軌跡<09>
先日の襲撃の痕跡を残す神羅ビルのエントランスは、再びジェネシスコピーで溢れていた。迎撃する兵士たちの銃声と、モンスターと化したコピーどもの咆哮、そして逃げ惑う社員たちの叫び声の響くその場は、まさに阿鼻叫喚であった。
その中心で、長い鎌を振りかざし、旋風を繰り出し兵士達を翻弄するコピーの背中を、疾く、そして静かに、一振りの刀が貫いた。そのまま大きく薙ぎ払うと、ジェネシスコピーだったものは地に伏し、やがて動かなくなった。
ソルジャークラス1st、英雄セフィロス。彼の戦闘は華麗で、無駄がない。
呆気に取られる兵士達が硬直する中、一弾の銃声が響き、残党のコピーを撃ち倒した。我に返った彼らは、指揮系統を失って惑い、怯みを見せるコピーたちを攻撃し、断末魔の悲鳴の消えたエントランスに静寂が再び訪れた。
「すぐに次の波がくる。臆すなよ」
「はっ」
命じるセフィロスに、兵たちはその声を合わせて軍礼を返す。エレベーターホールへと駆けていくセフィロスは、先程の硬直を打ち砕いた銃撃の主である、一人の少年兵の脇をすり抜ける。
彼が、まさしく『彼』なのだということは、セフィロスはすぐにわかった。すれ違いざま、セフィロスは尋ねる。
「コピーはどこに?」
「上に向かっています」
「わかった、ここは任せる」
短い会話、けれどそれで十分だった。クラウドは抱える銃を胸に掲げると、駆け去っていくセフィロスに眼を向けず、エントランスへと降りていく。
その胸は、誇らしい気持ちでいっぱいだった。セフィロスの言い残した通り、ビルへの侵入を試みるコピーの足音が、波のように近づいてきている。クラウドはごくりと息を呑むと、他の兵士たちと同様にエントランスへと銃口を向けた。
■ ■ ■
道中、何匹ものコピーどもが、閃く正宗の前に塵となった。無尽蔵か、と、セフィロスは顔を顰める。彼らは全て同じ顔をつけていたが、それらは斉しく紛い物であった。
セフィロスを乗せたエレベーターは、67階で緊急停止した。自動で開く扉が開ききらぬうちに、黒の片翼を持つコピーのナイフがセフィロス目掛けて投げられる。
長い直刃を払った剣圧に吹き飛ばされ、その鋭利なナイフはコピーの額に突き刺さった。上層のビルのガラスは割られており、そこから侵入したのだろうと容易に想像がつく。更に上層を目指そうとするセフィロスの瞳が、新たな二人の侵入者を捕らえた。
「わりぃ、待たせた」
見知った黒髪の青年に、セフィロスは笑みを含めて苦言を呈す。
「遅いぞ」
「…セフィロス、やつれたか?」
ザックスを引き連れて現れたのは、先刻別れたばかりの親友だった。ふん、と笑みを鳴らし、セフィロスは口隅を上げた。
アンジールと戦線を張るのは久しぶりだ。表現できない喜びに猛るのは、ザックスだけでなくセフィロスも同じだった。
「早速だが…、ホランダーは、宝条抹殺をジェネシスに命じているはずだ」
「宝条って、科学部門統括の?」
「ああ。自分の地位を奪われたと思っている」
「だったら狙いは上の科学部門フロアだな」
「…宝条など放っておけ」
セフィロスの言葉に、意外そうにザックスが振り向く。元々あの男との関係が芳しくないことを知っていたアンジールだけが、僅かな笑みを漏らした。
「相変わらずだな。では、セフィロスはここより下を頼む。外は俺に任せろ。ザックスは上だ。宝条博士は任せた」
「了解っ」
ザックスが嬉々として上のフロアへと駆けていく。
先程まで動いていたエレベーターはもはや使い物にならない。この長い道のりを、セフィロスは徒歩で下らなければならない。しかし、彼にとっては、それもさして億劫なことではなかった。
抜き身の刀を握り締め、セフィロスは駆け出す。戦渦にあって、何故かセフィロスは高揚していた。
■ ■ ■
コピーは無尽蔵に沸いてくる。破壊されたエントランスから、翼を生やしたコピー軍団が群を成して攻め込んでくるのだ。
「ぐぁあっ」
彼らの投げた曲線を描くナイフは、どうやらただの武器ではないようだ。掠っただけでなんとか難を逃れた同僚の兵士が、ばたばたと倒れていく。
その体が一瞬、どす黒い緑に変色したかと思えば、彼らは苦悶の声を漏らして動かなくなった。あれを食らったら仕舞いだ、そう自覚して、クラウドはゴクリと息を呑んだ。
エントランスを侵攻するコピーに圧されるような形で、戦線はエレベーターホールまで後退した。クラウドは物陰に隠れて、悔しさを噛み締めながら持つ機関銃をリロードした。
奴らは、銃弾を何発か浴びただけではびくともしない。近づこうとすれば、彼らの持つ鎌の生み出す小規模な竜巻に飲み込まれ、床に叩きつけられる瞬間に毒刃によってやられてしまう。応援にくる兵士の数も多いが、それ以上に倒される兵士の数が多かった。
クラウドは、確かに感じる死の恐怖に震えそうになるのを必死で耐えた。フロアに膝をつき、一撃から二撃へと続く際の一瞬の隙を待つ。
瞬間、立ち上がって、両手に構える機関銃で容赦のない連射を仕掛ける。敵は左に二体、右に三体。そして奥には、例の鎌を振るう指揮官クラスのコピーが控えている。
クラウドに一瞬遅れて身を屈めようとした隣の兵士が、ナイフの攻撃を食らって後ろに吹き飛ばされる。
「おい、大丈夫か!?」
思わず声を上げるけれど、彼は呻き声を漏らして、立ち上がろうとするも虚しく、動かなくなった。
「くそッ」
銃を握る手に汗が滲む。このまま、何も出来ずに雑兵のまま終わってしまうのだろうか。宝条博士の実験など、無意味だったじゃないか。どうして、俺はこんなに弱いんだろう。
悔いと、苛立ちと、憂鬱に、体が震えた。それらを全て噛み締めて、再び立ち上がろうとする少年を、大きな旋風がバリケードごと吹き飛ばす。
「ぅわあっ」
ドスンと大きな音を立てて、クラウドは床に叩きつけられた。骨まで響く衝撃に、伝導する痛みに、クラウドは身じろぎ呻き声を抑えることしかできなかった。
痛みに揺らぐ視界に、闇色の鎌を振り翳すコピーの姿が映る。少年へと振り下ろされるその鎌は、クラウドの予想を裏切って、その身に突き刺さりはしなかった。
代わりに、疲弊したクラウドはなにかあたたかな光に包まれた。全身に染み渡っていくその柔らかな光に、活力が蘇る。思わず眼を閉じてしまっていたクラウドが恐る恐る眼を開けると、コピーの胸に、銀色に輝く刃が突き刺さっている。
「……セフィロス…?」
その指先から紡がれた光…全てを癒す魔法が、ふわりと泡になって消えた。
「そんなものに頼るからだ。今度、トレーニングに付き合ってやる」
そう言って、セフィロスは刀を振り払う。吹き飛ばしたコピーの体を、向かってこようとするコピーに投げつけ、彼らを薙ぎ倒した。次々に投げつけられるナイフは一太刀の剣閃に叩きつけられ、その威力を失う。
「さあ、行こうか」
口許に笑みを許すセフィロスは、楽しんでいるようだと思った。クラウドも、沸き起こってくる勇気と、この戦況の打開への期待に、震える笑みを抑え切れなかった。
「はっ」
エントランスへとコピーの布陣を圧しかえすセフィロスに続いて、クラウドと残りの兵士が駆け始めた。
凶刃の閃くエントランスで、セフィロスはまるで踊っているようだった。暗い血飛沫すらも彼の舞を演出する効果にしかならない。逃げようとするコピーを挫くのが、兵士たちの新たな役目だった。無限に奏でられる銃声と刃鳴り、そしてコピー達の最期の絶叫が吹き抜けのエントランスに響く。
――守られてるようじゃダメだ。
――俺も、闘うんだ。
クラウドは握る手の汗を拭い、両手に銃を抱えた。連射される銃弾を胸に受け、怯んだ大鎌のコピーに、セフィロスの口隅が吊り上がる。
慈悲を知らない正宗が、その異形の傀儡を切り裂こうとした瞬間。黒い羽根が舞い散り、全てのコピーが消失した。
それは、消失と呼ぶのが最も適していた。広げた彼らの翼から一枚一枚の羽根が抜け落ち、エントランスは飛び交う羽根で埋め尽くされた。そして、確かにあった彼らの強靭な肉体が、まるで空気に溶けるように消えていく。
「な……消えた……!?」
愕然としたクラウドの口唇が僅かに動く。驚愕し、動きを止めたセフィロスが、羽根の海となったエントランスを抜け出して、外の広場へと飛び出していく。
硬直を溶けずにいる他の兵達と違い、クラウドもそれを追いかけていった。
「ッ……セフィロス!!」
呼ぶクラウドに応えることなく、セフィロスは足の早さを緩めることもない。天を仰ぐセフィロスの細めた瞳が、燃え付きようとする召喚獣の輝きを捕らえる。それに照らされて、暗い空に羽ばたく二枚の翼が目に入った。翼の無いセフィロスは、ビルの外壁を跳躍し駆け上るしかなかった。
「セフィロス!!」
クラウドの叫ぶ声が、静まるミッドガルに響き渡る。セフィロスはクラウドの制止を聞くことなく、二人の元へと急いだ。
■ ■ ■
右肩を押さえ、跪くアンジールの手から、握りしめたバスターソードが零れ落ちた。その目鼻の先にレイピアを突きつけて、ジェネシスはゆっくりと笑みを刻む。
「……くっ…」
声を噛み殺すアンジールへと翳す刃に左手を添えると、魔力を吹き込まれたレイピアが紅く輝く。漸くに辿り着いた息を切らせたセフィロスが、その名を叫ぶ。
「ジェネシス!!」
はぁはぁと呼吸を乱し、彼はそこに立っていた。ジェネシスは口唇を緩め、危うい光を纏ったままのレイピアの切っ先を降ろす。その隙に、転がるバスターソードを拾い上げ、アンジールは傷ついた身を退いた。
神羅カンパニー本社ビル。世界を牛耳る不滅の組織のエンブレムの前に、彼らは立っていた。
「英雄様のご登場だ」
くつくつと喉を鳴らし、ジェネシスはビルの先端へと歩みを進めていく。その唇に、かの壮大な叙事詩を口ずさみながら。
「君よ、希え。命はぐくむ、女神の贈り物を」
「ジェネシス…」
「いざ語り継がん、君の犠牲、世界の終わり」
「ジェネシス…!!」
アンジールの哀願にも似た呼び掛け、セフィロスの痛切な叫びに耳を貸さず、彼はその腕を広げ、天を仰いだ。
「人知れず水面を渡る風の如く、緩やかに、確かに……」
「もういい、ジェネシス。LOVELESSは聞き飽きた」
「役者が揃ったんだ、セフィロス。俺たちでこの物語に幕を引こう」
振り返るジェネシスは、右肩から生える翼を広げ、セフィロスにむかって闇を切り裂く紅い剣を向けた。刀を掴むセフィロスの指が震える。笑みを浮かべ、応戦を促すジェネシスの瞳が淡く煌めいた。
「さぁ、セフィロス」
切っ先を突き上げ、声を荒げるジェネシスの背で、漆黒の翼が羽ばたきの音をたてる。苦渋を噛み締めるセフィロスが、ゆっくりと正宗を構えた。
「やめろ、セフィロス…!!」
アンジールが、血の滲む右肩を押さえたまま叫んだ。しかし、親友二人は刃を互いに交わし、対峙することをやめようとはしない。
く、と力強く口唇を噛み締めるアンジールが、痛む腕に強く掴むバスターソードをセフィロスに向ける。
「二人とも、もう、やめるんだ」
アンジールが搾り出すように言った。それに舌打ちして、ジェネシスはセフィロスへと向けていた刃を翻し、アンジールへと切っ先を向ける。
「邪魔をするな、アンジール…ッ」
世界に誇る神羅ビルの、その頂に建ちながら、彼らは三竦みの様相を見せていた。暗い空をサーチライトが踊り、三人のソルジャーを大きな月が見下ろしている。
一触即発の静寂に、どれほどの時が流れたろうか。不意に、セフィロスは笑った。
声を出して、高らかに笑う彼の左腕は緩やかにその脇に垂らされ、笑いを堪えるセフィロスはその腹を押さえた。
「なにが可笑しいッ」
ジェネシスが怒号をあげ、再びセフィロスへと刃を向けると、アンジールは慌てたようにジェネシスへと牙を剥く。未だ堪えきれぬ笑みを漏らすセフィロスが言った。
「変わらないな、三人とも」
ジェネシスが片眉を上げる。
アンジールは言葉を飲み込んだまま、語ろうとしなかった。
戦意を失った妖刀を納めて、セフィロスが口を開く。
「悪いな、ジェネシス。俺は…英雄にはなれない」
「セフィロス――」
「英雄の役は、お前がやればいい。俺は、お前の舞台にあがる気はない」
次いで、アンジールが苦しそうに眉を痛め、無理やりにバスターソードをその背に収めた。
闇に煌く刃は一振りとなる。それを構えるジェネシスの指が、震えていた。
「何故だ、セフィロス…」
カツリと音を立てて、セフィロスは踵を返す。そのまま歩みだそうとするセフィロスへ、懇願するように怒鳴る声が響いた。
「俺と闘え、セフィロス!!」
しかし、セフィロスはその歩みを止めようとはしなかった。静かに聳える神羅ビルへと戻ろうとするセフィロスに、苛立ちを篭めたジェネシスの凶刃が振りかざされる。
「うぉああああッ」
「ジェネシスッ!!」
アンジールの制止が闇に融ける。振り返ったセフィロスの瞳の先に、震える刃をきつく突きつけるジェネシスが居た。
天を翔る黒い羽根が、ひらひらと舞う。ジェネシスは、その剣を振り下ろそうとはしなかった。
セフィロスの双眸に、苦しげに眉を寄せ、瞳を揺らすジェネシスの姿が映った。彼は、その冷涼な輝きを宿す瞳でジェネシスを見つめるばかりで、決して正宗を構えようとしてはくれなかった。
ただ一人、剣を構えていた男の硬直が解かれる。力をなくしたレイピアからは輝きが消え、カランと音をたててその切っ先がビルに弾かれる。
よろけるように後退するジェネシスの背で、翼が音をたてて羽ばたいた。天に舞い上がるその男は、振り返ろうとはしなかった。
「……君よ、希え……命はぐくむ、女神の贈り物を…」
ふらふらと舞い上がるジェネシスの口唇が、彼の愛した叙事詩を紡ぐ。黒の羽根を散らしながら、彼は飛び立ってゆく。
その背を追いかけて自らも飛び立つアンジールは、ただ見上げるばかりのセフィロスを見下ろした。
セフィロスは、二人を追おうとはしなかった。ただそこでなにも言わずに、見送るだけだった。
黙す親友を見下ろしていた男は、やがて彼の消えた大宙へと飛び立っていく。白と黒の舞い散る神羅ビルで、セフィロスは、二人とまみえるのはこれが最後だろうと、確信めいた予感を感じていた。