ホワイトアウト<前編>
研ぎ澄まされた風が肌を掠め、ヒリヒリとした痛みが走る。凍えた足裏を深雪がしっかりと受け止めて、雄大な景色を保証していた。
陽の光を受けて、つもり積もった雪粒がキラキラと輝いている。世界は目映くて、目が眩んでしまいそうだ。
深く息を吸い込むと、肺の内側まで涼しく冷やされていく。吐き出す空気は温まって、白く染まってふわりと浮いた。
「ねーぇー、やめようよー」
間の抜けた声が聞こえ、クラウドは振り返った。
内股に膝を擦りあわせ、ユフィがガタガタと震えていた。両肩を抱き締め身を竦め、少女は憐れな声を漏らしている。
「だらしねぇなぁ。情けねぇ声出すない」
「だって、寒くないの!? セフィロスだってこんな寒いトコにいるわけないって」
アイシクルロッジの街並みを越えると、旅人達の行く手を阻む、一面の銀世界が広がっていた。見下ろすのも恐ろしい急斜面になっていて、それはお世辞にも、人の通れる道とは言えない。
「早う出発せんと、メテオ呼ばれちゃおしまいですよ」
「そうだけどさぁ…」
「こんなやつ置いて、さっさといこうぜ」
「ひっどーい。そんなに急いでるなら転がってけばいいじゃん。ゴロゴロゴロ~って」
「確かに、その方が早いかもしれないよ」
「違いねぇ」
ケット・シーとバレットが嗜めたが、ユフィは元気に反論してみせた。レッドⅩⅢとシドがそれに乗っかって、バレットは憤慨して顔の色を濃くしていた。
仲間達の和気藹々とした姿を横目に眺めながら、クラウドは小さく、白いため息を吐いた。
北を目指す一行は、悪天候に足止めを食らっていた。
この星の最北部に位置する街、アイシクルロッジ。この先は人の棲まない苦境で、なにが待ち受けているのかもわからない。
戦いに備え、新しい武器を調達して、テントやアイテムも十分に買い足した。支度を整え、吹雪が止み、いざ出発しようとした彼らは、自然の雄大さに圧倒されてしまっていた。
「…綺麗だね」
レッドⅩⅢが呟いた。皆、何も言わなかったが、仲間達は同じ感動を共有していた。
輝く雪原は絹のように滑らかだ。ヒュルル、と、降り積もった雪を撫でて耳を掠める風すらも音楽になる。
これから進む道のりは厳しく、過酷な環境であることは明白だが、今目の前にある景色は、息を呑むほど美しい。
「この先に、本当に…セフィロスがいるのかな」
細眉を寄せ、呟くティファは、少し心細そうだった。彼女もまた、両肘を掴んでユフィと同じように寒さを堪えている。
「セフィロスは北に向かっている。この先にいるはずだ」
呟いた言葉に、疑いは無かった。地平線の向こうまで続く白銀の世界をじっと見据えながら、クラウドははっきりと頷いた。
彼らはセフィロスを追いかけて、星をずっと旅してきた。それは、決して楽な旅路ではなかった。まっさらな雪原は、足を踏み入れることすら躊躇うほどの美しさだ。寒さは厳しく、先を急ぐ人の心を臆させる。
胸いっぱいに吸い込んだ煙を吐くと、青い空にむわりと溶ける。ふう、とそれを吹き消して、シドが口隅を持ち上げた。
「こっから先は、人気の無ぇ山ン中だ。珍しいマテリアがおっこちてるかもしれねぇな」
それを聞き、大袈裟に揺れていたユフィの震えが止まった。
「残念だったなユフィ。ま、オレ様が大事に使ってやるから心配いらねぇ」
傍らに佇んでいたヴィンセントが、マントの中に、ふ、と小さな息をつく。
「短い付き合いだったな」
「あばよ、ユフィ。モンスターに襲われねぇように気をつけな」
ヴィンセントが涼しい顔で、バレットがニヤニヤ笑って、ユフィの表情を伺っている。
行く道は険しいが、戻る道など無い。見知らぬ厳しい土地で置いてけぼりを食らうのはまっぴら御免で、ユフィは慌てて大きく両手を振り回した。
「うそうそ、ジョーダン! 珍しいマテリア…じゃなくて、セフィロスに黒マテリア使われちゃ大変だもんね! 行こ行こ、早く行こう!!」
「現金やなぁ」
ケラケラと笑い、ケット・シーがモーグリの上で腹を抱えている。それに誘発されるように、仲間達の緊張感が解けて、凍った空気は和やかになった。
バレットの大きな笑い声が雪原に響き、レッドⅩⅢも髪飾りを揺らしている。クラウドの隣でティファがくすりと笑みを溢し、行く先を睨むように見つめていたクラウドの硬直も和らいだ。
「シド、ユフィ、一緒に来てくれ」
笑いを噛み締めていたシドが、呼ばれて顔を上げた。振り回していた腕を構え、ユフィが、シュッシュッ、と拳を鳴らす。
「バレット、ティファを頼む。ケット・シー、バレットをサポートしてやってくれ」
長旅に危険はつきものだ。粗暴なモンスターと戦うために、クラウドがスリーマンセルを作っていく。
「おう、任せろ」
「ほんなら、お手伝いさせてもらいます」
バレットは右腕の銃を高く掲げ、ケット・シーを乗せたモーグリが得意げに大きく足踏みをした。
「私の相方が決まったようだな」
「ヴィンセントと一緒なら安心だよ」
黒髪の青年はいつものようにマントを翻し、燃える尻尾を高く持ち上げて、レッドⅩⅢも士気を奮わせた。
「…クラウド、大丈夫?」
各々が気合を漲らせる中で、ティファは先ほどと同じ、不安げな面持ちだった。クラウドは眉を寄せ、答えられない代わりに無言で問いかえした。
どう言うべきか考えあぐね、ティファの口唇は躊躇った。視線を落としてしまうティファと、それを見つめるクラウド。二人の間に、シドが割り込んできた。
「オレ様がついてるんだ。心配するない」
驚いて、ティファが顔を上げた。皺くちゃのシドの笑顔を、ティファは目をぱちくりと瞬かせて見上げていた。
「そうそう。アタシも頑張っちゃうよ!」
先ほどまでは寒そうに凍えていたというのに、ユフィはいまや、元気に拳を振り上げる。ぽんぽん、と、軽く肩を叩かれて、渋く顰めてい達ファの眉は緩やかになった。
「うん。お願いね」
なにが『大丈夫?』で、なにが『お願いね』なのか、クラウドにはわからなかった。これまでの旅も危険は決して少なくはなかったが、クラウドの強さなら彼女は十分理解しているはずだ。
何事もなかったかのようにティファは微笑んで、仲間達はそれぞれ、旅立ちの準備を始めた。クラウドは眉を顰めていたが、それ以上追及はしなかった。
村に住む少年に譲ってもらったスノーボードを雪原に乗せる。真っ白な大地に、派手な色のグラデーションが映える。
片足をボードに繋ぎ、クラウドは身を起こした。ケット・シーは特注スキーをはきこなし、シドも独自の加工を施した自前のボードを前に得意そうだ。
「俺達が先に行くから、ついてきてくれ」
「お安いご用だ」
「シュプールを見て追いかければいいのね」
「みんな、はぐれるなよ」
「こんなところ、うまく走れるかな」
「やってみればわかる」
不安を感じていたのは、四つ足のレッドⅩⅢだけではない。みんなスノーボードもスキーも初心者だったし、ここはチョコボもよりつかない厳しい世界だ。
「行くぜ!!」
皆の不安を吹き飛ばそうと、クラウドは大声を出した。そうすると勇気がわいてきて、不思議と気分が高揚し始めた。
片足で雪を蹴り、二、三度続けて速度を上げる。シドとユフィがクラウドに続き、雪山を滑り出した。
前人未踏の雪原に、彼らは大胆にも足を踏み入れた。大自然に果敢に挑む戦士達を嘲笑うように、包み込むように、雪山は白い両腕を広げていた。
■ ■ ■
連続するカーブをこなし、針葉樹の合間を潜り抜け、彼らは崖の向こうへと勢い良く飛び出した。降ったばかりの新雪が三人を抱き留めて、大きな衝撃を吸収した。
雪にまみれて濡れた顔を起こすと、地図に描かれていた一本杉が目に入った。仲間の無事を確認しあうと、三人は休む間もなく歩き始めた。
寒さは厳しく、立ち止まっていては体温を奪われるだけだ。クラウドはさっさと歩き始め、煙草に火を点けなおしたシド、雪を払い落としたユフィもそれに続いた。
過酷な環境を生き抜くために、モンスター達は特殊な成長を遂げていた。その姿は寒々しく、ファイア系の魔法が有効だった。
遭遇するモンスターを倒しながら、一行は雪道を進んでいた。道中、アイシクルロッジで手に入れた地図が役に立った。氷塊の浮かぶ池を渡り、離れ小島で暫く休んだ後、温泉でかじかんだ指先を温めた。
モンスターは、旅人を迷い込ませるために女性の姿を借りるらしい。温泉嫌いのスノウを倒すと、珍しい召喚マテリアが手に入り、ユフィが大いに喜んだ。
先へ進むと、広い雪原に出た。目印も無く、道も途切れ、ただただ白く、広大な世界が広がっていた。
「見渡す限り大雪原…。これじゃヘタに動けないな…」
顔を渋く顰めて、クラウドが呟いた。
「こいつは一体、どうしたらいいんだ?」
凍ってしまったヒゲを擦りながら、シドが呟いた。
「早く行こうよ。寒くて死んじゃいそう」
出発の時は晴れていたのに、空には重い雲が達こめ始めている。山の天気は変わりやすいというのは、どうやら真実だったらしい。
「…目印をつけながら、歩くとしよう」
どうやって進もうか、考える時間さえも無い。備えてあったポールを使って、地図を信じて進むしかなかった。
「でも、迷子になったらどうすんのさ」
「行くしかないだろ。ぐずぐずするな」
用意してあるポールは三本。一本目を取り出して、クラウドはそれを地面へと突き刺した。
クラウドの乱暴な言い方を指摘しようと、ユフィが声を荒げようとした。それよりも一瞬早く、シドがユフィの肩を捕まえた。
「まぁ、そう焦りなさんな、クラウドさんよ」
呼びかけられて、クラウドは足を止めた。
「ちゃぁんと着いてくっから、しっかり先導頼むぜ」
シドに押されて、ユフィが歩き出す。クラウドの突き刺したポールを引き抜いて、シドは、に、と笑みを見せた。
素っ気無く前を向き、クラウドは二本目のポールを刺した。クラウドが先を行き、ユフィが続いて、シドがポールを回収する。そうしていれば離れ離れになることもないし、行く先は決まっているのだから、それを目指して進むだけだ。
雲はどんどん広がって、風に雪が混じってきた。口をぐ、と噤んで、クラウドは真っ白な雪を踏んだ。
焦っている、と指摘されたクラウドの心に、反発が広がっていた。焦っているんじゃない、急いでいるだけだ。セフィロスに黒マテリアを使わせてはならない。急ぐのは当たり前で、わかりきったことだろう。
星を滅ぼす破壊の魔法、メテオ。それを封じた黒マテリア。セフィロスよりも先に黒マテリアを発見し、回収した、そこまでは良かった。
あの時、なにかがおかしくなった。クラウドは自分でも意識しない内に狂気に駆られ、セフィロスに黒マテリアを渡してしまった。
危険だと分かっていて、どうしてそんなことをしてしまったのか、自分でも理解できない。理解できないことは他にもあった。エアリスを殴った記憶なんてないのに、感覚だけは拳にしっかり刻まれていた。
その後、エアリスはクラウドの前から姿を消した。エアリスがどこに行ったのか、クラウドには見当もつかなかった。もしかしたら、またおかしくなってしまうかもしれない。自分でも考えられない、過ちを犯してしまうかも――。不安を抱えたまま、立ち止まるクラウドの背中を押してくれたのは、共に歩んできた仲間の存在だった。
武骨だけれど、優しくて情に厚いバレット。いつも傍に居て、励ましてくれ達ファ。二人の前で、クラウドはこれまでに無い、弱った姿を見せてしまった。
二人とも、それに、みんな、クラウドを励ましてくれた。エアリスを追いかけて、忘らるる都を訪れて、そこでまた、なにかがクラウドを駆り立てた。
ドス、と、音をたてて、クラウドはポールで雪を抉った。苦い記憶が脳裏を過ぎり、ユフィに差し出されたポールを奪う手にも力が入った。
どうして、あんなことをしてしまったのか。エアリスに剣を向けるだなんて。
どうして、あんなことをさせてしまったのか。抱き締めたエアリスの命が流れ出ていく感触を、未だに忘れることができない。
貫通した傷口をどんなに押さえても、血は溢れて止まらなかった。目に焼きついた光景は瞬きをしても消えはせず、あの時と同じ感情が胸を灼き、乾いた喉に唾液が沁みた。
ぱらついていた雪が、斜めに肌を突き刺してくる。いつのまにか吹雪になって、風に逆らって歩くから、体は自然と前のめりになった。
「クラウド、ちょっと止まろうよ」
過酷さに耐えかねて、ユフィの切ない声が聞こえる。
クラウドは、聞こえない振りをした。風がごうごうと雪を叩きつけてきて、冷えた耳が痛いほどだ。
「クラウド~」
悲鳴にも似たユフィの声が、雪の音に掻き消える。気づかない内に後方と距離があいてしまったろうか。クラウドは立ち止まり、くい、と顎を横向けた。
「クラウド、前だ!!」
シドの声にはっとして、振り返った顔を起こす。鋭い鎌のような尻尾をしならせ、フローズンネイルが吹雪の中から現れた。
寒い色の腕から、鋭く尖った爪が伸びている。風を裂く速さで繰り出される攻撃は侮れず、油断をすれば致命傷になる。
一匹、二匹…いつのまにか、周りを取り囲まれてしまっている。彼らは吹きすさぶ風に負けずに、素早い動きを見せた。頭を揺さぶり、腕をしならせながら蠢く様は、久方ぶりの獲物を威嚇しながらも、誰が先に挑みかかるのか窺っているかのようだ。
「おいおい、この吹雪でもおかまいなしかぁ?」
くわえていた煙草を摘まんで思い切り吸い込むと、シドの手の中に赤い光が燃える。
「ちゃっちゃと終わらせようよ。アタシもう足の感覚なくなりそう」
新調したばかりの武器を構え、ユフィは頭に積もった雪を振り落とした。
「雑魚に構ってる暇は無い。すぐに終わらせるぞ」
降りかかる火の粉を、彼らはいつも払い落としてきた。背負っていた大剣を握り締め、駆け出したクラウドが第一撃目をお見舞いした。
聞くに耐えない鳴き声が、吹雪く風の中に響き渡る。怒りをたぎらせ、爪を振りかざすモンスターの脇の死角に、ユフィの投げ手裏剣が突き刺さった。
痛みに耐えかね、身を捩るモンスターの鉤爪が暴れている。足場の悪い場所での戦闘に翻弄されては、いつもの俊敏さも発揮できない。
咄嗟に身を庇ったユフィは、腕に軽い傷を追う。それに気を取られたクラウドも、横からしゃしゃり出たモンスターの攻撃を避けることができなかった。
「いった――!! なにすんだよ、マテリアも持ってないくせに!」
ユフィの負傷に舌打ちしたシドが、敵単体にファイラをかける。一匹は倒せたが、仲間の倒されたその場所に、新たな一匹が体をねじこんできた。
「キリがねぇぜ、これじゃあよぉ」
群れをなすモンスターを相手に、体力を浪費するわけにはいかない。そうとはわかっているが、なにぶん相手が多すぎる。
連続する攻撃に、体の至るところに刻み付けられた切り傷が発火する。じりじりと近づいてくるモンスターと距離をとろうと、シドが自慢の槍を振り回した。
豪快な攻撃によって、自慢の腕が切り落とされる。モンスターは後退して、傷ついた腕を庇いながらキイキイと不快な鳴き声をあげた。
「シド、ユフィ、さがってろ」
握り締めていた剣を背負い、クラウドは詠唱体勢に入った。
「ちょっと、クラウド!?」
なにをするのかを察知して、慌てるユフィを抱えてシドが駆けだした。バンクルに嵌めていたマテリアが赤く輝いて、吹雪の舞う雪原は一瞬で灼熱の煉獄に変わる。
「吼えろ、イフリート」
クラウドの召喚に従って、古の魔獣は雄叫びをあげた。大地を揺るがす轟音がビリビリと伝わって、モンスターは吹き飛ばされまいと地面にへばりついた。
イフリートの炎は、敵を総て燃やし尽くす。地獄の火炎に呑まれた者達は、塵ひとつ残らない。
フローズンネイルの大群は、イフリートの灼熱に取り込まれてしまった。烈火を吐き散らし、イフリートがモンスターに襲い掛かる。余りの熱さ、目映い光にクラウドは顔を伏せ、次に彼が目を開いたとき、鬱陶しかったモンスター達は忽然と姿を消していた。
断末魔が風に消え、雪の踊る音だけが残った。周囲に漂っていた邪悪な気配が無くなって、クラウドは、はぁ、とため息をつき、身を起こした。
使命を終え、イフリートは拠り所であるマテリアに還った。息苦しいほどだった熱さもやんで、寒さが肌に突き刺してくる。
軽く首を振って、体に積もった雪を払い落とす。地面を押し、さく、と柔らかなを音を立てながら立ち上がると、クラウドはようやく異変に気がついた。
「…シド……ユフィ…?」
あたり一面、真っ白だ。イフリートの攻撃の影響で大分遠くまで吹き飛ばされたのか、回りには仲間達の足跡も、目印だったポールも見当たらない。
「シド、ユフィ、どこにいるんだ!?」
声を張り上げる喉は乾いていて、音は吹雪に吸い込まれてしまう。仲間とはぐれたのだ、と自覚すると、クラウドはそら恐ろしい気持ちになった。
仲間の命を案じたのは勿論だが、自分の命の危険を、クラウドは明確に感じ取った。こんな場所で、たった独り。焦ってあたりを何度も見回し確かめるけれど、そこには何も無い、真っ白な世界が広がっていた。