軌跡<11>

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 早朝、クラウドはセフィロスの部屋を出た。ソルジャークラス1st専用の居住フロアに他人の眼があるわけではないが、出来る限り周りの人間には知られたくなかった。
 セフィロスはいつもの装いで出かけていった。どこへ向かうかは聞かなかったが、クラウドはその背を見送って、兵舎へと戻った。
 点呼は毎朝定刻に行われる。人目を避けて集合に参加したクラウドは、何も無かったかのように列に紛れ込んだ。
 各隊の点呼が終わると、業務指令が上官から下される。クラウドの所属する神羅軍第三分隊第五班は、隣の班の応援に呼ばれることとなった。
 最近、ミッドガル周辺でモンスターが頻繁に出没しているらしい。ソルジャーも配置されているようだが、一般人の動揺は顕著で、事態の早急な鎮圧と治安の復活維持が急務とされている。
 カームへの遠征を命じられ、靴の踵を鳴らす軍礼を返す。解散の号令をもって、兵士達は各々の任地へ繰り出そうとした。
「クラウド・ストライフ」
 赤いスカーフの上官に呼び止められ、クラウドは足を止めた。
「お前は別働だ」
 意外な言葉に、クラウドは驚いた。
 通常、軍は班で行動する。各班をまとめて分隊を形成し、その分隊をまとめた師団隊がある。通常は班ごとに任地に配属になり、班の中から小班で行動することはあっても、個別に行動することは滅多にない。
「どういうことですか?」
 問うクラウドに、上官は肩を竦めた。
 平常でない命令の理由は、こっちが聞きたいくらいだ。その手に抱えるノートボードを捲って、彼は答えた。
「ソルジャー部門からの応援要請だ。お前と他に何人か、珍しく指名できている。なにか聞いているか?」
 瞬間、クラウドは先日のセフィロスの言葉を思い出した。
【ラザードに、お前を、ソルジャー候補として推薦しておいた】
【一応査定もあるようだが、現在のデータを見る限り問題は見当たらない。近々正式な辞令がいくだろう】
 これがそれなのだ、と直感した。
「……いいえ」
 クラウドは首を振る。ソルジャー候補の査定なのだと言ってしまえば、なにを言われるかわからない。しかもそれをセフィロス当人から聞かされているのだということは、人に知られたくはなかった。
 要領を得ない返答にため息を漏らし、上官はノートボードを閉じる。
「とにかく、お前は別働だ。本社ソルジャーフロアで別途指示があるだろう、それに従え」
「はっ」
 短い礼を返すと、クラウドは踵を返す。カームへと向かう支度を始めた班員とは別に、クラウドは一人、本社ビルへと駆け出した。
 通常の指令ではない行動は、動き始める他の兵士の無言の注目を集めていた。
「あいつは……」
 クラウドに気づいた兵士の一人が、口を開く。そうとも知らずに、クラウドは上官に命じられた通り、本社ビル49階、ソルジャーフロアへと急いだ。



   ■   ■   ■



 ラザードは焦っていた。二度の襲撃をもってしても、神羅カンパニーの権威は一向に衰える気配を見せない。ただ、その受けた打撃が軽微ではないことは、内側にいるラザードは十分自覚していた。
 忌々しいことに、スカーレット率いる兵器開発部門は、新型の兵器を完成させたらしい。その存在は、神羅を打倒せんとするラザードの計画に支障をきたす。早急にホランダーと連携をとることが必要と思われたが、五番魔晄炉から逃げたホランダーの行方はわからなかった。
 つい先程アンジールから連絡があった。ジェネシスとホランダーはモデオヘイムに隠れ、体制を立て直していたらしいが、そんな連絡は一向にラザードにはきていなかった。
――まさか、裏切ったのでは……。
 そんな予想がラザードの脳裏を掠める。
 元来、科学者などというものはあてにはならない。神羅の失墜と打倒のために張った共同戦線だったが、ホランダーが今後どれだけ力になるかは判らない。
 早急に手を打たなければならない。その焦りに、ラザードはモニタを見つめ、眉を寄せた。
 と、執務室の内線が鳴る。受話器をとると、電話口の部下が報告する。
『統括、査定対象者18名が揃いました』
「わかった。今行く」
 欠員を補充する神羅軍の精鋭たちへの激励のため、ラザードは立ち上がった。
 彼らがソルジャーとなるのを、自分は見届けることができるのだろうか。そう考えると、自然にラザードの口許に笑みが浮かぶ。
 執務室を後にして、ラザードは彼らの待つソルジャーフロアへと向かった。



   ■   ■   ■



 治安維持部門とソルジャー部門は、共に仕事をこなすことは多いものの、兵士たちがソルジャーフロアに来ることは滅多にない。お互い神羅の軍事組織ではあるものの、トップ同士の対立もあってか、水面下では衝突も多かった。
 気持ち緊張を覚えながら、クラウドは固く姿勢を保ってそこに立っていた。周りの仲間たちも同様だった。
 青地のジャケットを羽織る男がエレベーターを降りてくる。すかさず軍礼をする彼らの靴音が重なった。
「ようこそ、諸君」
 ソルジャー部門統括、ラザード。若くしてその業績の高さと優秀さからソルジャー部門のトップに上り詰めた彼の存在は、神羅カンパニーの中でも異彩を放っている。末端のクラウドも、彼の名と顔はよく知っていた。
「知っての通り、我がソルジャー部門は現在人員不足に憂いている。諸君は治安統括部門直下神羅軍の中でも有望視されており、今回ソルジャー増員の為、査定を受けてもらうことになった。今後、ソルジャー同伴のミッションに参加してもらう。その内容如何で、訓練兵として我がソルジャー部門に迎えることにした」
 誰もが沈黙を守り、ラザードの前で姿勢を正している。しかし、その心の内の緊張からか、隣の兵士が息を呑むのをクラウドは感じていた。
「どの任務も、軍のそれとは違う重要度の高いものだ。諸君らの活躍を期待しているよ」
「はっ」
 無骨なハイデッカーとは違い、ラザードの立ち振る舞いは優雅で繊細だ。うむ、と頷いて、ラザードは傍らに控えていたソルジャークラス2ndに続きを促した。
「それではこれより、それぞれの配置任務を発表する」
 一人一人の名が呼ばれ、その配属先が指示されていく。クラウドは脇に垂らした拳をきつく握り締めた。
 列の最後に並ぶクラウドは、次々に呼ばれていく同輩たちの点呼を聞きながら、緊張に震えていた。
「クラウド・ストライフ」
「はっ」
「コレルエリア潜伏中のウータイ残党掃討任務の対応を命じる。同行は、ソルジャークラス1st、セフィロス」
 セフィロスと聞いて、周りの空気がざわつくのがわかった。英雄セフィロスとの同行任務は特別なことであり、周りの羨望の眼がクラウドに注がれる。
 しかしクラウドは、喜んではいなかった。すぐさま返答を返すことができずに居るクラウドに、彼は問う。
「聞いているのか、クラウド・ストライフ」
「…はっ、…ぁ……いえ…」
 言葉を濁すクラウドに、それまで口を挟まずにいたラザードが口を開いた。
「君は…」
 驚いたように、指示を出していたソルジャーが顔を上げる。驚愕したのは彼だけではない。それまで緊迫していた他の兵士たちも、ラザードに注目する。そして、呼ばれたクラウド当人も、ラザードへと目を向けた。
 彼はゆっくりとクラウドに近づいていく。マスクの向こうに、薄い眼鏡のレンズごしに男がこちらを見下ろしてくる。クラウドはその理由がわからずに、ただただ立ち尽くすばかりだった。
「確か、『彼』の推薦だったね。なにか、問題あるかな?」
 セフィロスのことがクラウドの脳裏をよぎる。周りの兵士たちは、ラザードの言う『彼』の存在が誰なのかわからず、互いに顔を見合わせている。
 思わず口を開いたクラウドは、慌てて視線を落とした。
 セフィロスと任務に同行する、それは誰もが望む名誉であり、クラウドにとってもそれはこれ以上ない魅力的な申し出だった。しかし…、と、クラウドは眉を寄せる。
 彼に守られてばかりの自分に、辟易していたところだ。ジェネシス軍襲撃のあの夜も、そして今朝方も、セフィロスの手を煩わせてばかりいる自分は、これ以上彼の足手まといにはなりたくなかった。
「いえ…」
 幹部であるラザードに不敬にならないように言葉を選ぼうとするが、クラウドはうまく自分の思いを表現することができない。ただ小さく呟いて首を振る少年兵を見下ろして、ラザードは考えるように眉を寄せた。
「……なら、別の任務についてもらおう」
 顔を上げたラザードが、その様子を呆然と見ていたソルジャーへと指示を促す。彼は慌てた様子でファイルをめくるが、急な変更に迅速に対応することができずにいる。
「追って指示を出す。それまで待機だ。あとの者は解散、それぞれの指示に従うように」
 命令に、クラウドをはじめとする兵士たちは軍靴を鳴らして敬礼した。ぞろぞろと兵士たちは動き出し、クラウドは慌ててラザードへと駆け寄った。
「統括、申し訳ありません、無理を、申し上げて…」
 動揺する少年兵に、ラザードはふと笑みを零した。
 まだ年端もいかない少年に、滅多に他人に興味をもたない彼がどれだけの期待を寄せているのかと思うと、そうせずにいられない。言葉を必死に選びながら言う彼に、ラザードは普段の抑揚で答える。
「気にしなくていい。どの任務につこうと査定の内容に変わりはないからね。ただ…」
 言葉を濁すラザードを見上げ、クラウドはごくりと息を呑んだ。
「少々、重いミッションになりそうだね」
 先ほど、ザックスへの召集をかけたばかりのラザードだけが、彼の配属されるだろうミッションの内容を知っている。その深みを思えば、呟く語気は重い。
 ラザードのため息の理由を知ったのは、その数分後のことだった。
 モデオヘイムへの遠征。クラウドは、その任務で、彼の運命を左右する一人の男と出会うことになる。



   ■   ■   ■



 出立時刻は1200時。それまで待機を言い渡されたクラウドは、居心地悪そうにソルジャーフロアのホールに腰を下ろしていた。
 他の兵士たちは皆、それぞれの任地についた。時刻がくるまで、クラウドは待機を言い渡されている。任務の詳細内容を映し出す画面を見つめながら、クラウドはため息を漏らした。
 任地は、アイシクルエリアの田舎町、モデオヘイム。神羅を脱したホランダー博士の確保が主な任務の内容だ。先日神羅ビルを襲撃した元ソルジャークラス1stと、彼は行動を共にしているらしいとの補足がついていた。その名は、ジェネシス――
 同行するソルジャーは、セフィロスと同じくクラス1stの、ザックスという男だ。つい先日昇格したばかりだと、クラウドは社内の人事メールで知っていた。
 まだ見たことはないが、クラス1stのソルジャーは現在、彼とセフィロスのたった二人だ。クラス1stが配置されているということは、それだけ重要度の高いミッションなのだろう。
 緊張に、握り締めたグローブに汗が滲む。クラウドはぼんやりと光る携帯の画面を見つめて、もう何度目になるかわからないため息を漏らした。
 躊躇う指先が、セフィロスの連絡先を導き出した。
 彼はどうしているだろう。ジェネシスに関連する任務があるということを、彼は知っているのだろうか。
 悩む少年は時刻を確かめる。まだ、集合時間までは三時間弱の時間がある。
 迷う指先が、恐々と通話ボタンを押した。
 クラウドの胸中の緊張など知らずに、耳に当てる携帯は単調なコール音を奏でだす。出てほしい気持ちと、出てほしくない気持ちがクラウドの胸を締め付けていた。
 一回、二回、と、響くコール音を数える。十回にそれが到達し、終話ボタンを押そうとするクラウドの耳元に、彼の声が響いた。
『どうした』
「……っ、……」
――セフィロスだ。
 自分からかけた電話でありながら、クラウドは言葉を詰まらせた。
『…クラウド』
 だんまりを固める少年の緊張を、セフィロスの囁きが解く。クラウドは慌てて口を開いた。
「あの、すみません…今、大丈夫でしょうか?」
『…そうでなければ出ていない。お前からの連絡とは珍しいな』
「あの…」
 要領を得ないクラウドの言葉を待つように、セフィロスが沈黙する。意を決したように、クラウドは話し出した。
「ソルジャーの、査定を受けることになりました」
『そうか』
「それで、その…今日、任務に発ちます。行き先は、モデオヘイムです」
『大分遠いな。あんな偏狭で、なにかあるのか?』
「ホランダー博士が…」
 饒舌だったセフィロスの声が止まった。
 それを伝えて、どうしようというのだろう。クラウドは自分の行動の理由に、いまひとつ明確な理由をつけられずにいた。
 セフィロスにつられるようにして、クラウドも沈黙してしまう。ぎゅっと眼を閉じたクラウドの耳に、セフィロスが囁いた。
――出立は何時だ?』
「…1200時です」
『まだ時間があるな…。今どこにいる?』
「本社の、ソルジャーフロア、ですが…」
『暫くそこにいろ。今からいく』
「え…セフィロス…?」
 電話はそこで途切れた。切れた携帯の画面を見下ろしながら、クラウドは大きく開いた眼を瞬かせた。
 思わずあたりを見回すけれど、ソルジャーたちは任務に出払っているようで、周りに人の気配はない。何故だか、胸が高鳴っていた。消灯した携帯の液晶を閉じ、それを軍服のポケットにしまいこむと、クラウドはきゅっと身を縮めて、ゆっくりと眼を閉じる。
 ホールにかけられた壁掛け時計の秒針の音が、やけに大きくクラウドの耳に響いていた。