It's a wonderful life.<02>

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 この男は、一体女をなんだと思っているのだろうか。シスネに呆れられているとはつゆ知らず、ザックスは一日の業務を終えて、平和なディナーを楽しんでいた。
 ソルジャーとタークスが、このような緊迫感のない夜を過ごすのは珍しい。アフターファイブを思う存分味わっているザックスとは違い、未だ勤務中であるシスネは、けれどそれを相手に気づかれるわけにもいかず、小さなため息を口唇の端の汚れを拭うナプキンの中に隠した。
 シスネがザックスに連れられてきたのは、ミッドガルの路地にあるハンバーガー専門店だった。よく膨らんだバンズも新鮮な野菜も、特性のソースも芳醇なチーズも、全てがシスネの舌を喜ばせるものだった。
 一口齧れば肉汁が広がって、厚みのある味わいが食欲を満たしてくれる。けれど、仮にも女性と夕食を共にするのに、大口を開けなければならない場所を選ぶなんて。
 たった一つを平らげて既に胃を満たしてしまったシスネの目の前で、ザックスは三つ目のバーガーに手を伸ばそうとしていた。そんな彼を見ていると、無神経さを指摘する気も失せてしまった。
「もういいのか?」
「ええ、もう十分」
 ソルジャークラス1st、ザックス・フェア──。彼についての情報なら、全てシスネの頭の中に入っていた。
 出身地はゴンガガ。父母共に息災で、兄弟姉妹は無し。趣味は旅行、また体を動かすこと全般。中でも得意なのは、スクワットだ。
 性格は、天真爛漫で明朗快活。人当たりもよく、人懐こい性格から先輩にも後輩からも好かれやすい。
出奔したアンジールの推薦でソルジャークラス1stとなったザックスは、今では若いソルジャーたちの中心になりつつある。彼を監視することが、神羅カンパニー総務部調査課、通称タークスであるシスネに与えられたミッションだった。
「まだちょっとしか食べてないだろ」
「あなたの胃と一緒にしないでくれる?」
 シスネとザックスがこうして食事を共にするのは初めてだった。約束ばかりが先行していたけれど、二人とも様々な仕事や任務に追われていて、約束を果たすことはおろか、ゆっくり食事を摂ることなどできなかったからだ。
 モデオヘイムから帰還したザックスは、息つく暇もなくカームにて展開中のモンスター討伐作戦に補填された。ザックスは気づいていなかったが、その待遇には、ミッドガルに彼を置くことを躊躇い、けれど遠い遠征地に追いやることをもできなかった上層部の意向が働いていた。
 ザックスの帰還を待って、シスネをはじめとするタークスの精鋭三名が、セフィロス、ザックス、そしてソルジャー候補の少年の監視任務を命じられた。今回の一連の事件は、ジェネシスとアンジール──どちらもソルジャーの不祥事が発端となっている。彼らを掃討したのは紛れもなくザックスその人だったけれど、会社はどうやら、ソルジャーたちを信用していないらしい。
「美味かっただろ、俺のお気に入りなんだ」
「そのようね」
 ここ数日、ザックスは就業後のアフターを大人しく過ごす気配はなかった。初日はザックスの同期のソルジャーが、昨日はシスネの差し金でシスネの同僚のタークスがザックスの餌食となった。
 監視とは言えど、反神羅体制に傾くとも思えないこの青年が相手であれなら、共に食事を摂るくらいで丁度いいのかもしれない。そう思ったから、シスネは今夜のザックスの誘いを断らなかった。これまで何度も誘われて、その度に延ばし延ばしにしてきたけれど、ザックスに連れてこられたこの店は、成程美味な夕食を二人に提供してくれた。
 うるさすぎるというわけでもなく、かといって閑散としているわけでもない。照明の暗さも、ボリュームの大きいザックスの声が他の客の妨げにならないような広々としたフロアも、シスネの好みだった。
 献立も豊富で、定番から斬新なサイドメニューまで、幅広く取り揃えられている。主食の三つ目を消化して、ザックスは喉越しのいい麦酒を煽った。これが堪らないのだと、嬉々として語りながら。
「幸せそうね」
「そう見える?」
 嬉しそうに、ザックスは頬隅を持ち上げた。口唇を汚す麦酒の泡を拭い取ると、ザックスは軽くなったジョッキをテーブルの上に置いた。
「飯はうまいし、目の前に居るのは綺麗な女の子。これが幸せじゃなくてなんだっていうんだ?」
「お世辞がうまいのね」
「嘘じゃないって」
 ザックスは正直な人間だ。そんな彼に、嘘を吐くことなど出来ない。
 シスネはそのこともちゃんとよくわかっていた。だからこそ恥ずかしくて、ザックスの過大な表現に反応するのが少し遅れた。
「これで、仕事が楽しけりゃ言うことないんだけどな」
 頭の後ろで腕を組み、ザックスは不満気なため息を洩らした。それに気づいたシスネが顔を上げ、ザックスに尋ねる。
「楽しくないの?」
「こう毎日毎日、訓練演習ばっかじゃあな」
 泡のついたジョッキを指先で弄び、ザックスはもう一度嘆息した。それを見ていたシスネの胸がちくりと痛んだ。
 この監視がいつまで続くかは解らない。けれどこれが続いている間は、会社は彼らをミッドガルから出すつもりはないのだろう。
 それは、友人を監視しなければならないという、シスネの受難が当分続くことを意味していた。これが監視であることを気づかれないように、そしてザックスの心が少しでも晴れやかになるようにと、シスネは軽く首を傾げてザックスへと笑みを向けた。
「でも、今日は楽しかったんじゃないの?」
「まあな……。でも結局、いいトコは全部セフィロスが持ってっちゃったしな」
 ザックスは、この席についてすぐ、今日の騒動の一部始終を楽しげに語って聞かせた。まさかそれを見ていたのだとは言えず、シスネはザックスの話に興味ありげに相槌を打った。
 今朝、ソルジャーたちの協力を得て展開された訓練場での実験。たった一体のサンプルに蹂躙された広場は、英雄によって鎮静化した。
 その隣にいたにも関わらず、特別の活躍できずに終わったザックスは、どうやらそれを不満に思っているようだ。
「仕方ないじゃない。彼、【英雄】だもの」
 手の中にあるグラスをシスネが見つめていると、ザックスは口許をニヤつかせながらもったいつけた聞き方をした。
「なに、シスネってセフィロス派?」
「なによそれ」
 眉を寄せ、シスネは尋ねた。ジョッキを傾けアルコールで喉を潤すと、ザックスは得意気に説明を開始した。
「ソルジャーファンクラブの話。セフィロスのもあるんだろ?」
 アンジールのファンが集まるのは森林の会、ジェネシスのファンクラブは複数存在しているらしい、と、ザックスはぺらぺらとしゃべり続けた。ソルジャーの非公式ファンクラブの存在なんてよく知っているものだ、と、純粋に感心する。
「残念だけど、どれにも入ってないわ」
 ふう、と息をつくと、首を振ってシスネは答えた。
 シスネは、ザックスに三つの秘密を持っていた。
 一つ目は、自身の本名。二つ目は、今現在彼の監視任務に従じていること。
 そして最後の三つ目が、新たに1stに加わった新星、ザックスを影から支えるファンクラブに在籍している事実だった。
「英雄なぁ……。見てろよ。俺だって、すぐに英雄になってやる」
「期待してるわ」
「そうは聞こえないんですけど?」
 肩を落とし、ザックスは口唇を尖らせた。幼い反応が珍しくて、シスネは思わず口許を緩ませて小さな笑みを溢した。
「なんでそこで笑うんだよ」
「ごめんなさい。おかしくて」
「傷つくぞ」
「違うわよ」
 シスネは、一度洩れてしまった自然な笑みを堪えることができなくなった。口許を隠すように手を被せても、まったく止まる気配がない。
 神羅に君臨する英雄と、ザックスは似ても似つかない。けれど、こととあるごとにザックスは【英雄】の言葉を口にする。
 彼はそれだけ英雄を、あの男を、セフィロスを意識しているということなのだろう。
 笑うシスネが視線を上げると、そこには訝しげに自分を見詰めるザックスの姿があった。シスネの笑み声が、ようやく止んだ。
 幼い頃から、シスネは神羅に育てられた。故郷のウータイを離れて、タークスとして仕立て上げられた彼女は、最年少のタークスとして暗躍してきた。
 一方セフィロスも、幼い頃からソルジャーとして華麗な戦績を挙げていた。シスネがそんな彼と自身の境遇を重ねたことは少なくはない。
 生粋のタークスは、生粋のソルジャーへ、同情に似た感情を抱いていた。
「英雄、ね」
 笑みを忘れたシスネの口唇から、再び柔らかい息が洩れた。今度は、それに気づいたザックスが瞬きをする番だった。
 ザックスが英雄を目指しているのだということは知っている。英雄と呼ばれるようになったザックスは、どんな姿でそこにいるのだろうか。
 憧れと夢とを自信を持って語るザックスが羨ましくて、それが少しだけ、おかしくて。シスネはゆっくりと眼を細めた。
「なれるといいわね」
「……なんだよ、急に」
 シスネは、ザックスの目の前で彼を見つめることができる特別を味わっていた。それは、ターゲットを監視する任務から少し外れた感覚だった。
「楽しみにしてるわよ」
 それは、秘密の多いシスネにしては珍しい本心だった。
 二人でこうして傍にいるのは、それが任務だったからだ。けれど、シスネの仮面が剥がれたのは、きっと酒とそして料理が思うよりも美味だったからだ。
 綻んだ彼女の笑顔に、ザックスは瞳を大きく開いてぱくりと口唇を震わせた。
 店が暗かったせいなのか、照明のさじ加減のお陰なのか、榛色の円らな瞳が綺麗に煌めくのを見て、照れ臭さを覚えたザックスは思わずぽろりと冗句を溢した。
「……惚れた?」
 ぴり、と頬に痛みが走って、シスネはゆっくり瞬いた。
 シスネは、ザックスの苦笑に救われた。
 二人はただの仕事仲間だ。そして、今は仕事中だ。
 雰囲気の良い店でレトロな音楽を聞きながら、向かい合わせの席で見つめあってなんていられない。
「心外だわ」
「なんで」
「ハンバーガーに釣られるような、安い女じゃないもの」
 会話がいつものペースを取り戻し、二人はそれぞれ安堵していた。そして二人は、それぞれそれを相手に悟られないように気をつけていた。
「でも、美味かったろ?」
「帰るわ」
「もしもし?」
 立ち上がって、シスネは躊躇いもなく歩き出した。スレンダーにスーツを着こなす彼女の後ろ姿を目で追いながら、ザックスは慌ててオーダーメモを手に取った。
「待てよ、シスネ」
 今夜、シスネの秘密がひとつ増えた。機嫌を取ろうと少し高い声を出すザックスに背を向けたまま、彼女は出来立ての秘密を指を丸めた掌に隠した。
「シスネさーん?」
 そんな声で呼ばないで。失恋するのは御免なの。
「シスネ」
 他のそれとは違い、この秘密ばかりは、きっと生涯ザックスに打ち明けることはないだろう。名前を三度呼ばれて、シスネはようやく振り返った。
「ご馳走様、未来の英雄さん」
 オレンジ色のウェーブがかった髪が、シスネの頬でふわりと跳ねる。にっこりと微笑んで手を振ると、再び歩き始めたシスネをザックスはもう呼び止めなかった。
「……今は、貧乏ソルジャーなんだけど」
 深いため息と共に、ザックスはがっくりと肩を落とした。彼の薄い財布の中身は、自身の暴飲暴食のせいもあって、膨らんだ金額を支払えば、あとは小銭しか残らない。
 それぞれの胸に様々な想いを乗せて、交わる道はたった一瞬。
 けれどその刹那は、確かに瞬く煌めきを各々の胸に点す。
 ああ、なんて素晴らしい一日。
 ああ、なんて、素晴らしい人生。