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- 軌跡~overture~
軌跡~overture~
―― 始まりの始まり、軌跡の起点。
―― 点在する点と点とは、やがて一つの線を結ぶ。
―― これは、いまだ繋がらぬ物語。
―― これは、いつか紡がれる物語。
■ ■ ■
少年は、あくびを噛み殺した。退屈は人を殺すと言うが、彼の人生はまさに今、退屈のど真ん中にあった。
行きかう人々を、ただ見つめているだけ。そんな時間になんの意味があるというのだろう。疑い始めるときりがない。少年は相次ぐあくびを堪えるため、口唇の端を噛んで、きゅ、と結んだ。
ミッドガル零番街、神羅カンパニー本社ビル。エントランスは神羅の社員だけでなく、一般人にも公開されている。四半世紀の内に急成長を遂げた一大企業は、ミッドガルの繁栄の象徴でありながら、今や観光スポットにもなっていた。
少年はその玄関ホールに立ち、人々を警備の役割を追っていた。彼は先日、神羅カンパニーに入社して、その要望通り、治安維持部門神羅軍に入隊したばかりだった。
神羅軍は、長く続くウータイとの戦争だけでなく、大小様々なトラブルへの対応、ミッドガルの警察的役割も担う、大きな組織だ。権力が増大するにつれ、組織の拡大を迫られている神羅軍では、年齢の若きにこだわらず、志願する者を広く受け入れている。
小さな荷物一つを抱え、田舎から出てきた少年は、簡単な入隊試験と適性検査の後、栄えある神羅軍にその名を連ねた。しかし、青い軍服を身に纏い、機関銃を携帯して、期待と希望に満ち溢れた少年の日常は、平凡そのものだった。
巨大なビルの片隅で、彼が手ごわい強敵と必死に戦っていることを、誰も知らない。少年は再び、迫り来る退屈という敵を退治しようと、噛み殺すあくびに口唇を震わせた。
神羅軍から多数の死傷者を出したウータイの戦争では、既にソルジャーが導入されていて、現在こう着状態にある。新たに軍に加わった兵士たちは、銃を磨き、弾をこめて、待ちぼうけを食らった状態だ。
ソルジャーの活躍は目覚しく、治安維持部門統括であるハイデッカーは臍を噛んでいるらしい。大量に補充した兵士たちを余して、戦争が終結へと進みつつあるからだ。
少年も、呼び声を待つ兵士の一人だった。遅れて入隊したものだから、待機を言い渡され、こんな詰まらない任務に時間を費やしている。
立っているだけ、そこにいるだけで無駄に時間を浪費するくらいなら、さっさと仕事を終わらせて、兵舎で勉強や訓練に勤しみたいものだ。少年は、顔を上げて、エントランスの隅に表示されている電子時計を確かめた。
まだ、交代まではもう暫くの時間がある。直立不動でいたから、脚が固まってしまっている。ジリ、と踵を動かして、少年は静かに、四肢に刺激を与えた。
「お父さん、早く早く!」
高い声が、エントランスに響き渡った。駆け足で扉を潜り抜けてきたのは、まだ小さな子供だった。
彼を追いかけて、その父親らしい男が神羅ビルに入ってくる。テロリスト、ではない。レジスタンス、でもない。ただの子供連れの観光客だ。
警戒する必要無し、と、いつものように判断して、少年は手に持つ機関銃を抱えたまま、その様子を見守っていた。
「ねぇ、ソルジャーはどこにいるの?」
幼い子供は瞳を輝かせ、あたりをきょろきょろと見渡している。
「さあ。今はいないんじゃないかな」
その背中に追いついて、男は苦笑した。
「ソルジャーは、お出かけ中なんだよ。戦争に行ったり、みんな仕事をしているんだろう」
エントランスには、スーツ姿の一般社員や、受付嬢のほか、ちらほらと警備兵が配属されているだけだ。お目当てを見つけられず、少年はつまらなそうに口先を尖らせる。
「ちぇー。ソルジャーに会えると思ったんだけどなぁ」
がっかりと肩を落とし、ため息を漏らす少年を励まして、小さなその手を、父親が拾い上げる。
「そのうち会えるさ。さぁ、展示室に行ってみよう」
エントランスから階段を上った先に、神羅の商品や事業内容を展示するフロアがある。軽い足音を立てながら二階へと向かっていく後姿を見送りながら、少年は小さく嘆息した。
ソルジャー、魔晄を浴びた者。神羅の技術の粋を極めた戦士たちの総称。
彼らの揺ぎ無い強さは、老若男女問わず、様々な者の心をときめかせている。今目の前を通り過ぎた子供と同じように、少年の心にも、ソルジャーへの憧憬があった。
ソルジャーが騒がれ始めたのは、ここ最近のことだ。当初は、ソルジャーに対しての様々な誹謗や中傷があった。
人体に改変を加えるという思想自体が危険だとの指摘もあった。また、ソルジャーを作り出すための魔晄照射施術に、魔晄中毒の危険性があるとあって、人々からの批判やバッシングは後を絶たなかった。
それでも、モンスターの恐怖に怯える人々は、彼らの尋常ならざる強さを認め、期待せざるを得なかった。また、長引くウータイでの戦争での彼らの華々しい実績を聞くにつれ、だんだんとソルジャーは容認され、賞賛されるようになった。
強くなりたい。一人で生きていける強さ、誰かを守れる強さが欲しい。
これまでの短い人生の中で、少年は『強さ』への強い欲求を抱くようになっていた。そんな彼がソルジャーに憧れ、ソルジャーを目指すようになるのは当然だった、とも言える。ソルジャーは『強さ』の象徴で、証でもあった。
ソルジャーには、二通りの入り口がある。神羅関係者からのスカウト、神羅軍からの選抜。最終的に魔晄照射施術を受けることになるのだが、そうなるためには、そもそも、強くなければ始まらないのだ。
田舎で一人、体力をつけてスカウトを待っていても仕方が無い。そう確信した少年は、手始めに神羅軍に入隊し、実力をつけることにした。
経験値をあげるには、現場を経験するのが一番だ。だからこそ、ウータイ戦への投入を心待ちにしていたのに、待てども待てども、呼び声はかからない。
それは、彼の夢への道のりの険しいこと、遠いことを意味している。落胆と悲嘆に、少年の吐き出す息は重くなった。
兵力を余している神羅軍では、最近、新たな試みが始まった。ソルジャーの赴く様々なミッションに同行し、兵士たちの経験値の底上げを図るというものだ。
少年も、当然その試みに賛同し、ミッション待ちリストに名を連ねている。実戦の地へ赴けるというだけでなく、憧れのソルジャーと同行できるとあって、彼は胸を弾ませていた。
しかし、兵士の人数が多すぎるからだろうか、そのミッションにすら参加できていない現状だ。いつになったら、ソルジャーになれるのだろう。募る鬱憤は増すばかりで、少年は重いマスクの下、細眉を顰めていた。
「待てよ、セフィロス!!」
はっとして、少年は顔をあげた。
確かに今、セフィロス、と、そう聞こえた。その名前には覚えがあって、少年は銃を握り締めたまま、慌しく視線を泳がせた。
エレベーターから降りてきたのは、一人と、一人。一人は、長い黒コートを翻し、銀糸の髪をたなびかせている。もう一人は、ソルジャースーツを身に纏い、乱雑な黒髪を跳ねさせながら、それを追いかけている。
どきりと、胸が高鳴った。憧れていたソルジャーが、今、目の前に現れようとしている。
「なぁ、待てって!」
エントランスの中央に立ち、男は足を止めた。振り返ると銀糸が頬で揺れ、ふわりと踊ったコートの裾が彼の足許に落ち着いた。
「――なんだ」
セフィロスと呼ばれた男は、疎ましそうに眉を顰め、不機嫌さを露にしながら問いただす。
彼が、セフィロス。彼こそ、セフィロス。
新聞で、テレビでその名を轟かせ、ソルジャーの頂点、無敗で無敵、最強の冠を与えられた、英雄その人だ。
「俺も行くよ」
追いついた青年は、セフィロスに臆すことなく声をかける。服装から、彼もソルジャーなのだとはわかるけれど、名前は知らない。
ソルジャーが一度に二人も現れて、その内一人はあのセフィロスだ。心は華やいだけれど、子供のように騒ぐわけにもいかなかった。
少年は、あくびを噛み殺すためでなく、歓ぶ自分を押さえ込むために銃を握り、口唇を噛み締めた。
「どこへ?」
「あいつらを、探しに行くんだろ?」
なんのことを言っているのか、少年にはわからなかった。本来の任務を忘れ、ソルジャーの会話を盗み聞きすることなど許されることではないとも思ったけれど、少年は耳をそばだてて、二人の会話に聞き入ってしまっていた。
「アンジールが、そんなことするはずないんだ。俺も行く、探しに行こう」
聞いたことのある名前だった。それはたしか、セフィロスと同じく、クラス1stのソルジャーの名前だ。
青年は先んじて、走り出す。飛び出そうとするソルジャーを、セフィロスが呼び止めた。
「待機していろと、ラザードに言われただろう」
また、知った名前が会話に出てきた。若きソルジャー部門を統括する、リーダーの名前だ。
「待機なんてしてられるかよ」
「命令に従え」
静謐な声で、セフィロスは諭す。悔しげに眉を苦め、青年は走り出したい足を踏み留めて、舌を鳴らした。
どうやら、空気は緊迫しているらしい。それを見守っている少年にも緊張が伝わって、彼は機関銃を抱き締めたまま、息を呑んだ。
セフィロスは、ウータイの戦争に行っていると聞いていた。事実、日々彼の様々な功績が報道されていて、神羅カンパニーに入社した少年も、彼の姿を見ることは稀だった。
一度、プレジデント主催の式典で、彼の姿を見たことがある。しかし、そのセフィロスも豆粒くらいの大きさでしかなく、こんな間近で彼を目にするのは初めてのことだった。
エントランスの端に立ち尽くす少年と、その中央に立ち止まるソルジャー二人。彼らは同じ床に足をつけていながら、別世界に生きている。
近いといえば近い場所、遠いといえば遠い場所で、少年は英雄の厳しさを目の当たりにし、萎縮してしまっていた。セフィロスの前に佇んでいた青年も、同様に肩を落とし、握り締めた両拳を脇に下ろしたまま、動けずにいる。
暫くの、沈黙の時間。それを引き裂くように、エントランスに、歩き出す英雄の硬質な靴音が響いた。
「っ、…どこにいくんだよ!?」
「帰るんだ」
「帰る!?」
素っ頓狂な声が、エントランスに響き渡る。声の大きい男だ。慌しくセフィロスを追いかけながら、続けざまに、彼は問いかける。
「ウータイに行くんじゃなかったのか?」
「お前の派手な爆発のお陰で、事態は大幅に進んだ。プレジデントへの報告も済んだ」
「でも…」
「あとは、軍でもなんとかなるだろう。俺は明日から、ミッションで大忙しだ」
セフィロスがミッドガルにいる、ということは、ウータイにいる必要がない、ということだ。ウータイでは、なんらかの進展があったらしい。戦争の終結は、少年の実戦の場が失われることを意味している。本来なら喜ぶべきところではあったけれど、それを聞いて、彼は平静ではいられなかった。
「なら、俺も行くよ」
「ついてくるな」
セフィロスの行く手を阻むように、青年は足を踏み出した。立ちはだかろうとした彼の申し出は、セフィロスのたった一言に切り捨てられた。
「俺はアイツとは違う。お前の面倒まで、見てられん」
青年は驚愕し、言葉を詰まらせた。
エレベーターから降りてきた二人は、少年の目の前を通過して、玄関前に佇んでいる。顔を熱くして、切迫する青年の興奮が伝わってくるようだった。
「なんだよそれ、俺だってソルジャーなんだぞ!」
彼は苛立ち、胸を叩いて主張する。深く被った少年のマスクの向こうで、黒髪の合間からのぞく魔晄の瞳が煌いていた。
青い瞳、ソルジャーの証。銃ではなく、剣を携えていることもまた、彼の常人ならない強さを物語っている。
「…足手纏いだ」
彼の口許に、緩い笑みが浮かび上がる。目敏く、その些細な変化を見つけた少年は、驚きに息を呑んだ。
軽く持ち上げた手で、セフィロスは青年の胸を押しやった。道を阻むソルジャーを退けて、ビルを発つセフィロスの長い銀糸が揺れていた。
警備の任務を忘れて、少年はその後姿に目を奪われていた。辛辣な言葉を吐き捨てて、優雅な笑みを残し、去っていった英雄の姿を見送って、エントランスの扉が閉まる。唖然としたソルジャーと、彼らに注目していた少年兵だけが、エントランスに取り残されていた。
現時点で、少年にとって、ソルジャーなど夢のまた夢だ。そのソルジャーですら、彼にとっては足手纏い、でしかないのか。
そんな暴言が許されるほど、孤高にいる彼の存在。間近にみた英雄の姿は、少年の心に深く焼きつけられてしまった。
「はぁああああ」
盛大なため息に、少年ははっとして、顔を上げた。エントランスの中央で、忘れられたソルジャーが膝に手をつき、嘆息を零す。
「ったく…、なんだってんだ」
不満げに口先を尖らせるその姿は、先ほどそこに立っていた、幼い子供にも少し似ている。理由の無い親近感に、軍服に閉じ込めた少年の心は和らいだ。
青年はポリポリと頭を掻くと、やがて踵を返し、歩き出す。束の間、任務を忘れてしまっていた少年は、銃を握りなおして姿勢を正し、その姿を見送った。
階段の上から降りてきた親子連れが、ソルジャーの姿を見つけて歓声をあげる。わいわいと騒ぐその光景は、警戒するべくもない。英雄に置いていかれたソルジャーが、子供に歓迎される姿を視止め、少年はエントランスの向こう側へと視線を眇めた。
いつか、彼のようになれるだろうか。強くなって、ソルジャーになって、足手纏いなどとは言わせずに、彼と共に戦う日は来るのだろうか。
それはまさに夢のような話で、今はまだ、彼は平和な神羅カンパニー本社ビルのエントランスに縛り付けられる身だ。そんなことを思うことすらおこがましいとは思えども、世界の隅に佇む少年の、期待し、希望に膨らむ心を、誰が咎められるだろう。
彼の名は、まだ、誰も知らない。沈黙を守り、興奮する心を閉じ込めたまま、彼はそこに立ち続けていた。