それはあたたかくやわらかな

表示設定
フォントサイズ
フォント種類
  • aA
  • aA
段組み
  • 縦書き
  • 横書き

 その日のクラウドは、ソファの足許に陣取って、一日中動かなかった。いや、動かなかったというのは正しくない。彼の指は忙しなく動作していたが、彼の腰はカーペットの上に貼りついて、その場を離れようとしなかった。
 コードに繋がれたコントローラーは、彼の両手によくフィットしている。右と左に四つずつボタンが配置されていて、親指がぐりぐりとそれを操作している。
 壁際に設置された液晶は白銀の世界に繋がっている。サイドのスピーカーからは、けたたましい音楽が奏でられている。
 もう、この音楽を聴くのも何度目だろうか。小さく漏らした嘆息も、つまらないゲームに夢中でいるクラウドには届いていないようだった。
 同じ道を繰り返し、何度も何度も。よく飽きないものだと、感心を通り越して呆れてしまう。
 読み進めていた分厚い書籍の右側が重くなり、左側が薄くなった。最後のページを閉じると、ソファの上に読み終えたそれを転がして、顔を上げた。
 画面の中では、金髪のツンツン頭が雪道をスノーボードで下っていく。多彩なコースが用意されているようだが、クラウドは決まって最短のコースを選んでいた。
 体を揺さぶって、タイミングを見極めてボタンを押す。どうやら、転ばないように気をつけるだけではなく、道中の風船を拾わなくてはならないらしい。
 拾った際の軽快な効果音まで、耳に染みついてしまった。暇つぶしの読書も終えてしまって、手持ち無沙汰だ。
 ろくに興味もない画面を見つめている気にもなれず、指を伸ばして、目の前にある金色の後ろ毛に触れた。
「気が散るだろ」
 肩をいからせて、クラウドが手を跳ね除ける。けしからぬ、つれない素振りだ。触れた余韻の残る指先を擦りあわせ、眉を寄せる。
 今日は休日。勤勉な配達屋は、自宅で自堕落に過ごしている。私はといえば、いつもとなにかが変わるわけではない。ただ、部屋が少しうるさくなっているというだけだ。
 遅い昼食を終えて、後始末もつけた。昼下がりのひと時を如何過ごそうと、思いのままだ。
 皿を洗い終えて帰ってきたら、クラウドはゲーム機の電源を入れ、テレビと向き合っていた。特に邪魔立てする気分でもなかったから、ソファに腰を下ろして好きにさせていた。
 視線を上げてみると、液晶の上にある電波時計が、先ほどよりも二周先の時刻を示している。細く嘆息し、私は口唇を開いた。
――暇だ」
 口をついたのは、何の変哲もない言葉だった。飢餓感、倦怠感、虚脱感――今の心境を表すのに、これ以上の言葉はない。
 大きく開けた膝の間で、クラウドはスノーボードに励んでいる。針葉樹の林の中をぶつからないよう器用に進みながら、クラウドは言った。
「本は? いっぱい買ってやっただろ」
 ストライフ・デリバリー・サービス――クラウドの家業は、なかなか成功しているらしい。毎日のように単車に跨って、世界を騒がせた二人が密やかかつ穏やかに暮らしていけるだけの金を稼いでくる。
 協力する気などさらさらないが、かといって、出かけていこうとする奴を引きとめようとしても、徒に機嫌を損ねるだけだ。留守番の褒美か、詫びのつもりかは知らないが、クラウドは度々、出先で目ぼしい本を見繕ってきた。
「読み終わった」
 同じ部屋に住むようになってから、まだそう長くは無いが、蔵書は増えていく一方だ。それは、クラウドが自身の務めを疎かにした時間の長さに比例している。
 それは、由々しき事態だった。それでも、殊勝に振舞うのなら見逃してやることもできたが、彼は背中を向けたまま、振り返る素振りも見せない。
「いつまで、そんなくだらない遊びを続けるつもりだ?」
 なにも、好き好んでこのような陳腐な生活に身を窶しているわけではない。これはただの気まぐれで、いつでも破滅させ得るものだ。
 そうさせたくないのなら、クラウドは身を呈して、私を退屈させないよう尽くさなければならない。この手を振り払う選択肢など、奴にはない。
「久しぶりだから、スコアが上がらないんだ。もうちょっと」
 画面の左右から飛んでくるモーグリにぶつかったせいで、大分失速したようだ。合格の赤印が左下に表示され、クラウドは肩を落として嘆息した。
 ゲームに入れこみすぎて、クラウドは上体を前に倒していた。ゴールを潜り一息ついて、彼はあぐらを組みなおし、ソファに背を凭れてきた。
 膝の内側に、クラウドの腕が当たる。画面の中では、滑走し終えた主人公が同じように体をほぐしている。
 私は、暇を持て余していた。狭い世界で、この心を充たせる唯一の存在が、別のものに気をとられている。
 そんな状況を、これ以上甘受できない。人の気も知らず、だらけたクラウドの脇に腕を滑りこませると、奴がリトライを選ぶ前に、ソファの上に強引に引き上げた。
「うわ――!?」
 驚き、奴が声を漏らす。大きく開いた肢の間に腰を置かせ、抱き締めた腕を離さない。
 コントローラーを握る手を離し、振り返る奴の抗議が、私の右腕に食い込んだ。狼狽する肢体を腕に抱き、柔らかな髪に口許を沈めていると、乾いた興がくすぐられるのを感じた。
「おい…なにしてんだ」
 抱き寄せた体をゴソゴソとまさぐって、腰骨の周りに腕を回す。自分と比べて狭い肩に顎を乗せ、不満げな問いには気の無い声で答えてやる。
「暇つぶしだ」
「俺は忙しいんだよ」
「問題あるのか?」
 クラウドは憤慨していた。体に纏わりつく重みに、煩わしそうに眉を顰めている。
 異論を封じるように畳みかけ、挑発的な笑みを零す。いかめしく細められた魔晄の瞳が瞠き、瞬く姿を見ているのは痛快だった。
「構わん。したいというなら、好きにしていろ」
 腹の前で組ませた指の上に、クラウドの掌が乗っている。しかし奴は、指の根本まで深く絡み合ったそれを、剥がすことなどできない。
 易い挑発に乗せられる、易い男だ。そう思われているのが気に食わないのか、奴は眉をひくりと動かして、口唇を噤んだ。
「…邪魔するなよ」
 平静を装って、クラウドは前を向く。傲慢な言葉を吐いて、私の腕を押さえるように、肘を乗せる。
 重なる躯の温もりを互いに感じながら、奴はリトライを選択した。再び出発点に戻り、画面の中の主人公が雪を蹴る。エッジを利かせてスタートラインを超えたのを見送って、私は腕に篭める力を強くした。
「…………ッ」
 部屋の温度は、快適に保たれている。過ごしやすい空気に包まれて、重なり合う体温は不快にならない。
 視線を画面に釘づけているこの男は、どんな表情を刻んでいるのだろう。瞳を閉じて想像するそれは、持て余していた平穏に新鮮味を加えていく。
 両肘を開いて、クラウドはわざと派手に体を動かし、コントローラーを操っていた。無駄な抵抗だ。煩わしいと思っていても、くだらない矜持が邪魔をして、抱き締める私を跳ね除けられないのだ。
 反骨的な態度は、美しい文章の連なりよりも、鮮烈な楽しみを私に味わわせる。面白い。もっと、追い詰めてやりたくなる。
 噛みあわせていた指をほどき、クラウドの服の上をまさぐった。ゲームの中のカーブにあわせて揺れる肢体を撫で摩り、掌で胸の筋肉を包み込んだ。
「ン……」
 クラウドの息を呑む震動が、触れる手に伝わった。それに続いて、奴は悔しげに舌打った。
 どうやら、風船を取りこぼしたようだ。いつもは聞こえていた効果音が聞こえない。
 この程度で、随分動揺しているようだ。更に手を加えたら、どんな反応を見せるだろう。
 平坦な胸を撫でていた掌で、ぐ、と抱き寄せる。肉を動かすように胸を揉むと、クラウドは小さな呻き声を漏らす。
「邪魔するなって、言ってるだろ」
 不満げな声からは、先ほどの威勢が薄れている。愚かにも画面から目を離し、様子を窺うように、チラりと眇めてくる。
「集中力のない奴だ。気にせず、やればいいだろう」
 この手に翻弄されるこの存在を、どれだけ愛しく思っているのか――きっと、彼には伝わらないだろう。嘲笑を口許に乗せ、懲りずに悪戯を繰り返す。
「できるものなら」
 予想通り、付け加えた私の言葉に、奴は反発を覚えたようだ。ゲームに専心し、スコアを伸ばそうと試みている。
 よく締まったクラウドの筋肉を服の上から掴み、揉みしだく。指が食い込み、少しは痛みを感じているのかもしれない。
 しかし、力を緩めてやるつもりはなかった。掌を押し返してくる小さな突起の感触が私を喜ばせ、増えた欲求が私の手つきを大胆にさせた。
「おい……」
 糾弾する声に、もはや覇気はない。腕を叩いてくる肘を意に介さず、首元まで上げられていたジッパーを下ろしていった。
 きちんと前を向いていなければ、横に広がる針葉樹にぶつかってしまう。だが、服の合間に腕を差し込まれ、ゲームに専念できずにいる様は甚だ滑稽だ。
「あ……!」
 指先で膨らんだ乳首を掠めると、クラウドは細い声を漏らした。それと同時、予想通り木に激突してしまって、金髪のキャラクターが雪原に放り出された。
 倒された障害物が、薄くなって消えていく。頭を振った主人公と同様に、クラウドも首をふるると振った。
「クソ……」
 聞こえるように舌打って、クラウドは気を取り直そうとする。助走をつけて滑り出し、止まっていた画面が動き出す。
 臍の下まで留め具を下ろしきると、硬くなった胸の突起が顔を出す。脇を撫で上げ、画面上の展開が落ち着いたのを見届けて、宙に浮かせていた指先を、ぐ、と肌に押し付けた。
「ぅ――ッ」
 腕の中で、クラウドが息を詰める。揉みほぐした胸に指を埋めこんで、ぷくりと尖った突起を押し潰していく。
 くりくりと指先を動かすと、小刻みに躯を震わせる。押して、離して、また押して、指先の感触を楽しみながら、私はそっと瞳を開いた。
 タイミングを合わせてジャンプボタンを押しているが、スピードが足りないせいで、風船には届かないようだ。スコアは伸び悩み、熟練の腕も形無しでいる。
「随分、苦労しているようだな」
「うるさい」
 揶揄を突っぱね、この期に及んで遅れを取り戻そうともがいている。もはや、失敗は許されない。そこをつかない手はない。
 飛んでくるモーグリを避けようとジャンプするのを見計らい、押し潰す左指に添えた二本の指で、皮膚をひっぱりあげた。
「んぅ……ッ」
 中指と親指で小さな乳輪を摘みあげる。くにくにと感触を楽しんで、引き上げた先端を人差し指でくすぐってみる。
 クラウドは戦慄き、びくりとわかりやすい反応を示した。細やかな刺激を与える度、彼の躯を走る快楽の震動が伝わってくる。
 指先の小さな感触だけでは、満足できない。快感に染まった肢体を抱きしめていて、欲望を堪える理由もない。
 尖った乳首を舐めて、吸いついてやりたい。口唇の中で震えるそれを舌先でつついたら、クラウドはどんな声を漏らすだろうか。
 巻き返しを図るクラウドは、スピードを上げていった。五つ並んだかまくらを目指し、ラストスパートをかける。
 程度の低いゲームなど早く終わらせて、この手の中に堕ちてくればいい。加速した卑猥な欲求を耐える気もなく、薄く色づいたクラウドの頬に、ねっとりと舌を押しあてた。
「うぁ――!」
 色素の沈んだ皮膚の薄い部分に爪を立て、ぐりりとつねるように捻りあげると、クラウドはびくびくと竦みあがる。そこを舐るのを想像し、長い前髪に隠された引き攣った頬を濡らす。
 痛烈な刺激に驚いたのか、クラウドは操作を間違えてしまったようだ。画面の中で、怒ったモーグリがちゃぶ台をひっくり返している。
「ン…………」
 強烈な刺激を噛み締め、クラウドは大人しくなった。スピードを失って、色鮮やかなスノーボードがゆるゆると動き出す。
 架け橋の上の風船など取れるわけもなく、滑る背中に哀愁を漂わせ、ゴールを潜った。重いため息を吐き出したクラウドをねぎらうように、濡らした頬にキスを落とした。
「……邪魔するなって、言っただろ…」
 クラウドは肩を落とし、ゆるゆると脱力した。もはや、リトライを選択する気力など残っていないだろう。
 縮み上がった乳首を撫でて慰めて、頬に、目許に、吸い付いていく。零れる笑いを堪えられるはずもない。この指先に翻弄され、簡単な作業ともいえる遊戯さえままならぬほど、落ちぶれた男を抱いているのだから。
「悦んでいるくせに」
 触れていなくても、奴が股間を疼かせていることなどわかっている。細い痛みに悶えた乳首と同様、硬さを保ち、触れて欲しがっているのだろう。
「アンタこそ」
 体を被せていたから、腰元で熱く昂ぶった剛直に、彼も気づいていたようだ。尻の合間を押し上げるようにそれは膨らんで、淫らな劣情を溜め込んでいる。
「どこがいい? せめて、場所くらいは選ばせてやろう」
 数分間の間に随分いじめてやったが、これはまだ序の口だ。服の枷を剥ぎ取って、露骨な欲求を貪りたがっている。
 このままここで乱れてしまってもよかったが、奴のプライドはそれを許さないだろう。リビングを汚してしまう後ろめたさか、シーツの上での終わりなき悦楽かを選ばせる。
「…ベッドまでは、我慢しろよ」
 胸を弄くる手に指を重ね、クラウドが振り返る。屈辱に濡れたその瞳は、芳しいほどに艶やかな彩を放つ。
 一度燃え上がってしまえば、収拾がつかないのだということを、奴もよくわかっている。それを知っていて、自ら肢を開こうというのなら、お望みどおり溺れるほど注いでやるだけだ。
 戦いに慣れたからもあるのだろうが、生ぬるい平穏では満足できない。血腥さと緊張感の馴染んだ肌に、これの温もりはいとも容易に染みこんでくる。
 クラウドが相応に振る舞っている間は、この気まぐれを続けてやってもいいだろう。猛烈で強烈な快楽に灼かれた後、シーツに積もった二つの肢体が、あたたかで、やわらかで、いとおしい充足に、潤されている間は。

【 END 】