It's a wonderful life.<04>
カンセルが状況を理解するのは早かった。
元々彼は、細やかな情報にも精通していたが故に、その真偽を判断する術に長けていたし、神羅カンパニーに身を置き、中でもソルジャーなどという特殊な職 務に就いているがために、人知を越えた状況に遭遇することも多々あった。だからこそ、彼が正しく事実を把握することは容易かったし、彼が嘘をついていない のだと、信じることができた。
「クラウド・ストライフ、か…」
カンセルがソルジャークラス2ndに甘んじているのは、彼の戦闘能力が、1stに比べて幾らか劣っている、と、ただそれだけの理由だ。しかし、その洞察力、思考力だけを測れば、彼はソルジャーの中でも、卓越した能力を誇っていた。
ソルジャーとなって強靭な肉体を手に入れた以上、クラス1stを目指さない者は居ない。カンセルの同輩もそうであったし、彼も周囲に対し、そのように振舞っていた。
ザックスが1stに昇進したのを、彼は心から喜んだ。そして周りが、誰でもないザックス本人が、『次はお前の番だ』という度に、カンセルははにかむように、苦笑を浮かべたものだった。
「あいつとは、あんまり関わらないほうがいいって、俺、言わなかったか?」
彼がそれを口にすることは無かったが、カンセルは周りのソルジャーたちとは違い、今の立場を悪くは無い、と、むしろ、都合が好いとすら考えていた。戦い に身を窶し、神羅の象徴、ソルジャーの代表であるクラス1stとして、会社の思惑に翻弄されるよりも、末端の一人として広い世界を見て周ることの方が、余 程彼の興味をそそってくれていた。
それをザックスが知ったら、もしかしたら彼は、怒るのではないだろうか。秘密を作ったことを、そして、不甲斐ないともいえる彼の生き方を。
そんなことを考えながら、カンセルは友人のふくれっ面を、楽しげに見詰めていた。
「友達を、放っておけるわけないだろ」
ザックスは、口唇を尖らせ、呟いた。クラス1stの癖に、まったく幼い所作だと、失笑を禁じえない。
しかし、これが彼のいいところなのだと思うと、カンセルは受け取ったコーヒーに口をつけ、笑みを刻む口唇に苦味を流し込んだ。
この朝、任務から帰還したカンセルは、統括代行を兼任するセフィロスを訪ねた。しかし、執務室に彼の姿は無く、終了報告を急ぐカンセルは、懇意にしていた同期のソルジャーに捕まってしまった。
ザックスは、仕事以外の雑務を依頼しようという自分の立場を弁えていて、彼に椅子で寛ぐよう促し、インスタントコーヒーを提供すると、殊勝な面持ちで語 り出した。あまり旨くない味だったけれど、彼の話に耳を傾けるカンセルは、満更悪い気はしていなかった。ザックスの提供した話題は、後味の悪いミッション の終了報告よりも余程、魅力的だったからだ。
「他に知ってる奴は?」
「今んとこ、俺と、お前と…あとは、レノだけ」
「レノって…ああ、タークスの?」
「知ってたのか」
流石なことだと、ザックスは感心した。そう目立つ存在でもないのに、カンセルの顔の広さ、持つ知識の豊富さが、彼へ寄せる信頼の所以だった。
この男は、秘密を共有することへの躊躇いではなく、この悶着を解決したいと願うザックスに、期待すらも抱かせる。彼以外の、誰に言えただろう。まさか、友人が――クラウドが、犯されただなんて。
「…セフィロスさんには、伝えたのか?」
気になる事実を確かめるべく、カンセルは尋ねた。天真爛漫、明朗快活――そんな特徴を備えた男が、珍しくも表情を顰めたのを、カンセルは見た。
対面するように近くの椅子を引き寄せ、ザックスはそれに跨るように腰を下ろす。背凭れの上に腕を巻いて、深く嘆息すると、苛立ちを堪えずに、彼は呟いた。
「あいつに言ったって、無駄なだけだ」
薄いプラスチックのカップに、コーヒーが揺れている。カンセルはそれを見下ろすと、別の意味を孕むため息を、同じように吐き出した。
「あいつ、ソルジャーになりたいんだ」
ザックスは、その顔を曇らせた憂慮を一瞬で消し去り、話し出した。それは彼自身、不慣れな表情筋の活動に耐えられなかったからであったし、カンセルの思考の変遷を、自身の思惑に寄り添わせる形に誘導したがったがためでもあった。
カンセルは、それに気づいていた。しかし、ザックスの意向を知りたいという欲求が、カンセルに沈黙を守らせていた。
「今度また、ソルジャー試験があるみたいなんだ。俺、あいつをソルジャーにしてやりたいんだよ」
「だから、言わなかったっていうのか?」
口早にまくし立てる言葉を阻み、カンセルは問う。答えはなく、ザックスは眉を難しく結んで、椅子を抱き込んだまま俯いてしまった。
ソルジャーには、気高さ、誇り高さ、『強さ』と呼ばれるありとあらゆるものが要求された。戦闘能力の高いこと、強靭な精神力こそが求められ、言論の正当性や正義感など、どれほどの価値もない。
たとえば、誰かが謂れの無い暴力に見舞われようと、それを誰も不憫だとは思わない。寧ろ、その横暴を許したことを恥だと指摘して、弱さを嗤うだけだろう。
「……言ったら、あいつがなんとかしてくれる、ってか?」
候補生の一人が暴行を受けた。その事実が知れれば、彼は間違いなく、ソルジャー試験対象者のリストから名前を消すことになる。
どんな理不尽な暴力であったにせよ、自分の身を守ることも、相手を捻じ伏せることもできないような者が、ソルジャーになどなれるわけもない。きっと、彼はそう言うだけで、傷ついた少年への処置など、してくれないに違いない。
同じ結論に至ったカンセルは、いいや、と首を振る代わりに、湯気の冷めたコーヒーに口をつけた。
「……それで、俺に何をさせたいって?」
静かに、彼は尋ねた。
モデオヘイムから帰ってきたザックスは、痛恨の結果を背負っていた。彼はそれについて多くを語ろうとしなかったし、カンセルもそれについて、根掘り葉掘り聞き出そうとはしなかった。
ただ、彼の力になってやりたいと、かける言葉もないカンセルには、そう思い、応えようとすることでしか、彼を慰労することしかできなかった。
「犯人、見つけ出してほしいとか、言うんじゃないだろうな」
ザックスは顔を上げ、言葉を失った。やっぱりか、と、カンセルは肩を落とした。
ソルジャー同士の私闘は、堅く禁じられていた。彼らの強すぎる力は内紛として神羅カンパニーの混乱を招く危険性があったし、外敵を打ち払う力として鍛えられたそれで足元を掬われることを、会社は何よりも危険視していたからだ。
たとえ友人のためだなどと、正義感を振りかざしてみたところで、その正当な根拠は、決して認めてもらえないだろう。神羅カンパニーに、自分の意思を持った兵隊は必要ない。ソルジャーは何も考えずに、剣を振るっていればいいのだ。
「…言わねぇよ、そんなこと」
肩を落とし、ザックスは呟く。意外な言葉だと、カンセルは重いマスクの下で、眉を吊り上げた。
折り重ねた腕の上に顎を乗せ、顔を横たえたまま、ザックスは難しそうに眉を顰めている。彼が誰にも隔たり無く接し、そこで睦ぶ友情を大切にしていることは、カンセルもよく知っている。
そんな彼のしかめっ面を見ることができるのは、自分に許された特権なのかもしれない。ザックスが見ていないのをいいことに、カンセルは息を緩め、ささやかな笑みを刻んだ。
「犯人探しは、レノに任せた。俺は、俺に出来ることをするんだ」
「…なんだよ、できることって」
続けて尋ねるカンセルに、ザックスは耳をピクリと動かした。彼の頬に刻まれた十字の傷が、ゆっくりと綻んでいく。
どんな悲劇を経ても、髪型を変えたとしても、彼の奔放な本質は変わっていない。食い入るカンセルへと、ザックスは驚く言葉を吐き出した。
「俺、クラウドと、付き合うことにした」
「……は?」
カンセルの手の中で、濃い色の波が震えた。
思いも寄らない言葉に、彼が驚いたのも無理は無い。つい先刻、この事実を伝えたとき、神羅の英雄はなんの反応も示さず、背を向けて歩き出しただけだった。この反応を待っていたのだと、ザックスは満足げに、にんまりとした歯笑いを見せた。
「つっても、ただのフリなんだけどな」
続けて、彼は口早に説明し始めた。
「セフィロスとクラウド、付き合ってるわけじゃないってのは、お前もわかってるだろ? 俺があいつと付き合ってるってことにして、傍でうろちょろしてれ ば、他の奴は手を出せない。その内に、タークスに犯人を探し出してもらう。クラウドは安心して、ソルジャー試験を受けられるってわけだ。な、名案だろ?」
流暢に、自信たっぷりに言い放つと、彼は先ほどと同じだけの笑みで、カンセルに同意を求める。椅子の背もたれを抱きかかえ、身を乗り出して体を傾ける。
すぐ傍に近づき、覗き込んでくるザックスを見下ろしながら、カンセルは屈託の無い彼の笑みを見下ろし、唖然としていた。
昨今、ソルジャーや神羅軍の若者たちの間では、神羅の英雄が、たかがソルジャー候補生と付き合っているなどと、まことしやかな噂が流れていた。ソル ジャー部門に新たにやってきた少年は、『お人形さん』の呼び名に十分な容姿でいたけれど、冷淡、冷酷、冷徹、冷静、全てを地でいく英雄が、自他の立場を危 ぶめるような関係を結ぶはずがないと、カンセルは考えていた。
ただでさえ、このような不毛な噂の的になっている少年のことだ。昨今、彼の身に降り懸かった災難と同様、今後どのような不条理が、彼の身に襲い来るとも限らなかった。
ソルジャー同士の私闘が禁じられているとはいえ、理不尽で横暴な暴力、それ自体が推奨されているというわけでは決してない。乱暴を許す弱さがソルジャーに相応しくないのと同様、我欲のままに情欲を貪ろうとする輩も、十分に不適格だ。
タークスは、神羅カンパニーの外敵を排除するだけでなく、内政統治のため、時に厳格な粛清も辞さない機関だ。彼らなら、少年のためだと悟られない範囲で、そのような人材の排除を厳粛に行ってくれるだろう。
総合的に考えて、彼の提案はなかなかの出来栄えだった。ただ、カンセルの脳裏に、不安ともいえる思考が浮かび上がったのも事実だった。
「…それで、俺に、そんな噂を、振り撒いて欲しいって?」
核心を突かれ、ザックスは息を呑んだ。本当にこの男は、飲み込みが早い。
策略家というほどでもないけれど、知的戦術に長けているのは、どちらかといえばカンセルの方だ。両掌を眼前に噛み合わせ、音をたてたザックスは、お決まりのポーズで首を傾げた。
「頼む、この通りッ」
多少の無理は承知している。これが最善の手だとも思えない。
けれど、憧憬を抱き、夢を抱いてソルジャーを目指す少年――クラウドを守る手立てが、他にあるとも思えなかった。
懇願するザックスを見詰めながら、カンセルはふと、息を抜いた。
「――わかった」
カンセルの言葉に、ザックスは顔を上げる。彼の貌を曇らせる不安がみるみるうちに溶けて消え、満面の笑みが浮かび上がるのを視止めると、カンセルは肩を竦め、空になったカップをデスクに乗せる。
「情報操作くらい、モンスターだのテロリストだのの退治に比べりゃ、朝飯前さ」
その笑顔が見られたから、それだけで十分だと、カンセルは思った。一緒に飲んで、騒いで、それでも打ち払うことの出来なかったザックスの心の曇りを拭い去ることができるなら、自身の手を煩わせることなどなかったし、自分以上の適任がいるとも考えにくい。
「さっすが…、大好きだ、カンセル!」
「っおい、マスクが取れるだろ」
立ち上がり、抱きつこうとするザックスを制し、カンセルは頭を押さえた。重々しい顔つきは軽快に緩み、大きな口が締まりを無くしている。
つい先ほど、自身の思考を乱した憂慮が再び持ち上がるのを感じて、カンセルは大事そうにマスクを持ち上げ、ザックスを見詰めていた。
噂とは、根も葉も無いところには決して生まれない。セフィロスが、あの英雄が、あのような艶聞を焚きつけるであろう愚行を行ったことは事実なのだろう。
それにどんな意味があるのか、きっと、ザックスは気づいているのだ。気づいていない振りをしているだけで、そうすることで、誤魔化していたいだけで。
この青年は、理解しているのだろうか。醜聞を引き受け、少年を守ろうとするその手が、見方によれば独善的な、独占欲ですらあるということに。
守りたいという正義は賞賛されるべきものだが、自身の手でそれを行おうとする傲慢が、どれほど特別で、どれほどの慕情に充ちているのかということに。
ソルジャーになりたいと、もしあの少年が望んでいるとするならば、その願望とザックスの願望とは、必ずしも共存しない。きっと、どちらかを飲み込んで、ともすれば、互いに痛烈な苦痛すら与え得る。
それでも尚、そうしようとするのか…そう、したいのか。
「……いいんだな?」
確かめるように、カンセルは問いかけた。急な質問に肩の力を抜き、ザックスは気の抜けた声を漏らす。
声に出さない思考の変遷を、ザックスが理解しているわけもない。見上げてくるカンセルを円らな瞳で見詰めながら、彼は尋ねる。
「何が?」
カンセルは答えなかった。口唇を結び、ただ、深く被ったマスクの下から、魔晄を浴びた者の涼やかな目で彼を見詰め、黙すことしかできなかった。
今後、どんな事態が起こるのだろうか。彼の望む状況を作り上げたとき、それはどんな環境なのだろう。
続く思考に傾きかけた時、カンセルは意図して笑顔を見せ、立ち上がった。傍に佇む男の肩を軽く叩き、拳を持ち上げる。
「任せろ、ザックス。周りのことは、俺がなんとかしといてやる」
どうなったところで、関係ない。自分はただ、この男の傍に――友人として、頼りになる友達として、変わらず傍に、いるだけだ。
「チビちゃんのこと、任せたぞ」
見せ付けるように突き出されるカンセルの拳に、ザックスの力強く握り締めた拳が押し当てられる。それは痛みでなく、奮える歓びを互いに与えた。
「ああ、任せろ」
ザックスが、無理の無い笑みを見せた、それがどれほど特別なことなのかを思うと、カンセルはあの少年に、感謝すら覚えた。
よく知りもしない、言葉を交わしたこともない、存在感の薄いあの少年が、ザックスをあらゆる悲壮から救いだしたというのなら、それが途絶えないよう守る のは、友人である己の務めのように思う。あの雨の日に、モデオヘイムから帰還した彼に、声をかけることができなかった自分であれば、尚更。
爽やかな朝日が雲間を裂いて、拳を解き、掌を交わして打ち鳴らす二人の影を落とす。空いたコーヒーカップを置き去りに、執務室を去っていくソルジャーの靴が、乾いた音を響かせた。
言葉にしない想いは、混ざり合うこともなく、けれど解けることもない。
誓いを胸に宿して、刻む韻律は並び合い、競い合い、拮抗しては、共鳴する。
ああ、なんて素晴らしい一日。
ああ、なんて、素晴らしい人生。