ロマンスと呼ぶにはほど遠い

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 セフィロスの名前は、聞いたことがあった。戦争を終わらせた神羅の英雄、強い、とても強い、ソルジャーの代表格。
 だけど、あるニュースを切欠に、彼の名前は表舞台から姿を消した。英雄が死んだと聞いて周りはみんな驚いていたし、一時期は色んな憶測が飛び交った。
 神羅は、セフィロスの死についてなにも語らなかった。その内彼の話題は自然と少なくなっていき、最近では、その名を口にする人もいなくなった。
 一度だけ、『彼』から、セフィロスのことを聞いたことがある。セフィロスに関する情報は機密事項なんだ、と言われていたから、あまり詳しくは聞いていないけれど。
 聞いた話も、態度がデカい、とか、すぐ他人に仕事を押し付けるんだ、とか、あまり『英雄』らしいエピソードではなかった。だけど、彼の話はただ彼が話しているというだけで楽しくて、わたしはころころと笑ってしまった。
 それを見て、彼は面白がって、色んな話をしてくれた。わたしが知らない、外の世界のこと。
 朝焼けの空がどれだけ美しいのか、夕方の海がどんなに眩いのか。咲き誇る花の芳しさ、草を踏む柔らかさ、心地よさについて。
 ある日彼は、ミッションに出かけていった。そしていつの間にか、連絡がとれなくなった。
 帰ってきているのだろうか。どこへ行ってしまったのか。大丈夫、会いに来ると言っていた。ここで待っていれば、またいずれここに来て、色んな話を聞かせてくれるはずだった。
 死んだなんて信じない。ちゃんと約束したんだもの。だからわたしは、信じて待った。彼が、帰ってくることを。
 待って、待って、待って、待って──、やがて、待ちくたびれてしまった。いつまで、どれだけ待てばいいのか。それでも待って、待って、待って。
 風を感じたのは、そんな時。柔らかな風が彼を連れてきて、そして、連れて行ってしまった。
 微かにあった彼の気配が、星から消えてなくなった。わたしだけが、それに気づいた。気づかないでいられれば、よかったのに。
 にちゃにちゃとした泥の感触がなくなって、ゴツゴツした岩が存在感を示している。靴の裏にこびりついた泥は十分落としたつもりだけれど、まだなにか違和感が残っているような気がする。
 レッドⅩⅢは、不機嫌そうにしていた。彼のしなやかな脚は泥で汚れてしまって、それが不快で仕方がないらしい。
 さっきまではぶつくさと文句を言っていたけれど、今はもう、黙りこくってしまった。あんなものを見たのだから、仕方がない。
 血腥い匂いが、まだ鼻の奥にこびりついている気がする。見上げすぎて首が痛くなったから、自然と視線が落ちてしまう。
 あんなに残酷なものを、わたしは今まで、見たことがなかった。思い出しただけで、嗚咽が零れそうになる。
「ぬかるんでるぞ、気をつけろ」
 クラウドの声に、わたしはハッとして、顔を上げた。湿地帯は通り過ぎたけれど、洞窟の中は入り組んでいて、足元がよく見えない。
「ありがとう、クラウド」
 先頭を行くクラウドが、わたしたちの道を確保してくれている。声をかけてくれて助かった。なんだか暗くて重い感情に、押し潰されてしまいそうだったから。
 体中を切り裂かれ、串刺しにされたミドガルズオルム──、あんなことをしちゃう人が、わたしたちの敵。
 セフィロス、一体どんな人なの? 死んだはずの英雄、セフィロス──。彼の抱く、神羅に対しての異常なまでの憎しみに侵食されて、脚が止まってしまいそう。
 セフィロスが生きているということは、もしかしたら、あの人も──。そんなこと、考えちゃダメ。
 あの人はもう、帰ってこない。星に還ってしまったから。納得したはずなのに、諦めたはずなのに、余計な期待を抱いてしまうのは、きっと、あなたに出逢ったから。
「きゃあ!?」
 ずるりと脚が滑って、尻もちをついてしまった。硬い地面に腰を打ちつけてしまって、鈍い痛みが体中を駆け抜ける。
「いたたた…」
「大丈夫か?」
 せっかくのワンピースが汚れてしまった。眉を寄せるわたしの顔に、レッドⅩⅢが鼻先を近づけてきた。
「なにやってるんだ…」
 先を行っていたクラウドが、騒ぎに気づいて戻ってきた。未だ痛む腰を摩りながら、わたしは苦笑を洩らした。
「ごめんなさい、ちょっと転んじゃって」
「気をつけろって言っただろ」
 ため息混じりにそう言われて、なんだか少し、ムッとした。なにも、そんな言い方しなくたっていいじゃない。
「立てるか?」
 わたしが不機嫌になったことに、クラウドは気がついたのかもしれない。眉を寄せ、わたしの様子を窺うように覗きこんでくる。
「大丈夫。ちょっと待っ……痛──!?」
 ロッドを杖にして起き上がろうとすると、右足に激痛が走った。またそのまま、お尻が落っこちてしまう。
 靴の上から触ったのに、くるぶしが激しく痛む。みんなに心配をかけるから、乾いた笑いを浮かべるしかない。
「足、ひねっちゃったみたい」
 クラウドは、呆れたようにため息を洩らした。それを見て、わたしの胸に重たいものがじわじわと広がっていった。
「夕暮れが近い。ここらで休憩してはどうだ?」
 顔を上げて、レッドⅩⅢが言った。気を遣わせてしまった。わたしは、慌てて断ろうとした。
「ここはモンスターが多い。さっさと抜けてしまった方がいい」
 わたしより先に、クラウドが答えた。
 クラウドの言い分はもっともだった。この辺りにはミッドガルでは見たこともなかったようなモンスターがうろついていて、しかも、それらはみんな不気味な格好をしている。こんなジメジメしたところは早く出て、お日様の下に戻りたい。
 空を見るのを怖がっていたわたしが、こんなことを思うのが少し不思議だった。
「そうだね。大丈夫、ケアルで治すから」
「私が休憩したいんだ」
 無理をして立ち上がろうとしたわたしの発言に被せるように、レッドⅩⅢが言った。わたしは目をぱちりと瞬かせて、レッドⅩⅢを凝視してしまった。
「どうかね、リーダー?」
 初めて会ったときはすごく怖かったけれど、レッドⅩⅢはとても、優しい人だ。人、という言葉が正しいのかどうかはわからないけれど。
 ぬめぬめした泥道を歩き続けて、ミドガルズオルムに追い回されて、きっと彼も疲れていたのだろう。それだけじゃない。彼がわたしのことを気遣ってくれていることが、低く響く声音から柔らかく伝わってきた。
「テントを張れる場所を探してくる。ここで待っていてくれ」
 ため息をひとつ零して、クラウドが踵を返す。左右を塞ぐ岩壁を確かめるように触れながら、クラウドは歩き出した。
 その背中に向かって、ごめんなさい、と、言おうと思った。急がなければならないのに、わたしのせいで迷惑をかけてしまった。
「起き上がれるかい、お嬢さん?」
 こちらを向いて、レッドⅩⅢが尋ねる。足はジンジンと痛んだけれど、これ以上心配をかけてはダメ。
「平気よ。ありがと、レッドⅩⅢ」
 意識的に微笑むと、彼は照れたように視線を逸らした。本当に照れているのかはわからない。でも、わたしはそう感じた。
 ロッドを地面について、わたしは、ゆっくりと立ち上がった。右足が痛むから、左足に重心をかけて。
 バランスが悪いから、壁に手をついてみる。やっぱり、右足はつま先を土につけただけでもビリビリとした痛みが走る。
「歩けるか?」
「うーん…、無理、かも?」
 言おうかどうしようか迷ったけれど、虚勢を張ってもいられなかった。背中に、額に、汗が滲んでくる。
「私の背中に乗るといい」
「え? いいの?」
 思いもよらない申し出に、わたしは目を丸くした。炎の点った尻尾をピンと立たせて、レッドⅩⅢはわたしの方に歩み寄ってきた。
「人間のメスを運ぶくらい、どうということはない」
 彼の尻尾は、地面と平行に伸びきっていた。わたしが間違って火傷を負わないように、配慮してくれている。
 どこかの元ソルジャーとは大違いね。そう思うと、胸が暖かく綻んだ。
「ありがと」
 今度は、自然と笑みがあふれてきた。ほっぺたがくすぐったくなって、痛みも少し薄れた気がする。
 そっと膝を曲げると、腰がレッドⅩⅢのしなやかな背中に触れる。そのまま彼が体をすり寄せてきて、わたしの足は宙に浮いた。
「暴れないでくれよ、お嬢さん」
 わたしを乗せて、得意気に彼は言った。アカハナをツンと持ち上げて、笑っているようにも見える。
 レッドⅩⅢの背中は柔らかな毛で覆われていて、わたしは感謝を示す為に、それをゆっくりと撫でてみた。そういえば、レッドⅩⅢにこうして触れるのは初めてだ。
 そうしている内に、場所を探しに行ったクラウドが帰ってくる。クラウドは、びっくりした顔をしていた。わたしがレッドⅩⅢに乗るのも、レッドⅩⅢが人を乗せるのも、出逢ってから初めてだったから。
「…向こうに、少し広い場所がある」
 驚きを誤魔化すようにして、クラウドが言った。踵を返したクラウドは、眉を険しく結んでいた。
「行こう」
 クラウドが歩き出して、レッドⅩⅢがそれに続く。わたしは落ちないように、レッドⅩⅢにしっかりと捕まっていた。
 足元で、びちゃ、と泥の跳ねる音がする。レッドⅩⅢのお蔭で体は楽だったけれど、わたしは、右足からじわじわと広がる熱を感じていた。


   ■   ■   ■


 テントは、クラウドが一人で張ってくれた。旅は始まったばかりだったけれど、テントを張るクラウドの手つきは慣れたものだ。
 元ソルジャーというだけあって、彼は強いし、いろんなことを知っている。クールすぎて、愛想が悪いのが玉に瑕だけれど。
 腰を下ろして、腫れ上がった右足の様子を窺ってみる。やっぱりまだ、触れるだけでも随分痛い。
 クラウドが、谷間から水を汲んできてくれた。それで濡らしたタオルを撒いて患部を冷やしていると、外にいたクラウドがテントの中に戻ってきた。
「ダメだな。やっぱり通じない」
 PHSの電波は、どうにも繋がらないらしい。周りには岩壁が聳えているから、当たり前と言えば当たり前だ。
「ここを抜ければ、連絡もつくだろう」
 レッドⅩⅢの言葉に、クラウドは頷いた。本当は、わたしたちがここにいるのだと伝えておきたかったけれど。
 ティファは、湿地帯を抜けただろうか。ティファとバレットは長い付き合いのようだから、喧嘩なんてしていないだろうけど。
 心配させてしまったかしら。わたしは、無意識にため息を洩らしていた。
「俺は外を見張っておく。二人は休んでてくれ」
「後で代わろう」
「そうだな、頼む」
 レッドⅩⅢと目配せをして、クラウドは頷いた。二人ばかりに負担をかけていられない。わたしも、みんなの役に立たないと。
「じゃあ、わたしも」
「あんたはダメだ」
「動けないなら、無理はするな。どうせ戦えないんだから」
 クラウドの言葉は刺々しくて、わたしの胸を劈いた。わたしは、ほっぺたがどんどん縮んでいくのを感じた。
「大人しくして、さっさと治してくれ」
 テントの幕を開いて、クラウドは言った。そのまま向こう側へ言ってしまうクラウドに、わたしは、かける言葉が見つからなかった。
 だんだん、胸がムカムカしてくる。苛立ちがこみ上げてきて、それを隠していられない。
「なによ、あんな言い方しなくたっていいじゃない」
 言い放つと、少しだけスッキリした。膝を抱えてイライラを感じていると、段々、心細い気持ちになる。俯いたわたしの隣で、くすりと、空気の震える音がした。
「…なにか、おかしい?」
 レッドⅩⅢは、やはりテントを燃やさないように、尻尾を器用に巻きこんでいた。レッドⅩⅢの片目が緩んで、覗く瞳がわたしを横目に見つめてくる。
「人間のメスは、注文が多いな」
 そう言われると、なんだか恥ずかしくなってきた。わたし、まるで子供みたい。膝を抱いたままその上に顎を乗せて、わたしは、ふう、と深く息をついた。
「あなたは優しいのにね」
 神羅ビルで出逢ったレッドⅩⅢは、とても不思議な人だった。ミッドガルでは、モンスターが出たら大騒ぎだったけれど、モンスター以外に、言葉の通じる人間以外の種族がいるとは思わなかった。
「ずっと、一緒にいてくれたらいいのに」
 強くて、頼り甲斐があって。色々気も遣ってくれる。初めての旅も、仲間がいるから乗り越えられるような気がした。
「あいにくだが、私は故郷に帰りたいだけだ。故郷に着いたら、君たちとはサヨナラだな」
 レッドⅩⅢは優しいから、ああ言えば応えてくれると思っていた。期待していた返答の逆をいかれて、落胆は隠せない。
 そう、と呟いたわたしの心は、どんどんと冷えていった。足は、相変わらず熱いままだったけれど。
 知らない土地で、初めての旅に出て、仲間を頼るしかないのに、わたしは心細くなった。うまく笑えないわたしの方へ、レッドⅩⅢが一歩踏み出してきた。
「これは、じっちゃ……人に聞いた話なんだが」
 ひとつ咳払いをして、レッドⅩⅢは言った。彼がすぐとなりに腰掛けたから、わたしの右腕が暖かくなった。
 なんのお話かしら。人と違うレッドⅩⅢの話が、わたしの興味を擽った。
「人を見てくれや、態度だけで判断するのは良くないことだ」
 レッドⅩⅢの毛並みは柔らかで、触るととても気持ちがいい。ジメジメした場所に感じた、不快さが薄れていく。
「一見怖そうだったのに、実は優しい人もいれば…」
「あなたみたいに?」
 わたしが口を挟むと、レッドⅩⅢは声を詰めて、照れ臭そうに視線を背けた。大人びた風を匂わせているけれど、こうして隣にいる彼は、なんだか幼く感じられる。
「普段は大口を叩いていたくせに、いざとなったら負け犬のように逃げ出していくような輩もいる」
 誰のことを言っているのかしら。そっと様子を窺うと、レッドⅩⅢはどこか遠くを向いて、そこを鋭い瞳で睨みつけていた。
 それを茶化すのは、申し訳ないことだと感じた。きっと、すごく大切で、大変なことがあったのね。足に負担を与えないようにそっと右側に体重をかけると、レッドⅩⅢの柔らかさを斜めになった肩に感じた。
「いつもは素っ気ない彼が、どんな人間なのか、あんたは気づいてるんじゃないか?」
 レッドⅩⅢのたてがみが、ふわりと空気を震わせる。その柔らかな振動を感じて、頬がくすぐったくなった。
 右足に巻いたタオルから、じわじわと冷たさが足へと染みこんでくる。それを差し伸べてくれたクラウドの表情を思い出すと、くすぐったさが胸の内側まで浸透してきた。
「そうね、多分、わかると思う」
 それは思わず、頬が綻ぶほど。テントの内側に、くすりと洩らすわたしの吐息が緩く広がる。
 みんなに比べればわたしは断然初心者で、素人で、非常識だ。お荷物だという自覚はある。それでもみんな、わたしを邪険に扱わない。
 バレットも、ティファも、レッドⅩⅢも、そしてやっぱり、クラウドも。タオルに置いた掌に、伝わる冷たささえ嬉しいと思えるほど。
「少し、寝たほうがいい」
 わたしの隣で体を伏せると、レッドⅩⅢがそう呟いた。テントを燃やさないように、尻尾の先は持ち上げたまま。
「うん。おやすみなさい、レッドⅩⅢ」
 足を痛めたわたしは、寝袋を敷いて、その上に体を倒した。ブランケットを上にかけて、軽く体を折り曲げる。
 身を縮めるのは、胸に感じる暖かさを逃したくなかったから。心地の良いものを抱きしめていれば、痛みも忘れて安らかに眠れる気がしたからだ。
 わたしが横になったのを確かめて、レッドⅩⅢはそっと目を閉じた。彼の呼吸に耳を傾けていると、わたしはいつの間にか、眠りの中に吸いこまれていった。


   ■   ■   ■


 つま先に寒さを感じて、わたしは、ふと体を震わせた。ぼやけていた意識が、段々と晴れていく。自然とそっと瞼が開いて、わたしは、ぼうっとレッドⅩⅢの横顔を見つめていた。
 ふわふわとした毛並みが、心地よさそうだと思った。そう思った自分は起きているのだと自覚して、わたしは、ぱちぱちと瞬きをした。
 テントの中で、チラチラと明かりが揺れている。レッドⅩⅢの尻尾が燃えているから、その優しい光が心細さを消してくれる。
 音を立てないように、静かに体を起こしてみた。寝起きだったから、まだ頭がぼうっとしている。
 足はまだ痛んだけれど、ケアルをかけて負担を感じないくらいには、回復していることに気づいた。膝を曲げて、足首を引き寄せる。痛みに眉を寄せながら、足首にバンクルを嵌めた手をそっと翳した。
 静かに、短く詠唱すると、マテリアがやらかく光る。薄緑色の光がわたしの足へと伝わって、優しい温かさに包まれた後、違和感が消えていった。
 ゆっくり目を開けてみると、もう乾いてしまったタオルの下で、足の腫れが引いている。ほっと胸を撫で下ろすと、寒さを感じて、背中をぞくりと震わせた。
「んー……ッ」
 両腕を抱くようにして、体で騒ぐ悪寒を耐える。タオルを広げて乾き具合を確かめると、まだ少しひんやりしている。
 音を出さないようにそれを広げて、乾かそうと立ち上がった。ブランケットがはらりと落ちて、温かったわたしの肢は涼しさに触れ、ぞわついた。
 ちょうどいい具合に、ロッドが立てかけてあった。そこにタオルをかけておけば、朝までには乾くだろう。
 足元では、レッドⅩⅢが相変わらず安らかな寝息を立てている。腰を曲げて、ブランケットに手を伸ばしたわたしは、幕の外側に揺れるクラウドの影を見つけた。
 きっと、もうとっくに日付は変わっている。外で焚いた炎によって、クラウドの影がゆらゆら動く。
 ブランケットを肩にかけると、靴につま先を嵌めこんだ。そのまま、音をたてないように注意して、幕にそっと手をかけた。
「起きたのか?」
 気配に気づいて、クラウドが振り返った。背中には、大きな剣を抱えたまま。
 幕の合間からは、ひんやりとした風が吹き込んでくる。わたしはそのまま外に出て、クラウドの方へゆっくりと歩いて行った。
「ちょっと、一緒にいてもいい?」
 涼しい空気が、肌に触れる。胸元でブランケットを留めたまま尋ねると、クラウドは少し悩んで、座っていた場所から右にずれた。
 テントセットの中にある、折りたたみのチェアをわたしに提供する。ありがとう、と言って腰を下ろすと、パイプの間に張られた布から、クラウドの温もりが伝わってきた。
「ずっと、見張っててくれたの?」
 焚き火は、パチパチと音を立てている。そこに小枝をくべながら、クラウドが答える。
「レッドⅩⅢも、疲れてたみたいだからな」
 クラウドだって、疲れてるのに。いつもそう。クラウドは、仲間をわざわざ起こさない。
 リーダーだから、なのだろう。面倒がっているように見えて、十分以上に責任感を感じているのだ。
「足、大丈夫なのか?」
 隣に腰掛けたわたしへと、クラウドが遠慮がちな視線を寄越す。腫れの引いた右足を、す、と撫でて、わたしは答えた。
「うん。ケアルかけたら、治っちゃった」
 わたしは、みんなの回復役。攻撃力が少ない分、色んな魔法で支援するのがわたしの役目。
 ケアルのマテリアを預けて貰ったのは、みんなからわたしへの信頼のように感じられる。そうか、と、小さく頷いて、焚き火に目を向けるクラウドの横顔を見ていると、わたしの口唇から、するりと謝罪の言葉がこぼれだした。
「ごめんね、クラウド」
 回復役のわたしが、怪我しちゃダメ、だよね。心配もさせただろうし、気も遣わせてしまった。素っ気ない彼の言動も、レッドⅩⅢと話をした今では、すべて優しさの裏返しのように感じられた。
「…あんまり、怪我はしないでくれ」
 難しそうな顔をして、クラウドが呟く。右手に持った小枝をくべずに握りしめたまま。
「俺は、あんたの母親に怒られたくない」
 その言葉を、嫌味だとは感じなかった。ため息をついたクラウドが、焚き火に向かって小枝を投げる。わたしの視線も焚き火に向かって、チラチラと揺れる炎を眺めていると、ろくに別れも告げられなかったスラムのお母さんを思い出した。
「お母さん、なにか言ってた?」
 無事に助けてもらったこと、クラウドと旅に出たこと。できれば面と向かって、ちゃんと報告したかった。
「いいや、だが…」
 心配させてしまっただろう。悲しい思いもさせたと思う。ツンと締めつけられたわたしの胸に、クラウドの言葉は柔らかく染みこんだ。
「あんたに似て、あんたの母親は気が強そうだ」
 目をぱちりと瞬かせて、わたしはクラウドを凝視する。クラウドは得意気に頬を緩めて、わたしの反応を窺っていた。
 ああ、よかった。二人でいても、さっきまでのピリピリした空気は感じられない。それどころか、クラウドと一緒にいて、こんな和やかに話ができて、なんだか少し、嬉しくなる。
「お母さんがわたしに似たんじゃなくて、わたしがお母さんに似てるのよ」
 本当のお母さんではないけれど、お母さんと似ていると言われると、わたしはとても嬉しくなった。流した髪を耳にかけて、わたしの口唇は綻んでいた。
「…巻き込んだの、悪いと思ってる」
 ブランケットの内側で、わたしは腕を擦っていた。急にクラウドが神妙な声を出したから、わたしは驚いて、クラウドへと顔を向けた。
「だから、できるだけ危険な真似はさせたくない」
 そういえばクラウドは、最初からそうだった。『女の手を借りるだなんて』とわたしの同行を渋っていたし、知りたいことがある、と言って無理やり参加したわたしを、戦闘になるとモンスターの攻撃からかばってくれた。
 クラウドは、わたしを邪険に扱っていたんじゃない。鬱陶しく思っていたわけでもない。わたしに負い目を感じて、精一杯配慮してくれていたのだ。
「そんなこと、気にしてたの?」
 もしかしたら、わたしが勝手に怪我をしたのに、必要以上に責任を感じていたのかも──。リーダーとしての責任以上に、わたしを背負っていたのかも。
「わたし、自分の意思でここにいるんだもの。クラウドが気にしなくて、いい」
 クラウドをじっと見つめていたから、わたしには、クラウドの眉毛がぴくりと動いたのがわかった。大きな剣を背中に背負って、いつもわたしたちの先頭を行くクラウド。いつもはすごく強く、大きく思える彼なのに、なんだか、可愛く感じられた。
 そんなことを言ったら、クラウドは怒ってしまうだろうけど。
「セフィロスのこと、気になるし、神羅が約束の地を探してるなら、古代種のわたし、関係なくなんてない」
 クラウドを安心させようとしたけれど、口にした言葉に、わたしはハッとした。
 バトル、バトルの連続で、あまり気にしないようにしていたけれど、こんなに涼しくて、爽やかな夜だから、胸にしまった不安のようなものが広がってしまいそうになる。
「…けど、よくわからない」
 わたしには知らないことが多すぎて、考えることが多すぎる。切欠もつかめないから、考えはふわふわフラフラ、とっちらかってしまうのだ。
「だから、みんなが一緒にいるの、すごく安心するの」
 きゅ、と膝を抱えこむと、体が縮んで、自分がここにいることを実感できる。右半身にクラウドの気配を感じていることも、わたしを安心させてくれた。
「一人で考えるの、こわいから」
 本当は、考えなきゃいけないことはわかってる。わたしは、古代種なんだもの。お母さんに、本当のお母さんに託されたんだもの。
 だけど、どうすればいいのかわからない。風の吹き抜ける岩の谷間に、チリチリと燃え上がる火の粉の行く先を見上げながら、わたしは、ふぅ、とため息を洩らした。
「…そんなこと考えてるから、転ぶんじゃないか?」
 クラウドが、ぼやくように呟いた。確かに、転んだ瞬間は、色んなことを考えていた。それは悪いと思うけれど、だからって、今言わなくてもいいじゃない。
「もう! どうしてそんなこと言うのかなぁ」
 優しい言葉はくれなくても、わざわざ気を逆撫ですることなんて、言わないで欲しいのに。でも、クラウドが申し訳なさそうに眉を寄せたから、わたしは思わず笑みを零した。
「でも、そうね。ありがと、クラウド」
 ごめんね、の代わりに、わたしは感謝を口にした。それは、極々自然の事だった。
 クラウドはきっと、『考えこまなくていい』のだと、励まそうとしてくれたのだ。クラウドと出逢ってからまだ日は浅いけれど、ようやく、ほんの少しだけ、クラウドの言葉がわかるようになってきた。
 遠くのほうで、星がきらきらと瞬くのが見えた。岩と岩の間から吹き抜けてきた風が、わたしの首筋を、すうっと撫でていく。
 背中が自然とぶるりと震えて、わたしは体を縮こめた。ブランケットを被っていてもこうなのだ。わたしは、隣で腕を出しているクラウドの様子が気になった。
「寒くない?」
 わたしが尋ねると、クラウドは、すい、と顎を傾けて、こちらを向いた。膝を抱え、肘を掴んで、素っ気ない口ぶりでわたしに答える。
「別に」
 見ているだけで寒いのだ。きっと実際、寒いと感じているはずだ。
 モンスターを避けるために、焚き火は焚いているけれど、確かに顔は温かいけど、背中の方はそうはいかない。
 胸元でブランケットを掴んだまま、私は、す、と指を伸ばした。クラウドの腕に触れると、クラウドは驚いたように瞬きをする。
「ひんやりしてる」
 人差し指の先から、冷たい感触が伝わってくる。クラウドは、冷えきってしまっている。ずっと外にいたのだから、当たり前だ。
「一緒に、入る?」
 よっこいしょ、と椅子をずらして、私はクラウドに近づいた。クラウドは逃げなかったけれど、眉を寄せてわたしを見つめた。
 ブランケットを広げて、クラウドの背中に伸ばす。それを受け取ってくれれば、窮屈だけど、二人は入る。
 だけどクラウドは、眉を寄せたまま首を振った。
「遠慮しておく」
 意地、張らなくてもいいのに。広げていると寒いから、再び胸にブランケットを巻き込んだ。
 そういえば、あの人もクラウドと同じ格好をしていた。巻いた襟元からは喉仏が垣間見えて、肩から伸びる腕には逞しい筋肉がついていた。
 わたしは体を傾けて、クラウドに寄り掛かってみた。クラウドの肩はびっくりしたようにぴくりと跳ねて、だけど、わたしを跳ね除けなかった。
 わたしは、そっと目を閉じてみた。こうしていると、あの人と一緒にいるみたい。
 ブランケット越しに、クラウドの精悍な腕の感触。そのまま、肩を抱いてくれても構わない。きっとあの人なら、そうしただろうと思った。
「もしかして、ドキドキしちゃう?」
 目を閉じたまま尋ねるわたしの、口許は笑っていた。ドキドキしてるのは、実はわたしの方だった。
「どうして?」
 装っているのか、本当になんとも思っていないのか。クラウドの声は淡々としていて、目を閉じたわたしには、クラウドの気持ちはわからない。
「こんな静かで素敵な夜、女の子と一緒だと、男の子なら、ドキドキするんじゃないかなって」
 昔のわたしなら、こんな大胆な振る舞いは考えられなかった。男の人に触れるのも、恥ずかしかったもの。
 あの人としたかったこと、出来なかったこと。それを今、確かめている。
 たくさんの『ごめんね』を唱えながら、あの人ならどうしたろうと考えている。
 向こうから、抱き寄せてくれたかしら。わたしからこうしたら、ドキドキするからやめろと、言われたかもしれない。
 あの人の掌、わたしの肩に、感じたかった。そんなことを考えてしまうのは、クラウドに、あの人の面影を感じてしまうからだろうか。
「興味ないね」
 クラウドの言葉が、わたしの空想を引き裂いた。そっと睫毛をほどいてみると、クラウドは睨むように焚き火を見つめて、続けて言った。
「いつモンスターが出てくるかわからないのに、そんなこと考えてる場合じゃない」
 わたしの中に、身勝手な寂しさが広がっていった。クラウドといると、いつもこう。
 わたしは勝手に期待して、そうしていつも打ちひしがれる。単なる我儘だとわかっている。だから、これは単なる八つ当たり。
「あ、そ」
 顔を見られないように、わたしは立ち上がった。こんな顔、クラウドには見せられないもの。
 クラウドはクラウドなのに、十分とても、優しいのに。もっとわかりやすい優しさを、明るさを求めてしまう。
 あの人と同じところを見つけると複雑で、でも、違うところを見つけるとそれはそれで悲しくて。
 だけど、少し嬉しいの。やっぱりクラウドは、あの人とは違う。あの人はあの人なのだと、クラウドとは違う人なのだと、実感できるから。
「これ、使っていいよ」
 テントに戻ろうとして、わたしはふと、足を留めた。被っていたブランケットを広げて、背中からクラウドの肩に乗せる。
 わたしの温もりが残っているから、少しは、役に立つだろう。空気に触れる二の腕に涼しさを感じて、わたしは少し、身震いをした。
「さっさと寝てくれ」
 わたしに背を向けたまま、クラウドはブランケットが落ちないように胸で留める。背負った剣ごとブランケットを被り直して、こちらを向かないクラウドの、表情はわからない。
「おやすみ、クラウド」
 素っ気ない口ぶりで、どんな顔をしているだろう。なんだか恥ずかしくなって、わたしはテントの幕を開いた。
 中に入ると、寝ていたはずのレッドⅩⅢが、ゆっくりとこちらへ振り向いた。どきりと胸が高鳴って、わたしは思わず足を止めた。
「……話は、できたのか?」
 ヒソヒソ声で、レッドⅩⅢは尋ねた。いつから起きていたのかしら。気になったけど、聞くのはやめておいた。
「うん。ありがと」
 身を屈めて、わたしは寝袋をまさぐった。隙間を見つけると、そこに体をゴソゴソ入れる。
 わたしが寝る体勢を見つけた頃、レッドⅩⅢが起きだして、外へと向かおうとする。振り返りざま、彼は小さく呟いた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 鼻先まで寝袋に浸かりながら、わたしは言った。自分の息が頬にかかって、冷えた寝袋が温まっていく。
 レッドⅩⅢが出て行ってしまって、わたしはようやく、恥ずかしさを態度に出すことができた。寝袋の中で丸まって、きゃあきゃあ言いたい気持ちを抑える。
 外で、小さな話し声が聞こえた。なにを言っているのかまではわからない。
 きっと、わたしたちの会話も聞かれていなかっただろう。そう思うと安心して、ため息がまた寝袋を暖めていく。
 その声を聞いていると、なんだか心が落ち着く気がした。冷たさが温かさに変わっていくのを感じていると、意識がだんだん遠くなっていく。
 柔らかでない土の上で、ベッドでもない場所に寝転がって、お母さんの子守唄を聞いているような錯覚に包まれていく。夜番を交代したクラウドが中に入ってくるより先に、私は、穏やかな眠りに溶けこんでいった。


   ■   ■   ■


 まずは、この岩山を超えて、ティファたちに連絡をとらなくては。翌朝、目覚めた私たちはカームで仕入れた食料で軽い朝食を済ませ、早々に旅を再開した。
 起き抜けのモンスターに遭遇したけれど、しっかり休んだわたしたちはバトルを順調にこなしていった。わたしも、回復した魔法でクラウドたちを援護した。
「あっちだな」
 山道は入り組んでいたけれど、クラウドが先導してくれるから、途中の洞窟もそんなに苦ではなかった。そういえば、いつのまにか不幸なミドガルズオルムのことは気にならなくなっていた。
「これ、道なの?」
 ミッドガルの整備された道とは違って、山道は旅人に優しくない。切り出した岩壁を下るため、ロープを伝い降りなければならないこともある。
 一足先に、レッドⅩⅢが岩壁を飛び降りた。クラウドがそれに続いてロープを降り、わたしは、覚悟を決められずに下の様子を窺った。
「気をつけろ。大丈夫だ、俺が受け止めてやる」
 ロープの下の方で、クラウドが腕を伸ばしていた。先に行かないと、ティファたちと合流できない。わたしはゴクリと息を飲んで、ようやく、観念した。
「ちゃんと、受け止めてね」
 ロッドを背負って、しっかり止めて、両手でロープを握りしめた。岩壁を足で確かめながら、ゆっくり、ゆっくり降りていく。
 岩はゴツゴツしていたから、足場としては十分だった。だけど気をつけていないと、本当に落ちてしまいそう。
 クラウドのようにスムーズにはいかないけれど、ゆっくり、ゆっくり下へと降りていく。ようやく中程まで行ったところで、片足がガクリと岩から落ちた。
「きゃ!?」
「大丈夫だ、そのまま、ゆっくり」
 下にいるクラウドが近づいてきている。バランスは崩れたけれど、まだ片足が残っている。
 なんとか体勢を立てなおして、わたしは、そのまま降りていった。もうちょっと、あとちょっと、というところで、ぐい、と、クラウドに抱き寄せられた。
「なんとかなったな」
 思わず、声を上げそうになった。だけど、クラウドがホッとため息を洩らしたから、わたしはクラウドに抱き上げられたまま、すっかり脱力してしまった。
「はぁ~、怖かったー」
 クラウドの肩に手をついたまま呟くと、怖すぎて、妙に気分が上がっていることに気がついた。わたしを抱いたまま向きを変えると、クラウドは土の上に、そっとわたしを下ろしてくれた。
「ありがと、クラウド」
 そうしてようやく、わたしは近すぎる二人の距離に気がついた。男の人にこんなにしっかり抱き締められると思わなかった。
 スリリングなドキドキに、別の意味が増えていく。胸がざわめき、苦しくなって、なのにそれが嬉しくて──。
 わたしは暫く、クラウドを凝視してしまった。そうしていると、クラウドはバツが悪そうに、す、と顔を背けてしまう。
「あんた、意外と重いんだな」
 わたしは、面食らってしまった。冷や汗をかいた顔が、カッと熱くなるのを感じた。
 なんですって? レディに向かって、その口の利き方はないんじゃない?
 頬を膨らませて、両手を腰について。こっちを向かないクラウドの憎まれ口に、悪戯心が湧いてきた。
「クラウドって、意外と小さいのね」
 クラウドが目を剥くのが、面白かった。何かを言おうとして、もごもごと口を閉じるのも。
 クラウドはそっぽを向いて、不機嫌そうに剣を直した。その横顔を見ていると、くすくすと笑みが零れるのを抑えられない。
 なんだかとても、愉快な気持ち。心がくすぐったくなって、抱き上げられた時のようにふわふわと軽くなる。
 ドキドキとしたときめきは、ロマンスと呼ぶにはほど遠い。それならなんと、呼べばいいの?
「行こうか、お二人さん」
 炎の点った尻尾を揺らして、レッドⅩⅢが声をかける。はぁい、と声を出していち早く歩き出すと、不服そうな顔をしながら、クラウドがそれに続く。
 こんな旅なら、楽しく続けられそう。なにが待ち受けていたとしても、きっと、後悔はしないわ。
 わたしは、知りたくなっていた。自分のこと、セトラのこと、この星、この世界のこと。
 クラウドとあの人はどう違うのか、あの人は、クラウドとどう違うのか。
 毎日が発見の連続で、驚きとの遭遇だ。予想もつかない、想定外の出来事が、わたしたちを待ち受けている。
 そう。先へ続く細い道を通り抜けた先で、顔見知りに出逢うだなんて、この時まだ、わたしはまったく考えていなかった。

【 END 】