ホワイトアウト<後編>
瞳を瞠いて、右へ、左へと顔を向ける。前も、後ろも、全てが白に染まっている。目を凝らすクラウドの視界を、吹き付ける風と雪が邪魔をした。
ぐ、と奥歯を噛んで、腕を持ち上げ視界を確保する。暴れる髪が頬に当たって、痛いほどだった。
どこまでが雪原で、どこからが空なのか、皆目見当がつかない。ぐるぐるとあたりを見渡すうちに、自分の立ち位置さえも見失って、もはやどこが前で、どこが後ろなのかも分からなくなってしまった。
落ち着け、落ち着くんだ、と、クラウドは自分に言い聞かせた。
行き先は分かっている。みんなとはそこで合流できるはずだ。モンスターに遭遇してしまっても独りで戦えないわけではないし、アイテムも十分に残っている。
はっとして、クラウドは地図を取り出した。
アイシクルロッジで手に入れた地図――あれがあれば、これから進んだ先どこに出ても迷うことはないだろう。
その浅慮が仇となった。水を吸い、焦った指はガタガタと震えてしまって、強風に煽られて地図が空を舞った。腕を伸ばしても捕まえられるはずもなく、それはすぐに白い空に吸い込まれてしまった。
「く――ッ」
伸ばした指で拳を作り、クラウドは顔を顰めた。
なにをしているんだ、あれは旅路には欠かせない、大切なものだったのに。
寒さが、これまで以上の苛烈さでクラウドを苦しめた。ユフィが、ティファがそうしていたように、両腕を組んで身を庇い、クラウドは顔を俯けた。
ここで立ち止まっていても仕方が無い。方向もわからぬ道を、クラウドは歩き出した。
風に逆らって歩くことで、自分の中の勇気を奮い立たせようとしていた。けれど、風は一方から吹き付けるのではなく、縦横無尽から叩きつけるようにクラウドを翻弄する。気を抜けば、風に方向感覚を狂わされてしまう。足許を見下ろして、足跡を縦にそろえることで、真っ直ぐ歩こうと試みた。
戦いに明け暮れる日々だから、いつだって死の危険に晒されている。それは分かりきっていたし、今日まで忘れていたわけではない。ミッドガルに居た当時は、死ぬことにも、生きることにも、興味は無かった。たった独りでいたクラウドにはいつのまにか仲間ができて、彼らと一緒に旅する内に、いつのまにか、『人はいつか死ぬ』のだという当たり前の理屈を忘れてしまっていた。
可笑しな話だ。モンスターを倒し、通ってきた道に屍の山を築き上げてきたというのに。
それに、クラウドはかつて、もっと絶望的な死を目の当たりにしたことがある。炎に燃えるニブルヘイムで、懐かしい故郷の人達が、悲鳴も上げられずに息絶えていく。大好きだった母が、大切な幼馴染が――確かに生きていた命の灯が、一つ一つ消えていく怖気の走るあの感覚を、クラウドは未だに鮮明に思い出せる。
ぶるりと背筋を震わせ、クラウドは長いため息を吐いた。寒い、と、そう感じた自分に戸惑って、クラウドは肩を狭め、首を埋めて身震いした。
たくさんの敵を倒してきた自分が、自分の死を恐れている。敵を倒し、モンスターを殺し、目の前でエアリスを死なせてしまった自分が、死ぬのが怖いと感じている。
頬の筋肉が引き攣ったのがわかったけれど、口唇は凍り付いて、笑うことはできなかった。底冷えする寒さに耐え切れず、内側からこみ上げる衝動に駆られて、クラウドは掌を腕に押し付け、激しく擦って暖を求めた。
なにを恐れてるんだ。こんなの、今に始まったことじゃない。俺は今まで独りで生きてきたんだし、仲間なんて居ないほうが好都合だ。たった独り、誰にも知られずに逝けるなら、誰にも迷惑をかけずに済む。
ダメだ、そうじゃない。生きることを考えるんだ。
もしこのまま誰にも会えず、たった独りになってしまっても、俺は先へ進まなければ。ニブルヘイムを焼き滅ぼし、エアリスを葬ったあの男――彼を追いかけ、彼を倒すために、ここまでやってきたんじゃないか。
「――ッ」
吹雪に足をとられ、風に押され、クラウドはよろめくように前方に煽られた。ズ、と、足が雪にめりこんで、ふらつく体重を足一本で支えている。倒れないように踏ん張って、クラウドは暫くその場に立ち止まった。
後ろをそっと振り返ると、これまで歩いてきた足跡が続いている。しかし、それも見えるのは数メートル先までで、その先は吹き乱れる白い乱気流に飲み込まれていて、もはや自分がどこから来たのかも判らない。
雪に頬を叩かれて、鋭い痛みに顔を顰める。再び前を向くと、クラウドを押した風が虚空に吸い込まれるように消えていった。
このまま、いつまで歩き続ければいいのだろう。この先はどこに続いているのか、そこにセフィロスは、いるのだろうか。
不安と焦り、孤独の恐怖から逃げるように、クラウドは足を踏み出そうとした。その瞬間、強すぎる風にバランスを崩し、クラウドの体が折れて、雪に沈んだ。
「っ、ふ……」
衝撃は雪に吸い込まれ、痛みは無かった。体に触れた雪が溶けて、顔が、服が、じわじわと濡れていくのが分かった。
とんだ醜態だ。仲間とはぐれ、雪道で独りきり、雪原に倒れこんでしまっているなんて。
心底呆れはててしまい、自嘲する気も起こらない。早く起き上がろうと考えたけれど、体に力が入らなかった。
「は……?」
頭は、確実に体に指令を伝えたはずだった。動け、起きろ、と命じたはずなのに、指先一本さえも動かない。
雪のベッドは冷たくて、それでいて優しく、柔らかくクラウドを受け止めて、吐き出す呼気が頬に温かく伝わり、クラウドの全身はある種の心地よさに包まれてしまっていた。
このまま、少し休んでいこうか。危険な考えが脳裏に浮かぶ。
そうしてはならない。体温を吸われて死を早めるだけだとは分かっている。けれど、疲れきった体は仮初の安息から離れがたく、クラウドはゆっくりと瞬きをした。
風が、音をたてて通り過ぎていく。それは美しい音楽とはいえなかったが、疲労困憊の青年が時間を忘れるための手助けとしては十分だった。
シドとユフィは、無事だろうか。シドがいれば安心だ。クラウドにとってユフィは扱いづらい娘だが、シドならば年下の小娘の扱いなど慣れたものだろう。
レッドⅩⅢとヴィンセント――あの二人なら、心配はいらない。ヴィンセントは元タークスで、そんな彼にとって雪山の危険などさしたる問題ではないだろうし、レッドⅩⅢの鼻があれば、はぐれたりせずに仲間のもとへ辿り着けるだろう。
ティファは、どうしているだろう。バレットとケット・シーは、彼女の面倒をしっかりと見てくれているだろうか。
ケット・シーはああ見えて理性的な面もあるから、バレットが無茶をしないようにちゃんとフォローしてくれるだろう。バレットも、頼まれればきちんとこなしてくれる義理堅い男だ。問題は無いはずだ。
クラウドは安堵した。こんな姿を、ティファに見せなくて済んだことに。
そうして彼は気がついた。自分から、ティファを遠ざけていたということに。
「……ふ……」
雪に埋もれながら、クラウドは笑った。濡れた睫毛が雪を擽り、溶けた露が雫を結んだ。
自分でもわからない、自分の知らない自分がいる。ゴンガガの古びた宿屋で、クラウドははじめてその不安を口にした。
バレットは言った、責任をとれ、と。
ティファは言った、みんながついてるじゃない、と。
仲間達に支えられ、クラウドは忘らるる都に向かった。そこで起こった出来事を、クラウドは未だに消化できていない。
クラウドだけじゃない。みんな、消化できずにいる。そんな状態で、逸る気持ちを抱えたまま旅を続けてきた。
俺を見張っていてほしい、そう頼んだとき、ティファは躊躇った。バレットも言葉を濁し、煩雑そうな思いを噛み締めていた。
それが分かっていたから、クラウドは意図して、二人と自分を遠ざけていた。これ以上、彼らの信頼と期待を、裏切りたくなかったんだ。
寒さに、体が溶けていく。背中の上に、積もっていく雪の重さに気づいている。けれど、体は凍ってしまったようで、一ミリも動けない。
このまま雪に埋もれ、白に染まり、自分も世界の一部になるのだろうか。そんな漠然としたイメージがふわふわと泳ぎ、遠のいていく意識の一部が、音が止んだことを察知した。
先ほどまでごうごうと唸るようだった風の音が、止んで、シンと静まり返っている。いや、違う。風がなくなって、雪の舞う音だけが、深々と空気に蕩けていく。
クラウドは雪と同化して、そこに積もっていく一粒一粒を感じ取ることができていた。それは不思議な感覚で、それは安らぎとも似た感情だった。
自分は、眠ってしまったのだろうか。そんな思考が働いているということは、どうやらそうではないらしい。
重い瞼は震えるだけで、持ち上げることはできなかった。どうせ目を開けたとしても白しか見えないのだ、と、諦めに似た想いもあった。
無音の世界は真っ白で、顔を濡らす雫がぽたりと滴り落ちるのを、ひどくゆっくりと感じていた。うつ伏せに横たわるクラウドの耳に、柔らかな音が届いた。
風のない雪原に、舞い散る雪が降り積もる。新雪を踏む重み、微弱な震動を、クラウドは鋭敏に感じ取った。
右足に次いで、左足が動く。足音は静かに、緩慢とクラウドに近づいてくる。モンスターのそれなのか、仲間の誰かのものなのか――どちらでもいい、興味もなくて、クラウドは横たわったまま微動だにしなかった。
「――なにをしている」
その声は、クラウドの鼓膜を震わせたけれど、彼の意識に届くには時間がかかった。音を声なのだと判別して、その言葉の意味を理解することができなかった。
「なにを、している」
同じ声が、同じ言葉を呟いた。言葉が雪と同じようにクラウドに降ってきて、彼はようやく、それを言葉なのだと認識することができた。
「……………」
同じ雪の上に、誰かが立っている。クラウドの進むべき方向からやってきたその誰かは、クラウドの前でぴたりと足を止め、クラウドを見下ろしたまま、沈黙を保っている。きっと、クラウドの答えを待っているのだ。けれど、クラウドは応えることができなかった。
自分は、なにをしているのだろう。その答えを、彼は持ち合わせていなかった。だから思考が働いて、自分がなにをしているのかを、クラウドは考え始めた。
「眠っているのか」
頭が動いているのだから、眠っているわけではない。これが夢だとするならば、こんなにも現実味のある夢は無い。
「こんなところで、休んでいる場合か」
別に、休んでいるわけじゃない。危険性は十分に認識していたし、目的や、目標だってあったはずだ。
「…私を、探していたんじゃないのか」
雪に包まれた心臓が、どくりと脈打つのがわかった。
体温はすっかり奪われてしまって、体は雪原に同化している。クラウドの倒れ伏すその先に、佇んでいる一人の男。彼が一体誰なのか、瞳を閉ざすクラウドの意識の中で、それは明確なイメージを構築し始めた。
「五年前、お前の故郷を奪ったのは誰だ」
懐かしく、愛しい村が燃え、無くなっていく。そこで感じた炎の熱さを、身体の、心の痛みを覚えている。
「大切な仲間をお前の目の前で殺したのは、どこの誰だ」
優しくて、明るくて、仲間達を癒し、クラウドを勇気付けてくれた大切な存在――エアリスを奪った男の顔が、クラウドの脳裏に浮かぶ。
「…は……はァ……ッ」
息苦しくて、クラウドは顔を顰めた。体の内側から燃えるものがあるのに、それを吐き出すことができない。
指先が引き攣って、掌は力なく雪にへばりつく。雪原に倒れる憐れな男を見下して、漏れるため息の音が聞こえた。
「……人形のお前には、わからない話だったか」
真っ白だった世界に、一人の男の像が浮かぶ。流れる銀髪、目も覚める黒いコート。息を呑むほど美しい白皙の美貌に、鮮やかに煌く一対の魔晄の瞳。
「所詮は失敗作、か…」
嘗ては、英雄とまで呼ばれた男。彼へ抱いていた羨望と敬服は、今や、憎しみと怒りに打ち消されてしまった。
雪を踏む音が、クラウドにも響いた。踵を返し、歩き出そうとしているのが、クラウドにもわかった。
弱い力に引き止められて、セフィロスは立ち止まった。そのまま歩けば自然に払いのけられるほどの、弱々しく、たどたどしい束縛だった。
ぴくりとも動けなかった男の凍った手が、コートの端を掴んでいる。グローブを嵌めた手は濡れていて、寒さ故か、びくびくと震えてしまっていた。
「――ロス……」
雪の音は小さくて、風の無い世界に、震える声が微かに響いた。ガチガチと鳴る歯軋りの合間から、彼の声が、名前を紡ぐ。
「……セフィ…ロス……」
うわ言のように、クラウドは呟いた。セフィロスはその場に立ち止まって、ただそれを見下ろしていた。
宝条によってジェノバ細胞を与えられ、魔晄を浴びて完成した、セフィロス・コピー。精神虚弱で意志薄弱な彼らは、セフィロスによって容易に操られてしまう。
ジェノバはリユニオンし、セフィロスはジェノバを支配する。コピーどもがセフィロスの名をうわ言のように呟くのを、彼は幾度も見下してきた。今、セフィロスが見下ろしている彼もまた、同じようにセフィロスの名を呼んでいる。
「く…、は……ッ、セフィ、ロス……」
セフィロスは冷えた目で、クラウドを見つめていた。
這いつくばって、その名を唱えることしか出来ない者に、構っている時間など無い。けれどセフィロスは、彼を振り解こうとはしなかった。ただじっと、細い瞳孔に彼の姿を映し、その場に佇んでいるだけだ。
「……て……、る…」
溶けた雪に濡れ、温度を無くした口唇が震えている。何を言おうとしているのか、セフィロスは耳をそばだて、柳眉を寄せた。
「……して…る…」
どこかにあるはずの心臓が、どくりと脈打つのがわかった。未完成の肉体に閉じ込められた胸の内で、奮えた心に体が呼応する。
まさか、そんなはずが無い。
雪に塗れた青年の漏らした声は、予想外の言葉に補完されて、セフィロスの耳に届いた。
愛してる、と、本当にそう、言ったのか――。
「――クラウド」
疑いと期待の両方を胸に秘め、セフィロスはそっと、その名を呼んだ。
宝条の実験サンプルの名前などではなく、幻想から作り出された元ソルジャーの名前ですらない。今や、たった一人、セフィロスの中にだけ残る、本来の、彼の名を。
「……………」
息を呑んで、セフィロスは無言で時を止めている。応えを待つセフィロスへと、クラウドは搾り出すように、再度その言葉を口にした
「……ころして…やる…」
腕を伸ばし、コートの裾を掴む指は震えている。引き寄せることも叶わずに、それでも、ずるりと滑り落ちてしまわぬように、力強くセフィロスを繋ぎとめている。
重い睫毛を痙攣させて、薄く開いた瞼には、ぼんやりとした像しか映らない。覚束ない魔晄の瞳を震わせる青年を見下ろしながら、セフィロスはそっと、長い息をついた。
「……ふ……」
セフィロスは、微笑した。彼の引き攣った片頬は、しっかりと笑みの形を取り繕った。
くだらない、ささやかな期待だった。セフィロスにとって彼はやはり、裏切り者で、紛い物の人形でしかなかった。
しかし、それを喜んで、安堵する想いもあった。他の多くのサンプルが、過酷なリユニオンに耐え切れず、挫折して脱落していく中で、この男はセフィロスの興味を十二分にそそってくれる。
彼に与えた絶望や怒りは、泡沫でありながら、紛れも無く彼をセフィロスへと導いていく。彼だけが、セフィロスの元へと辿り着ける、そんな期待に応え得る強さが、コートを握る彼の拳に篭められていた。
「…いい子だ」
まるで幼子を労うように、セフィロスは声をかけた。音も無く伸びる腕が、クラウドの手を掴む。それをぐいと引き寄せられて、クラウドは小さく呻いた。浮いた上体は腰から持ち上げられて、非力でだらしの無い体が抱き上げられた。
「それでいい」
囁きは優しくて、侮蔑などまるで感じられなかった。引き摺りあげられて、クラウドの体の上に積もっていた雪がとさりと落ちた。
「は……、ン……」
母を奪い、故郷を滅ぼし、エアリスを殺めた男。狂おしいほどに憎らしく、恨めしい男、セフィロス。
セフィロスに抱き締められた体が、雪の呪縛から解き放たれて、彼の温もりに染められていく。
「早く来い、クラウド」
擦れあう頬は濡れてぴったりと重なって、そこから温かさが滲んでいく。
「お前は、私の――」
意識が途切れてしまったのか、そこから先の言葉は無かったのか、クラウドにはわからなかった。そっと囁くセフィロスの吐息が、まるでキスでもするかのように、凍えてしまったクラウドの耳朶をそっと包み込んだ。
身も猛るほどの怒りに支配されていた体から、力が零れ落ちていった。脱力した肢体は抱えられ、柔らかな雪の上を歩き出す震動が伝わってきた。
そこから先は、覚えていない。遭難した雪山で出逢った、幻だったのかもしれない。
疲弊しきったクラウドは、彼の姿を目で見て確認することができなかった。ただ、真っ白に染められたクラウドの意識の中で、思い描いたセフィロスのイメージだけが、はっきりとクラウドの脳裏に焼き付けられていた。
■ ■ ■
顔を倒すと、手触りの良い毛皮がクラウドの頬を撫でた。雪の上ではないのだと気づき、ぼんやりとした思考が覚醒を促した。
雪がこびりつき、重たかったはずの瞼をゆっくりと持ち上げる。温かい灯りの点る家に、クラウドは横たわっていた。
「気がついたようだな?」
クラウドの変化に気づき、聞きなれない声の男が話しかけた。彼は、ちょうど様子を窺いに来たらしく、手にもつプレートに湯気の立つカップを乗せていた。
「ここは…、俺は…?」
クラウドは、掠れた声で尋ねた。喉の変化に気づき、胸元を押さえる青年に、男はカップを差し出した。
「君は、大氷河で倒れていたんだ。無事だったのは奇跡だな」
両手でカップを受け取って、クラウドはそれに口をつけた。自然とその目は男に釘付けになっていて、彼は優しげに瞳を細め、ふ、と小さく笑みを漏らした。
「わたしの名は、ホロゾフ。この地に住みついて、もう二十年だ。これから先、北にむかうつもりならわたしの話を聞いていきなさい」
温かいココアのお陰か、柔らかく語りかけてくるホロゾフの口調に安堵したのか、意識が覚めてきたクラウドは、はっ、と顔を上げた。
「みんなは…、仲間がここに来てないか?」
「安心しなさい。向こうの部屋で休んでいるよ。君のことを心配していた」
どうやら、皆無事に辿り着いたらしい。胸を撫で下ろし、両手にカップを握り締めたまま、クラウドは音も無く頷いた。
クラウドを労うように、ホロゾフは、そっとクラウドの肩を叩いた。立ち上がろうとするホロゾフに、クラウドは顔を上げた。
「セフィロス…ッ、俺を運んできた男は、どこへ…?」
「運んできた?」
引き止められたホロゾフは、膝を曲げたまま振り返った。意外そうな顔を見せる彼に、クラウドは息を呑んだ。
「君は、大氷河の出口――この小屋のすぐ前で、倒れていたんだ。先に着いていた君の仲間達と探しにいって見つけたのだよ」
クラウドの持つカップの中で、ココアが緩く波打った。
「周りには誰も居なかった。なにかあったのかね?」
ホロゾフは、続けて尋ねた。クラウドは眉を顰め、ゆっくりと、カップに口をつけた。
「いや、なんでもない。気のせいだ」
苦い甘味が、喉を潤した。顔が湯気に温められて、渋い顔をするクラウドの緊張はほぐれていった。
遭難者が幻を見る例は、少なくない。失神から覚めたばかりの記憶の混乱もあるのだろう。
そう納得して、ホロゾフはそれ以上、追及しなかった。先ほどと同じように小さく笑みを漏らし、彼は言った。
「仲間達に、気がついたと報せてこよう。一息ついたら、こっちへ来なさい」
クラウドが頷くのを確認し、ホロゾフは踵を返した。部屋には小さな窓が一つあって、クラウドはそっと、その向こうの景色を窺った。
雪は未だ、深々と降り続けている。方向感覚を狂わせるほどに激しい吹雪、というわけでもないが、静かに、厳しく、美しい情景を作り続けている。
あれはやはり、幻だったのだろうか。いや、瞼に残る記憶も、肌に触れた温もりも、確かにある。
クラウドは、考えるのをやめた。真っ白な世界で出逢った彼が、本物であろうと、幻覚であろうと、彼が倒すべき敵であることに変わりは無い。
啜ったココアを飲み込むと、体の内側から温められていくような気がする。空になったカップを握り締め、クラウドは立ち上がった。
道はまだ、続いている。ホロゾフの話とやらを聞きに行かなければ。
セフィロスを倒す――目的と目標を確かめて、クラウドは隣に待つ仲間達のもとへと、新たな扉を開いた。