- NOVEL
- Final Fantasy 7
- Sephiroth x Cloud
- I hate to tell a lie.
I hate to tell a lie.
「…エイプリルフールって、知ってますか」
長い一日を終えて、ようやく訪れた二人の時間。ミッドガルの分厚い雲を幾重にも連なるサーチライトが照らし出す、いつもと変わらぬ夜だった。
「なんだそれは」
セフィロスは尋ねた。広い椅子の背凭れにたっぷりと身を預け、膝上の少年を見つめている。机上にはミッションから帰還した英雄を迎えた残務が、多く蓄積 されている。しかし、それがどんなに重要な仕事であったとしても、時間の無い恋人同士を引き裂くことなど許されなかった。
「今日は四月一日だから、一年に一度だけ、嘘をついていい日なんです」
呼び出しはいつも唐突で、予定など立てられたものではない。今宵、端末に届いたメールの内容に、少年は喜ぶよりも先に、疑念を抱いた。
「ほう」
半信半疑のまま、命じたとおりに執務室を訪れた少年は、意外そうな顔を見せた。普段であれば、殊勝に身を縮めてはいても、人目を避けるようにそそくさと 近づいてくるはずなのに、入り口で立ち竦んだ少年は、即座に反応することもできずにいた。その対応を思い出したセフィロスは、ふ、と鼻から息を抜き、音の 無い笑みを浮かべた。
「それで、か」
口許を掌で覆ってはいても、零れ出す微笑は隠せない。今の今まで安心できなかったけれど、ようやく胸を撫で下ろして、クラウドは深い息を吐いた。
「嘘だと思った」
そう思うことも失礼にあたる気がして、真偽を確かめることはできなかった。訪れた執務室に彼が居て、そして今こうして、自分を抱きかかえ向き合っていること。それが真実でよかったと安堵して、クラウドは呟いた。
「今日はみんな、嘘つきだから」
街も、人も、誰も彼もが、この日を思い思いに楽しんでいる。そんな中、クラウドはいつも以上に存在感を薄めて、全ての情報に過敏になることで、なんとか平穏な一日を勝ち取っていた。
「成程な」
セフィロスは、四月一日にそんな特徴があるということも知らなかった。大衆文化というものに対し、彼は悉く無頓着で、かけ離れた生活を送っている。興味深そうに見つめる視線を感じながら、クラウドは今一度深いため息を漏らした。
「本当でよかった」
多忙を極めるセフィロスとは、次いつ会えるともわからない。深夜の執務室で紡ぐたった少しの時間が、二人にとっては特別だった。
もしも嘘であったら、と思うだけで、切なさがクラウドの胸を襲った。騙されまいとは思っていても、信じてみたかった。真実だった今、心の華やぎが気鬱を消し去った。それでも、笑われたことへの羞恥があって、クラウドは口唇を尖らせた。
「俺は、好きじゃない」
重く呟いた少年の言葉に、セフィロスは片眉を持ち上げた。
「騙されるのは面白くないし、嘘をついて人を騙そうとするなんて、悪趣味だ」
すっかり浸透している風習ではあったけれど、クラウドにはどうにも馴染むことができなかった。そもそも、人と同じであることにつまらなさを感じていたし、嘘をつくという行為自体が幼いことのように思え、気に入らなかった。
眉を顰めるクラウドを静かに見つめ、暫く経って、セフィロスは小さな笑みを零した。
「その割りに、お前は嘘つきだ」
「…俺が?」
意外そうに、クラウドは問い返した。
「いつも、嘘をついてるだろう」
身に覚えの無い言い掛かりに、クラウドは眉を捻った。
クラウドはソルジャー候補生で、クラス1stであるセフィロスはいまや、失踪したラザードの代わりとして、統括代行も務めている。上からの命令は絶対で、加えて、二人はプライベートでも公然の秘密で繋がっていたのだから、その相手に嘘つき呼ばわりされるとは心外だ。
機嫌を損ねた様子で、クラウドは言い放つ。
「ついてないですよ」
「いいや、嘘だ」
即座に否定され、クラウドは息を詰めた。この人はなにを言い出すのだろう、自分はこれまで、セフィロスに嘘をついたことなんてない。彼に告げた言葉と誓いのどれもが、嘘だと思われていたのだろうか。そう思うと、切なさに胸を締め付けられて、クラウドは口唇を噤んだ。
縮まってしまった少年を前に、セフィロスは穏やかな吐息を零す。す、と伸ばした指先で頬に触れると、滑らかな曲線を三本の指で包み込んだ。
「…セフィロス…?」
不安そうに眉根を寄せて、クラウドは尋ねた。様子を窺うように視線を上げると、セフィロスの柔らかな微笑が近づいてくる。いつだって、この人は唐突だ。そっと触れられた優しいキスに緊張した身が奮え立って、クラウドは驚き、声を上げた。
「ん…、な……」
右頬を支えた手が顎までを撫ぜて、伝い落ちていく。服の裾を探る指には、躊躇いなどなかった。
セフィロスの突飛な言動には慣れたはずだったけれど、それは気持ちの問題であって、体がようようついていくわけもない。薄い服をたくし上げ、素肌を探って柔らかな胸を尖らせようとするセフィロスの指戯に息を詰めて、クラウドは慌てたように彼の腕を掴み押さえた。
「や…、セフィロス…ッ」
「嘘だ」
頬を擦り合わせた彼の微笑が、クラウドの耳を擽った。屈めていた身を少し起こして、額と額を擦り付けると、セフィロスの澄んだ瞳が心の奥深くまで見透かしてくる。
「『嫌』では、ないだろう?」
薄い色の魔晄の瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。顔が熱くなっていくのを感じて、クラウドは、きゅ、と瞼を閉じた。
「それは…」
「騙そうとしても、すぐに判る」
グローブ越しのセフィロスの指が、薄い胸を探り、擦っては、腫らせてしまおうと弄くってくる。甘く鋭い快楽に体が疼くのを感じて、クラウドは強引に、彼の腕を押しやった。
手首を押さえつけ、剥がしてこようとする少年の抵抗を、奪うことなど簡単だった。彼なりの、精一杯の強がりなのだろう。セフィロスはくつりと笑みを奏で、素直に腕を退くと、自分が暴いたばかりの服の裾を丁寧に整えてやった。
「…セフィロスは、嘘、つかないんですか」
俯く顔を赤らめて、クラウドは尋ねた。彼は、これ以上の侵入を拒むように、軍服の裾を汗の滲む掌で押さえている。
その様子を見下ろしながら、セフィロスは、ふ、と、息を抜いた。
「嘘に、なんの意味がある?」
少年は膝上で身を丸め、視線を落としてしまっていた。膨らんだ頬をトントンと指で叩き、セフィロスは上向くように促した。
「俺は、真実にしか興味はない」
淡い魔晄の瞳と、深い色の碧眼が交差し再び視線が絡み合った。セフィロスは、気障で、意地悪で、それでいてはっとするほど、純朴だ。常日頃、彼は冷淡にも思える言動をとっているけれど、今思い返してみると、セフィロスが嘘をついたことなど無かった。
「…今日くらい、嘘ついたっていいのに」
クラウドは呟いた。痺れるほどの真実で翻弄してくる彼に対する、せめてもの抵抗のつもりだった。手の中にある少年の口唇は、まるで花弁のように小さく震えている。それに触れてしまいたい衝動に駆られ、セフィロスはそっと、顔を近づけていく。
「嘘をつくことよりも、お前の嘘を暴くことの方が、数倍面白い」
互いの睫毛がぶつかってしまいそうなほど近くで、クラウドは息を詰め、声を呑んだ。セフィロスの漏らす言葉、その吐息が空気を揺らし、クラウドの肌にも伝わってくる。
「愛してる、クラウド」
この人には、敵わない。何度もそう実感してきたのに、今また、そうクラウドは思い知った。
柔らかな口唇が触れ合って、緊張に萎縮した四肢から余計な力が剥がれ落ちていく。溶け合うそれは、キスというには鮮やかで、接吻けと呼ぶよりもずっと優しかった。
上唇の尖りを挟むように重なり合って、ただ触れただけ、それだけなのに、心が奮え、華やいでいく。離れがたくて、触れていたくて、どれだけの間そうしていたことだろう。陶然と細めていた瞳を薄く開くと、セフィロスの笑みが柔らかく綻んだ。
「俺は、お前を、愛している」
手首を掴んでいたはずの腕からいつの間にか力が抜けて、抱き留める肘まですべり落ちてしまっていた。セフィロスの流暢で流麗な声が、一つ一つの言葉を大切に紡いでいく。胸の内側を引っかかれたような心地がして、クラウドは呟いた。
「…やめてください」
「何故」
一呼吸置く間も無く、セフィロスは問い詰めた。
「恥ずかしい」
「嘘だ」
掌の中に、世界でただ一つの珠玉を抱き締めている。親指の腹で少年の淡く色づいた頬を撫でながら、セフィロスは堪えられずに、彼の鼻先に口付けた。
「喜んでいるくせに」
セフィロスはいつだって、クラウドの真実を言い当ててしまう。悟られてしまわぬように、必死に隠して、隠しているのに、彼はいつだって、クラウドを探し当ててしまう。
「違う」
「嘘だ」
「喜んでなんか…」
嘘を重ねようとした口唇が、なにか柔らかいものに塞がれた。唐突な接吻に驚きを隠せずに、クラウドはぱちぱちと瞳を瞬かせる。入り込んでくる舌を噛んでしまわぬように、クラウドは咄嗟に声を呑み込んだ。続きを綴ろうとした言葉は、絡みつく舌に奪われていった。
「ん……」
触れるだけのそれとは違う愛撫に、クラウドは瞳を閉じた。両の頬はセフィロスの手に包み込まれたままで、逃げだすことも、拒むことも、考えられなかっ た。それほどまでに、この温もりは柔らかく、温かく、さも当然にクラウドに沁みこんできて、余すところなく包まれて、飲み込まれていく。
こんな感覚は、知らなかった。もう幾度も繋がりあっているというのに、一つ一つが新鮮に、鮮烈に、クラウドを翻弄する。押し寄せてくる波に、抗うこともできずに、溺れてしまう。突きつけられる真実を、疑う余地もなく、刻まれていく。
「愛してる、クラウド」
荒い息を零しながら、クラウドは瞳を閉じた。囁かれる言葉が心を浮かばせて、脳髄まで蕩かせてくる。
「ずっと、お前を、愛している――」
甘やかに萌えたセフィロスの残響が、クラウドの脳裏に浮かび、消えていった。
あれは、いつのことだったろう。空白の時が重過ぎて、それを超えた記憶を思い出すのは困難だった。それなのに、優しかったはずの記憶は、ふとした時に、驚くほどの残酷さでもって、クラウドの思考を支配する。
季節は、春。花の香が辺りを埋め尽くしている。気がつけば、燦々と輝いていた太陽は翳り、少し肌寒くなってきていた。
瞳を開いたクラウドの前には、茜色の雲と、生い茂る新緑が散らばっている。頬を包み込んでいたはずの彼の手は幻で、今はただ、少し冷えた風が草葉と同じく、クラウドを擽るだけだった。
穏やかな春の日に、配達を終えたクラウドは、相棒を傍らに待たせたまま、一体どれだけそうしていたのだろう。半睡から起き上がった青年は、重い躯を両腕で支えながら、いつかのセフィロスの言葉を、思い出していた。
「――嘘つき」
真実は、たった一つだと思っていた。幾度も囁かれ、刷り込まれた真実は、唯一で、揺るがないものだと思い込んでいた。
嘘を、ついてくれればよかった。そうすれば、こんな思いなど知らずに済んだのに。騙されてやった自分が、バカみたいだ。魔晄の瞳を瞼に包んで、クラウドは呟いた。
「アンタなんか、嫌いだよ」
クラウドは、嘘をついた。そう呟くのも、もう何度目かわからない。嘘を重ねることへの罪悪感すら薄れるほど、繰り返し慣れ親しんだ、嘘だった。
重い腰を上げて、クラウドは立ち上がった。春だとはいえ、日が暮れてしまえばまだ寒い。エッジの店で待つ家族を、もしかすれば心配させてしまったかもしれない。グローブの位置を確かめて、ゴーグルを鼻に乗せ、フェンリルに跨った。
一年でたった一度だけ、嘘をついても許される日。もう幾度も重ねてきて、これからまた重ねていくだろう嘘も、今日だけは、許して欲しい。
息吹を注いだ相棒は、主を乗せて走り出す。召喚に応えたフェンリルは高く嘶いて、斜めに射しこむ夕陽の中、クラウドをエッジの街へと連れ去っていった。