても、恐れるもののない英雄は、この瑣末な命に翻弄される。
 食事を口に運ぶ様を眺めながら、セフィロスは自分がいつの間にか、微笑みを刻んでいることに気づかなかった。
 この少年は、神羅の英雄を、一人の人間にしてしまう。それが良いことなのか、悪いことなのか、セフィロス当人に判断はつかなかったけれど、弱った少年が大人しく出した料理を食べている、たったそれだけの当たり前のことに、彼自身の与えた苛立ちや不安が解きほぐされていくのだから、不思議なものだ。
 ごくごく自然な欲求から、セフィロスは彼の少し萎れた髪に指を伸ばそうとした。
「母さんが……」
 浅い皿をかき混ぜながら漏らす少年の呟きに、指が止まった。
「俺、昔よく、熱だして。そのたんびに、母さんが、お粥作ってくれて」
 昔の話をすることは、珍しい。ニブルヘイムの記憶はクラウドにとっては苦いものが多く、セフィロスのこれまでと同じように、不可侵なものだった。
「早く元気になれとか、早く治せとか、言わなかった。ただ、ゆっくり休めって…」
 小食な少年に合わせて、分量はそう多くは無かった。懐かしい味と風味に思いのほか食が進んで、少年は喉を鳴らす。
「なんだか、すごく……懐かしい、気がする」
 一粒も余さないように、何度も何度もスプーンで掬い取って、思わず零した呟きは我ながら要領を得ず、少年は小さく首を振った。
「…すみません、変なこと言って」
 苦笑は乾いた笑いになって、クラウドは話すのをやめた。残る粥をスプーンに掬い取り、出された食事を平らげて、ご馳走様です、と、小さく呟く。依然俯いたままの少年の、長い前髪の先に指を差し入れて、セフィロスは彼の額に触れた。
「…まだ、熱いな」
 重なる食器を乗せたトレイを片手に、セフィロスは立ち上がる。先ほど連れてきた小さな盥には水が張ってある。薄いタオルをそれに浸して強く絞ると、知ったばかりの看病を実践するため、彼はクラウドへと向き直った。
「横になれ」
 クラウドの重みを引き受ける寝台には、彼の形に波が打たれていて、枕の窪みも彼のために仕上がっている。強がりの出ないのは、抵抗したところで無意味だと知っているからもあるのだろうし、もう少しだけ、この優しさに甘えていたいという我侭な欲求もあるのだろう。布団を再び、鼻先までずり上げたクラウドの額に、冷たいタオルが乗せられた。
 セフィロスにとっては、どれもこれもが新鮮だった。看病したこともなければ、されたことなどあるはずもない。それなのに、クラウドの台詞にあった懐かしさは、何故かセフィロスの胸にも宿っていた。鮮烈でない柔らかな刺激が彼の胸を擽って、安穏とした心地よさを与えている。
 セフィロスの笑む気配を知って、まるで心が内側から引っかかれたような気持ちになって、少年は小さな身を震わせる。額に添えたタオルが落ちないようにと軽く押さえたまま、その位置を確かめるセフィロスが寝台に腰掛けるのを感じ、クラウドは呟いた。
「…すみません」
 これ以上、迷惑をかけられない。そんな声が聞こえた気がして、セフィロスは、タオルに覆われてその瞳が見えないのをいいことに、微かに笑んだ。
「ああ」
 額から指をそっと離しても、セフィロスが立ち上がる気配はない。同じ寝台に重なる重みを感じながら、クラウドは再び口を開いた。
「寝てれば、治りますから。だから、大丈夫です」
「ああ」
「久しぶりの休みなんだし、俺のことは、放っておいていいですから」
「ああ」
 布団を握り締める指先に力が篭もる。セフィロスは、いっこうにその場を動こうとしない。何故だか心臓が高鳴って、クラウドは息を詰まらせていた。
 決して、出て行けとは言えない。そこに彼がいるというだけで、緊張して、嬉しくて、たまらなかった。出て行く気など、毛頭無い。そこに彼がいるというだけで、安らいで、嬉しくて、たまらなかった。
「クラウド」
 名前を呼ばれ、水を吸った重いタオルの下で、クラウドの瞼が小さく動いた。
「そばにいる」
 なにをするというわけでもない。どれだけのものを共有できるともわからない。二つの世界はこれまで、それぞれまったくの別物で、こうしている今だけが、特別で、愛しくて。違和感を否めないのに、理由もわからない衝動に駆り立てられて、無様なほどに、繋がっていたい。
「ゆっくり、休め」
 クラウドは応えなかった。口元までを覆う布団と、かけられたタオルに表情を隠し、寝た振りをするのが精一杯だった。セフィロスの指先が刺激を与えぬように、布団を探って少年の固く握り締めた拳を包み込む。いつしか、五本の指が絡まりあって、広い掌が少年のそれをすっぽりと包み込んだ。
 結んだ場所から感じる温もりと、部屋の中に充満する、柔らかな風味に、強張る心がほどけていく。このまま時が、止まってしまえばいいのに。熱に浮かされた揺れる意識で、心も奮える静寂の中で、二人は同じ言葉を、胸に唱えた。

【 END 】