- NOVEL
- Final Fantasy 7
- Sephiroth x Cloud
- Mariage
Mariage
ハート型にデコレートしたケーキは、三層構造になっている。ナッツを織り交ぜたタルト生地の上に、びっしょりとフランボワーズソースを含めたスポンジを乗せ、濃厚なチョコレートムースで全体を囲んでいる。
深い色合いのケーキに映えるよう、細く絞った生クリームで文字を綴る手は、もはや慣れたものだ。セフィロスはこれまで、料理や菓子作りとはまるで無縁の男だったが、この間、彼の腕前は急速に、急激に成長した。
クリスマスの七面鳥を美味く焼いたのと同じオーブンでケーキを焼き上げて、重めのデザートを受け付けられるよう、主食はさっぱりしたパスタを拵えた。オリーブオイルを絡めた茹で上げのパスタにバジルとパセリを添えた頃、彼のポケットの膨らみがぶるぶると振動した。
ワンタッチで画面を開くと、そこには短い文章が表示されていた。
『いまから帰る』
一体今どこにいて、帰るのにどのくらいの時間がかかるのか、必要な情報はまったく与えてもらえない。しかし、セフィロスは憤ることは無く、素っ気無いその内容をむしろ好意的にとらえ、口許に微笑を携えながら、モバイルをポケットにしまいこんだ。
平皿二つを両手に乗せて、それをダイニングテーブルへと運んでいく。食事の用意は完璧だ。最後のお楽しみにするために、ケーキを囲むちょうどよいサイズのボックスの蓋を閉めて、それをリボンで飾りつけた。
バレンタインデーを楽しむ恋人同士としては、少し度が過ぎるくらいの準備が整った。エッジの片隅の一室で、セフィロスはあたりを見回し、満足そうに頷いた。
この部屋の家主であり、セフィロスの連れ合いでもあるあの男は、きっとこの部屋を見て、愕然とするだろう。薄気味悪がって、戦慄し、嫌がって、そんな彼の様子を思い浮かべるだけで、セフィロスの笑みは深くなる。
愛し合う者同士なら当たり前のイベントも、セフィロスの周到な嫌がらせの一環になる。彼を――クラウドを苦しめるためならば、セフィロスはどんな滑稽な姿も演じてみせる。クラウドを苦悩させ、苦悶を味あわせ、苦渋に満ちた苦痛を与えることが、セフィロスの生甲斐で存在理由ですらあったからだ。
冬の寒い日、一日の仕事から帰還する連れ合いへ、ホットショコラのもてなしは必要だろうか。ふと思い当たって、セフィロスは窓辺へと足を進めた。
重いカーテンをさらりとのけ、曇った硝子をキュイキュイと擦る。暗い夜を彩る白に、セフィロスは目を瞠った。
大粒の粉雪が、音も無く降り始めている。ふわふわと舞い散るそれが積もって重なって、暗い街を柔らかく彩っている。
この雪の中、彼はどんなに体を冷やしてくることだろう。やはり、用意を整えた方が良いかもしれない。
セフィロスが貞淑に、甲斐甲斐しく振舞うほど、クラウドは顔を顰ませて、怖気を走らせる。ふ、と音を立てて笑みを零すと、セフィロスは踵を返しキッチンへと戻っていった。
チョコレートなら、まだたくさん余っている。冷蔵庫にはミルクのたくわえもあるし、使ったばかりの手鍋は綺麗に洗われている。
一人分を作るくらい、わけはない。適度に沸かせた牛乳に細かく刻んだチョコレートを割りいれて、それが溶け切るまでかき混ぜるだけだ。
火を止めた鍋を混ぜ返すヘラが、茶色に染まっていく。塊は無くなって、ショコラはだんだんとぬめり気を帯びてくる。
そういえば、大昔、セフィロスがブラックコーヒーを嗜む隣で、少年兵はカップから甘ったるいココアの香りをくゆらせていたものだった。懐かしい、と感じ ることを、馬鹿らしい、と感じ、セフィロスはそろいのマグカップの一つを取り出して、出来上がったショコラを注いでいった。
カップから、緩やかな湯気が立ち上る。それはセフィロスの頬を暖めて、彼の鼻腔に甘い香りを運んだ。
もう、今日は一日中、その香りに包まれている。かつて、いやというほど贈りつけられたチョコレートを無惨にも廃棄処分にしてきた自分が、たった一人のために多種類のチョコレートを用意している事実は、甚だ滑稽だと思う。
いつか壊してしまう幸福だというのに、そのためにどれだけの労力を費やしたことだろう。自分の愚かさを自嘲してしまわぬ内に、セフィロスはキッチンを発った。
まだ、クラウドが帰ってくる気配はない。いつか帰ってくる男を、ただ待っているというのも味気ない。
少しの間考えて、セフィロスは椅子にかけてあったコートを手に取った。襟にファーのついたそれに腕を通し、彼の足は玄関へと滑り出した。
僅かな時間で、街の屋根は白に染まっている。曇った空のどこから散ってくるのかと見上げると、睫毛にかかった雪がふわりと溶ける。
街路に面した軒に身を隠して、セフィロスは辺りを見回した。既にこちらに向かってくる男を出迎えるだけなのに、傘など邪魔なだけだ。
斜めに吹く風に煽られて迷い込んでくる雪がセフィロスの肩を濡らすが、セフィロスはそれを気にも留めず、白い息を吐き出した。
■ ■ ■
クラウドの頬を、冷たいものが打っていた。いつの間にか降り始めた雪は、帰還する男の視界を妨げてくる。
さっさと帰ってしまいたいのに、誰かを巻き込んでしまわないように、いつも以上に運転に気を遣わなければならない。その結果、エッジを駆ける狼の速度はいつもよりも緩やかだった。
朝は大荷物だったが、フェンリルの荷台はもう大分軽い。今日の仕事は、その大半がチョコレートの運搬で、一件一件の仕事が簡易な分、送り先はいつもよりも多かった。
お陰で、クラウドの事業も大分繁盛している。忙しい仕事の合間にも、クラウドはマリンの言いつけどおり、セブンスヘブンに立ち寄るのを忘れなかった。
もしもそれを忘れてしまったら、次のバレンタインまで、ずっと恨み節を聞かされるのは目に見えていた。贈り物以上のお返しを視野にいれた手作りのチョコレートを受け取って、帰宅する道中、クラウドは一軒の店に立ち寄った。
遅速な上に寄り道をしたから、大分時間がかかってしまった。けれど、家で待っているだろうあの男――セフィロスを相手に、遠慮することはない。きっと彼は、そんな申し訳なさすら払拭させるほどの残酷で陰惨なもてなしを用意して、クラウドをいまかいまかと待ち受けているのだろうから。
再臨した悪夢は、何食わぬ顔で居座って、クラウドに日々絶望を刻み続けている。彼と共にとりとめもない幸福を満喫することが、クラウドにとって、どれほどの幸福で、どれほど残酷なことであるかを知った上で、それを演じ続けている。
今宵もまた、彼は他の恋人達と同じように、いや、それ以上に、催事を楽しむつもりなのだ。それを思うと、ピリリと痛む頬を震わせて、クラウドは、はぁ、とため息を漏らした。
ワインは、白よりも赤がいい。ティファにそう教えられた。
酸味の強いシャルドネなどでは、チョコレートの旨みをぼかしてしまう。贅沢な味わいを楽しむためには、相性も大切なのだ。
そう教えた彼女の言いつけどおり、フェンリルの荷台には、ラッピングされた赤のボトルが壊れないように丁寧におさめられている。
こんな夜を過ごすことができるだなんて、思ってもいなかった。当初こそ、驚きと困惑と、後ろめたさを感じたけれど、セフィロスが横暴に振舞うから、吹っ切れた風もある。
フェンリルのハイビームが路地を照らし、タイヤはちらつく雪を噛み締めて走る。慣れた道のりを照らす光が、音も無く佇む男の姿を見つけた。
寒さを切って走ったから、体は大分凍えてしまっている。小さな動作で灯りを消し、跨っていた身を降ろすと、夜を騒がせた狼は大人しくなった。
大型の二輪車は、夜の街に溶け込んでいる。舞い散る雪が、クラウドの髪に積もり、上気した頬に当たって溶ける。
それを見とめるセフィロスのコートにも、白い粉が散っている。吐き出された武器と、荷台に積んだワインボトルとを取り出して、クラウドは小さく息をついた。
「遅かったな」
そう言って、セフィロスは一歩、雪を踏んだ。勝手に待っていたのは向こうの方なのに、待たせてしまったのだ思うと、少し心が痛んだ。
いつからそうして待っていたのだろう、まさか、メールを送ってからずっとそうしていたのだろうか。
「中にいればよかったのに」
口唇を尖らせるクラウドの言葉は、白く凍えて消えていく。それを見届けたセフィロスは微笑を深め、揶揄うように尋ねた。
「どこで寄り道をしていた?」
糾弾する言葉だけれど、批難の意味は含まれていない。セフィロスの瞳はクラウドの手に握られているボトルを見つけ、クラウドはそれを、セフィロスの胸元へと押し付ける。
「チョコレートばかりじゃ、胸焼けがする」
濃緑のボトルには、深い色の酒が詰められている。結ばれたリボンの下にある横文字のラヴェルを確認し、セフィロスは瞳を細めた。
その隣を横切って、クラウドは扉を開く。のんびりとしてセフィロスを待たせていたくせに、クラウドは足早に家の中へと逃げ込んだ。
その背中を悠々と追いかけながら、セフィロスは問いかけた。
「寒かっただろう。ショコラは要るか」
一階の事務所を素通りして、クラウドは二階の居室へと進んでいく。濡れた足跡を刻みながら、クラウドは言い放った。
「どうせ、もう用意してあるんだろ」
セフィロスが、この本気の猿芝居に手抜きをしないことなんて、既に重々承知している。それを甘んじて引き受ける自分は好き者だと思っているし、茶番劇と知りながら幸福を感じることが、愚かしいことはわかっている。
それでも、これは確かに喜びであったから、抗いようもない。部屋を充満する空気のように、心も、躯も蕩かされる。
コートに積もった雪が払われて、階段に二組目の足音が響く。後ろ手に閉じられた扉の向こうを、誰も邪魔できない。
甘くて、ほろ苦い空気に酔わされて、甘美な夢に溺れたとしても、誰も咎められない。冷たさの中に区切られた温かな空間を、壊せる者など、いるはずがない。