It's a wonderful life.<07>

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 青く澄みきった快晴。燦々と降り注ぐ陽光を受けて海は煌めき、絶好のバカンス日和だった。
 砂浜に寝そべったザックスを、パラソルの影が飲み込んで、陽射しを防いでくれている。ビーチチェアのサイドテーブルには炭酸の利いた飲み物が用意され、普段はなにかとやかましい携帯電話も大人しく鳴りを潜めていた。
 忙しいソルジャーへの対応としては、申し分ないようにも思える。しかし、せっかくのバカンスを、ザックスは楽しむことができないでいる。
 気分を盛り上げようと購入したサングラスも役割を果たせず、ザックスの鼻の上で横たわるだけだった。
「あーあ」
 ザックスは、意図してため息を吐き出した。胸の奥に支えているものも、そうすれば吐き出してしまえると思ったのに、彼の胸にはなにか濁った重たいものが燻ったままだ。
 涼しい海風に晒されながら、遮光レンズ越しに、ザックスは青空を仰ぎ見た。太陽は白い光を放ちながら、ザックスの心境など知らずに、無邪気にきらきらと輝いている。
 クラウドは、どうしているだろう。ふと、ザックスの脳裏に彼の姿が浮かんだ。
 今ごろは、ジュノンで合同のソルジャー試験が行われているだろう。試験に参加するはずだった少年と、試験を視察するはずだった青年は、そろぞれ別々の場所でつまらない平穏に縛り付けられている。
 ザックスの唇から、無意識のため息が零れ出した。
 ラザードは、どうしているだろう。ソルジャー部門の統括は、モデオヘイムで捕縛した科学者の尋問につきっきりだ。
 大分手間取っているらしく、ザックスは暫く、彼と顔を合わせていない。このバカンスだって、彼の命令ではなくて、統括代行であるセフィロスに無理矢理呑まされたものだ。
 一人でコスタのビーチに放り出されても、なにもすることがない。偶然を装って運搬船に乗り合わせたシスネは、いつの間にかどこかに消えてしまった。
 違和感の無い登場だったけれど、不自然な遭遇だった。不本意な旅路で誰かと出会えたのは好都合だったけれど、こうも幸運が重なれば、疑念も湧くというものだ。
 監視されているのではないか、と思い立って、余計にザックスの苛立ちは増した。
 セフィロスは、どうしているだろう。彼はなんだって、自分をこんなところに追いやったのだろう。
 頭を冷やせ、と言ったセフィロスの言葉が、脳裏を過る。ザックスは、昨日のソルジャーフロアでの出来事を思い出していた。
 ソルジャー候補生同士の拳闘に、ソルジャーフロアは一時騒然となった。騒ぎを起こした責任をとって、クラウドはソルジャー試験受験資格を失い、相手方の青年はソルジャー部門を破門された。
 その処遇を、必要な処置と理解はできても納得できない。煩雑な反発は、未だザックスの胸中に燻ったままだった。
 せめて、もう少し温情ある処断を下してくれてもよかったじゃないか。だが、一夜明けて冷静になってみても、彼の決定に代わる名案は浮かばなかった。
 アンジールならどうしたろう、ジェネシスならどうしたろう。ぼんやりと考えたザックスに、昨日のセフィロスの言葉が突き刺さった。
―― 誰も、身代わりにはなってくれない。俺も、あいつもだ。
 身代わりになんてしていない。ただ、拠り所にしてただけ。
 そこに、どんなの違いがあるというのだろう。なにも違わない。セフィロスの言う通り、だったかもしれない。
 否定したいともがく心が、暴論を導き出した。
 同じ人を亡くしたのに、平然と振る舞うセフィロスに、平和を貪る世界に、苛立ちがこみあげた。世間も、会社も、セフィロスさえも、彼らのいない今をそつなく過ごしている。彼らを葬り去ったザックスだけが、その罪科に苛まれている。
 こんな心境で、どうやってバカンスを楽しめというのだ。ザックスは耐え切れず、サングラスを放り出して、砂浜に飛び出した。
「こんなときは、アレしかないな」
 ザックスは呟いて、熱を吸った砂を踏む。両腕を肩の高さに上げ、大きく吸った息を吐き出すと、膝をバネにしてスクワットをし始めた。
 ミッションにこき使われ、ミッドガルに閉じ込められて、かと思えば常夏のビーチに放り出された。ソルジャーは神羅の駒だ、それは重々承知していたが、反発が膨らむのを止められない。
 そうしていれば無心になれるかと思ったけれど、得意のスクワットでも、彼の苛立ちを和らげることはできなかった。いつもよりも大きめに腕を振りながら、ザックスは歯をギリギリと軋ませる。
 照りつける太陽の陽の下で、自主トレに励む青年へと、ビーチに現れた水着姿の美女が親しげに声をかけた。
「オイル塗ろうか?」
 美しい自然に囲まれ、綺麗な女の子と二人きり。ロマンチックで好ましい状況ではあったが、ザックスはそれを楽しむことなどできなかった。
「そんなことは…っいいんだよ!」
 スクワットで勢いづけて、悠長な彼女の言葉に噛みついた。
「なんだよこれ! 俺、また干されてるのか!?」
「息抜きもいいんじゃない?」
 オレンジ色の髪を揺らし、シスネは答えた。
 ザックスとは違い、将来を期待された女タークスは、任務の真っ只中だった。彼女の今の使命は、ソルジャークラス1stを監視すること。既に、この任務に就いて二週目に突入した。
 監視対象であったセフィロスは既に照準から外されたものの、会社は未だ、この優しい青年に対して警戒を緩めるつもりはないらしい。
 重苦しい任務だったが、ミッドガルを離れたことで、少しは気分も晴れやかになった。彼女は彼女なりに、この仕組まれたバカンスを楽しむつもりらしい。
「もう飽きた! よし こっちから連絡する」
「統括ならもういないわよ」
 ザックスの、ビーチチェアに放り出してあったモバイルを取ろうとする指が固まった。驚いたように瞠目する彼に、シスネは手に入れたばかりの情報を披露した。
「ラザード統括は行方不明。ホランダーに資金提供をしていたのは彼だったの。会社のお金を横領してね」
 定時連絡に先駆けて伝達された情報に、シスネは当然驚いた。直属の部下であったザックスは、それ以上の驚きだろう。
「あの統括が?」
 彼の不正を暴いたのは、タークスだった。ラザードは優秀で、有能で、巧妙だったから、周りに与えるショックは大きかった。
「ホランダーを取調べ中だから、いろいろわかってくるはずよ」
 ラザードにホランダーの取り調べを一任したのも、今となっては愚策であったと言わざるを得ない。今頃ミッドガルは混乱の渦中で、同士たちはいつになく忙しさに追われていることだろう。
 そう思うと、細いため息がシスネの容の良い口唇から抜けていく。驚いたことに、彼女の憂さを払拭したのはザックスだった。
「なんなんだろうな」
 隣で、海の煌めきを眺める青年の瞳は、美しい空色だった。シスネはそれに、一瞬目を奪われて、軽い音で聞き直す。
「ん?」
「みんな、なにを考えてんだろうな」
 さっきまで苛立ちを撒き散らしていたというのに、ザックスは静かに、前を見つめていた。狼狽もせず、寄せては返す波を眺める彼は、心なしか、寂しそうだった。
 皆はそれぞれの信条で動いていて、だとすればそれを非難などできない。ただ、ザックスだけが翻弄されるばかりで、取り残されているようだ。
 ツンと染みる胸の痛みに眉を寄せた彼に、同じ方を仰ぎながら、シスネが静かに呟いた。
「真実は、その人の中にしかない。その真実ですら、言葉にした瞬間に疑わしくなってくる」
 今は穏やかな海も、時には非情な顔を見せるだろう。真実は多面的で、それぞれの内に秘められていて、ザックスの中にもそれはある。
 傾いだ心はなにかに頼りたくて、わだかまりを解消したくて仕方がない。広大な世界に放り出された時、ザックスは極々自然に彼女の側にある安らぎを欲した。
 公然の休息期間中なら、当然のことだ。再びモバイルに手を伸ばし、側に佇むシスネに声をかけた。
「シスネ、ちょっとあっちいってろよ」
「今度はエアリス?」
 図星を突かれ、ザックスは言葉に詰まった。
「なんで知ってるんだよ。俺は監視されてるのか?」
「監視されてるのは、あの子」
 ザックスの顔を染めた苛立ちは、みるみるうちに消え去った。
「彼女は古代種よ。世界でたったひとりきりのね」
 古代種――伝説に聞く、星を聞き、星と語る種族。遠い昔に滅んだのだと聞いていたが、それが生き残っていて、しかもそれがエアリスだなんて、俄には信じがたい。
「知らなかったの?」
「アイツ、なにもいわなかったから」
 ザックスの足が、柔らかく砂を踏んだ。遠くを見つめたザックスは、晴れ渡った空に、彼女の笑みを描いていた。
「世界にたったひとりきり、か…」
 普通が一番大事だ、と願った彼女は、世界からして特異な存在だった。ザックスにとってはどうか――そう考えて、彼の頬がふわりと笑んだ。
「その通りだな」
 ザックスがエアリスに惹かれたのは、彼女の正体を知る前だった。それなら、迷うことはない。正体を知った後も、少しの驚きが胸を震わせただけで、その気持ちにはなんの影響もなかった。
 だからこそ、逢いたい気持ちが膨らんでいく。寂れたスラムの教会で、花と笑う可憐な少女に。
「気ををつけろ!」
 心地好い回想からザックスを引き戻したのは、はりつめた男の声だった。
「ジェネシスコピーだ」
 美しい波間から現れた敵軍は、懐かしい姿をしていた。ザックスはすぐに辺りを見回して、ホテルにのこしてきた相棒の代わりに、陽射しを防ぐパラソルを手に取った。
「来やがったな」
 ツォンの来訪、殲滅したはずのジェネシスコピーの強襲。それにどんな意味があるのかはわからない。いや、ザックスは十分すぎるほど理解していた。
 歯車はまた廻りだし、変化は容赦なくザックスを巻きこんでいく。しかし、それを歓迎こそすれ、どうして拒むことなどできるだろう。
 彼はなによりも『暇』を厭い、世界から置き去りにされることを恐れていた。今また、彼は世界の核心に触れていて、その高揚に心と体が奮えだす。
 ビーチを飾るパラソルを武器にして、ザックスは走り出した。彼の胸はわくわくとときめいて、その口許には零れる笑みが刻まれていた。
「いらっしゃいませぇええ!!」
 疲弊して擦り切れた傷を癒してくれるのは、世界でたった一人だけ。
 新鮮な世界の渦に傷つきながら、果敢にも愚かにも、巻き込まれていたい。
 ああ、なんて素晴らしい一日。
 ああ、なんて、素晴らしい人生。