オリオンは色褪せない<03>
ロケット村の周りは、平地に囲まれていた。高い山脈に大陸を分断され、緑豊かな平原が裾を広げている。
夜になって、村からそう遠く離れていない場所に、クラウド一行はテントを立てた。長旅のお陰で、テントを張る彼らの手つきも慣れたものだった。
今夜は、シエラに夕食を御馳走になった。そのまま家で休んでいけと勧められたが、シドがこれを断った。
宿に泊まってもよかったが、慣れてくると野宿というのもなかなか楽しいものだ。残り少ない限られた時間を、気の知れた仲間だけで過ごしたいという、なんだか妙な連帯感があって、彼らは村から出発し、支度を整えて、飛空艇の傍らでたき火を囲んでいた。
「ありがとう、レッドⅩⅢ」
レッドⅩⅢが、自慢の尻尾で薪に火をくべた。ティファがそれを労うと、レッドⅩⅢは自慢げに鼻を鳴らした。
涼しい夜風に鬣を揺らして、彼はティファとユフィの間に体を横たえた。燃え始めた火の熱で、顔が温かくなってくる。
夜にも関わらず、皆の顔が明るく照らしだされていた。そうして、たき火を囲む仲間たちの輪が完成した。
「だ~~、つっかれたなぁ」
「でけぇ声出すんじゃねぇよ」
両脚を奔放に伸ばしたシドの大きな声が、静かな夜に響き渡った。それを諌めるバレットの声も、十分大声の部類に入る。
「シドさん、スノボーで遊びすぎたんとちゃいますか?」
「シドってば、最初超~ノリ気でさ。俺にもやらせろ~とかいってたくせに、やってみたら転びまくってやんの。あれケッサク」
「うるせぇやい」
騒々しい仲間たちの会話に耳を傾けながら、クラウドは飛空艇へと振り返った。
ハイウインドを運転していた乗務員たちも緊張を解き、日中の疲れを癒すため、めいめい休んでいることだろう。彼らのお陰で、縦横無尽に空を飛びまわって最後の戦いに備えることができた。
懐かしい場所を一通り巡って、心も落ち着いた。あとは、北の大空洞を目指すだけだ。
「アイテムも揃ったし、あとはもう、セフィロスを倒すだけだね」
レッドⅩⅢも、クラウドと同じように考えていたようだ。それは、他の仲間たちも同様だった。
メテオはどんどんと近づいてきていて、時間がないことはわかっていた。覚悟は決まっていたし、今更諦めようなどとは思わない。
けれど、大きく成長したメテオを見上げていると、底知れない恐ろしさが胸を蝕んでいく。セフィロスを倒して、ホーリーを解き放って――。星を救うことなんて、本当にできるのだろうか。
ふ、と、密やかにため息を漏らすクラウドの隣で、ティファが呟いた。
「みんなでこうしてると、コスモキャニオンに来たときみたい」
クラウドは、乾いた瞳をぱちりと瞬かせた。
最初はぎこちなかったが、たき火をつくる技術も、この旅で随分上達した。燃えやすい薪の集め方もわかったし、レッドⅩⅢがいたから、ファイアの魔法を暴発させる失敗もなくなった。
皆、輪の中心で燃え盛るたき火の炎を眺めていた。そして、赤土のコスモキャニオンで、遥か昔から消えずに燃え続けているという奇跡の火、コスモキャンドルを思い出していた。
「どうしたのよ、泣きそうな顔しちゃってさ」
「してないよ」
ユフィが揶揄って、レッドⅩⅢは首を振った。なにかにつけて人をおちょくろうとするユフィの扱いにも慣れた様子だ。
「オイラより……」
レッドⅩⅢは鼻が利く。人間と比較にならないほど優れた彼の嗅覚は、旅の途中、仲間たちの役に立つことも多かった。
彼は、その自慢の鼻でなにかを嗅ぎ取ったようだった。レッドⅩⅢは遠慮がちに、クラウドを見上げていた。
「みんなで、色んなところに行ったね」
レッドⅩⅢの隣で、ティファは相変わらずたき火を見つめていた。
短いスカートを手で押さえ、膝を抱える彼女の瞳の中で、赤い炎が燃えている。彼女も、クラウドの胸を濁らせる不安の存在には気づいていた。
そのはずなのに、ティファは気にしていないかのような、慰めるような、柔らかな口調で続けて言った。
「こうしてまた、みんなで火を囲んで、お喋りしたいね」
北の大空洞は深く、暗く、一度下に降りてしまったら、無事にもどってこれるかどうかわからない。こうしてみんなで夜を過ごすのは、最後になるかもしれない。
もっとも、セフィロスを倒さなければ、夜を過ごすどころか、この星自体が無くなってしまう恐れもあるわけだけれど。不安と焦燥に駆られたクラウドの耳に、ヴィンセントの冷ややかな声が響いた。
「私は御免だ。うるさい連中に付き合うのは、これきりにしたい」
「ヴィンセントさん」
窘めるように、ケット・シーがヴィンセントに食いついた。モーグリの上に乗る猫人形は、眉を結んだ険しい顔で、隣の青年を見下ろしていた。
周りのメンバーを順繰りに見回して、シドが盛大なため息を漏らした。酒を飲み、火にあたって、せっかく気持ちを盛り上げたというのに。湿っぽい雰囲気は性に合わず、彼は腕を振り上げた。
「どいつもこいつも、シケた顔してんじゃねぇよ。人が宇宙に行ったんだ、不可能なことなんてありゃしねぇ」
シドに促され、皆は顔を上げた。そこには、街の明かりに邪魔されない満点の星空が広がっていた。
メテオが発動してからというもの、空では黒い星の塊が重々しい圧迫感をかもしだしていて、昼夜問わず、空は恐怖の対象になった。人々は空を見上げてはため息を漏らし、絶望感に打ち拉がれた。
今宵、久しぶりに見上げた空に、仲間たちは目を奪われた。
「キレーな空」
メテオは飛空艇の影に隠れていて、ちょうど見えない位置にあった。だからこそ、彼らは慄くこともなく、純粋に美しさだけを讃えることができた。
ティファの無防備な呟きに同調し、クラウドも息を呑んだ。皆、顎を上げて上向いて、煌めく星々を見上げていた。
「どうでい、立派な景色じゃねぇか」
シドは自慢げに胸を張った。いつも俯き気味でいるヴィンセントの横顔もマントから浮いていた。
「まるで、宝石箱みたいや」
「宝石も、こんだけありゃあ大金持ちになれるぜ」
ケット・シーがモーグリの上で飛び跳ねて、バレットも感嘆してニヤつく口を閉じられないでいる。
「懐かしいね」
ティファは、いつかの給水塔での出来事を思い返していた。同じようにクラウドも、あの日のことを思い出していた。
「ああ」
クラウドは、軽く頷いた。
七年前。懐かしきニブルヘイムでのあの宝物のような思い出を、自分のものとして実感できる。魔晄の淀みの中で失わずに済んでよかった、と、クラウドは改めて感謝した。
「マテリアほしい、マテリアほしい、マテリアほしい!」
いきなり、ユフィが、大きな声を上げた。両手を、パンッと打ち鳴らし、天に向かって拝んでいる。
皆は呆気にとられ、必死に祈るユフィへと目を向けた。不意の物音に驚いてしまったことを誤魔化そうと、鼻下を擦って、シドが問いかけた。
「なんでぇ、藪から棒に」
「あそこに、三つ並んだ星があるでしょ?」
ユフィは手を上げて、自慢げに天の川を指差した。
ガラス玉を散りばめたように、星はきらきらと無作為に瞬いている。そんな星空の片隅に、斜めに三つ、連なる星の姿があった。
でたらめで無秩序、だからこそ美しく見えた夜空に、均一な距離で並ぶその星は、見る者の目を惹いた。それを見つけたクラウドは、目を瞠いた。
「ウータイの言い伝え。あの星にお祈りすると、願いが叶うんだってさ」
クラウドは息を呑んだ。少しの間、呼吸をすることも忘れてしまった。
クラウドは、あの日、夜空と海が溶け合った眩い景色を前にして、共に並んでいた二人の男のことを思い出した。肌寒くなって、切なくなって、クラウドは、きゅ、と肘を抱きしめた。
「ウータイって、そんなのばっかりだね」
クラウドの変化に気づかずに、レッドⅩⅢがくすくすと笑っていた。それを聞いて、ヴィンセントもマントの中に笑みを零す。
「貪欲なのは御国柄だったというわけか」
「なによ、せっかくいいこと教えてあげたのに」
クラウドの瞳は、天に釘づけになったままだった。他の星に比べて特別眩しいわけでもないのに、統率された星の並びに、どうしても注目してしまう。
昔からそこにあり、今もまた仲良く並んでいるその星を見上げて、クラウドは寂しさに襲われた。震えた口唇が、あの日あの男に聞いた星の名を口ずさんだ。
「ミンタカ、アルミナム、アルニタク」
「え?」
聞き慣れない音の連なりに、ティファが声を上げた。クラウドを見つめた彼女は、隣に座った青年の瞳が、痛切に細められていることに気がついた。
「よく知ってたな、星の名前なんて」
感心した様子で、シドが言った。宇宙に対して特別な思い入れのない男から、その名を聞くとは思わなかったからだ。
「思い出したんだ」
クラウドは顎を引き、拳を握りしめた。震えた指に力をこめると少し痺れて、そして動揺が安らぐと、彼はゆっくりと手をひらいた。
「――昔、教えてもらったんだ」
『元ソルジャー』であったときは忘れてしまっていた、大切な思い出。それはクラウドの中で弾けて、彼の心に波を打った。
静かな衝撃がようやく落ち着いて、彼は、ハァ、とため息を漏らす。掌の皺を眺めるクラウドを、ユフィが覗きこんできた。
「クラウドも、お願い事したの?」
彼女は、わくわくしている様子だった。興味深そうに、期待に満ちた視線を送ってくる。
「どうだったかな。もう、随分昔のことだから」
クラウドは首を振り、再び天を仰いだ。彼の横顔を見つめていたティファもまた、同じように空を見上げた。
彼はいつ、誰と、どんな思いで、その星を見つめたのだろう。それは、ティファにはわからなかった。
彼女は、人の心の奥に封じられた想いの強さを、激しさと切なさを、ライフストリームの淀みの中で身をもって実感したばかりだ。だから、クラウドの胸中を思うと切なくなっ
て、彼女はきゅ、とグローブを軋ませた。
「あれは、腰のベルトになってんのさ」
なんの前触れもなく、シドが口を開いた。ティファは目を瞬かせて、シドを凝視した。
「なんの話?」
「おいシドさんよ。なに寝ぼけてんだ?」
「黙って見てろい」
ユフィもバレットも、訝しげな表情でシドを見つめていた。地に伏せていたレッドⅩⅢも、前脚で起き上がった。
指を束ね、人差し指で彼は天を指差した。シドの指に促され、仲間たちは皆、夜空を仰いだ。
「あすこに、でっかい赤い星があるだろ? あれが右肩、ベテルギウスだ」
三ツ星のすぐ左上に、赤い光を帯びた眩い星があった。クラウドも、他の者たちも、今宵初めてその名を知った。
「斜め上にあるのがヘカー。こいつが頭だな。ちょい右下にあるのがベラトリックス。左肩だ」
シドは、次々に星を指していった。楽しげに名を紡ぐ彼の手によって、無関係であった星たちが結ばれていく。
「右膝でちっこく光ってるのがサイフ。左膝にリゲルを繋いで、一丁上がりでい」
シドの導きで、一人の人間の姿が夜空に浮かび上がってきた。それが、星座、というものなのだろう。
仲間たちが皆感心して天を仰いでいるのを確かめて、シドは静かにほくそ笑み、新しい煙草に火をつけた。
「オリオンって言ってな、大昔の『英雄』なんだとよ」
不思議なことに、名前を知ると、星の連なりが逞しい男の姿に見えてくる。夜空に立つ大男は威風堂々と両腕を持ち上げて、こちらを見下ろしているようだった。
いつかの夜に見た三ツ星が、今宵、別の意味をクラウドにもたらした。空に現れた男と初めて見つめ合うクラウドは、首の疲れも忘れていた。
「強そうな名前だね」
「立派なもんや」
「全っ然わかんない」
「ちったぁ想像力を働かせろよ、そーぞーりょくを!」
周りが皆、星の海に立つ男の姿を想像している中で、一人だけ取り残されるのを嫌がって、ユフィは前へと身を乗り出した。ティファは肩を狭め、思わず小さな笑みを漏らした。
「面白いね。そう言われて見てみたら、人の姿に見える気がする」
「だろ?」
シドは、自慢げな笑みを見せた。無精髭に覆われた彼の口唇から、白い煙が漏れていった。
レッドⅩⅢは周りの仲間たちを順々に見回した。不思議な偶然に気がついて、彼は小さく呟いた。
「星が八つ――。ちょうど、オイラたちと同じ数だ」
クラウドは、はっとして瞳を瞬かせた。レッドⅩⅢの言う通りだった。オリオンを結ぶ星の数は、パチパチと燃える火を囲む仲間たちと同じ数を刻んでいた。
「…なんだかてれくせぇな」
空を見上げ、事実を確かめたバレットが苦笑した。不似合いな男から聞いた純な言葉に、仲間たちは意表を突かれた。
「なんや、こっちまで照れてくるやないですか」
「バレット、ちょっと赤くなってる?」
「本当だ、赤くなってる」
「うるせぇ、黒いのは生まれつきだ!」
揺れるたき火の炎に照らされて、バレットの肌はいつもよりも明るく見えた。もっとも、それは他の者も同様ではあったけれど。
夜の平原に、仲間たちの笑い声が響いた。クラウドもそれに乗じようとしたが、笑顔を見せることは不得意で、彼は黙ったままだった。
少し和やかな気持ちになって、クラウドはオリオンを見上げた。
あの日、共に三ツ星を見上げた男たちは、どちらもいなくなってしまった。ミンタカを担うセフィロス、アルニラムを自称したザックス――。クラウドには、今更アルニタクを受け持つ自信はなかった。
約束を果たせなかったこと、もう二度と果たせなくなってしまったことをクラウドは愁い、そもそもあの日約束を交わした事実、あの星の存在すらも忘れてしまっていたことに、罪悪感すら感じていた。
あの日と同じ空の下、久しぶりに出会った三ツ星は変わらぬ光を注いでいて、それがまた彼に切なさを感じさせた。拉いだクラウドの心を星座の新たな意味が慰めたが、それだけでは未完成だった。
八つの星からなる星座に親近感は感じるけれど、大事な一つが欠けている。その『不足』を感じていたのは、クラウドだけではなかった。
「オリオン、か――。どんな人だったの?」
星を見上げたまま、ティファが尋ねた。白い煙をむわりと吐き、顎を擦ると、シドは、むう、と首を捻った。
「さぁな。シエラがどうのこうの言ってたが」
「シドさん、ちゃんと聞いてなかったんとちゃいますか?」
「伝説だの伝承だのは、オレ様の管轄外でぃ」
シドは、まるで子供のように口唇を尖らせた。きっと図星なのだろうとは思ったけれど、誰もそれ以上シドを追及しなかった。
ティファのため息が、静かに響いた。皆、思い思いに夜空に立つ一人の男を見上げていた。
声が途絶えて、炎の燃える音が八人を繋いでいた。それまで泰然として沈黙を保っていた男が、おもむろに口を開いた。
「オリオンは、狩猟の名手だった。狩りの腕では、彼の右に出る者はいなかった」
まさか彼の口から物語が紡がれるなどとは夢にも思わず、クラウドは驚いた。他の仲間たちも同様で、静かな口調で語り始めたヴィンセントに、皆の注目が集まった。
「ある日、彼は蠍に刺されて死んだ」
「縁起でもねぇ」
バレットは目を尖らせて、厳しい顔をした。糾弾する男の視線を感じて、ヴィンセントはマントの中に、ふ、と小さく息を漏らした。
「彼には恋人がいた。恋人は彼が死んだことを嘆き悲しみ、彼女を憐れに思った神が、オリオンを星座として甦らせた」
憤慨していたバレットも口を噤み、大人しくヴィンセントの言葉に耳を傾けていた。
宇宙好きのシドでも知らなかった伝説を、ヴィンセントはどうして知っていたのか。もしかしたら、彼の知人に、伝説や伝承に見識の深い人間がいたのかもしれない。
誰も、そのことについては問いたださなかった。大切な仲間が大切に思っているものについて、冷やかしたりおちょくったりすることはできなかった。
それよりも、興味深いお伽噺の中身が気になって、皆の代わりにユフィが尋ねた。
「恋人って?」
ヴィンセントは、再び小さな吐息を漏らした。焦れったく、芝居がかった彼の言動は、もったいぶっているかのようだ。
バレットが痺れを切らしてしまうのではないか。仲間たちの脳裏を、そんな不安がチラついた。
短くなっていくバレットの導火線の火を、ヴィンセントの涼しい声が掻き消した。
「月の女神、アルテミス。天に昇り、同じ空で、彼らは永遠の愛を手に入れた」
黒く巨大なメテオとは対極の、白く映える惑星が夜空を横切っている。南の空の高いところに、少し欠け始めた月が柔らかで眩しすぎない光を放っていた。
月に神がいると言うのなら、ヴィンセントの言うように、きっと美しい女神に違いない。優しい微笑みで人々の心を溶かし、刺々しい感情すらも柔らかく包み込むような。時に泣いて、時に拗ねて見せたりする、まるで少女のような、優しい女神。
「全員そろった」
レッドⅩⅢが、小さく呟いた。丸い月の中に、皆、同じ少女の面影を見出していた。
彼女の存在が加わって、不十分であった物語はようやく完成した。聞いた者たちの胸の内に、ぞくぞくとした感動が湧き起こる。
暗い夜空の平原で、伝説の英雄と月の女神は互いに見つめあっているように見えた。誰にも邪魔されず、時間にも支配されず、これから先も、永遠に――。
「ええ話や」
モーグリの頭に肘をついていたケット・シーが、恍惚としたため息を漏らす。
「そうだな」
紫煙を細く燻らせて、シドが微笑み、肩を揺らした。
クラウドは黙ったまま目を細め、英雄と女神とを見つめていた。
古代種たちは、叶わなかった悲恋を星に喩えることで、切ない心を慰めたのかもしれない。ライフストリームの循環から離れ、悠久の存在になった星の物語は、確かに聞く者の心を魅了する。けれど――。
「でも、俺たちはオリオンじゃない」
クラウドの呟きが、乾いた空気に低く響いた。冷えた声、突き放つような怜悧な言葉は、無粋ともいえるものだった。
せっかくの情緒的なひと時が台無しだ、と、仲間たちは彼を咎めようとした。けれど、クラウドが険しくも凛々しい顔で夜空を見上げていたから、彼らは非難する言葉を失った。
クラウドがなにを考えているのか、ティファは理解していた。いや、感じ取っていた。
ロマンチックな伝説を美しいと思うのと同様に、柔らかに香る月の明かりに彼女を想うのと同様に、風に、空気に、草に、大地に、彼女の存在を感じていた。
遠い宇宙の彼方ではなく、もっとずっと近い場所に、彼女がいることを知っていた。
「私たちも、エアリスも、この星で生きている」
目を閉じて、息を吸い込んで、ティファは後ろ手をつき、胸を張った。指の隙間から強かに生えてくる草が風に揺れ、ティファの呟きに応えるように手を撫でた。
「私たちは、まだこの星でやるべきことがある」
いつものように薄い笑みを香らせて、ヴィンセントも頷いた。片膝をつき、そうだろう、と確かめるように移ろった彼の視線がクラウドの横顔を捕まえた。
「――昔」
クラウドが口を開き、ヴィンセントに続いて、皆、クラウドに目を向けた。彼の言う『昔』とは、いつのことだろう。聞きたいことはあっても、誰も口出しをしなかった。
「あの星に誓ったんだ。強くなって、輝いて、あいつらに見せつけてやるって」
クラウドの手が緩い拳を作り、やがてそれは強く握りしめられた。オリオンの内側で、相も変わらず行儀よく並んでいる三ツ星が、二つを欠いてしまったクラウドを嗤っている気がしたからだ。
「――俺達ならできる。まだ間に合う……、よな?」
時が過ぎて、再び天を見上げたかつての少年は、逞しい青年となった。険しい旅路を共にした仲間たちは、天に立つ伝説の英雄と比べても、見劣りしないほど強くなった。
あの頃はいなかった仲間たち。できるとも思わなかった、知り合うことになると予想すらしていなかった、個性豊かな顔ぶれを、クラウドは見渡した。
最初は、他人と関わるなんて鬱陶しい、煩わしいと思っていた。けれど今は、彼らがいるからこその心強さがクラウドを支えている。
「頭数ならそろってるぜ」
「蠍が襲ってきても、追っ払っちゃえばいいんでしょ?」
バレットが右腕を持ち上げて、ユフィもいつものように、シュッシュッと拳を鳴らした。
「宇宙に出ちまえば、あいつらもこの星もおんなじお星さんだ。負けるわけにはいかねぇな」
「オリオンさんを、驚かしてやりましょか」
シドは誇らしげに口隅を持ち上げて、ケット・シーを乗せたモーグリがゆさゆさと巨体を揺さぶった。
クラウドは、ふ、と息を抜いた。
星を蝕む毒がどれだけ凶悪だろうと、どれだけ邪悪であろうと、食い止めてやろうという勇気が湧いてくる。食い止めてやるのだという、意欲が漲ってくる。
「みんなでやれば大丈夫だよ」
燃える尻尾をピンと立たせて、レッドⅩⅢが言った。赤鼻を突きだす彼を見て、ティファも大きく頷いた。
「うん。頑張ろう」
土は柔らかく、温かい。腰を受け止める草は柔らかく、空気は澄んで、眩い星の光を濁りなく届けている。
この星には、愛しさが溢れている。この星は、愛しさで満ちている。
深く息を吸い込み、それを吐いて。白く煙った息が溶けた後、クラウドは呟いた。
「そうだな」
エアリスの託してくれたものを、悲しい結末に終わらせたくはなかった。ロマンチックな伝説なんかに、してしまいたくもなかった。
皆の胸に、この星に息づくエアリスの存在感を感じながら、一致する仲間たちの士気を感じる。冷えた夜に、そうして熱く奮えた彼らの耳に、気が抜けるような声が響いた。
「ふぁ~あ」
大あくびの主は、ユフィだった。彼女は両脚を投げ出して。開いた口を掌で軽く押さえていた。
「締まらねぇなぁ。あくびくらいしまっとけよ」
苦笑して、シドが肩を揺らしていた。
真面目な話が苦手なのは、彼も同じだ。冷やかされて、ユフィは足を組み、口唇を尖らせた。
「もう寝ようよ~。夜更かしは美容に悪いんだよ」
「気にするような顔かよ」
「最低。今の、最っ低!」
膝立って、ユフィはバレットを怒鳴りつけた。その時、一陣の風が吹き抜けた。
なんだか急に冷えてきたような気がして、見てみると、たき火の炎が随分小さくなっていた。
夜も遅くなり、月も当初の位置から大分傾いてきていた。明日のことを考えれば、疲労を癒すことも大切だ。
「冷えてきたな。そろそろ休もう」
クラウドの発言が、集会の終わりを告げる。居心地の悪さを感じて、バレットがいち早く腰を上げた。
「俺ぁ寝るぜ」
「はいはいおやすみ~」
「ほんならボクも」
「行くぞ、ヴィンセント」
シドに呼ばれて、ヴィンセントが無言で立ち上がった。ぶすくれていたユフィもそれに続き、叩くように土を払った。
「クラウドは?」
腰を持ち上げながら、ティファが尋ねた。
「これを消したら、俺も行くよ」
燃えるたき火を指差して、クラウドは答えた。灰と炭が多くなったものの、残る薪は未だ赤いものもあり、チラチラと光が見えている。
「二人とも、置いてくよー」
既にテントの幕を開けていたユフィが、声を張り上げ手を振っている。すぐ行くわ、とティファは答え、レッドⅩⅢがクラウドを覗きこんだ。
「おやすみ、クラウド」
「ああ、おやすみ」
レッドⅩⅢが歩き出して、残されたティファは、ほんの少しの間クラウドを見下ろしていた。クラウドがそれに応え、少しだけ表情を緩めると、彼女も静かに頷いて、踵を返し、幕屋の中へと戻っていった。
ティファを見送って、クラウドは周りを見渡した。
皆がいなくなって、静かになった平原はやはり少し肌寒い。剥き出しの肩がざわめくのを感じながら、クラウドはようやく腰をあげた。
小さくなったたき火を蹴って、砂をかけ、消していく。そんなに大きくはなかったから、処分にあまり時間はかからなかった。
ブリザドの魔法を使うまでもなく、ブスブスと燃えた白い煙が鎮まって、たき火が消えた。それを背にしてクラウドは数歩歩きだし、灰の臭いの無い涼しい風を、胸いっぱいに吸い込んだ。
町の明かりも消え、深い夜に星たちが煌めいている。雲もなく、月が差し込み、どれだけ眺めても見飽きることのない、美しい情景だった。
数多の星たちの中から、クラウドはオリオンの姿を容易に導き出した。今宵は、彼とよく話をした気がする。
赤く映えるベテルギウス、それの対極にあるリゲル。ヘカー、ベラトリックス、サイフ。
名を知り、親しみを覚えた星たちを確かめた後、クラウドは懐かしき黄金三星と向かい合った。
「オリオン」
今宵知ったばかりの男の名を、クラウドは呟いた。彼はクラウドの小さな声に気づかずに、横を向いて、愛しい月を見つめていた。
伝説に残るほど、壮健で勇敢な男だったのだろう。死んで星として残されたとはいえ、無念さや未練もあったはずだ。
「アンタから、俺はどう見えるんだろうな」
三つ並んだ星の並び。いつの世も、人々は思い思いにそれを見上げ、欺瞞に満ちた願かけを繰り返してきたことだろう。
願うばかりで、叶えようと動かない者たちを、どんな思いで見下ろしていたのだろう。歯痒さと悔しさを知る男から見て、今の自分はどう映っているのだろう。
悩んでないで、やってみせろ、と、なんだか励まされた気がして、クラウドは口許を緩めた。
「――やってみるよ」
輝きに照らされながら、クラウドは小さな答えを口にした。
自分のしようとすることが間違いであったとしても、覆せない運命の上の、無駄なあがきであったとしても。
かつて誓った想いを胸に、必ず成し遂げてみせよう。オリオンに恥じない輝きで、きっと彼が成し遂げたかったことを、この手で果たしおおせてみせる。
いつかのセフィロスへ、いつかのザックスへ、そしていつかの自分自身へと、クラウドは告げた。静かな夜に、確かに誓った男の仰いだ天で、三ツ星はあの時と変わらない、色褪せない神秘的な煌めきを、放ち続けていた。