- NOVEL
- Final Fantasy 7
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きっと誰よりも私のために
重い瞼がようやく開いても、しばらくの間シスネはなにも考えることができなかった。丸太が並んでできた小屋の天井を眺めながら、柔らかい朝日に照らされゆらゆらと埃が舞うのを視線だけで追いかけていた。
部屋の奥からコトコトと音がして、いつの間にかそれがピィピィと鳴くようなそれに変わっていく。やがて部屋が静かになって、誰かがポットの火を止めたのだと気がついて、シスネはゆっくり息を吐き出ししっかりと瞬きをした。
胸の上で毛布がふんわり上下する。起き上がろうとすると、驚くほどの体の重さがシスネの動きを妨げた。
しっかり寝んだはずなのに、まだ疲れが残っているのか。タークスともあろう者が、夜通し働いたくらいでなんたるザマだ。
そう自分に言い聞かせてようやく布団から背中を起こす。少し頭がクラクラして、額を押さえて床に足をついたシスネに足音が近づいてきた。
「ミルクと砂糖は?」
彼の手には、柔らかい湯気の立つカップが握られていた。香ばしい独特の香りがして、それがなんだか懐かしいとシスネは思った。
「いえ、そのままで」
普段ならどちらも欲しがるところだけれど、今朝はあえてブラックを好んだ。そうすれば、未だシャッキリしない体に喝が入ると思ったからだ。
「気をつけろ」
男はそう言うと、カップの握り手をシスネへ寄越した。シスネはそれを受け取って、ありがとうございます、と小さな声で呟いた。
窓の外を可愛らしい声でさえずる鳥が通り過ぎていく。まるで優しい平和な朝だ。昨日までの惨劇が嘘ではないかと思わせるほど。
「──これから」
カップに口をつけると、苦味がシスネの舌を焼いた。コーヒーの香りのする吐息を洩らして、シスネは尋ねた。
「どうなさるおつもりですか、ヴェルド主任」
ヴェルドはいつものジャケットを脱いでいた。朝だったから軽装でいるのは当たり前のようにも思うし、けれどそれが彼の決意表明のようにも思えた。
だから尚更、聞いておきたいとシスネは考えた。過去になにがあったとしてもそして現在がどうであろうと、シスネにとって彼は絶対にタークスのリーダーだったから。
「……君は、本社に戻れ」
「主任は……!?」
今朝、初めて出した大声に自分の喉が驚いた。もう少しで声がひっくり返るところだ。飛び跳ねそうな心臓をなんとか呑みこみ、コーヒーの波が揺れるのを見下ろしながらシスネはカップを握り締めた。
「私は、主任の命令以外聞きたくありません」
タークスとしては甘えた台詞かもしれない。けれど、ここはしがない山小屋で相手はヴェルド一人だけだ。
ヴェルドは、幼少の頃からシスネを知っている。シスネがヴェルドを父親のように思っているように、彼もシスネを娘のように思ってくれているはずだ。
だから今朝は、こんな醜態も許して欲しいとシスネは思った。昨日までの出来事は忘れられそうになかったから。
「それは、タークスを辞めたいということか?」
二人きりであったから、ヴェルドも遠慮しなかった。彼の問いかけは辛辣なほど痛烈にシスネの疲れた胸を抉った。
「……………」
言葉がすぐに出てこないのは、YESもNOも選べなかったから。タークスとして育てられたシスネには、タークスでない自分など想像もできない。
けれど、昨夜までの出来事はシスネにとってショックとダメージが大き過ぎた。今もまだ、建物、家、物、人の燃える臭いが体の内側からシスネを脅かしている。
「お前たちには、申し訳ないと思っている」
近くの椅子に腰を下ろして、ヴェルドは呟いた。その両手にはカップが包まれていて、シスネと同じ色のコーヒーから静かな湯気が立ち昇っていた。
ふう、とため息を吐いたヴェルドを見ると、皺の刻まれた彼の頬が笑みの曲線を描いていた。シスネはハッと瞠目して、厳しい彼の優しい微笑にしばらく目を奪われた。
「嫌な仕事をさせようとした」
そう言う彼の口隅がひきつって、シスネの胸を締めつけた。コーヒーを飲んだはずなのに、喉の奥が渇いているような気がした。
昔、カームで起きた出来事を、シスネは知らなかった。ヴェルドがなにをしたのか、その結果カームの街が、カームの人々がどうなったのか──。
けれど、今はもう知っている。彼らは皆死んだのだ。いや、正確には殺された。
神羅カンパニーに命を奪われ、存在そのものを消去された。無かったことにされたのだ。ヴェルドがそれを行った。
そして昨夜、シスネも同じことをした。先日世話になったばかりの罪もない村人たちを、神羅屋敷の地下にある研究施設へ運びこんだ。
その中には、シスネのよく知る青年の姿もあった。ニブル魔晄炉で負傷した、先日昇進したばかりのソルジャークラス1stだ。
「私はタークスです。ずっと、そうして生きてきました」
掌に、コーヒーの温もりが伝わってくる。その柔らかさがシスネの手の強張りを和らげて、声の震えを少しだけ緩やかにさせていた。
「これから先も……でも……」
神羅以外での生き方など、シスネは知らない。タークスでない自分など、想像もできない。
だって、タークスであることだけがシスネの存在証明だった。恋を諦め、名前すら捨ててタークスであろうとしてきたのに、そんな自分が今更どうしてタークスを辞められるだろう。
「私は、タークスでいたい。どんな任務でもこなしていたい」
シスネはそう言うと、きゅ、と口唇を噛み締めた。口の中が苦いのは、コーヒーのせいだけではなかった。
タークスとは、エキスパートだ。神羅カンパニーの中でも特殊な任務を与えられていて、様々なスキルを身に着け、戦闘のみならず多種多様な技術でもって求められる成果を挙げる。
そんな自分が任務をこなせないとなれば、もはや存在する価値もない。けれど昨夜、任務をこなせず嫌悪して、その結果上司に全ての責任を押しつけた自分は、今まだ、タークスであると言えるのだろうか。
「お前はタークスだ。機械じゃない」
窓の外で、ぱたぱたと音を立てて何羽かの鳥が飛び立った。朝日は静かに小屋の中まで沁みこんでいて、驚き顔を上げたシスネを見つめるヴェルドを優しく包みこむ。
歴戦の傷による風貌のせいか、タークスの主任という肩書のせいなのか、神羅の中にはヴェルドを恐ろしい人間と誤解する者も多い。けれどシスネは、彼が決して冷徹でも冷酷でもないことを知っていた。そんな彼に甘えてはならないと、喉奥に貼りつく苦味を呑みこんでシスネは静かな声で続けた。
「でも……私は、友人を見捨てました」
「まだチャンスはある」
はっきりとした言葉で、ヴェルドはシスネの告解を否定した。起きてからもう随分時間が過ぎているはずなのに、シスネはようやく目が醒めたような気になって、大きな瞳を瞬かせた。
古傷の深いヴェルドの顔に、朝日を集めた双眸がどきりとするほど鋭い光で煌めいた。けれど決して怖くはなくて、シスネは口唇を結んだままゆっくりと息を呑んだ。
ヴェルドが、どういう意味でそれを言ったのか、知りたいとシスネは思った。そしてそれを彼が説明しないのは、シスネに理解できるはずだと彼が考えているからだった。
チャンスとは、どういう意味だ。神羅の実験の結果、カームの人たちは皆命を落とした。
今回も同じ結果になると思った。少なくとも、魔晄炉から運ばれた彼は全身を負傷していて、生きているのがやっとという状態に見えたから。
「信じよう。彼を、救いたいのなら──」
そう言うヴェルドの口許が柔らかく綻んだ。胸の奥がツンとしたのは、悲しみや苦しみのせいではなかった。
ヴェルドはきっと、誰も死なせるつもりはなかった。屋敷の地下で行われるのがどんな実験だったとしても、それを乗り越え再び日の下で出逢えることを期待していた。
以前も、そして今回も──たとえ叶わない夢だとしても、そうであって欲しいと思った。そう信じている限りは、彼の生きている世界でタークスとしていられる気がした。
強張っていたシスネの頬から、ふ、と緊張がほどけていった。笑みとまではいかないまでも、つい先刻までよりずっと呼吸が楽になっていた。
独善的な話だと思う。真実に彼を想うなら今すぐ助けに行けば良いのに。
けれどそれをしないのは、シスネがタークスであるからだ。そして今も尚思い出せる彼の微笑みが、そのしぶとさ、逞しさを物語り、心配するなと言っているようだったから。
コーヒーは随分温くなっていた。シスネは両手でカップを持ち上げ、それをごくごくと飲み干した。
期待通りの苦味はシスネの思考と心をスッキリさせた。シスネがタークスであるためには、やはりこの味とヴェルドの存在が必要だった。
「戻ります、ミッドガルに」
オレンジ色の髪を揺らして、シスネは言った。その言葉に満足そうに目を細めた男は、申し訳なさそうに眉を、す、と寄せて笑った。
二人をタークスにさせているのは、プライドであり誇りであり、罪悪感、劣等感、そのいずれでもあった。使命感を抱き続け、挑み続ける傲慢さは、決して誰かのためではない。
タークスでいたい、それ以上にシスネに存在する理由はないのだ。タークスであるためならば、混濁し混迷した感情など卒なく飼い慣らしてみせよう。
山小屋での束の間の休息を終えれば、タークスであるシスネには様々な任務が待ち受けている。代表的だったクラス1stを欠き、ソルジャー部門が崩壊の危機に瀕する今、まずはアバランチの動向が気にかかる。
彼と──ザックスと再会できるのは、いつのことになるだろうか。そもそも再会できるのだろうか、誰も知らない地下室で死んでしまいやしないだろうか。
けれどシスネには信じることしかできなくて、もしまた巡り会えた時には変わらずタークスでいたかった。あの、朗らかで明るくて、少し幼い彼の笑顔をまっすぐ見つめていられるように。
背広を正し、朝日の中、シスネは外の世界へと足を踏み出した。不安と悲しみを噛み潰し恐怖を踏み締めて挑む世界は、今日もシスネを辛辣に痛烈に、けれど優しく待ち受けていた。