It's a wonderful life.<09>
噴水広場のすぐ近くの、雑居ビル。小汚ない居酒屋の奥の席に、賑わう若者たちの姿があった。
6人掛けの席に陣取った彼らのテーブルには、皿やジョッキが所狭しと散らかっている。冷たくなったピザの最後の一枚を平らげて、ザックスは満足そうに腹を撫でた。
「ぁ~、食った食った。もー腹いっぱい」
空になった食器を下げようと短いエプロンを巻いた従業員が近づいてきたが、皿の上には湿った唐揚げが転がっているし、ソースが絡んだ付け添えのレタスも残っている。店員は少し指を迷わせて、乾いたチーズのこびりついた平皿だけを拾い上げた。
「六人でこれだけ食えば十分だろ」
タコとワサビの和え物をつつきながら、カンセルは言った。
「お姉さん、ビール追加ね」
「まだ飲むの?」
ザックスの言葉に驚いて、クラウドは尋ねた。瞠目する少年を見下ろして、ザックスは、に、と笑顔を見せる。
「食後の一杯。これがまたうまいんだ」
そんなものなのだろうか。半信半疑でいる少年の正面で、カンセルは肩を揺らした。
「もうこんな時間だってのに、元気だな、お前は」
ウィスキーのグラスを傾けながら、彼は言った。ビール、サワー、果実酒とはしごして、カンセルが最後に選んだその酒は、ザックス同様彼を飽きさせない。
「なに言ってんだよ。まだまだ夜はこれからだろ」
多くの客はもう帰ってしまって、賑やかだった店内にはまったりとした落ちつきが広がっている。ザックスは店員の運んできた麦酒を受け取り、隣に腰かけていたルクシーレが、彼に合わせるようにジョッキを掲げた。
「お付き合いしますよ」
「いいねぇ、そうこなくっちゃ」
今宵幾度目かの乾杯を奏で、ザックスは乾いた喉を酒で潤した。久々の酒宴を、彼らはたっぷりと楽しんでいた。
ジェネシス軍の動向も落ちつき、久方ぶりにミッドガルに集ったソルジャーたちは、終業の合図と同時に繁華街へと繰り出した。『無事に仕事が終わったらメシでも食おう、おごってやる』――ザックスに呼び出されたクラウドは、彼がジュノンでのあの約束を覚えていたことに驚いて、はにかむように綻んで、慣れない宴席に連れ出された。
勇気を出して参加してはみたものの、クラウドにとってこの顔ぶれは馴染み薄だった。向かいの席に座っているクラス2ndのソルジャー、カンセルは、執務 室に呼び出された時に同席していた男らしい。ザックスを挟んだ向こう側にいるルクシーレは、訓練で何度か見かけたことがある程度だ。
「プ、ッハァ! あ~うまい!」
なみなみと注がれた麦酒を中ほどまで一気に飲んで、ザックスはジョッキを置いた。その向かいにいる、あの日ジュノンでクラウドを介抱した二人のソルジャーは、もうすっかり酔っぱらってしまったようで、テーブルに突っ伏したまま動かなかった。
ソルジャーたちに紛れ、候補生の身分で酒宴に同席することに、クラウドは緊張を隠せなかった。長い時間を過ごしたから当初よりは態度も和らいだかもしれないが、疲労感は否めない。
「で、こいつらどうするんだ?」
汚れたテーブルに腕を巻き、寝息を立てる二人を横目に見て、カンセルはため息を漏らした。カッチリとマスクを被っているカンセルとは違い、マスクを脱いだ彼らの顔には赤みがさして、締まりの無い口唇からは酒臭い息を漏らし続けている。
「完っ全に潰れちまったな」
ザックスが指先でつついてみても、脱落したソルジャーたちはピクリともしなかった。しかし、カンセルもクラウドも、彼らのことを『だらしがない』とは思わなかった。ザックスに乗せられるままあれだけハイペースで酒を煽れば、この惨状は当然のことだ。
おごる側は金を惜しんではいけないし、おごられる側は遠慮をしてはいけない。先達の教えにのっとったがために、彼らは少々羽目を外しすぎてしまったようだ。
「お前が考えなしに飲ますからだぞ」
「楽しかったろ? 文句いわない」
「凄く楽しいです。ザックスさんと飲めるだなんて」
「だろ? ホラな、聞いたかカンセル?」
ルクシーレに持ちあげられて、ザックスは得意げだった。カンセルは苦笑いとともに、持ちあげたつまみをちゅるりと吸いこんだ。
「クラウドは? 次なんにする?」
左隣のクラウドを覗きこんで、ザックスは尋ねた。クラウドが飲んでいたのは、焦げた色のソフトドリンクだった。
氷が溶けて茶色だった中身は薄い色に変わっているが、飲めないわけじゃない。片手でグラスを引き寄せて、クラウドは左右に首を振った。
「俺はいいよ。ザックスも、そろそろ止めておいた方がいいんじゃないか?」
「いーのいーの。金のことは気にすンな。な、カンセル」
「なんでいちいち俺に振るんだよ」
煩わしげな台詞だったが、カンセルはあまり不快そうではなかった。二人の掛け合いが面白くて、クラウドは思わず、ふ、と小さな笑みをこぼした。
ソルジャー部門に異動して暫く経ったが、クラウドはザックスとセフィロス以外のソルジャーと、会話らしい会話をしたことがなかった。まともに他人と交流するのは今日が初めてだったが、そんなクラウドにも、カンセルがいい人間であることはわかった。
同じ神羅の社員なのだから、少なくとも皆悪人ではないのだろう。しかし、クラウドは生来人との付き合いを苦手としている。ザックスのように、誰とでも気軽に親しくなれるような性格ではない。
賑々しい酒席の隅で居心地の悪さを感じていたクラウドに気づき、カンセルは少年が置き去りにならないよう、なにかと気にかけてくれたようだった。酒を飲 まないクラウドに無理に勧める風もなく、運ばれてきた料理を分配したり、適度に話しかけてくれる。そんなカンセルにクラウドは密かに感謝して、ザックスと 同じく、彼に対する警戒心を低くしていた。
「たまにはいいもんだよな、こういうのも」
しみじみと、ザックスは呟いた。傾けたジョッキをのぞきこむ彼の口許には、柔らかな笑みが刻まれていた。
「みんな忙しくて、なかなかゆっくりできないからな」
酒を舐めるのと同様に、カンセルはちびちびと箸を進めた。たこわさがつるりと滑り落ちそうになるのを器用にすくいあげ、彼は最後の一切れを美味そうに口に入れた。
「また開いてくださいよ。ザックスさんと絡む機会が無くて、みんな寂しがってますよ」
「悪ィ悪ィ」
軽い調子で笑うから、ザックスの顎の傷もそんなに痛々しくは見えない。グラスを傾けるザックスの横顔をちらりと見上げ、クラウドは乾いた喉を潤した。
「3rdで飲みにいったりしないのか? 後輩もいるんだし」
ザックスの右側に腰かけるソルジャークラス3rd、ルクシーレ。彼はここにきた当初から、ザックスと向き合うように通路を背にしてザックスだけを見つめていた。
ザックスの向こう側にいるクラウドのことなど、まるで気にもかけていない様子だ。ほのめかされて顔を上げたが、クラウドは思わず凍りついた。
ザックスを交えずに、彼らと付き合う自分など考えられなかった。ソルジャーだとか兵士だとか立場の違いはさておいて、敬意と憧れをもってザックスを見つめるルクシーレから、近づきがたい、なにか底冷えする気配を感じ取っていたからだ。
「せっかく飲むなら、先輩と飲みたいじゃないですか。1stのお話聞きたいです」
十分飲んでいたはずなのに、ルクシーレは生き生きと目を輝かせている。彼のようには振舞えない、と、クラウドは少し惨めな気持ちになって、大して食べたくもなかった唐揚げに口をつけた。
「そんな大層なもんじゃねぇって」
なんだかムズムズして、ザックスは苦笑し、首を振った。照れ隠し、ではなかった。ルクシーレの持ち上げようがくすぐったくて、胸が妙にもやもやした。
ザックスにとってルクシーレは可愛い後輩だったが、隣で黙ってしまったクラウドのことが気がかりだった。ビールに口唇を濡らしながら、ザックスは横目で俯く少年の様子を窺っていた。
「今日はまだ、飲みますよね?」
「ん? ああ、こいつら放っておくわけにいかないしな」
潰れてしまった二人の後輩を見下ろして、ザックスはジョッキを置いた。酒が抜けきらないのだろう。いつのまにか彼らの寝息はいびきに進化していて、当分起きる気配はなかった。
「クラウドも、まだ大丈夫だろ?」
「え? うん…」
急に振られて、クラウドは思わず肩をビクつかせた。次いで頷いた少年は、ばつの悪さを誤魔化すように急いでグラスを空にした。
「俺、ちょっとトイレいってきますね」
そう言って、ルクシーレは立ち上がった。先ほどの店員が近づいてきて、空いたグラスと皿を下げていく。
「いいよなー、若いって」
机の上に肘をついて、カンセルは呟いた。ルクシーレを見送りながら、彼はウィスキーが取り上げられないように、ちゃんとグラスを引き寄せていた。
「うわ、完璧オヤジだぞ、今の」
片頬を持ち上げて、ザックスはカンセルを揶揄った。当のカンセルは動じずに、通路の奥に消えていく後輩を見つめていた。
同じようにルクシーレの背中を見届けると、ザックスはポリポリと頭を掻いた。
「若いったって、そんなかわんないだろ。あいつがソルジャーになったのいつだ、ああ、ちょうどクラウドが異動してきた時か」
「そうなんだ」
あの時は、ちょうどザックスもクラス1stになったばかりで、そして、モデオヘイムの事件があった直後だった。一人でいると憂鬱になりそうだったザックスは、ルクシーレからのメールに幾度も励まされた。
ルクシーレはその後も、なにかにつけてザックスに構ってきた。後輩から慕われて悪い気はしないが、時々あまりの持ち上げように閉口することはある。
それでも、彼はザックスにとって大切な仲間なのだ。そんなザックスだから、カンセルはルクシーレの『魂胆』に気づいていながら、気づかない振りを続けていた。
唐突に、着信音が鳴り響いた。よく訓練された二人のソルジャーは、俊敏な動作でモバイルを確認した。
しかし、彼らのところにはなんの通知も届いていなかった。
「俺のだ」
少し遅れて、クラウドが端末を開いた。肩すかしをくらったソルジャーは嘆息し、クラウドに注目した。
こんな夜更けになんの連絡だろうか。画面を確かめるクラウドに、ザックスは尋ねた。
「仕事?」
モバイルをしまうために、ザックスは腰を浮かせた。クラウドの大きな瞳が驚き移ろうのを、カンセルは見た。
青白い携帯の画面を閉じて、クラウドは顎を引いた。
「あ、いや……」
クラウドは口ごもった。両手で携帯電話を包み込み、言いにくそうに顎を竦めている。
周りの様子を窺うように、彼はちらりと視線をあげた。ザックスと目が合って、クラウドが困ったように眉を寄せるの見届けて、カンセルは言った。
「ザックス」
不意に呼ばれて、ザックスは顔を上げた。間抜け顔だ、とカンセルは思ったが、彼は笑みを深めただけで、それを口にしなかった。
「ここは俺が引き受けるから、チビちゃん連れて、お前もう帰れ」
顎を、くい、と持ち上げて、カンセルはクラウドを促した。彼は、先刻決まったばかりのクラウドの愛称を早速活用した。
「お?」
ザックスはぱちぱちと瞬いて、カンセルとクラウドを見比べた。クラウドも、ザックスと同様驚いた様子だったが、カンセルは気にせぬ素振りで続けて言った。
「お疲れ。悪かったな、遅くまで付き合わせて」
「いえ…、楽しかったです。ありがとうございます」
有無を言わせぬカンセルの物言いに、クラウドは逆らわず、素直に頭を下げた。
それは、決してお世辞ではなかった。これまで宴会に参加したことがなかったクラウドにとって、この夜の出来事は新鮮で、愉快な時間だった。
少年の純な言葉にくすぐられ、ザックスとカンセルは笑う口隅からおもはゆさをこぼす。大きく開いた掌でクラウドの頭を押さえつけ、ザックスは立ち上がった。
「んじゃ、行くか」
席の端に座っていたルクシーレがいなかったから、席を立つのは簡単だった。杖にされて、クラウドは不満げだったが、未だ眠りこけたままのソルジャーを横目に見て、申し訳なさそうに呟いた。
「すみません」
「気にすんな」
「あ。金、どうする?」
「とりあえず立て替えとくさ」
手を振るソルジャーは、さっさと帰れ、とでも言うようだ。クラウドはペコリと頭を下げて、ザックスはカンセルに応えるよう、片手を上げた。
「サンキュー、カンセル」
「へいへい。じゃあな」
踵を返し、二人は歩き出した。店員に見送られ、狭いエレベーターに乗り込んで、二人がいなくなったのを見届けて、カンセルは、ほ、とため息を漏らした。
まったく、世話が焼ける奴らだ。いや、カンセルが勝手に世話を焼いているだけなのだ。
だから文句はないし、不満などあるはずもない。たとえ、置き去りにされた後輩の恨み節に付き合わされる羽目になろうとも。
「あれ、ザックスさんは?」
席に戻ってきて、ルクシーレは尋ねた。きょろきょろと辺りを見回す彼に、カンセルは答えた。
「『二人』なら帰ったぞ」
他意のない口ぶりだったが、カンセルの言葉には、なにか刺のようなものが感じられた。ルクシーレは眉を顰めたが、カンセルは気にした風もなく、笑みを見せた。
「座れよ。まだ酒残ってるんだろ」
ルクシーレは、あまり乗り気ではなさそうだった。が、カンセルは人差指で席を指して、ルクシーレの未来を決める。
ルクシーレは黙って濡れたグラスとカンセルとを見比べていたが、そのうちようやくあきらめて、元の席に腰を下ろした。
「…お前、あいつのこと嫌いなのか?」
ルクシーレは、ぬるくなったビールを飲み干そうとしていた。テーブルの対角線上にいる青年に、カンセルはおもむろに尋ねた。
「誰のことです?」
「クラウド」
白々しく、ルクシーレは話をはぐらかそうとした。しかし、カンセルはそれを見逃すつもりはなかった。
ザックスとクラウドがいなくなって、後の二人は潰れてしまっている。周りに気を遣い、互いに猫を被る必要はない。
カンセルは明け透けな会話をしたがっていて、ルクシーレがそれを拒む理由はなかった。ルクシーレは重々しいため息を漏らし、可愛い後輩の口隅には似合わない、嫌みたらしい笑みを浮かべた。
「別に、『嫌い』ではないですけど」
馴れ馴れしく、親しげに懐いてくるルクシーレに、一体どんな『魂胆』があるのか――ザックスは想像だにしていないのだろう。人には『裏』があるのだということを、あのお人好しは知らないでいる。
その『裏』が神羅を脅かすのなら目を瞑るわけにはいくまいが、飽くなき出世欲の賜物だとするならば、先輩からの忠告程度で十分だ。
「仲良くしてやれよ。お前の後輩なんだから」
「そんなことをして、俺にどんなメリットがあるんです?」
ざっくばらんな会話を希望したのはカンセルの方だったが、ルクシーレの無遠慮な言葉には、カンセルも流石に舌を巻いた。手を止め、自身を凝視するカンセルを気にもせずに、ルクシーレは続けた。
「ソルジャーでもない奴に構ってやるほど、暇じゃないんで。ザックスさんも、どうしてあんな奴に構うんだか」
ルクシーレの言葉は、クラウドへの不快感をあらわにしていた。今日まで彼との接点などなかっただろうに、どうしてそこまで人を悪しく思えるのだろう。
きっと、先日までソルジャー部門を賑わせていた、あの『噂』が原因なのだろう、とは容易に想像がついた。その一端をになった責任を感じ、カンセルは強く諌めることができなかった。
「例の話なら、もう忘れろよ。ただの噂だったんだから」
「なぜあなたに、そんなことをいわなきゃならないんです?」
諭すようなカンセルの言葉を撥ね退けるように、ルクシーレは言い放った。カンセルは思わず驚いて、マスクの下で目を丸くした。
「ソルジャーは、仲良しごっこの集まりじゃない。力のある人間が上にいく、統率された組織だ。秩序を乱す弱い人間と付き合うだけ、時間の無駄ですよ」
流暢に諳んじられたルクシーレの放つ言葉は、宥めようとするカンセルを辛辣につき放つ。殺伐とした組織に身を置きつつ、人の心を忘れないザックスとは真逆をいく論理だが、それは確かに真理だった。
人情で丸めこもうにも、そう簡単には太刀打ちできない。ルクシーレの眩いほどのギラつきを、若さのせいだと嗜めても、反発されるだけだろう。
カンセルは、肩を狭めて苦笑した。不快そうに睨みつけてくる後輩の視線をかわすように、彼は氷の解けたグラスを持ち上げた。
「ま、お前の言うこともわからなくはねぇよ。説教臭いこと言って、悪かったな」
カンセルは軽い調子で謝って、くい、と酒を煽った。酒は大分薄れていて、一気に飲みほしても難はなかった。
ふ、と酒臭い息を吐くカンセルを尻目に、ルクシーレもジョッキを傾けて、温いビールを空にした。彼の沈黙は重たかったが、カンセルは気づかない振りをした。
口元を拭い、ルクシーレはおもむろに立ち上がった。カンセルは顔を上げ、先ほどと同じ軽い調子で問いかけた。
「帰るのか?」
「また、『ザックスさん』と飲むときには、声かけてください」
「無視かよ」
カンセルは苦笑した。苦言こそ漏らすものの、カンセルはへらへらとしていて、ショックを感じている素振りなど微塵も見せない。
けれど、彼はザックスとは違い、ルクシーレの本質に気づいている。だからこそ、ルクシーレは上席への不躾で無礼な振舞いを自重しなかった。
「言ったでしょう? 弱い人間に付き合うだけ、時間の無駄だ」
立ち上がったクラス3rdは、座ったままのクラス2ndを見下した。刺々しい彼の視線は、悪辣な侮蔑の色をしている。
「ご馳走様でした、先輩」
殊勝な言葉を使い、ルクシーレは深々とお辞儀をした。にっこりと、いっそ清々しいほどの笑みを浮かべて、彼は踵を返し、足早に店を去っていった。
唖然として、カンセルはしばらくそのまま動くことができなかった。失礼で、無礼な奴だと怒ることもできただろうが、あそこまで不遜な態度をとられてしまうと、潔いと感心してしまうほどだ。
苦笑しようとしたカンセルの頬は引き攣って、うまく笑うことができなかった。テーブルに身を乗り上げて、深くかぶったマスクの上から額を押さえる。
震動で、隣でいびきを立てる後輩がごろりと転がった。一連の会話など知らず、彼はカンセルに寄りかかって、悠長で間抜けな寝顔を披露している。
「…まったく、どいつもこいつも…」
腕に圧し掛かる後輩を撥ね退けず、カンセルは呟いた。外せなくなった右手の上に頬を乗せて、彼は無理のない笑みを零した。
ルクシーレの言うように、弱い人間であることをカンセルは自覚していた。仲間を大事にすること、助け合おうとすることなど、弱肉強食の論理でいえば、弱者の悪あがきに他ならない。
それだけではない。カンセルは確かに、ルクシーレやザックス、他のソルジャーと比べれば、確かに『弱い』ソルジャーだった。重厚なマスクで隠していても、それは紛れもない事実だ。
「うまくやれよ」
誰へともなく、カンセルは呟いた。乾杯をしようとしたが、彼のグラスは空いてしまっていて、彼らに捧げる酒は無かった。
気がついて、店員が近づいてきた。笑顔を携えた彼女の手には、長い紙を留めたプレートが握られている。
三人は帰ってしまって、後の二人は潰れてしまっている。残ったカンセルから、今宵の会計を徴収しようというのだろう。
立て替えておく、とは言ったものの、カンセルの手持ちの現金だけでは心許ない。さて、どうやってこの場をくぐりぬけようか。逃がすまい、と、迫力のある店員の笑顔を受け止めて、カンセルの口隅は柔らかに引き攣った。
一人ひとりの思いは違えど、同じ夜を過ごした同志であることに違いはない。
旅立つ『仲間』を認めこそすれ、どうして裏切れるというのだろう。
ああ、なんて素晴らしい一日。
ああ、なんて、素晴らしい人生。