It's a wonderful life.<01>
神羅カンパニーに所属する兵士やソルジャーたちは、皆、生家を離れた若者ばかりだった。彼らのホームであるミッドガル八番街の兵舎は、彼らをいつも優しく迎え入れていた。
兵舎の一角にある食堂は、常に若者たちで賑わっている。そこでは、昼夜問わず業務に奔走する青年たちが束の間の安息を思い思いに過ごしていた。
クラウドが食堂を利用したことは、これまで数回しかない。同じ軍に所属する班員に誘われて何度か連れられて来たことはあったが、未熟なクラウド少年は人の多さに気圧されるばかりで、彼らの馴れ馴れしいコミュニケーションに応じる術を知らなかった。
クラウドは困惑していない風を演じるのに必死になり、不機嫌でいるかのような印象を周りに与えてしまった。それ以降、クラウドが同輩に誘われることは無くなった。
交遊の煩わしさから解放されて、クラウドは自由と安堵、そして少しの寂寥を感じていた。そんなクラウドを食堂に再び連れてきたのは、つい先日ミッションで知り合ったばかりのソルジャークラス1st、ザックスだった。
「今日のA定、豪華だなぁ」
ザックスはクラウドの隣に立ち、メニューパネルを見上げながら楽しそうに頬を緩めた。クラウドはそれを横目に見上げて、気後れしながらザックスの様子を観察していた。
ザックスは、馴れ馴れしくて気さくで陽気な青年だった。彼は、クラウドがこれまで築いてきた強固な要塞をたちまち打ち壊していった。
クラウドは当初、ザックスの気安さに躊躇いと驚きを覚えていた。しかし、ザックスと会う回数が増えるほど、少年の感じていた違和感はすぐに打ち消されていった。
ザックスはいつも、どこにいてもクラウドを見つけ出した。雪の降るモデオヘイムでも、混乱のジュノンでも、そして、神羅ビル屋上で行われた新米ソルジャーの壮行式でも。
クラウドは、ザックスのことを不思議な奴だと、いい奴だと考えていた。彼のことをもっと知りたいと望んでいたことに、クラウドは気がついていなかった。
「クラウド、お前なににする?」
「え……?」
ザックスの横顔に目を奪われていた少年は、突然声をかけられたことに驚き、身を竦ませた。慌ててメニューパネルを見上げたけれど、動揺していた少年は、そこに並んでいる文字を細かく読むことができなかった。
「ザックスと、同じのでいいよ」
「えー。せっかくだから別のにしようぜ。色々食えたほうがお得じゃん」
ザックスの言うことは、クラウドには理解できないことが多かった。同じ田舎育ちとはいえ、人懐こいザックスと自ら人を避け続けてきたクラウドとでは、その違いは当然のようにも思える。
「じゃあ、お前A定な。俺B定。トンカツちょっと頂戴」
「いい、けど……」
「決まり。おばちゃーん、コイツの大盛りにしてやって」
「ちょ、ザックス!?」
そんなに食べられないよ、と、クラウドは言おうとした。ザックスの満面の笑みにクラウドは言葉を失った。
「たくさん食わなきゃ、ソルジャーになれないって言っただろ」
ザックスの大きな掌がクラウドの髪をくしゃりと撫でる。クラウドは口唇をまごつかせて、やがて、はぁ、と息を洩らした。
厨房の奥から、豪快に了解する女性の声が響いてきた。クラウドが瞬きもできずにいる内に、少年の手に乗せられたトレイには次々に料理が置かれていった。
育ち盛りであるとはいっても、盛られた料理はクラウドには少し多すぎだった。脂身の多いカツレツがシャキシャキのキャベツの上に並んでいて、安価な値段の割に大きなエビフライがその上に横たわっている。
これを自分が平らげなければならないのだと思うと、見ているだけで腹が膨れてきそうになる。並ぶ列から少し離れて、クラウドは不安げに辺りを見回した。
「クラウド、こっちこっち」
奥の方のテーブルにトレイを乗せて、ザックスはクラウドに見えるよう大きく手を振っていた。人にぶつからないように気をつけながら早足で歩いていくと、クラウドはザックスの向かいの席に腰を下ろした。
今朝の演習で、クラウドたちソルジャー候補生は科学部門のサンプルを相手に実戦を行った。訓練を続ける内、ガードハウンドであったものがベヒーモスへと姿を変えて、広場で太い尾を旋回させたものだから、多くの候補生たちが巻き添えになって負傷した。
監督役のソルジャークラス1stがモンスターを退治して、ハプニングはとりあえずの収束を迎えた。ようやくの昼食を前にした二人の食欲は、もはや限界に近かった。
「いただきますっ」
「……いただきます」
大きく口を開いたザックスは、ソースを絡めたハンバーグを頬張って、満足そうな顔をしていた。その様子をちらりと横目で窺うと、クラウドは箸を持ち上げようやく昼食に手をつけた。
クラウドは、ザックスに対して後ろめたさを感じていた。
あの日、夕日に染まったモデオヘイムで、アンジールと戦いに行くザックスを見送るしかできなかったこと。今朝、獰猛なサンプルが暴れる広場で、逃げ出すことも出来ずにいた身を守らせてしまったこと。
どちらもザックスにとってはきっと負担であったはずだった。なのにザックスは、全く気にしていない様子で美味そうに飯を食べている。
その笑顔を見ていると、気にしているのが馬鹿らしく思えてきた。ザックスは親しく接してくれている。もしかして、こんなに気を遣わなくても良いのだろうか。
いや、そう誤解して、相手を傷つけたくはない。嫌われたくない、と思ったことにクラウドは驚いた。
「うまいか?」
長い前髪を揺らして、ザックスは笑った。顔を上げたクラウドは、ザックスの眩い笑みを目の当たりにして思わず視線を泳がせた。
「ぇ、あ……うん」
クラウドの返答は歯切れの悪いものだった。しかしザックスには、クラウドが気を悪くしたわけではないとわかっていた。
ザックスとクラウドとは出会ってまだ間もない。それでも、クラウドは既にザックスにとって特別な存在となっていた。
「一個頂戴」
クラウドの反応を待たずに、ザックスはクラウドの皿からたっぷりとソースのかかったカツを一切れ奪い取った。歯を当てるとすぐにカリカリの衣が裂けて、ザックスの口の中にじゅわりと肉汁が広がった。
ザックスは頬を緩め、うまいと感想を声に出した。それを聞いて、クラウドはようやく緊張を緩めて綻ぶように微笑んだ。
「ザックス、これ、いる?」
「え、くれんの?」
驚いた顔をしたザックスの皿へと、クラウドは箸を伸ばして、綺麗な狐色の衣を纏った海老フライを渡してやった。
「さっきの、お礼」
「さっき……?」
眉を寄せたザックスは、今朝の一件を思い出して、ああ、と小さく声を洩らした。
巨大なベヒーモスが現れて、訓練場は大混乱だった。ザックスの号令に従って、多くのソルジャーや兵士たちがその場から逃げ出した。
そんな中、立ち竦んでしまったクラウドを庇ったことを、彼は気にしていたようだ。気にするな、と、言おうかとも思ったけれど、どうも強情なこの少年は、こちらが折れてやらなければきっと納得しないのだろう。
「サンキュー」
ザックスの口の中で、よく揚がった海老の身が、ぷり、と弾けた。
「じゃあ、お返し」
豪快に切り分けたハンバーグを、ザックスはクラウドにやはり強引に押しつけた。お返しと言ってしまえば、いくら頑固なクラウドであっても、素直に受け取らざるを得ない。
ザックスの思った通りだった。クラウドは少し目を大きくして僅かな躊躇いを見せた後、皿の上に乗ったそれをゆっくりと口に運んだ。
「……ありがとう」
向かい合わせに座っていたから、人の多い食堂に居てもクラウドの声はザックスの耳に届すんなりいた。それを聞いたザックスは満足して、再び食事の手を進めていった。
友人の中でも、ザックスはクラウドのことを特に気にかけていた。モデオヘイムのことを思い出すと、どうしても喪った記憶がザックスの表情を曇らせる。その中でたった一つ、新しく出会ったのが今目の前にいるクラウドだった。
まだ幼さを残すこの少年は、ザックスと同じように田舎の出身で、しかも、見てくれの線の細さに反して今まで知り合った他のどの兵士たちより勇敢だった。
ソルジャー候補生の隊列の中に彼を見つけたとき、ザックスは何故か嬉しかった。再会への喜びもあったし、クラウドが自分と同じ道を歩もうとしていることに、親近感も増した。
それからしばらく、ザックスはカームのモンスターを一掃するため、ミッドガルを離れていた。その間、ザックスの知らない内に、クラウドは煩わしいゴシップに巻きこまれていたらしい。
クラウドがセフィロスの『お人形さん』で、カラダを使ってソルジャー候補生の地位を手に入れた、だなんて、冗談じゃない。胸に点った苛立ちを秘めたまま、ザックスがそっと視線を上げると、クラウドはザックスとは違って、至って静かに食事の手を進めていた。
「……クラウドってさ」
ゴンガガにいた頃、ザックスは口煩い彼の母親に食事中の行儀についてなにかとうるさく言われていた。ザックスはそれを煩わしいと聞き流していた方だったけれど、きっとクラウドは言われたことを素直に聞き入れていた方なのだろう。
食卓に肘をついたまま、ザックスはクラウドに続けて尋ねた。
「母親似?」
「え……?」
食器を口に運ぶ手を止めて、クラウドは唐突な質問に驚いたように目を瞬かせた。
「……どうだろう。うちは父さんがいないから……どっち似とかは、よくわからないよ」
「ごめん、なんか聞いちゃいけなかった?」
「ううん。俺が小さい頃に死んだんだ。俺はよく、覚えてないけど」
本当に気にしていないような口ぶりで、クラウドは答えた。それにザックスは安堵して、食事を続ける様子を間近に観察しながら、ハンバーグの一欠片を口に含んだ。
昨夜レノは、セフィロスとクラウドがソルジャーフロアのトレーニングルームで逢引するのを見たことがあると言っていた。しかし、それが本当に逢引であったかどうかは疑わしい。
噂が事実なのか、そうじゃないのか──。どちらにせよ確かなことは、ザックスと食事をしている少年が、そういった噂の登場人物になってもおかしくないほど愛くるしいということだろう。
面立ちは中性的だし、繊細で豊かな睫毛、大きな瞳──。頬も、顎も、細い首も、美しいラインを描いている。
「クラウドってさぁ、可愛いよな」
唐突すぎるザックスの発言が、クラウドの時間を止めた。蒼白な顔でザックスを見つめるクラウドの眼から色が消えて、震える口唇は開いたまま閉じれないでいるようだった。
そうして段々、クラウドの頬に赤みが増していく、ころころと変わる顔色を、ザックスは興味深げに眺めていた。
「な、な、な、なにいってるんだよ!?」
「お前絶対母親似だって。そんでもって母ちゃん美人だろ」
「知るかっ」
ソルジャー相手に啖呵を切る少年を、ザックスは不思議と不快には思わなかった。むしろ、いつもは少し大人しいくらいの少年が、激しい一面を見せてくれたことの方がザックスの興味を惹いた。
「だってさ、肌は白いし目はおっきいし……、鏡見て自分で思わねぇ?」
「思わない。それに、嬉しくない」
「女兄弟いないの?」
「いない」
「なんだ、つまんね」
「つまらないってなんだよ」
クラウドは怒ったように眉を寄せ、きり、と目を尖らせてザックスを睨みつけた。それが尚更可愛らしくて、もっと揶揄ってみたくなる。
「いたとしても、ザックスには紹介しない」
「なんでよ」
「軟派そうだから」
「可愛い顔して、失礼な奴だな」
「そんなこと平気で言えるのが、軟派な証拠だ」
恥じらいを含んだクラウドの目が、ザックスをじろりと眇んだ。確かに、クラウドに比べれば色んな女性に話しかけてはきたかもしれない。けれど、女性を褒めるのは男子ならば当然のマナーじゃないか。
「クラウド」
「なんだよ」
吐き捨てるように応えるクラウドの隙をついて、ザックスは相手の口の中に、ハンバーグの最後の一口を放りこんだ。面食らって瞳を瞬かせたクラウドの口の中に旨味がふんわり広がっていく。クラウドはそれをもぐもぐと口を動かしながら、笑みを浮かべるザックスを瞠目した。
「な? やっぱ、お得だろ」
乾いた喉をグラスの水で潤して、ザックスは濡れた口唇をぺろりと舐めると、クラウドの口口許へと指を伸ばした。
クラウドは目を丸くして、ザックスを見つめたまま息も出来ないでいた。兄貴風を吹かせたいザックスの指が、クラウドの唇の端についていたソースするりと拭い取った。
「人と食ったほうが、色んなおかず楽しめてさ」
そう言うと、ザックスは屈託の無い笑みを浮かべた。クラウドはそれを見つめたまま、どくりと胸が高鳴ったのを感じた。
ザックスの笑顔はいつもクラウドを驚かせる。だからクラウドは反論もするタイミングを失って、ニコニコ見つめられてる内に反応するのが恥ずかしくなってくる。
流されて、絆されて、胸がじんわり熱くなる。だけど相手が楽しそうに笑うから、より親しくなれた気がして嬉しいような心地になる。
「また、明日も来ような」
ザックスは、トレイの上に乗る皿を綺麗に平らげていた。そうして最後に、汚れた指を舐め取ると、に、と朗らかな笑みを見せた。
まるで、子供扱いだ。そんなに年が離れてるわけでもないくせに。
クラウドは口唇を尖らせて、ザックスから視線を逸らした。『これで貸し借りなしだ』、と、強がる言葉を飲みこむように、クラウドは残っていたスープを一気に喉に流した。
若い彼らの一日は、驚くほど早く、そして目覚ましく過ぎていく。
一人一人の記憶にまざまざと刻まれる刹那は、取り返すことの出来ない珠玉の一粒一粒。
ああ、なんて素晴らしい一日。
ああ、なんて、素晴らしい人生。