- NOVEL
- Final Fantasy 7
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- 君に贈った花束に僕は嫉妬するかもしれない。
君に贈った花束に僕は嫉妬するかもしれない。
エアリスは、魔法使いだ。
天使? 妖精? いや、そのどちらでもない。彼女に羽根は生えていないし、儚く消えてしまう幻でもない。
愛らしい笑みで胸をときめかせ、膨れっ面をして心をくすぐり、優しいさえずりで疲労を癒し、細い両腕で優しく包みこんでくれる、可愛い小さな魔法使いだ。
スラムの教会で、ザックスはエアリスに出会った。埃臭いスラムの片隅で、甲斐甲斐しく花の手入れをする彼女は、都会で知り合ったどの女性よりも純朴で、純真だった。
女の子と接する時のテクニックなど、彼女にはまるで通用しない。彼女はむしろ、それを使ったザックスへの警戒心と猜疑心を強めるだけだ。
「調子いいんだから」
ぷい、と顔を背けて、エアリスが踵を返してしまう。歩き出した彼女を追うように、ザックスは大きく足を踏み出した。
「本当だって」
覗きこんでみると、口唇を尖らせて澄ましているエアリスの口元が、僅かに緩んでいることがわかった。
本気で怒らせてしまったわけじゃない。そう感じるとザックスは安堵して、彼の笑みも、に、と深まった。
二人は、仲良く花売りワゴンを作っているところだった。教会の奥には先日出来上がったばかりのワゴンが停まっているが、エアリスはどうも、その出来栄えに納得がいかないらしい。
ソルジャークラス1stであるザックスが自由に過ごせる時間は、そう多くはない。けれど彼は、暇をみつけてはミッドガルを駆けまわり、ワゴン作りに必要な材料を探し集めてきた。
注文の多いエアリスの期待に応えるために奔走することは、ザックスにとって苦ではなかった。どうすれば彼女を喜ばせることができるのか、どうすれば、彼女はあの芳しい笑顔を見せてくれるのだろうか──。
それを考える時間は、苦であるどころか、特別な華やぎをザックスにもたらしてくれた。
「じゃあ、そういうことにしておく、かな」
暖かい陽の注ぐ教会の片隅に、エアリスはしゃがみこんだ。彼女の足元には、彼女の愛で育まれた無数の花たちが花弁を揺らしていた。
毎日のように顔を見せ、語りかけることで、花が元気になるのだ、と、エアリスは言う。そして、直接手で触れ、手をかけてやることにより、自然以上の輝きを見せてくれるのだ、と。
それが本当かどうか、ザックスにはわからない。しかし、確かに彼らは、ミッドガルの硬い土でも、ザックスが任地で出会う草花にも勝るほど、健やかにたおやかに育っているようだった。
「あれ、前より増えた?」
膝に手をついて、ザックスは尋ねた。剥がれてしまった板の隙間から見える土が、エアリスと初めて出会った時よりも、随分狭くなっているような気がする。
「たくさん育てて、ミッドガル、お花でいっぱい、でしょ?」
花びらを撫でる指で、エアリスは前髪を耳にかけた。ウェーブがかった細い髪はさらりと落ちて、すぐに彼女の頬を隠してしまう。
隙間からのぞく柔らかな笑みを視止め、ザックスの表情は一層朗らかになる。気持ちまで温かくなって、ザックスは、エアリスの隣にしゃがみこんだ。
「財布、お金でいっぱい、な」
顔を見合わせて、二人は笑った。他愛のない、壮大な計画への期待が、二人の心を弾ませていた。
ザックスは、魔法使いだ。
実際彼は、モンスターとのバトルにおいて、エアリスの知らない不思議な術を使うことがあった。しかし、ここでの『魔法』とは、それらの『魔法』とは少し違う。
ザックスといると、楽しくて、面白くて、世界はまるで色を変える。彼の笑顔、その存在は、一緒にいるただそれだけで、エアリスを幸福に変えてしまう、魔法のようだ、と、エアリスは思った。
ソルジャーなのに、神羅の人間なのに、彼はちっとも恐ろしくないし、むしろ、親しみ以上の信頼さえ感じさせる。それはとても不思議なことで、そして幸せなことだと、エアリスは思った。
友達の少ない少女にとっては、教会にひっそりと息吹く花々との語らいが、唯一の楽しみだった。いつものように密かな談笑を楽しんでいたある日、空から降ってきた青年は、こうして顔を合わせる度、エアリスに新鮮な楽しさをもたらしてくれる。
花を売ろうだなんて、エアリスは考えつきもしなかった。ザックスはエアリスの知らない世界を知っていて、彼のおかげで、エアリスの世界はどんどん広くなっていく。
それが楽しくて、そして少しだけ、怖かった。けれど、ザックスが一緒に居るなら、不安も恐れも吹き飛んでしまう。
いつか来る初出店の日のために、花を手入れするエアリスの笑みには、鼻歌が混じっていた。エアリスの傍らに腰を降ろして、ザックスは尋ねた。
「同じ花ばっかりで、飽きないか?」
両足を投げ出して花を蹴飛ばそうものなら、エアリスの怒りを買ってしまう。これまでの経験上、ザックスはちゃんとそのことがわかっていた。
長い足を巻いて、胡坐をかく。ワゴン作りを休憩したまま、寛いでいるザックスの隣で、エアリスはせっせと働いていた。
「おんなじだけど、ひとつひとつ、みんな違う」
エアリスは時々、普通と違うことを言う。そう思うことを、エアリスはきっと喜ばないだろうけれど。
普通でないこと、それが、彼女にとっての普通のことなのだ。エアリスの『普通』を、知りたいと思った。だからザックスは、横槍を入れることなく、エアリスの言葉に耳を傾けていた。
「花びらの厚みとか、葉っぱの数とか」
どれどれ、と、ザックスは興味深そうに、花たちの様子を窺った。
花たちは皆、水をもらったばかりで、キラキラと輝いていた。じ、と目を凝らして、彼らを観察してはみるけれど、ザックスは、すぐに挫折してしまった。
普段から彼らと触れ合っているエアリスとは違い、ザックスには、繊細な違いはわからない。
「そんなもんかねぇ。俺には、全部同じに見えるけどな」
膝に肘をつくと、手に顎を乗せ、ザックスはため息を漏らした。傍らの青年を横目に見て、エアリスは、思わずくすりと笑みを漏らした。
エアリスは、花たちの『声なき言葉』を聞くことができる。だからこそ、わかる違いなのかもしれない。
自分が『特別』であることを実感すると、ジワジワと寂しさが染み出してくる。それをごまかすように、顔を上げて、エアリスは言った。
「ここ、このお花しかないから」
優しい指づかいで、エアリスが黄色い花びらを愛でていく。困ったように、悲しむように、エアリスが眉を伏せてしまった。
なにが彼女の表情を曇らせたのかはわからない。けれどザックスは、その場の空気を和ませようと、わざと声を張り上げた。
「俺の田舎じゃさ」
靴裏を合わせて、爪先を握って、ザックスは、に、と歯を見せた。きょとんとした顔で見上げてくるエアリスに、彼は得意げに語り始めた。
「ジャングルが近いから、花も、もっといっぱい種類があるんだ。毒持ってる、でっかい花のカッコしたモンスターなんかもいたりしてさ」
ザックスの指が、うねうねといやらしい動きを見せた。エアリスは眉を寄せると、肩を竦めて呟いた。
「怖い」
しょげてしまった少女を元気づけようとしたのに、これでは逆効果だ。ザックスは慌てて、冷えた空気を取り繕おうとまくしたてた。
「モンスターだけじゃなくて、普通の花も、赤いのやピンクのやつとか、綺麗なのがいっぱいあるんだ。花を売るんなら、たくさん種類があった方が、お客さんも喜ぶんじゃない?」
エアリスの豊かな想像力が働いて、空中に赤やピンクの色鮮やかな花々が咲き乱れた。紫やオレンジのものも参加して、愛らしい光景が虚空に映し出されている。
「種類かぁ…。うん、そうかも」
エアリスの表情が、先程までよりいくらか和やかになった。そのことを確かめると、ザックスは、ホッと胸をなで下ろした。
花の違いはわからなくても、エアリスのことなら、なんだってわかりたい。彼女を困らせたくない、悲しい目に合わせたくない。
できることなら、いつだって傍に居て、エアリスの微笑む姿を見ていたい。どうしたら、エアリスを笑わせることができるだろうか──。そう考えたザックスの脳裏に、名案が浮かび上がった。
「今度ミッションに出かけたときに、摘んでくるよ」
大きな瞳をパチリと瞬かせて、エアリスはザックスを凝視した。意外そうなエアリスに、ザックスは嬉しくなって、続けて言った。
「色んな花をいーっぱい摘んできてさ、エアリスに見せてやる」
ザックスは、両腕を大きく広げると、空中でそれを束ねて、エアリスへと差し出した。ザックスの手と顔を見比べながら、口を開けていたエアリスは、ポソリと小さな声を漏らした。
「ザックスが?」
「そう、俺が」
ザックスは、満面の笑みを浮かべていた。大人の男の人なのに、まるで子供のような無邪気さだ。
なんだかくすぐったい気持ちになって、エアリスは、くすくすと笑みを漏らした。ザックスが嬉しそうに顔を覗きこんでくるから、正直に言うのも癪な気がして、エアリスは、場に似合う冗句を探した。
「なんか、似合わないね」
「そんなことないって」
ザックスは、真剣そのものだった。心外そうに眉を結んで、そうしてすぐに軽やかな笑顔を見せると、得意げに話し始める。
「俺の田舎じゃ、花は男が女の子に贈るものなんだぜ」
エアリスは、ミッドガルの外の話を聞きたがった。最初は怖がっていたようだけれど、ザックスの冒険譚は、外の世界を知らないエアリスにとって、まるで絵本の中の出来事のように、エアリスの心をときめかせた。
「花束にして、女の子に渡すんだ。『これが僕の気持ちです』、ってさ」
色んな村、色んな街、色んな冒険の話の中でも、エアリスは特に、ザックスの故郷の話を喜んだ。ザックスがどこで生まれて、それがどんな場所で、どんなことがあったのか──。それを聞きたがるエアリスの耳は、とある音に引っかかった。
「『僕の、気持ち』…?」
エアリスは目を瞬かせ、ザックスはゆっくりと頷いた。ザックスが顔を近づけると、エアリスは思わず息を詰めた。
相手の温もりが伝わって、顔が少し熱くなる。空色の瞳は、ソルジャーの証。そのまま見つめていると、吸いこまれてしまいそうだ。
「そう。聞きたい?」
ザックスは朗らかに笑み、エアリスは小さく頷いた。今度は、どんな新しいことを教えてくれるのだろう。それは、どれだけ魅力的であることだろう。それが楽しみで、やはり、少しだけ怖かった。
だけど、目が離せない。ザックスの空色はエアリスをいつの間にか魅了して、安心と、恐怖以上の興味を呼び起こす。
エアリスが、膝のスカートを、きゅ、と指で摘むのを見とめ、ザックスは笑い、肩を揺らした。緊張している彼女のことを、愛らしいと、可愛いと、そう思った。
「『あなたが喜ぶなら、どんなことでもしたい。あなたの喜ぶ顔を、一番近くで見ていたい』」
お互いの瞬きすら妨げになってしまうから、できるだけ密やかに、ザックスは囁いた。彼の心臓はエアリスと同じように、破裂しそうなほど膨らんで、どくどくと熱い血を送っていた。
「『あなたが、好きです』──ってさ」
浮ついたセリフなら、息を吐くのと同じくらい簡単だ。けれど、心の内側からこみ上げてきて、あふれるほどの感情をもてあまして、それを紡いだはずの言葉は、もどかしいほどに役立たずだ。
エアリスは、呆気に取られた時のように、目を大きく瞠いていた。彼女のそんな顔を見ている内に、ザックスの笑みは緩やかに鳴りを潜めていった。
きっとこのまま、少しだけ体を傾ければ、その柔らかそうな口唇に触れることができるのだろう。そうした時のときめきを想像するだけで、思わずごくりと息を呑む。
エアリスは、怒ってしまうだろうか。怖がらせやしないだろうか。たとえそうなったとしても、触れてみたい欲求がザックスの中で膨らみ始める。
少しだけ、ほんの、ちょっとだけ。もう一人の自分がそう囁いてくるけれど、体が硬直してしまっていて、気安くは動けない。
ザックスは、ゆっくりと口唇を開いた。それを察したエアリスが、沈黙を破った。
「ふぅん」
布擦れの音を立てながら、エアリスは立ち上がった。拍子抜けして、ザックスは思わず、ガクンと肘を折ってしまった。
「それだけ!?」
背を向けてしまったエアリスに、情けないような声で、ザックスは尋ねた。ザックスは、一世一代の大告白をしたつもりでいた。しかも彼は、エアリスの知らないところで、自分の内なる欲求と孤独に果敢に鍔迫り合っていたというのに、彼女から返ってきた反応は、あんまりといえばあんまりなほどの素っ気なさだ。
床に尻をついたまま、ザックスはつれないエアリスの後ろ姿を眺めていた。エアリスが踏む床板が、ギシギシと軋む音を響かせる。
エアリスは、ザックスに背中を向けたまま、大きなため息をついた。それを聞いて、ザックスは眉を寄せた。怒らせてしまったろうか、と、不安を覚えたザックスに、エアリスは言った。
「お花、摘んできてもらっても、種がないと育てられないよ」
ザックスは瞠目し、あ、と、小さな声を漏らした。ぱちぱちと瞬きをするザックスの前で、エアリスのワンピースがひらりと揺れた。
振り返ったエアリスは、ザックスを見下ろして、くすくすと笑みをこぼしていた。それはいつもの、無邪気で可憐な姿だったから、ザックスはなんだか気恥ずかしくなって、頭をかいて苦笑をこぼした。
「種かぁ。探してこないとな」
花の種など、どこに行けば手に入るだろう。ザックスがよく行くアイテムショップには、きっと売っていないのだろう。
ワゴン作りの次は、花の種探しに明け暮れることになりそうだ。ザックスはため息をついた。けれど、決して不服ではなかったし、むしろ彼の胸の中では、期待と興奮がむくむくと膨らみ始めていた。
少し離れた場所で、エアリスは後ろ手を組んで、密やかに息を漏らした。よかった、不審がられてはいないようだ。そう思うと安心して、エアリスの表情は一層柔らかくなった。
心臓が、止まってしまうかと思った。ザックスの口から聞いた言葉は、それがまるで、ザックスのセリフであるかのような気がしたから。
驚きすぎて、未だに激しく弾んでいる胸を押さえて、エアリスは深呼吸した。そうして自分を落ち着かせていると、驚きの薄れたあとにも、ウズウズと居残っている感情に気づく。
エアリスは、自分に問いかけてみた。確かめるまでもなく、答えを自分が知っていた。
きゅ、と、胸元で指を丸めて、エアリスは呟いた。
「でも、欲しいな」
声にすると、言葉になった感情がどんどんと膨らんでいく。ちら、と、振り向いてみると、顔を上げるザックスと目が合った。
気恥ずかしい心地になって、エアリスは、はにかむように首を傾げる。
「ザックスの花束」
誤解を与えないように、エアリスは小さく言い添えた。
花を売ろうというのに、花が欲しいと思うなんて、なんだかおかしなことにも思える。ザックスは、思いを束ねてくれるだろうか。期待と不安に締め付けられて、息苦しさすら感じるほどだ。
花畑の片隅にしゃがみこんでいたザックスが、に、と口隅を持ち上げると、その場に勢い良く寝転がった。そのまま、いつかのように跳ね起きて、見事に着地したかと思うと、晴れやかだったザックスの顔に、にわかに陰りがさしてくる。
「うーん、どうしよっかな~」
腕を組み、顎に手を添え、ザックスの表情は険しくなった。それを見ていると、ドキドキと高鳴る鼓動が、苦い痛みをおびてくる。
エアリスは頼りない心地になって、フラフラと、ザックスへと近づいていった。
「どうしたの?」
「やっぱ、やめとこうかなって」
眉を結んで、ザックスは呟いた。エアリスは、息を詰めた。思わず、『どうして』、『何故』と、問い質したい気持ちを飲み込んで、エアリスは、顎を引いて俯いた。
「そっか……」
「だって、妬けるだろ」
ザックスは、すかさず言った。混乱していたエアリスは、うまくその意味を理解できない。
瞳を瞬かせて見上げてくる表情が、無防備だ、と、ザックスは思った。
そんな顔を、軽々しく見せないで欲しい。そう思う一方で、そんな顔を見られる特権は自分にだけであればいいと、願ってしまう自分もいる。
エアリスを怒らせない程度には、揶揄ってしまいたい。神妙な顔をして、ザックスはエアリスを覗きこんだ。
「俺の花束は、こーんな大きいから、きっと、両手じゃないと持てないだろ? そしたら、エアリスに抱きしめてもらえなくなる」
笑ってはいけない、と、ザックスは必死で自分を抑えこんだ。それでも、口許がだらしなく綻ぶのを止められない。
「『ありがとう! ザックス大好き~!!』って。ギューってして欲しいじゃない。この前みたいに」
ザックスはそう言うと、自分を抱く真似をした。チラ、と片目を開いてみてみると、目を丸くしたエアリスの顔に、ふわりと笑みの花が咲いた。
「やだ」
「あっはは」
エアリスに小突かれて、ザックスは仰け反って、声を上げて笑った。
少女の柔い攻撃を避けることなど、ソルジャーにとっては造作もなかったが、ザックスは、あえてそれを受け流した。腕をぶたれた小さな痛みが、大きな喜びに変わっていく。大いに笑い、ようやく、ふう、と息をついたザックスの傍らで、エアリスは、ひらりとスカートをはためかせた。
「どうしよっかな~~」
ザックスは、歩き出すエアリスを目で追った。数歩先で、エアリスがくすくすと、意味あり気な微笑を浮かべている。
「どうした?」
今度は、どんな風に胸をときめかせてくれるのだろう。期待をこめて尋ねるザックスに、エアリスは応えた。
「すっごく大きくて、すっごく綺麗な花束なんて贈られたら、お礼に、抱きしめてあげちゃう、かも?」
口元に指を添えて、エアリスが考える素振りをする。小首を傾げた少女の言葉は、ザックスは、ときめき以上の興奮にやかましい声を響かせた。
「マジで!?」
「でも、それが目当てだったら、ガッカリ」
両拳を持ち上げ、せっかちにも歓喜したザックスに、エアリスがぴしゃりと言い放つ。そう言われては、立つ瀬がない。くすくすと笑っているエアリスに降参して、ザックスは、思わず苦笑を漏らした。
きっと、エアリスには、どんな小細工も必要ないのだ。溢れてくる感情を、自由に素直に示すだけだ。
好きになってもらうことより、好きでいたいと思うのは、きっと彼女が初めてだった。だからザックスは、今はなにも持っていない自分の手を見下ろして、それを、ぎゅ、と握り締めると、小さな声で呟いた。
「持ってくるよ、おっきな花束」
それでエアリスが喜ぶなら、どんなことでもしたい。エアリスの喜ぶ顔を、一番近くで見ていたい。
「すっごく大きくて、すっごく綺麗な花束。楽しみにしてろよ」
いつか贈る花束に、編みこんで余りあるほどの感情を抱えて、自然と、ザックスは笑っていた。それを見止めたエアリスは、頬が熱くなるのを感じていた。
ザックスのくれる花束は、どんな色で彩られていることだろう。赤、白、ピンク、そのどれであっても構わない。
ザックスがくれる花束なら、きっとどれも、エアリスを喜ばせるに違いなかった。嬉しくて、幸せで、その時こそもしかしたら、ずっと言えなかった『好き』の二文字を、声に出すことができるかもしれない。
「うん」
エアリスには、そう頷くのが、精一杯だった。胸が詰まって息苦しい。でも、決して不快ではない。
弾む胸に手を添えたまま、エアリスは、ちらりとザックスの様子を窺った。
「でも、その前に……」
顔が赤いのを気にしていたから、泳いでしまったエアリスの視線が、ザックスに遠慮がちに絡みついてくる。ザックスは、ああ、と、頷いた。
自惚れを許して貰えれば、今、エアリスが何を考えているのかは、ザックスにはわかっていた。『今』だけではない。恋をすることを怖がる気持ちも、それでも惹かれてしまうジレンマも、ザックスとエアリスは、同じ物を共有していた。
「花売りワゴン、作っちゃおうな」
出逢いは唐突だったけれど、好きになるのに時間はあまり関係なくて、ただ一度、気になってしまえば、もはや心はとめどない。けれど不安もつきものだから、ザックスは急がなかったし、焦ってもいなかった。
「よーし、頑張るぞー!」
大きな声を挙げて、ザックスはその場で大きく伸びをした。そうして、今一度ワゴン造りに励む青年を、エアリスが笑顔で見守っている。
今まさに、こんなにも惑わされてしまっているものだから、きっとこの感情は色褪せないのだろうと、二人はそう思っていた。揺らぐことなどないし、消えることもないのだと、明日も明後日も、惑わされたままなのだろうと、二人はそう感じていた。
いつしか会うことがなくなって、声を交わすこともできなくなって、繋いだ約束だけが、未消化のまま取り残される。終わりのなかった恋だから、思い出にすらできなくて、色褪せない感情がかえって自分を苦しめる。
そうとは知らずに、今はまだ、二人は静かな時の中にいた。芳しい香りを振りまく花達は、エアリスの足許で、誰かの花束になる日を夢見ながら、大きな花弁を広げていた。